仁科綾/著 二見書房さまより2003年12月24日発売! 「みんわか」管理人である私、仁科綾の半生を綴った体験談兼エッセイ本です☆ 私がどういう過程でうつ病を自覚し発症していったかの経緯、私が23歳になるまで歩んできた人生、そしてうつ病時代の出来事を小説風味で綴りました。 そして今、うつ病を克服した私がどういう風に感じて日々を生きているのか。うつ病を経験した私が全ての親御さんに望むこと、うつ病を治す秘訣など、HPでは書ききれなかったことをより詳しく掲載しています。 筆者として特にオススメなのが、うつ病時代の大学のサークルでの出来事を綴った「仁科の心の傷たち」 私は家族不和が原因でうつ病になりましたが、うつ病を発症するきっかけは大学でのサークルの人間関係でした。 今だから振り返れるうつ病の苦しみを、私の言葉の限りを尽くして表現してみました。 当時の日記を読み返しながら、何故私がこのとき自傷をしたのか、リストカットをする時の心情がどんなものなのかをリアルに感じてもらうことができると思います うつの人たちを支えている人なら「うつってこういう風に苦しいんだ」と、そしてうつ病と今まさに闘っている人なら「私も、今同じ気持ちで闘病してる…」と思って貰える一冊に仕上がったと自負しています 小説仕立ての書き方をしたので、うつを患ったことのない人でもリアリティを持って読んで頂けると思っています。 編集担当の方たちも感動の渦に巻き込んだ一冊です。是非手に取って読んでみて下さい! 現在、年間自殺者が三万人を越え、日本人の10人にひとりはうつ病と言われています。 これだけ鬱が蔓延していながら、うつ病の理解はそれほど広まっていません 私が、私の力の限りを尽くして綴ったうつ病体験談が、少しでもうつ病理解に役立つことができたらと思います うつ病は脳の化学物質障害であって、気の持ちようで治るものではありません! そして、必ずうつ病は治ります! 本の通販&詳細については、発行元の二見書房さまのHPをご覧下さい〜♪ 単行本化のお話がありますというメールを頂いたのが、2003年7月の中旬でした。 そして、実際発行が決定したのが8月中旬。 その日から、自分の過去と向き合うという、心の葛藤が始まりました。 なんたってうつ病の記憶というのは、脳の防衛本能により、再生しにくくなってるんです。要するに、ほとんど覚えてないんです。 うつ病時代の記憶は、これからを生きていくには余りにも辛いため、脳が本能として記憶を薄れさせてくれます。 まず、私はその本能に逆らって思い出す作業から始めなくてはなりませんでした 当時の日記や言葉を片っ端からプリントアウトしました。そうしたらなんと600ページ以上の膨大な量に。それを読むだけでも時間がかかりました。でも、日記をつけ始めた(=HPを開設した)のが発病後なため、発病前後のことは過去公開していたHPのコンテンツも漁ったり、母や友達や彼氏に話を聞いたりしました 最初はもう、自己嫌悪の嵐でした。 日記で特定の人に物凄く依存していたり、むちゃくちゃなことしてる過去の自分の記録を読んで…。 しかも、読めばそれなりに当時の記憶が蘇る。もう、依存しなくちゃ生きていけないほど辛いのも、思い出せる。 それでも、やっぱり「なんで私、こんなことしちゃったんだろう…」っていう自己嫌悪の渦に飲み込まれていました その頃私は、丁度認知療法と出逢った頃でした。 自己嫌悪する必要なんかどこにもない。誰もが過去のことだからって許してくれていることを、今更「なんでこんなことしたんだ」って自分を責める必要はどこにもない 自己嫌悪する気持ちと、自己嫌悪する必要ないって気持ち。でもやっぱり自己嫌悪してしまう自分…。 ぐるぐるになりながら日記を読んでいたある時、私の心にふっとひらめいたものがありました。 「私、こんなに頑張ってたんだ。生きるために、治るために、こんなに必死だったんだ。」 「だからみんな、私を助けてくれたんだ」 「死にたい死にたいばっかり言ってたけど、心の底では生きたいと叫んでいた私の本心が、今この日記を読んでいても伝わってくる」 「こんなに生きるために必死になってる、過去の自分はなんて愛しいんだろう」 「こんなに"生きたい"って必死になっていた自分の、どこを嫌悪する必要がある?」 「むしろ、誇っていいじゃないか。胸を張っていいじゃないか」 「この無茶苦茶で、みっともない闘病時代の私。生きるためには何でもするって、とにかく必死で、愛しいじゃないか!」 「うつ病とがむしゃらに闘っていた私を、『みっともない』と思うなんて、例え自分であっても許せない!!」 「みっともない」と思う、歪んだ無意識の自分に対して心の中で怒鳴りながら、ひとりで声をあげて泣きました 何が悲しいのかわからない。わからないけど、涙が溢れました。 日記には「今日彼氏とカラオケに行った」「大学へ行ってこんなことがあった」と、調子が良い時にはいいこともあったんだということが書いてありました。ただ、内容が「今日は友達とカラオケに行って何を歌った」とか、凄く個人的でどーでもいいことも書いてるのがちょっと恥ずかしかったりしましたが(苦笑) でも、そんなささやかなことが書いてあるだけでも、ほっとした気持ちになれる自分がいました。 そして、調子が悪い時の日記を見て、一緒に切なくなってる自分がいました。 いつか、親友Tが私に言っていました。 「日記は毎日見ていたよ。