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二月、雪が降ったその日もベッドは軋んだ






 細いとも思わない、めだって長いとも思わない、かといって太くもないし骨ばっているとも思えない。
これといった印象は残らないのにでも好き。

 薄くもないし肉厚でもないし、やっぱりこれといった特徴なんかないのだけれど優しい言葉と、
甘い言葉を囁く唇もわりと好き。

 めだつほどつりあがってもいないし、べつに垂れ目ってわけでもないし、やっぱそこも特徴ないのだけ
れど英士の目ってなんか惹きつけられる。

 ……こうして考えてみるとキライなとこってないのかも。たまにむかついた時とかケンカした時とか
そういう時に「最低」とか「お前なんかキライ」とか口にしちゃうけどあれははずみっていうか、
かっとなってつい口にしちゃった言葉で本心なわけじゃないから、平静な時の今、気に入らないとことか
キライなとこってどこだろって考えてひとっつも見つからないってことは、やっぱあれなのかな、
全部好きってことなのかな?

 「……か、一馬?」
 
 「ん?」

 いつの間にやら身を乗り出してじいっと見つめていた俺に、俺もちょっと驚いたけれど英士のやつは
俺のわけのわからない突然な行動にはっきりと狼狽を見せている。

 なんだよ英士、お前なんてしょっちゅう俺にべたべたくっついてきたり迫ってきたりするじゃないか、
なのになんで俺から近づくとそうやってうろたえちゃうわけ? 自分は良くて俺からだと困るってなんか
不公平じゃねえ? ていうか、なんで困るんだよ。

 「な、なに? ど、どうしたの? 俺の顔になにかついてる……?」

 ついてるよ。目とか鼻とか口とか。……ガキ臭い返しだから口には出さないけどさ。

 「べつに。ちょっとお前の顔見てるだけ。用があるってわけじゃないから気にせずそのまま続けて
本読んでなよ」

 「……そ、それはちょっとムリ……。そんな近寄られて気にするなって……難しいよ。あの、ほんとは
なにか言いたいことあるんじゃないの……?」

 「ない」

 「だったらなんで急にそんな俺の顔に興味持ったのさ……?」

 「なんとなく。なに? 顔見られるのってイヤ?」

 またわずかに近づいた俺から逃れるように近づいた分上体を反らせた反応に、俺はちょっとムッとした。
真うしろにはベッド。そのベッドの縁に背中をぴったりくっつけて逃れるすべのない英士の頬に触れて、
覗きこむようにして俺は顔をもっと間近に寄せた。

 英士ってほんと、整った顔してるよな。こんな間近で見てもむさ苦しくないし、欠点だと思えるとこも
ありゃしない。

 「一馬、……ちよっ、一馬、なに、なんなのさ、あの、手、手……」

 「うるさい、黙ってろ」

 手がなんだってんだ。お前だってよくこうするじゃないか。しかもお前なんてあっちこっち撫でるじゃ
ないか。俺はくすぐったくてたまらないってのに「じっとしてて」なんてそれこそ無茶言うじゃんかよ。
指一本動かさず固定させてるだけなんだから少しの間じっとしてろっての。

 「か、一馬……?」

 「黙ってろっつったろ」

 「無茶言わないでよ……、さっき黙って本読んでろって言ったじゃない、……こんな体勢取られたら
読めないんだけど……」

 「言った時にお前読まなかったじゃないか。今頃そんなこと言っても遅いよ。俺から逃げようとしてん
のみえみえ」

 「逃げるだなて……」

 「うろたえてる。それに俺が近寄ったらその分うしろに逃げた」

 「だってそれは……」

 こんなにうろたえた英士を見たのは初めてかもしれない。いつも優位に立たれているせいか、立場が
逆転しているこの構図、ちよっと気分いいかも。ざまあみろとも思うけれど、なんだろ、英士じゃないけど
ここからもっと大胆に構ってみたくなる。例えば、……こいつがいつもそうするように顔の
輪郭をなぞってみるとか……。

