私は現在ほぼ鬱にならなくなりました。 治った今の私の生活を、自慢に聞こえてしまったら申し訳ありませんが、聞いてください。 私は鬱がなくなってから、人と話すのが楽しくてしょうがないです。 相手のことを知るのが楽しくて仕方ない。 バカ話してるのが楽しくてしょうがない。 …ずっと引きこもって、特定の人間としか話せなかった私が…。 今は人と交流をもつことがとても素晴らしいことだと感じ、とても楽しいのです くだらないテレビやマンガが本当に心の底から楽しめるんです。 鬱のときは「私はこんなに苦しいのに…!」って思ってたから「幸せでいいわねっ」ってひがみの気持ちしかもてなかった。笑ってる人間の声がカンに触ってた…。なのに… こう、今までどん底で…ずっと底無し沼にずぶずぶ沈んでいた自分が、やっと這い上がって普通に歩けるようになった感じ。 元気になって、すべてが輝かしく、明るく思えたし、心も体も軽くなった。 毎日1日1日生きることが幸せに思える。生きててよかったって心の底から思える 鬱の時の自分を思い返してみると、今まで何であんなに苦しかったのか…。まるで悪夢にうなされていたのではないかと思う そして、やっぱり「脳の疾患だったのだ」と改めて実感できるんです。 だって、確かに今とても世知辛い世の中になったとは思う。でも人間のよさや輝きはまだ生きてる。 でもそれが全然わかってなかった。苦しく、辛く…この辛さから逃れられるためには死んでもいいと思っていた…。 それはやっぱり「脳の疾患だったのだ」と思うんです。 私は元々あんなにマイナス思考の人間でもなかったし、あんなに深く落ち込む人間でもなかった でもどうして自傷やリスカ…果ては自殺未遂までしたのか それはやっぱり病気だったのだと、実感できます そして今は私を生かしてくれた周りの人間のためにも、私は今を満喫し、楽しく幸せ に暮らしてる… それが今病院の先生から正式に「完治しました」と言われている私の現状です。 そりゃーどんなに健康でもイヤなことがあったりするとヘコんだりすることはありますよ。 でも鬱じゃない。苦しくないもの。落ち込みの深さが断然違う。 「あ〜今日ブルーだ よ〜〜〜」って笑って言える。 今まで、そういうことを言うことは、今苦しんでいる人に自慢しているようにしか聞 こえないだろうと思って、言わなかった。 でも、克服した私から、今ココを見ていて、今現在苦しんでいる人に言いたい。 貴方も今の私のような幸せをかみ締められる日々が必ず戻ってきます。 生きていてよかった!死ななくてよかった!って思える日が、必ず来ます。 そして、病気になってよかったと思える日が必ず来ます 私は弁護士を目指して司法試験勉強に励んでいました。 確かに、司法試験的にはとても遅れをとったとは思います。でも後悔はしていません。 それに私は本当は司法試験やりたかったんじゃないんだと気付きました。 私は何故司法試験やりたいって思ったんだろうか?弁護士になりたんだろうか?って考えた時に気付いたんです それは父に自分を認めてもらいたい、いい子でいれば…弁護士になれば周りからも認められ愛されるんだと思っていたからなんだと思うんです 本当の私は音楽がやりたい でも音楽で食べていくのはとても大変だし、収入も安定しない、努力したら認められるっていう世界ではない だから自分には音楽で食ってく力はないって自分で勝手に自己完結して諦めようと努力していました でもそれって凄く勿体ないですよね。 どんなコトだって自分がまず「できるんだ!」って信じなきゃ、何もできないのに。 そして諦める努力なんて無駄なことする位だったら、一度きりの人生なんだし、悔いのないように自分の好きなように生きればいいのに 鬱になって、「何故生きなくてはいけないのか」「生きる意味ってなんだろう」ってずっとずっと考えていました そんな私がたどり着いた生きる意味。 私は、私が幸せになるために生きたい そういう風に私はうつ病を通して色々なことに気付かせてもらったと思います だからうつ病になったことを後悔していません うつ病にならなかったら私はもっと人に冷たい人間だったかもしれない ずっとずっと自分に自信ないまま生きてるだけで、つまらない人生だったかもしれない 何より、自分がちゃんと愛されていることに気付けない人間になっていたかもしれない どんな経験であっても、それはその人の肥やしになると私は思います どんな経験も、自分の人間性を深める素材になると思います。 その経験をプラスにできるかどうかは、治った後の自分次第 鬱になって、散々周りの人間に迷惑をかけてきました。 私は生きていない方が絶対周りの人間の幸せに繋がると思っていました。 でも、そうじゃない。 病気をしたからこそ、わかる気持ちがある。 病気をしたからこそ、周りの深い愛情に気づけた。 自分がこんなにしょうもない、なんの役にも立たない、ただのごくつぶしに成り下がっても、私が必要だと思ってくれる人がいるのだって知れた。 私は何もしなくても、必要とされる人間なんだって、わかった。 病気になって、わけわからないことわめいても、ちゃんと友達でいてくれる人が、私の周りにいたのだと知れた。 ACだった私は、私のことや病気のことなんてわかってくれないって思い込んで諦めていた家族が、いざこうして、もう死ぬしかないって思ったとき…自殺未遂を繰り返した私を必死に押し留め続けてくれた。わからないなりに、私を鬱にさせないよう気遣ってくれた。 …家族の愛情に気づいた。 周囲の人がどんなに私に愛情をそそいでくれていたかが、よくわかった。 そして…当たり前のことができること、ごく普通の生活をすることが、どんなに幸せであるか知った。 今思いつく限り、ざっと書いただけでもこれだけあります。 そして病気を経験したことによって、更に人に優しくなれるようになりました。 人の気持ちがわかるようになりました。…どん底を知っているからこそ、わかることもある。 ささいなことでも感謝する気持ちが生まれました。 これから、周りの人がストレスで苦しんでいるとき、どう接したらいいのかが、わかるようになりました。 それはひいては、周りの人があの地獄の苦しみを味わう前に、理解し共感して、助けてあげることができるかもしれないということです。 ね、病気って素晴らしいことだと思いませんか? 今は確かに苦しいと思います。でも、治った暁にはこんなに素晴らしい自分が待っていますよ☆ 追記・これを読まれまして「自慢だ」と不快に思われた方がいらっしゃいましたら、深くお詫びいたします |