カラオケ行ったとか今日は誰と遊んだとかの日記であっても、今日は調子が良かったんだって思えたから良かったよ」 今、私はまさに、その親友と同じ視点に立って日記を読むことができているように思いました 解離状態発症の頃(2001年12月)の日記は、読んでいて泣けてきました。 物凄く苦しいのが、言葉だけでも伝わってくる。 なんで死んではいけないの?と本気で書いてる。毎日、リストカットをしていないと生きていけない私が、そこにいました こんなに、辛かったんだ。 こんなに辛い解離状態の時期を、よく乗り越えてきたね。凄いや私。よく頑張ったじゃん私 そう思って、またたくさん泣きました そうやって日記を読破し、いざ大学のサークルに関して原稿を書こうとなると、これまた大変な作業でした。 日記を読みながら書いているから、気持ちがリアルに思い出せてしまう。そのため何日も悪夢にうなされ、眠りが浅い日が続きました。おまけにサークル時代の有川くんやら永野くんやらも夢に出てくるわで大変でした 丁度サークル原稿を書き始めた頃に、彼氏が浮気をして別れたものだから、過酷さは半端じゃありませんでした 日記のどこを読んでも彼氏のことが出てくるのに、今、彼氏は私と一緒にいないのだから…。他の人を想っているのだから…。 この「仁科の心の傷たち」と題したサークルに関する原稿を書いている時が、一番辛かったです。 でも、その分どこの部分の原稿よりも、よく書けたと今でも思います 原稿の締め切りの辛さを知ったのが、初の就職から二週間後の10月中旬でした。 彼氏との別れの、気持ちの整理もつかないまま就職した上に、原稿の締め切り。もーむっちゃくちゃでした(苦笑) 何度原稿ほっぽりだそうと思ったかわかりません。しかも、家にいる間中原稿のことを考えてしまうものだから、仕事先でも家でも休まる時がなくて本当に参ってしまいました…。 それで心療内科の先生に泣きついて薬を飲み始めたりしたものだから、編集の方が物凄く心配して下さって…。もう、恐縮恐縮でデッカイ体も縮こまりましたよ(苦笑) 私の編集担当の方たちは、本当にうつを理解されてて、しかも個人的にも凄く素敵だと思う方たちだったので、優しくてあったかいメールを頂く度に泣けてしょうがなかったです そんな思いをしながらも、ようやく本執筆が私の手から離れたのは11月の中旬でした。 原稿の最終チェックをして、後は編集さんにお任せ。 原稿書いてる時は、ぐるぐるしてて「早く終わって!」とか思っていたのに、いざ本当に終わってしまうと寂しくなってる自分がいました。 私が原稿を書くのを一緒に支えて下さった、編集のYさん、そしてTさんと、こうしてご一緒に何かをすることがもうないんだ…と思うとたまらなく寂しくて。 人間って、本当に現金にできてるよなぁ、と心の中で苦笑してしまいました 大学で、写真好きのK氏と一緒に、ああでもないこーでもないと著者近影の写真を撮りながらもよもよしてたのもいい思い出です。 結局著者近影のために撮ったK氏の写真が、編集の方で気に入られ、表紙になっちゃったんですからこれまた凄い。 K氏の写真の腕前と、私の美貌(!?)の結果ですかね。ええ。ええ。(←誰かツッコミましょう) そんな風にして七転八倒しながら出来た、この本が発売前に家に届いたのが12月の中旬でした。 私が予想していた以上に素敵な本になっていて、ビックリしました。 そしてようやく、「ホントに本を出すんだ…」と実感しました。しかも、頂いた本が面白くて一気に読破してしまったんですよね。自分が書いたのに(笑) 総原稿枚数は多分300枚越えてたんだと思います。最初は200ページの本の予定だったのに、私が色々と書きまくるものだから、編集の方も編集するのが大変だったと思います(^-^; 結局ページ数を増やし、それでも削除した原稿は80ページ?くらいになります。書きすぎだっちゅーの!(笑) でも、編集の方たちはやっぱりプロ。私が本当に伝えたいことを本当に上手にピックアップしてまとめて下さいました。 言葉のプロ。流石です。あの支離滅裂な原稿たちが、こんな風にまとまるのですから 今回この執筆経験を通じて、私は得がたいものを手に入れることができました。 それは過去を振り返るきっかけを得たことで、過去と向き合い、そして過去の自分を「愛しい」と思うことができました。 今まで、うつ病時代に周囲に迷惑をかけたことを、少しだけ後ろめたく思っていました。 でも、そんな風に思う必要はどこにもないんだ!って思えたことで、私は前より一層自分に自信が持てるようになりました これも私の生き様なんだ。 これが、私の生き様なんだ! 恥じる必要はどこにもないんだって思えるようになりました。 またひとつ、気付かずにしょっていた重い荷物を下ろしたような、清々しい気持ちです。 自分が、愛しいと思えるようになりました。 そう思えることが、こんなに自分をラクにすることができると知りました。 こんな素晴らしい機会を与えて下さった二見書房の皆さま、そして企画者104の皆さまには感謝してもしきれません この執筆経験、そして出来上がったこの本は、私の一生の宝物です。 その私の宝物、是非ここをご覧の貴方も、手に取ってみて下さいね この度は、本当に本当に色々な方たちにお世話になりました。 二見書房の皆さま、そして企画者104の皆さま、本当にありがとうございました。 そして、この「みんわか」を愛してくれている皆さん。 いつも仁科を支えてくれている家族と友達へ 本当にありがとう 言葉に表し切れない、感謝の気持ちで一杯です こんな貴重な経験ができて、仁科は本当に果報者です |