 「ストップ!! ……一馬、ちよっ、とどまってっ……」

 「やだ」

 「やだじゃなくって、……」

 大きくみじろぐ英士の膝の上に、生まれて初めて俺は自分から乗りあがった。あの最中に英士にいざな
われて乗ったことはあるけれど、自分からはマジこれが初めてで俺の取ったこの行動に英士はぎょっとし
た顔をして俺の顔を見つめる。

 「……か、か、かずっ……」

 「落ち着けよ」

 「こんなことされて落ち着けるわけないでしょっ。どうしたの一馬、……なんかおかしいよっ。いつも
の一馬じゃないよ……、一馬こそ落ち着いてよっ……」

 「落ち着いてるよ。全然平静だよ。おかしいってどこがおかしいんだよ。いつもの俺じゃないって、
だったらどういうふうなのが俺らしいって言うんだ?」

 「だってお前、今自分がなにしたかわかってる? さっきから自分がしてること、ちゃんと頭で理解し
ている?」

 「わかってるよ。俺が触れてんのはお前の顔で、今俺がいるのはお前の膝の上。お前のリクエストに
応えてこういうカッコでお前と向き合ったことはあるけど俺から上に乗っかったりしたのはこれが
初めてだってこともちゃんと認識できてるよ。これでもまだ落ち着けって言う?」

 「……いや、言わない……。お、落ち着いては、いるみたいだ、ね……。あの、でも……やっぱり
その、……へん、だよ……? い、いつもの、……その、俺の知ってる一馬じゃ、ない、……みたい……
だよ……?」

 「だからどういうのだったら俺らしいって言うんだよ?」

 「だからそういう攻め気なとこ、とか……その、……一馬からこういうことされるのは刺激的でその、
ひどくドキドキして……あの、嬉しいんだけど、ね……その、なんで急にこういうことしてきたのか、
……あの……心境が変化した要因がわからないのが、その、……怖いっていうか……いや、すでにびっ
くりはしているんだけど、ね……あの、……一馬からこんな風にしてせまられる日が来るなんて、あの、
本当に来るとは思わなかったっていうか、……なんていうか……いや、だから嬉しいんだけどね、その
……えっと……あの、だからそうやってすごく近寄られると、あの……困るっていうか、……びっくり
しちゃうっていうか……」

 「英士、なに言ってんだかよくわかんねえよ。俺に言う前にまず自分が落ち着いたら?」

 「いや、だからまずお前が少し離れてくれないと……」

 「なんで? お前、よくこうやって俺に迫って来るじゃん。俺からだとなんでそんな腰、引かせちゃ
うわけ? なにがそんなに困るんだよ?」

 「……」

 ……黙っちゃったよ。なんかこれってずるくない? 言いたくないっていうポーズだろ、これって。
英士ってこういうとこあるんだよな、肝心なとこではっきりしないっていうか、誤魔化すっていうか
英士らしくないとこ見せておきながらいざこっちがつつくと本音隠すのってずるいよ。隠されると
聞き出したくなるっての。……でもこうなるとこいつは絶対口割らないからな……。なーんかむかつく。
嬉しいとか言っときながら困るって言うしよ、自分は散々俺に迫ってあちこち触りまくってきたくせに
俺が自分から近寄ったら困るだと、しかも離れてくれだと、わがまま言うんじゃねえよ。

