直線上に配置

2003年 12月22日〜12月28日

22
 オヤジの日記も気分転換で背景の色を変えてみました。やっぱり試合の結果があまり良くないと色々なことを変えてみたくなるんですよね。特にジンクスがあると言うわけでもないのですが…。(本当は結構あるかな?)

 そう言えば、僕の掲示板でもボウリングの話題が出ていましたね。現在では、コンピューターで自動的にスコアがカウントされ、画面に表示されるシステムになっていますが、昔は手書きで自分でつけていました。

 その時代、ちょっと調子が悪かったら、「ここから切り替えて頑張るぞ!」と言う願いを込めて、フレームの境のラインに沿って、とっても濃く線を引いたものでした。それがおまじないになるのか、それ以降、突然復調してターキー(ストライクが3回続くこと)が出たりして…(笑)!

 思えば、優勝した昨シーズン第9回Vリーグは山形で開幕しました。今シーズンもここから始まるつもりで「線を引いて」頑張ればいいじゃん!なんて開き直っているオヤジでした。(と言いながら僕的には、試合当日用のパンツとソックスは決まっているのですが…)

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 夕方の時間帯だったと思います。監督室でふとテレビを観ると「一万人の第九」をやっていました。なんでも山本太郎さんがドイツまで行って練習し、一万人の一人として歌ったと言う番組だったそうですが、その本番の画像に「感動過度症候群」のオヤジは感涙してしまいました。

 一番テレビに近い位置に座っていたオヤジは、その涙を他のスタッフに見られてはまずいと、顔の位置を変えず前を向いていたのですが、思わず漏らした「凄いな〜!」の声が裏返り、泣いていることがバレバレになってしまいました(涙)。

 さらに森山直太郎さんの「桜」が一万人と共に合唱され、大感動!即、ゲットすることに致しました。結局、飯村トレーナーが持っていたのでお借りしましたが…。

 加齢と共に、感動過度症候群の症状は進行しているようです。症状は、大量の涙、二の腕から上がってくる鳥肌、脛の部分のすくみ感、そして思いっきり叫びたくなるような内側から湧き上がってくる衝動!

 今週末は、自分が直接関わっている唯一のチーム、レッドロケッツ共に大感動をしたいオヤジでした!

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 「年賀状、どうすんの?」って「お帰りなさい」の代わりの一言は、オヤジの心に響きました!「す、すぐやるから。」と二人の娘用と家族用の2パターンを使い慣れているワードで作り、プリントしました。と、書けば簡単ですが、そのプロセスの大変なこと…。

 文字は割と簡単に決まりましたが、レイアウトに関しては、スクラップブッキングを趣味にしている妻にアドバイスを受けながら、微調整をし、バランスの良いものに仕上がるのに手間取りました。娘の物に関しては、何故か赤ロケの選手達の画像も使いたいと言うことでむっちゃ悩みました。

 思えば、数年前に「プリントごっこ」で格闘し、その後、カラープリンターをゲットしてからはパソコンで作るようになり、数十枚の年賀状を犠牲にして来たからでしょうか、今ではほとんどミスをすることなくできるようになりました。始めてから最後の一枚の印刷が終わるまでに5時間。440枚印刷したことを考えれば「まあまあ」かなと自己満足に浸っているオヤジでした。

 そのうちオヤジの年賀状は340枚、昨年受け取った年賀状が600弱だったことを考えると、年明けにももう一度勝負をしなければならないことを「確信めいた予感」として感じるオヤジなのでした!(Sigh…)

25 山形への移動日(クリスマス+高橋選手のBD)

 さて新幹線の移動中には、たまりにたまったメールを少しでも返信しようと気合が入っていました。しかし、どうしても読んでおきたい資料があり、メールは後回しにして先に読書しました。

 郡山を過ぎた辺りで資料は、読み終わりパソコンを取り出して早速、返信を始めました。福島駅では、この新幹線、山形方面に向う前部車両と仙台方面に向う後部車両が切り離されます。そんな中、メールの返信は、20件近くなり順調に進んでいました。

 が、しか〜し、その福島駅を出てから様子が変わってしまいました。何だか横揺れも縦揺れも激しくなったような気がするのです。些細な揺れなどお構いナシでパソコンに最大集中していたのですが、二駅過ぎた辺りで急に気分が悪くなってしまいました。

 外を見ると山間の風景。線路はやっぱり真っ直ぐではない!曲がりながらも登ったり下ったり…。そして町に出ると踏み切りもある…。大きな揺れと小さな揺れの中、1通でも多くのメールに返信をしようと集中していたことがまずかったのでしょうか?見た目にも繊細そうななオヤジ(?)は、数十年ぶりに列車に酔ってしまいました。その後、姿勢を楽にして目を閉じていたら何とか回復しましたが、結局メールは普段と同じくらいしか、返信できなかったのでした(号泣)。遅れている皆さん、ごめんなさい!

