病気で友達をなくさない方法



うつ病やその他のストレス病で友達や恋人に理解を得られずに孤立してしまう人がたくさんいます。
確かに理解されにくい病気ではあるのでしょう…。
でもその病気な貴方が本当の貴方ではありません。本当の自分じゃない…言い変えれば誤解で友達をなくしてしまうのはとても悲しいことです。
私は運良く一人失った以外は全員私のそばにいてくれました。
それはなんでだろうか…と考えました
それを10年以上の付き合いの親友に言ったら「こういう発言や、こういう行動が友達に誤解を招いたり、離れていく原因になったんだと思うよ」とグチ混じりに私に話をしてくれました。
彼女が私の3年の闘病中の状況を踏まえ、病気だった私をも理解してくれた上で、「離れていった人はココで勘違いや誤解をして離れて行ってしまったんじゃないか」というところを教えてくれた範囲でですが、ご紹介したいと思います


「健康な貴方より私のほうが苦しいのよ」

よく私が鬱最盛期に言っていた言葉です。
実際、健康な状態と鬱状態の区別がはっきりつく状態で病気になった私は、あの健康だった頃の悩みや苦しみなんて、今の鬱の苦しみに比べたらどんなにラクなことかと思っていました。
確かに医学的にも、心理学的にも健康な人の悩んでいる状態や失恋や人間関係でトラブって悩んでいる状態の「苦しさ」と、鬱による「苦しさ」や落ちこみの深さは全く違い、苦しみも鬱の方が大きいとされています
なので実際に鬱の方が健康な人の悩みの辛さよりは客観的には、鬱の方が苦しいのは間違いありません
でも、健康な人だって、同じ人間なんです
家のことで悩んだり、人間関係でトラブルが起きれば凄く苦しいんですよね。
それを「貴方は健康なんだから私よりは苦しくないんだから」って言われても、その人にとってはその悩みが本当に苦しいんですよね
そうやって医学的とか心理学的にも鬱の方が苦しいんだってわかってても、その人はその悩みで真剣に悩んで、苦しいんですよね。
だから、親友に言わせれば「確かに鬱の方が苦しいかもしれないけど、私だって私なりに苦しいんだよ…。なのにそういう風に言われると、なんだかもう相談もしたくなくなっちゃう気持ちになっちゃった」って言っていました。
苦しみってどうしても主観でしかわからないんですよね。
その人の苦しみはその人にしかわからないです
なので「私の方が苦しいのよ!」って気持ちもわかるけど、できれば「お互い苦しいね…」って言い合えたらもっとよかったんじゃないかと言っていました。

実際今病気と戦っている方にとっては、「私よりはラクでしょ?」って思っちゃいけないというのは無理な相談だとは経験者の私もよくわかっています。
ただ、その気持ちをちょっと押さえて「私も苦しいんだよね。お互い苦しいね」って言う言葉に言い換えて欲しいなぁって思います。
そうすれば友達は離れていきませんよ(^-^)


「私なんか死んだって大丈夫」

これも私が鬱最盛期によく言っていた言葉です。「私なんかいなくてもいいんだ。迷惑しかかけられないし。私がいなくても誰も苦しまない。いや、私がいない方が誰もがラクでいいだろう」って、言いまくってました。
でも親友はその私の言葉を聞いて「そんなわけないでしょう!?」って内心凄く悲しい思いをしていたそうです。
彼女はそれが私の考えでなく、鬱によってそう考えてしまっているだけだってわかっていたので、「そんなことないよ」って一生懸命なだめてくれていましたが、病気をまだよく理解しない人からすれば、きっと「じゃあ今貴方を必要として一緒にこうして話をしている私の気持ちはどうでもいいのね?」って思ってしまうと思うと親友は言っていました。
貴方が必要だから、話を聞いてくれるんです
貴方が死んだほうがいいって思ってたら、きっと完全無視して、悩みなんて聞いてくれないでしょう。
聞いてくれる人がいる、それだけで貴方は必要とされているんです。
私が治ったあと、もう一人の親友がこう言ってました。
「いつ死んでしまうかわからなくて、凄く心配だった。生きた心地がしなかった」と…
私が鬱であるがゆえに、いつ自殺するかわからない…いつ死ぬかわからない…でも自分は忙しくて(学校が違ったので)傍にいてあげることもできない…たまにメールする程度。でも私が調子が悪ければ返事も返ってこない…。
私はその子と半年くらい音信不通にも平気でなっていました。
でも、そうやってずっと音信不通にしていた友達も、私が病気が治ってから電話したらそう言うんですよ…。
だから、病気で連絡とれなくなっても、貴方の友達はこうやって心配しています。
連絡しなくても、音信不通になっていても、貴方が死んでも誰も悲しまないなんて絶対ないんですよ
貴方が「私なんか死んでも誰も悲しまない」と思っているのは、鬱による幻想に過ぎません。