 「なあ、英士……」

 ……やろっ……! 指に触ったとたん俺の手を払いのけやがった。どういう意味だよ、これって。

 「あ、……ごめんっ……! その、びっくりして、……あの、ほんとごめん……」

 「ふーん。俺に触られるそんなにイヤなんだ。お前、ほんとは俺のこと嫌いなんだろ」

 「そんなことあるわけないだろ……! ヘンに解釈しないでよ一馬……。俺がお前を嫌いだなんて
そんなことあるわ……」

 「疑いたくなるね、その言葉。あんなことされたらさ」

 「だからびっくりしたんだって……!」

 「じゃ、触らして」

 「どこを!?」

 「なにびびってんだよ。やっぱり触られるのイヤなんじゃないかよ」

 「ち、違うって! そういう意味で聞いたんじゃないよ……! 唐突過ぎる申し出だったんで驚いた
だけだって……!」

 「唐突でなければいいんだな。よし、……英士、手、触らせて」

 「手……?」

 「そう、手」

 「手って……俺のこの手……?」

 「そう、お前のその手」

 不思議なものでも見るような目で自分の左手を眺める英士に、「その手」を指さして俺はもう一度
触らせてと願い出た。

 「……なんで?」

 「触りたいから」

 「だからなんで急に……」

 「ごちゃごちゃうるさい。俺のことが嫌いじゃないって言うんなら触らせろ。触らせるの、触らせな
いの、どっちなんだ?」

 どうやら嫌いじゃないと言ったあの言葉は、真実らしい。

 「……左手で、いいの……」

 差し出された左手の指先を軽く握って、俺は英士の問い掛けに答えた。

 「うん。どっちでもいいんだ。お前の手だったら」

 「……そ、そう……」

 実際に触れて再認識。やっぱり俺、こいつの手って好き。

 形のいい爪のその先を指先でなぞって……一本、また一本と触れ終わった指先を一本づつ掌の中に
しまいこんでいって、親指だけ残して四本包み終わってぎゅっと包んだ指先を……強く握り締めた。

 そんな風にして指をかまうのに夢中になっていた俺は、このかんじっとしていた英士がどんな顔をし
ていたとか、どんな気持ちでいたとか本体のことはすっかり忘れていた。

 だから掌の中の指先が汗ばんできたことに気づいたとき、「なんで?」という思いの方が先にきてし
まい、ストレートに「暑いの?」なんてきいてしまった。だけどそのあとで顔を上げて英士の顔を見た
とき、そうではないことを知った。

 ほんのりと顔を赤らめていた英士。目が合った瞬間弾かれるようにして目を逸らせた。困っている
風に見える横顔をじっと見つめる俺に英士が言った。

 「気は……済んだ?」

 赤らむ英士なんてそうめったに拝めるものじゃない。困っているのか照れているのかそんなのどっち
でもいい、珍しい現象をもっと間近で見てみたいと思うことは不謹慎なことだろうか。

 それと追加したい。好きなものもうひとつ。英士。この手も好きだけど持ち主がやっぱり一番好きだ。
全部好きってのは間違ってないけど英士が好きって言った方が俺にはピンとくるかも。

 「……一馬……?」

 「うん」

 「いや、うん、でなくてね、……あの、……そんなにじっと見つめないでくれる……? あっ、その
べつにイヤだって言う意味でじゃなくてね、……その、……」

 あいた方の手を口元に当てて「困ったな」とこぼす英士のその手をそこから離して、指の先に軽い
キスをした。急にそうしてみたくなったんだ。

 「っ……! か、かず、かず、……ま……!」

 「そんなにびっくりするなよ。お前だってよくするじゃん。たまには俺からしたっていいだろ。イヤ
だったら振り払っていいよ」

 「イヤだなんて、……そんなことはないけど……どうしたの? ほんとにいつもの一馬じゃないよ……
? その、……嬉しいことは嬉しいんだけど……らしくないものだから、あの……ビックリしちゃって
どう受け止めていいのかわからないっていうか……その、……俺になにか言いたいことでもあるんじゃ
ないの……?」

 「ないよ。ただお前に触りたいだけ。いつもはこんなことないんだけどなんでか今日は触りたいんだ。
なんでそんなこと思っちゃうのか実は俺にもよくわかんない。ただ、……手とか、顔とか、……急に
英士に触りたくなっちゃったんだ……」

 「わかんないって……自分のことじゃないか……」

 「うん。そうなんだけどね……」

 こうやって会話してる間も俺は手を離さなかった。汗ばんでるんだけど全然イヤじゃなかった。他の
奴だったら気持ち悪くて振り払っちゃうんだけど英士は平気。

 「英士の手って気持ちいいよね。触られるのもいいけど、こうやって自分から触ってるだけでも気持
ちが落ち着くんだったらこれからは嫌がらず自分からお前と手、つないでみようかな」

