愛とは何ぞや。"頑張るべき"思考への挑戦状



色々な考え方があると思いますが、うつ病経験者であり、今こうして病気を克服することができた私の考えでは、自分の醜い部分、自分の欠点さえ全て認めて許してくれるのが、愛情だと思います。

「気の持ちようだ」「学校行ってないから(仕事してないから)そんなことでくよくよするんだ」「病気という名目で怠けているだけだ」
よくうつ病さんたちに降りかかる、酷い言葉たちです。
治ってからよくよく考察してみるに、そういううつ病を理解できないガンコ頭さんたちの共通点を見つけました。
それは「頑張ればできないことはない」「怠けてはいけない」「人は厳しくされて育つもの」…そんな、"頑張るべき"思考です。
日本でかなり流行している、"頑張るべき"思考や固定観念は、ずーっと昔に伝来してきた儒教の影響だそうです。儒教の生真面目な教えが、生真面目な日本人にはとても合ったとか。
その時点で、すでにそういう"頑張るべき"思考は古すぎる考え方であることは言うまでもありません。
今までの日本はその"頑張るべき"思考で社会が動いてきていたのだと思います。確かに戦後から今までの経済発展に、その考え方はとてもマッチしたでしょう。
しかしいくとこまでいってしまった豊かさ、そして全ての人が感じる飽和感。時代は変わってきています。
そして子供達の精神が不安定になってきて、奇怪な犯罪が増え、自殺者もどんどん増え。
誰もがうっすら、日本は壊れてきた、と思っていることでしょう。
もうすでに望むものはだいたい手に入るようになっているこの日本社会で、私たち飢えを知らない子供世代が、"頑張るべき"思考を受け入れられるはずがありません。
しかし今までそうやって生きてきた"頑張るべき"思考世代が、自分の子供達に理解不能な"頑張るべき"を教える。
そこから子供達の心に歪みが生じてきているように思います。
確かに、貴方の子供は、貴方の子供です。
しかし貴方の子供だからって、貴方と同じ経験をしているわけではないのだから、貴方と全く同じ考え方をしろというのは無理です。
子供であっても、1人の人間です。
貴方の所有物ではありません


頑張ればできないことはないのなら、そこらじゅうの人たちが社長や議員やエラい人になり、誰もがプロの音楽家や芸術家、モデルや芸能人になっていることでしょう。
しかし実際はそんな風な夢を実現させた人たちはごく一握りです。勿論今そうして夢の職業に就かれた人たちも相当の努力をして今があるんだと思います。しかしその有名になった人たちの何千倍の人数の、名も知らないたくさんの人たちが、また同じ夢を目指して努力しているんだと思います。いつしかその夢への見切りをつけて、違う道へ歩み出すとしても。
その報われなかった人たちだって、努力していなかった訳では決してないでしょう。
私個人が長いこと音楽をやっており、プロになりたいと努力している人たちを見てきています。この前モデルのオーディションに興味があって参加しましたが、本気でモデルになりたくて一生懸命努力をしている人たちとたくさん接しました。
しかしどうしてもたちはばかる現実の壁。 努力をすることは素敵なことです。しかし、「頑張ればできないことはない」というのは嘘だと私は思います。

私がとってもとっても嫌いな言葉のひとつに、「いい大学へ行って、いい会社に就職して欲しいのが、親の願い」とかいうのがあります。
じゃあ、いい大学行ったら幸せになるんでしょうか?
いい会社に入ったら、幸せになれるんでしょうか?
そもそも、幸せってなんなのでしょう?お金がたくさんもらえることですか?人に自慢できる大学や会社に入って、人に自慢できるのが幸せですか?
違うでしょ。
自分の見栄のために、子供を使っていませんか。自分のプライドを保つために、子供に一流や普通を望んでいることを、親の願いとか親心にすりかえていませんか。
いつかこの言葉で母と口論になったことがありました。
母が言っていました。「綾が生まれてきた時は、本当に生まれてくれてありがとうって気持ちと、ただ健康に生きていてくれればいいって気持ちだった。だけど、やっぱり色々欲が出てきて、いい大学といい会社って思ってしまっていた」
私は母のこの本音が聞けてよかったと思っています。親であっても人間だから、という点で理解ができたからです。
間違えていいんです。人間だから、間違えるのは仕方ありません。
でも、私が思い出して欲しいのは、この「生まれてきた時は、本当に生まれてくれてありがとうって気持ちと、ただ健康に生きていてくれればいいって気持ちだった」こと。
私は子供を持ったことがないのでわかりませんが、きっと誰もが、子供が産まれた時そう思ってくれているのではないでしょうか
それが、人間の持っている本来の無償の愛のように、思えてなりません。

会社行ってないとか、学校行ってないとか、そういうのは全然気にしなくてもいいと私が思う理由はそこです。
生きていてくれるだけで、嬉しいんだ。
そんな素敵な気持ちが、人間にあることを知りました。
うつ病の時には、うつが邪魔をしてわからなかったこと。だけれど、私の家族や彼氏や友達が、身をもって私に証明してくれました。
「私は、学校も行けず何も出来ない状態になっていたけれど、それでも私を必要としてくれる人がいるんだ」
この体験はとても貴重であったと本当に思います。
これから例えどんなに辛いことがあっても、そのうつ病闘病時代の私を支えてくれた愛情が「私は私なんだ」ということと、「私は、何もできなくても必要とされる人間なんだ」という、皆の愛が育ててくれた自尊心が、私を支えてくれることでしょう
その私を支えている愛は、厳しい愛でも叱咤される愛でもありません。私の欠点や情けない部分を全部受け入れてくれた愛でした。

貴方にとっては、今まで自分の周りは、自分に対して厳しくすることで、愛情表現をしていると思ってる人が多かったのかもしれません。
しかし貴方は、本当に心から、そうやって厳しく、時には自分を傷つけるような言葉が欲しかったですか?
できることなら、自分を褒めてくれる言葉や褒めてくれる人たちと一緒に、共に成長していくことを望んでいたのではないでしょうか?
貴方がされてイヤだったことを、子供やうつ病さんにしては、いけないのではないかなと思います



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