でも幻想だろうがなんだろうが、そう思っていて、苦しいですよね。
だからまた上の繰り返しになりますが、ちょっと言い方を変えてみましょう
「私なんかいなくなったって、貴方にはちっとも辛くないでしょ?それよりもやっと重荷が降りてラクになったって思うでしょ?」って言うんじゃなくて、「どうしても私は私はいらない人間に思えてしまうの…。苦しいの…。でも私は必要な人間だよね?そうだよね?」って
納得いくまで何度でも聞いてみるといいかもしれないです
「私が死んだって大丈夫」って言いきられるよりは、そっちの方が全然マシだと、親友は言っていました。
そういう風に言われると、突き放された気持ちになってしまうんですよね。言われた貴方の友達は…。
こう言い変えるだけでも相手への負担度はだいぶ違うそうです。


「ごめんね」と「ありがとう」を忘れない

病気故に、人に迷惑をかけることが、どうしてもたくさんあります。
約束をドタキャンする、鬱ゆえに暴言を吐いてしまう、悩みを延々と話まくるなどなど…。
でもやっぱり、病気を理解し支えてくれている人だって、やっぱり人間ですから、時にはそれが辛い時もあるでしょう。
でもそれでも支えているのは貴方が必要だからなんです。
なのに「私はどうせいらない人間なのよ」って言い方を繰り返してると、そうやって頑張って支えてる貴方の周りの人間もそのうち疲れてしまうと思うんですね。
私はこんなに貴方が必要だって思って頑張って支えてあげたいって思ってるのに…って
だから、調子がいい時とかでもいいので、例えば約束をドタキャンしたなら、1ヶ月後とかでもいいから「あの時はごめんね」って言うことを忘れないで欲しいと親友が言っていました。
例え暴言を吐いても、迷惑をかけても、最後には「ありがとう、助かった」とか「迷惑かけてごめんね」って言われれば、それだけで「大変だったけどそう思ってもらえてよかった」って思えるんですって
言葉って不思議。そういう支えてくれてる人への感謝の気持ちをそうやって「ありがとう」って言うだけで、「迷惑かけてごめんね」って言うだけで、その支えてくれてる人はまたもっと今以上に貴方を支えてあげようって、一緒に病気治してあげたいって思えるようになるんですよ
例えその相手とケンカしたりトラブルを起こしたとしても、後で…ずーっと後ででもいいですから「ごめんね」って言うだけでも違うそうです。
今からでも、調子がいい時でいいですから、鬱ゆえにトラブルを起こして音信不通になってしまった友達に「あの時はごめんね」ってメールをしてみるといいかもしれませんよ☆


分散する

これは他のコンテンツにも書いてあり、繰り返しになってしまいますが、とにかく一人の人間だけに負担が偏らないように心がけてください。
やはり人間って、自分の好きなことする時間とか、自分の自由になる時間がほしい時ってありますよね。
貴方のことを大事に思っていて、支えたいし必要だと思っていても、時にはそういう自分の好きなことをしたい時があります。
そういう時もずーっと貴方が支えて、傍にいてって一人の人間に依存してしまうと、そのうちその人も苦しくなって逃げ出してしまうかもしれません。
なので、バトンタッチ作戦と私は呼んでいるのですが、まず母に依存する、母がイライラしてきたら彼氏に依存する、彼氏が疲れた顔してきたら、今度は友達とカラオケ行ってみる、などという風に色々な人に依存していた方が、周りとしてはとても貴方を支えやすい環境になります。
もちろんいざ調子が悪くなれば、例えイライラしていても、疲れていてもすっ飛んで駆け付けてくれるに違いありません。
でもずーっと同じ人に依存したままでいると、その人もくたくたで動けないって時に、自殺衝動に駆られてしまったりすると、止める人がいませんよね
だから貴方のためにも、周りの人達のためにも、バトンタッチ作戦でいくのがいいと思いますよ
そうすれば、自分から離れていく人間もぐっと少なくなるはずです


special thanks to T.S!!




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