 俺のこの発言に、英士はなにも言わなかったけれど握っていた指先がぴくんっと撥ねる反応を返した。

 不思議だ。なにも言わなくてもその反応だけで英士が喜んでいるのがわかった。

 「なあ英士、俺にそうされたら嬉しい?」

 「……そりゃあ……嬉しい、よ……」

 「そっか。ふーん……こうやって触ってるとお前の気持ちがよくわかるかも。これからはちょくちょ
く触ろうかな。俺さ、お前に嬉しいとか俺のこと好きだとか口で言われてもウソくせえとか思っちゃう
時の方が多くてさ、でも触ってたら言葉なんかなくってもお前の気持ちちゃんと伝わってくるかも。
言葉よりこっちの方がさ、俺にはわかりやすいかも」

 俺の言った言葉に英士が今度はと言うかとうとう、はっきりと顔を赤くした。すごいや。めったに
拝めないものが連続で拝めるなんて。

 しばし拝見していると、

 「いやぁ、もうまいっちゃったよ……て、なにやってんだよ、お前ら」

 部屋のドアが開いて結人の声がした。

 「結人! いいとこに来た、ちょっと助けてよ」

 「なんだよ英士! 助けてってどういう意味だよっ」

 「えっ? どういうこと? 辛抱きかなくて英士が襲ってんじゃないの?」

 詰め寄った俺をちらりと見た英士。だけどすぐにその視線は背後の結人へと移っていった。

 「おい、英士」

 「……これのどこを見たら俺が襲ってるように見えるんだよ。俺が一馬に迫られてるんだよ。なんか
こいつ今日すごくヘンなんだ。俺の知ってるあの一馬じゃないんだ」

 まだ言うかこいつ!

 「俺はヘンじゃない!」

 「えー、なになに、一馬がお前を襲ってんの? 珍しいこともあるもんだ。だーから雪なんか降って
きたんだな。ははは。良かったじゃねえか英士。脱マンネリはいいことだぜ? いつもと違うと燃える
って言うじゃん。いやあ、俺はてっきりお前が辛抱きかなくなって一馬にちょっかいかけてんだと思っ
たからさ。いやあ、わりぃわりぃ。んじゃ、俺は消えっから。ま、あとは好きに燃えてちょうだい」

 「ちょっと待った! お前人の話ちゃんと聞けよ! 助けてくれって言っただろ!」

 「おい、俺の方を見ろよ英士!」

 「燃えてるじゃん一馬。ほーんと珍しいこともあるもんだ」

 「おい英士っ!」

 胸倉を掴んで叫ぶ俺を無視して、

 「のんきに構えてる場合じゃないって。見ろよ、いつもと全然違うだろ。ちよっとこいつを俺から
引き離して」

 「それはちょっともったいないんじゃないの?」

 「バカ言ってないで早く助けろよ」

 「んー、ちょっと考えちゃうなぁ。お前はともかく一馬にあとで恨まれそうじゃんよ」

 「結人っ!」

 結人とごちゃごちゃ会話をし続けてずっと俺を無視し続けた英士。いまだに目は俺にではなく結人に
向けられている。そうか。わかったぞ。こいつだけに言っていても意味がないんだ。元凶はこいつにで
はなくて結人にあるわけだ。

 「おい結人っ! お前あとから来といて割り込んでくんじゃねえよ。いい加減もう黙れ」

 「ちょっと一馬!」

 「おおっびっくり。こんな乗り気な一馬は初めて見たぜ。こりゃあしばらく見物していたいかも」

 「英士、英士も英士だ。俺を無視して結人なんかと話し込むんじゃねえよ」

 「一馬! もうお前は少し黙ってて」

 「なっ……! っん……!」

 胸倉を掴む手が振り払われ、咄嗟のことでなすすべもなくあっという間に口を塞がれた。息の漏れる
隙間もないほどぴったりと手が口を塞ぎ、俺は「なにをするんだと」英士に抗議した。しかしそれは
言葉にならなくて、もがもがと、ただ暴れたにすぎなかった。

 クソ英士っ! この手を離しやがれ!

