報告メール 番外編 11月7日の早朝勉強会の後に日高さんから届いたメールです! 日高です。勉強会で話題となった賞は「ロベルト・クレメンテ賞」ではないでしょうか。 プエルト・リコ出身のロベルト・クレメンテは、1955年から1972年までピッツバーグ・パイレーツで活躍、ゴールドグラブ賞12回(歴代4位)、首位打者4回、MVP1回、終身打率は3割1歩7厘という超一流選手であった。 1972年にちょうど3,000本安打を達成し、シーズンを終えたその年の12月23日、ニカラグアの首都マナグアを大地震が襲った。プエルト・リコで休暇を過ごしていたクレメンテは、ただちに支援活動をスタートし、12月31日、支援物資を被災者へ届けるため、ボランティアの人たちと共にプエルト・リコから被災地へ飛行機で出発した。しかし、その飛行機は、プエルト・リコのサンファン沖に墜落し、クレメンテは他の乗客とともに帰らぬ人となってしまったのだ。 多くの野球ファンとプエルト・リコの国民は、彼の死を嘆き悲しんだ。米大リーグ機構は1971年から、チャリティー活動などを通じて人々に勇気を与え社会に大きく貢献した選手に「コミッショナー賞」を授与していたが、クレメンテの死を受けて、1974年からはその名を『ロベルト・クレメンテ賞』とするとともに、ラテン系選手としては初めて殿堂入りとし、その名は大リーグ史上に永遠に刻まれることになった。パイレーツは、クレメンテの背番号「21」を永久欠番とした。 ロベルト・クレメンテ賞 〜Roberto Clemente Award〜 年度 名前 チーム 2002 ジム・トーメイ Cle-インディアンズ 2001 カート・シリング Ari-ダイヤモンドバックス 2000 アル・ライター NY-メッツ 1999 トニー・グウィン SD-パドレス 1998 サミー・ソーサ Chi-カブス 1997 エリック・デービス Bal-オリオールズ 1996 カービー・パケット Min-ツインズ 1995 オジー・スミス Cin-レッズ 1994 デーブ・ウィンフィールド Min-ツインズ 1993 バリー・ラーキン Cin-レッズ 1992 カル・リプケン,Jr. Bal-オリオールズ 1991 ハロルド・レイノルズ Sea-マリナーズ 1990 デーブ・スチュワート Oak-アスレチックス 1989 ゲーリー・カーター NY-メッツ 1988 デール・マーフィー Atl-ブレーブス 1987 リック・サットクリフ Chi-カブス 1986 ギャリー・マドックス Phi-フィリーズ 1985 ドン・ベイラー NY-ヤンキース 1984 ロン・ギドリー NY-ヤンキース 1983 セシル・クーパー Mil-ブリュワーズ 1982 ケン・シングルトン Bal-オリオールズ 1981 スティーブ・ガービー LA-ドジャース 1980 フィル・ニークロ Atl-ブレーブス 1979 アンドレ・ソーントン Cle-インディアンズ 1978 グレッグ・ルジンスキー Phi-フィリーズ 1977 ロッド・カルー Min-ツインズ 1976 ピート・ローズ Cin-レッズ 1975 ルー・ブロック StL-カージナルス 1974 ウィリー・スタージェル Pit-パイレーツ 1973 アル・ケーライン Det-タイガース 1972 ブルックス・ロビンソン Bal-オリオールズ 1971 ウィリー・メイズ SF-ジャイアンツ |