2005年5月30日〜6月1日

30
 玉川の体育館のトレーニング場のマシンの組み立てに立ち会いました。まだまだ工事が続いている体育館ですが、6月1日からの練習再開に向けて急ピッチで様々な作業と最終確認が続けられています。こういう現場をチラッとでも垣間見ると本当に多くの方々、色々な業種の専門家の皆さんの力で完成していくんだなあと、感動してしまいました。

 ひょっとしたら選手の皆は、ここで体育館が出来上がるまでに関わった皆さんに会うことはないかも知れません。会えたとしても本当に極々一部の方々だと思います。それらの皆さんが、赤ロケのメンバー表を工事現場の舞台裏に張り出し、この選手達のための体育館を作るんだと、頑張っておられたそうです。

 いつかあのおじさん達が、家族とテレビを見ながら、「このチームの体育館は、俺達が建てたんだぞ!」と言っていただけるような素敵なチームにならないと申し訳ないような・・・そんな気がして来ました。我々が、感謝の気持ちを持ち続けながら、日々精進すれば、必ずそういう日が来るような気も同時にしています。

 トレーニング・マシンの組み立ても丸一日がかりで完成しました。本当に大変な作業でした。それぞれのマシンに、何十キロ、何百キロものウエイトがついています。それを何度も何度も運び、持ち上げ、組み立てていくわけですから・・・。

 プロの業者さんにお願いした組み立て作業ですが、オヤジは見ているだけだと罪の意識が沸いてきて、素人にでもできそうな単純なお仕事、例えば錘を順番に並べるとか・・・を手伝ってしまいました。そんな小さなお手伝いをしただけで、更に作業の大変さを痛感してしまいました。そして、感動過度症候群のオヤジは、またまた考えました。やっぱりこうして頑張っていただいたおじさん達には、「勝って恩返し」がしたいと・・・。・・・そんなこと簡単ではないんですけどね〜。でも、頑張るべ〜!

31
 電気もつかない、トイレも使えない、横浜体育室にチームで出かけました。実は、今日が引渡しの日だったのです。できあがってから27年間、本当にお世話になりました。僕がNECに来てからでも19年間、本当に多くの思い出をありがとうございました。色々な事情で全員ではありませんが、今日、横浜体育室に集まることができた皆で記念写真を撮りました。



 外では雨が降っていました。吉川監督は、「涙雨だな!」って言ってました。オヤジは、もう二度とこの体育館には、入れないんだと思うと胸が詰まるような思いがして来ました。だから、多くは語りたくありません。

 さようなら、そしてありがとう、我らの横浜体育室!

6/1
 僕が住んでいる街から横浜体育館までは、朝の渋滞とは逆方向だったのでこれまでの通勤は、車でも電車でも快適でした。もちろん夕方のラッシュアウアも、渋滞の逆方向になるわけですから、渋滞知らずの19年間だったわけです。我ながら、ラッキーな人生だったかも・・・。

 今日は、そのラッシュアウアに玉川体育館に向かいました。これが首都圏の通勤事情なんだって感じの渋滞にはまってしまいました。もちろん、どんな困難にぶつかっても「想定の範囲内です!」なんて堀江社長のようにかっこよく言いたい所ですが、やっぱり参りました。僕とは別のルートで向かった他のスタッフや、バスもはまったようです。

 まあ、今後じっくり「裏道検索」を含めて通勤については考えることにします。で、やっと本題に入りますが、遂に玉川体育館にたどり着きました。

 これからしばらくの間は、ちゃんと練習やトレーニングができる状態に整理整頓をしなければなりませんが、とりあえずしばしのジプシー生活を終え、新しい赤ロケの住処に到着です。今のご時勢で、立派な体育館を作っていただいた会社にも感謝。構想の段階から完成に至るまでに関わっていただいた方々にも、心から感謝の気持ちを伝えたい・・・。でも、今日我々がたどり着いたピカピカの体育館には、誰もいませんでした。

 なんかちょっとこの無機的な新しさと汚れのない美しさに違和感を感じながら、同時に、ここには今の赤ロケ戦士達が、歴史を刻んでいくんだなあ〜って感じでちこっと武者震いがして来ました。やっぱり関わっていただいた皆様、応援していただいているファンの皆様、そして自分達のためにも、これから新天地で刻み始めるのは、素敵なドラマして欲しいな〜と心から願うオヤジなのでした!


