「肘は大丈夫でした!」

斎藤 仁選手と白石トレーナー

最後の望みをかけた無差別級に日本の国民が、くぎ付けになった。圧倒的な強さで決勝戦まで駆け登った斎藤仁選手は、これまでにないほどのオーラを出していた。それは、怒りのオーラだった。「一本!」の声を聞いて立ち上がる斎藤選手の顔は、涙でくしゃくしゃになっていた。我々は、一人の大男の快挙に興奮した。そして彼は、ポーンと肘を叩いた。決勝戦で戦った韓国の選手に、ちょうど1年前のアジア大会で怪我させられた肘である。

それは、大怪我であった。肘関節の完全脱臼である。柔道という種目では珍しくない怪我かもしれないが、世界の頂点を目指すレベルの選手にとっては、致命的な怪我であった。斎藤選手の脳裏には、引退の二文字も浮かんだと言う。

外科的な処置を終え、長い固定期間も我慢し続けたのに、痛みはいっこうに消えなかった。体の他の部位を鍛えながらも、「この肘さえ治れば」と精神的な苦痛にも襲われる。ロスアンゼルス五輪を最後にオリンピックの世界から引退した山下選手の後継者としての国民の期待も、重圧となってまともに押し寄せてきた。

鍼灸の治療を専門とする白石先生の治療を受け始めた頃、まだ痛みは強く残っていた。「どんなに痛い治療でも治るためだったら我慢します。」と言った斎藤選手の熱意に白石先生は、容赦なく最高レベルの治療を施した。当時の白石鍼灸治療院に通っていた他の種目の選手は、まず玄関先に並べられた大きな履物に驚き、次に恐竜の雄叫びにも聞こえる斎藤選手の悲鳴に度肝を抜かれたと言う。

様々なスポーツの選手を治療してきた白石先生は、斎藤選手とも色々な話しをしたそうだ。それが、斎藤選手の心の治療にもつながった。二人の信頼関係は、日を追う毎に深まっていったのである。オリンピック代表選手を決める日本選手権の場に、白石先生の姿があった。スポーツの現場に立つとき、白石先生は、トレーナーの顔になっている。トレーナー白石ひろしが見守る中、斎藤選手は、日本の代表となった。しかし、その裏舞台では肘の痛みと戦う二人の姿があったのだ。

柔道は、体重別に競技が行われる。しかし、それは他の競技と違い、予選から決勝まで一気に一日で行われるのである。オリンピックでは、今日は何キロ級、そして明日は何キロ級と言った具合に、日別に分けられ、出場する選手は、自分の大事なXデイのために最終調整をする。

無差別級の前日、白石トレーナーは、帰国した。できることは、すべてやった。オリンピックの会場に入った選手には、もう接触することはできない。ひとたび第一回戦が始まると、あとは最後まで自分で戦うしかないのだ。斎藤選手は、戦い抜き、金メダルを獲得した。日本柔道界、最後の砦を一人で守った。オリンピックの大舞台で、完全復活をしたのだ。

そして、立ち上がり、肘を叩いた。それは、白石トレーナーとの小さな約束を守るためだった。実は、別れ際に「先生、この肘、最後までもったら、叩いて合図します。」と斎藤選手が、自分で白石トレーナーに言ったのだ。

そこまで、覚えていられるものなのか。自らの力で、大舞台で、大きな夢をつかんだばかりの国民の英雄が、まさかそんなことを…。俗人には信じられない男同士の約束。

ソウルから日本へのメッセージは、確実に届いた。「肘は大丈夫でした。」感謝の気持ちと優勝の報告は、リアルタイムでテレビを観ていた白石トレーナーに伝わった。言葉は、要らない。必要なことは、全て伝わった。二人だけが知る小さなしぐさで。

また、メダルではなく人に感動させられた。話しを聞いて、ひとりでまた泣いた。きっと神様が見ていてくれたんだ。誰も見ていないところでの二人の努力、苦悩、そして何より、感謝の気持ちを忘れない斎藤選手の人間性。

感動をありがとう、日本のヘラクレス。(ソウル五輪の裏話) 


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