丸紅剣道部の歩み

丸紅飯田剣道部 :昭和42年石森芳明(航空機)前田(鉄鋼)等各氏の協力のもと剣道部の監督に徳永悦太郎(第二次世界大戦ラッカサン部隊部隊長、丸紅航空機)師範に直居欣也(座頭市 脚本家)を迎え、36年石森氏(航空機)前田氏(鉄鋼)等中心に、丸紅相互会体育部長 小林取締役、体育委員 児玉氏(財務部)の絶大なる支援を得てスタートした。
部員数     : 発足当初、監督以下総勢20数名で、徳永、森、石森、小松沢、前田、古屋、鈴木(稔)、、江川 山崎 富田 二川(女) 貫井(女) 渡邉(女)等。
稽古場     : 発足当時丸紅飯田(株)は大手町ビルにあり就業時間後タクシー相乗りで日本橋の久松警察署、恵比寿の川崎汽船の寮、新宿の朝日生命の道場、日本武道館の小道場を転々とし稽古をした。
住友道場    : 現在利用している住友道場(百練館)は学士会館の裏側に位置し昭和43年に完成(住友海上火災が新築)この住友海上の剣道部員の大半が早稲田(大)出身で、丸紅の石森氏(早稲田)に住友グループを超えて声が掛かりこの道場で稽古をする事になった。
商社大会    : 住友道場でともに稽古をスタートした住友商事と相談し商社大会を企画し昭和43年第一回大会を開催した。
海外での剣道体験: 1980年9月にイラクに赴任した。赴任してまもなくイラク・イラン戦争が勃発した。毎日毎日警戒警報、花火大会のような対空砲火のイラクで我々商社マンはひたすらにProject遂行に頑張っていたときイラク革命防衛隊のMemberと剣道する事になり、東京で頑張っていた富田君に剣道防具5−6組イラクに送ってもらいサダムフセイン ジムネジアム で練習するようになった。思い出は時の外務大臣(安部晋太郎)が外遊でイラクに立ち寄り、大臣のSP橋本氏(警視庁)とイラク高官との夕食会で日本の武道(柔道、剣道、空手)を、見せる事になり小生と試合を行い安部さんに試合の審判をしてもらったことで1対1の引き分けでした。
剣道部への期待 : 最近特に各部員練習を活発にやっているように感じます。長い会社生活の中で必ず剣道やっていて良かったという時があります。是非怪我のしない様頑張って頂きたい。

以上 山崎

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