 「……お前たち二人、忘れてない? 今日は俺の家に泊まってビデオ鑑賞なんてものをする約束にな
ってるんだよ? なのに一馬はいつの間にかヘンになっちゃうし……。それに結人。お前遅れるなら遅
れるで連絡くらい入れなよ」

 「っ……っ……」
 
 だから俺のどこがヘンなんだ!

 「いや、わりぃわりぃ。そこまで頭まわんなかったわ」

 「……ったく。ほんとにマイペースなやつだね……。まあでもすっぽかさなかっただけマシか……。
ああ、でもほら、見たでしょ? とにかくこんな調子で一馬がおかしいんだ。いったいどうしちゃった
っていうんだろ……」

 「……あのさ」

 「なに?」

 「ヘンって言うかさ、一馬のやつ気が大きくなってるだけなんじゃねえの?」

 「え? どういうこと?」

 「英士さ、こいつに酒、飲ませなかった?」

 「酒? そんなもの一滴だって飲ませてないよ」

 「じゃあ、アルコールの入ったものなんか食わせなかった? ケーキとか」

 「ケーキ……? ああ、うん……なら食べたけど……」

 「それに酒、使ってない? こいつ、酒にはめちゃ弱いじゃん。舐めただけで顔赤くなるし。洋酒か
なんか入ってるやつだったら酔うよ?」

 「……まさかあれだけで? おみやげにもらったパウンドケーキが残ってて……確かに少し入ってる
ような匂いはしたけど……あんなの香り付け程度じゃないの?」

 「……モノを見てないからはっきりとは言えないけどさ、最近のって結構入ってるらしいぜ。大人向
ってぇの? 弱いやつが食うとちっと酔っちまうのもあるんだってよ。それじゃないの?」

 「……じゃあ、今までの行動は単に酔ってたってこと……?」

 「そ。ヘンなんじゃなくて単に酔ってるってだけ。顔には出てないけどちーとばかし気が大きくなっ
てんじゃん? ほっとけばそのうち元に戻るんじゃない?」

 「……そっか。はは、なんだ、そういうことだったんだ……」

 「らしくねぇなあ。すぐ気づかなかったのかよ?」

 「悪かったね……。気づけなかったよ」

 「べつに悪いとは言ってねえだろ。でもお前の慌てっぷりが想像できて楽しいけどね」

 「そんなもの想像するなよ。悪趣味だぞ」

 「どうよ? 一馬から迫られた感想は。鼻の下、だらしなく伸ばしてたんじゃねえの?」

 「……ほっといてくれ」

 「罪作りな男だねぇ一馬も」

 「一馬に他意はないだろ、そういう言い方はよせよ……」

 「けどホントのことだろ」

 「……」

 「ところでさ。いい加減その手離してやんないとマジで一馬のやつ窒息死しちゃうよ?」

 「えっ! あっ! ご、ごめん! だ、大丈夫!? 一馬?」

 「……っじゃ、ないっ……」

 「じゃ、マジで俺はこれで帰るから。あとは仲良くやってくれよ」

 「えっ!? ちょっ……! 待ってって! 結人! なに言ってんのさ」

 「だってほら、お前はこれからまだまだ一馬のことかまってやらなきゃいけないだろ? そんなとこ
に俺、いられるわけないじゃん。あ、そうだ。言い忘れてた。外、雪降ってきてるぜ」

 「ばかなこと言ってんじゃないよ。それに雪が降ってるんだったらなおさら帰すわけにはいかないだ
ろ。遅れたのだってそのせいなんだろ」

 「いまだったらまだ電車動いてると思うから心配すんなって。じゃあな」

 「ちょっ、結人!」

 「あ、そうだ。風邪、ひかすなよ?」

 「結人ってば!」

 ……人の口を塞いで、長い間ぐたぐたと結人と語り合ってないがしろにしてくれた挙句、またちょっ
とほっとかれて、俺は怒りの鉄拳を握った。それを入れる先はノーガードになっている男の腹。