 三段跳びの元世界記録保持者ウイリー・バンクスさんが、遊びに来て下さいました。実は、バンクスさんとの出会いや、彼とのエピソードについては、僕のストーリーのコーナーでご紹介しようとしてタイトルまでアップしているのに未だに何も書いていないのが現状なんです。

 実は、僕は、身長が低くてバレーボールを諦めたくせに走幅跳や走高跳、そして三段跳もやっていました。バレーでジャンプ力がついたので跳躍系に進んだわけです。その三段跳をやっていた少年にとって、その当時の世界記録保持者ビクター・サネエフは「超」あこがれの存在でした。彼の三段跳は芸術でした。そして彼はオリンピックでも連覇した超スーパースターでした。

 その芸術的なサネエフ選手の記録を、なんと一度に50cm近くも上回った選手が現れました。ブラジルのオリベイラ選手です。記録は、17m89cmでした。その当時、誰もそんな遠くまで跳べる選手が現れるとは誰も思っていなかったので計測不能となり、原始的に巻尺での測定が行われたほどです。オリベイラ選手のこの記録は、走幅跳のボブ・ビーモン選手の偉大な8m90と言う記録と共に人類には破ることのできない記録と言われました。少なくとも今世紀中には。

 1985年6月、コロラドに住んでいた僕に電話がかかって来ました。ロスアンゼルスに住んでいた時に、居候させていただいていた陽気なウイリーからです。彼は、ピットに立つと観客に拍手を要求し、そのリズムで跳躍することから世界的に有名になっていたのです。

 「明日、インディアナポリスに来てくれ。世界記録にチャレンジするから!」壁の厚さを知っているだけに電話口の僕は、耳を疑いました。でも、その真剣な声を聞いてそれ以外の言葉は言えませんでした。「うん、必ず!」・・・。親友の世界記録の瞬間を肉眼で見ることができたオヤジは、死ぬほど感動し、スタンドで跳び上がり、本当に落ちて死にそうになりました。今でも忘れられない瞬間です。

 僕にとっての新体育館最初のゲストは、人類で一番遠くまで跳んだことのあるとっても優しい人でした。彼の生き様は選手達にも刺激になったようです。49歳になった彼、この夏、マスターズの世界記録にチャレンジするそうです。彼は、世界の頂点に立ってなおチャレンジャーなんです。・・・オヤジ感激!


 僕は、JCCAという協会の会長を任されています。しかし、実際には本業のトレーナーのお仕事が忙しくて名ばかりの会長となってしまっています。スタッフの皆さんには本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。その、JCCAでは、体幹部分のコンディショニングを考え、普及し、選手達だけでなく広く一般の人にも、コアのコンディショニングを通じて姿勢を正し、健康な生活を提案する・・・啓蒙活動をしています。

 実は、この協会、ストレッチポールを販売している会社からの全面的なバックアップによって成り立っています。本来なら持ちつ持たれつの相互プラスの関係が成立していれば良いのですが、どうしてもメーカーさんのサポートがなければ成り立っていかないのがやっぱり現状です。

 で、いつもお世話になっている会社のことですから、僕も色々な話を聞いたり、相談を受けたりしていて結構分かっているつもりでいたのですが、なんと知らない間に新製品が出ていて僕の知人が既に注文したとの噂が流れてきました!思わず社長さんには、「どうして毎日喋ってるのに言ってくれなかったの〜!」と愚痴をこぼしてしまいました!