26 試合会場での練習

 山形の体育館では毎年試合をしているような感じです。しかし、今年は何かが違う…。それはワールドカップ効果で注目度が違うのでしょう!会場でお会いした役員の方に聞くと、ここでもチケットを売り過ぎて立ち見が出てしまうとのこと…。消防が来なきゃ良いけど…。

 実際に消防が来てしまった試合は、もう何年前になるのでしょう?斉藤真由美選手がやはりワールドカップで大ブレイクし、イトーヨーカドーが大人気だった頃、山口県の下関市で行われた試合で消防からの指導があったそうです。観客を入れ過ぎて緊急避難経路が確保できなかったそうです。

 偉く難しい表現で分り難いのですが、要するに通路も何も全部、人で埋まってしまったということですよね。

 それで今回の山形大会もそうなる可能性(危険性?)を予測している人と、楽観視している役員の方がいると言うことで実際どんなことになったかは、地元の人のレポートで紹介されている通りです。

 オヤジの予測が外れたことは、別に一つあります。山形は寒い!と言う事です。実際、外に出ると寒いです。しかし、屋内に入ると本当に暑い!ホテル内では半袖、外に出るときには完全防備の状態でしたが、屋内にいる時間が長かったので「半袖半パン」で過ごしたイメージのある山形でした。

27 対パイオニア 3−1で勝ち!(山形)

 パイオニアさんには、去年の公式戦で負け越していました。チーム内でもその意識があり、何としてでも勝利したいというムードがありました。しかし、この日記を書いているオヤジには別の思いがありました。

 思えば、あれは7月のことでした。ビックタートルと呼ばれる体育館でサマーリーグの東部大会が行われていました。その大会の直前までアメリカの学会に参加していたオヤジは、パートナーの飯村トレーナーにベンチを任せて外から応援していました。

 そこへ何とパイオニアのセリンジャー監督が歩み寄って来て僕に話しかけたのです。こちらは試合中でしたが、丁重に挨拶をして世間話がスタートしてしまいました。で、その中でいきなり「日本は不公平な国だ!」と言われ、人間ができていないオヤジは、その言葉に反応、「どういうこと?」って聞いちゃいました!

 結局、熱く日本(不)公平論を聞かされることになりました。聞いてみると正論だし、口論などしたことのないオヤジは何も言えず、今でも心に大きな瘢痕となって残ってしまいました。「それでも僕は日本が大好きなんだけど…」と言えず(涙)。

 それを癒してくれるのは、選手の頑張りだけなんですよね。だって高校時代に日本一経験者が栗原、梅尾の二人だけの赤ロケが粘り勝ったのですから…。選手の頑張りは、気の弱いオヤジにとっては水戸黄門の印籠に匹敵すると思ったのでした。ありがとう赤ロケ戦士達!

(僕の日記だからこんなこと書いても良いよね…誰に聞いてんだ?)

28 対日立佐和 3−0で勝ち!(山形)

 またまた歴史に残る試合になってしまいました。セットカウントは、3−0で快勝に見えるのですが、2セット目がなんと33対31まで行ってしまったのです。これは最多得点セットの歴代4位タイになる高得点だと思います。つまり両チームの1セットでの得点合計が、64点だったということです。ちなみに1位の70点、2位の68点にもNECが関わっているのですが…(笑)。

 日立佐和さんは、もともとレシーブ力のあるチームですから、元気な外国人の加入は、大きな力になるわけです。2セット目は、お互いゆずらぬ、まさに息がつまるような攻防になってしまったのです。そしてNECにとってはラッキーなことに、その外人選手の勝負球がアウトになりセットポイントを取ることができたのです。フーーーー!あれがなかったらまだ続いていたかも…(←そんな馬鹿な!)

 今日は、高橋選手が大活躍でした。そうすると昨日の試合と比較して…色々と言う人がいます。でもね、日記に書くような内容ではないかも知れないけど、バレーボールは球技なんですよ。自分の体調ややる気が最高レベルでも悪い時もあれば、最悪のコンディションでもめっちゃ決まることもあるんです。「相手」も必死で頑張っているんですから…。戦術や戦略で徹底マークされることもあるんですから…。

 で、一人が徹底的にマークされても、他の選手が頑張れば勝てちゃうんですよね。そこがチーム・スポーツの醍醐味なんです。オヤジはそんなバレーボールが大好きです。だから僕的には、今日も皆にMIP!選手のみんな、感動をありがとう!

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