 その新製品とは、空気を入れて膨らませるエア・ストレッチポールです。従来のストレッチポールではできなかった硬さの調整が空気の入れ加減で可能になるわけです。もちろん、空気を抜いてしまえば持ち運びも簡単・・・。と思いましたが、空気を入れるのが結構大変なので一度入れたら抜きたくない感じです(笑)。

 早速、膨らませて乗ってみました。やっぱり予想通りのことがおきました。体重が多くかかる部分の方が凹みが大きいので自分の背中の状態や姿勢、動きによってポール自体が変化するのです。もちろん、これは長所にも短所にもなり得る特性かも知れません。しかし、長所になるように上手くこの特性を生かし、プログラムを処方していけば、更に多くの方々に究極のコアリセットを体感していただけるのではないかと思いました。この所、荷物運びで猫背になりがちのオヤジにとってもしばらくの間、愛用品になりそうです(笑)。


 遂に多摩川の土手を走りました。チームとしてのランニング・トレーニングではなかったので皆に「一緒に走ろうよ〜!」って誘ったのですが、中々反応がなく、説得交渉を続けるうちに遂に見つかりました。一緒に走ってくれる選手が!

 それは、内山みなみ選手です。でも、実は彼女、かなり速いんです。おやじとしては、内山選手と一緒に走るのはチャレンジになってしまいます。しかし、今日は彼女の方から、「ゆっくり目で行きましょうね!」って言ってたのでちょっと安心してしまいました。

 しかし、走り出すと前を走るモタモタしたおじさんは、全部抜いてしまわないと気がすまないそうで、いつの間にかペースアップ。何とかついて行こうと息を荒げながら頑張っていたのですが、ランニング前に正座をしていたことが祟ったのか、左のハムストリングスが攣ってしまいました(号泣)。内山選手には、申し訳なかったのですが一旦止まってストレッチをし、治まってからランニング再開をしました。その代わり、何でもかんでも追い抜くのは自粛してもらいましたが(笑)。

 と言う訳で前半は飛ばし気味だったので、景色を見る余裕がなかったのですが、後半はちょっとペースが落ち着いたので多摩川の土手を堪能することができました。

 いやいやこれまで走っていた鶴見川とはちょっと違います。こちらの方が河口に近いことを考えると比較するのはちょっと無理がありますが、川が広いだけでなく河川敷のスケールが違います。野球場、サッカー場、陸上競技場、テニスコート、更にはゴルフの打ちっぱなしだけでなく、ホールまであるのどえ〜す!ジョギングできるコースも土手だけでなく河川敷にもあり、大人数でもゆったり走れそうです。

 週末だったせいか、人が多いのにもびっくりしました。しばらくの間、玉川体育館周辺の探検の日々が続きそうな予感がするオヤジなのでした!


 日本体育大学深沢校舎に早朝勉強会以外の用事で行きました。とても久しぶりのことです。何の用事かってですか?それはもうバレーボールの練習試合に決まっているではないですか!なんて言いながら、大学の方は、試合も近いので結果についてはお互いに外に漏れるとまずいので、「オヤジの日記」的には、練習試合をした・・・と言うことに留めておきますね。

 さて、何と言っても驚いたのは、体育館です。僕が1978年の3月に入学した時の入学式は、今日の体育館で行われました。その後のオリエンテーションももちろんこの体育館。でも、その時は、大きな体育館だなあ〜って思っていたのです。それがここに来て見ると意外に小さくてビックリ!

 この現象は、逆に大学に来ていて母校に帰ったときにありました。特に小さく感じたのは小学校です。自分のイメージの中にある小学校は、いつまでも立派で大きくて威厳があるのに、実際に行ってみると、何だかビックリするくらいに可愛いのです!大学の体育館に関しては、「可愛い」って印象ではなくて自分のイメージとの「ミスマッチ」に驚いたのですが・・・。

 そこに大学時代の後輩が尋ねて来てくれました。彼も、大学に来るのは久しぶりだそうです。「この体育館ってこんなに小さかったっけ?」と言うと彼も「自分も、もっと大きいって印象でした!」と言ってました。

 たぶんこの体育館は、縮んだりはしていないと思います。きっとずっと昔からこのままのサイズだったはずです。多少古くはなりましたが、フロアは綺麗に磨かれています。でも、見る側の目が変わってしまったんですね。「事実」は、何も変わっていないのに「見る目」が変わっただけでこんなにも違う印象になってしまうのですね。・・・ヒッサしぶりに故郷にも帰ってみたくなってしまったオヤジでした(年寄りクサっ!)

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