 いつまでも結人結人言ってんじゃねえっ。

 これじゃ邪魔者は俺の方みたいじゃねえかっ。

 「っい! ……っつ……。なにするのさ、一馬……」

 「バカ英士。俺も帰る」

 「えっ、ちょっ、一馬っ……!」

 英士の膝の上に乗っかったままだった俺を捕まえるのは、英士にとっては容易なことだった。最初に
掴まったのは二の腕。そのまま引っ張られて、振り払う間もなく抱っこされるような、上体が深く傾く
体勢で抱きしめられた。

 「離せよ!」

 「落ち着いて、一馬」

 「うるさい。帰るんだから離せ」

 「だめ。なんの為に今日、俺の家に来たの? まだなに一つ目的達成されてないんだよ?」

 「知るか。結人が帰っちゃったんだからもう約束なんて果たされないんだよ」

 「結人を邪険に扱ったのは誰?」

 「俺が悪いのかよ。英士が結人結人って結人ばっかかまうのがいけないんだろ」

 「……一馬、……やっぱり酔ってるんだね……」

 赤い顔してなに言ってんだか。俺は酔ってなんかない!

 「原因がわかっても……やっぱりあれだね……心臓に悪いよ……」

 「なに言ってんだお前?」

 「……なんでもない。……ね、帰るなんて言わないでよ」

 こつんと、頭を肩に乗せてつぶやきながらぎゅっと強く抱きしめられる。

 こんなことでほだされるもんかと、……肩を押したけど結局はぬくもりにほだされてしまい、すぐに
その手は引いてしまった。

 「そう言えば外、雪が降ってるって言ってた。見える?」

 「雪?」

 おとなしく抱きしめさせてやっていた男が顔を上げて、視線を移動させる。つられてあとを追うと、
確かに雪のちらつく外の光景が見えた。

 いつから降りだしていたのか。つい先頃というような雰囲気ではなく、だいぶ前から降りだしていた
ような湿ったさが感じられる。

 「……これ、積もるかな」

 「どうだろうね。このまま雨にかわらなければ積もるかもね」

 「……結人、ちゃんと帰れるのかな。電車、止まったりしてないかな」

 「徐行運転になっているだろうけど、まだ大丈夫なんじゃない?」

 英士は軽く言うけど俺は気になって気になって、なかなか外の光景から視線を外すことができない。

 俺が結人を追い帰したんだろうか……?

 「一馬、大丈夫だよ。携帯、入れてみる?」

 気に病んだ俺にかけてきた言葉に、俺はいちもにもなく頷いた。ちゃんと電車に乗れていればいいけ
ど……。いま、結人はどこにいるんだろうか……?

 「でもその前に……」

 「前に?」

 「キス、させて」

 「……なんだよ突然……」

 いきなりな申し出にイヤだったわけじゃないけどその場ですぐには頷けなかった。するならするで
さっさとやればいいのに、こうやってわざわざ事前申し込みをされると恥かしくて「はい、どうぞ」と
なんて言えない。なんか、ほんとに恥かしさが先にくるのだ。

 「だめ?」

 だから、そうやって聞かれても困るのだ。だめじゃないけど、だめじゃないけど……だから、「だめ
じゃない」とも口にしにくいのだ。

 「一馬?」

 ……だから聞くなよ、いちいち……。

 「……やっぱりコレまでは簡単にいかないか……」

 残念そうに笑った英士。その顔になんだろ、胸が絞まった。

 ……ああ、もう……。そんな顔するなよ。だからだめじゃないって、わかれよそれぐらい。

 「じゃ、ちよっと携帯取ってくるから」

 「待った、英士」

 俺を解放してみじろいだ彼を呼び止めて、なに? と顔を向けた彼に俺はキスした。

 「……」

 「……いちいち聞かなくたって、したかったらすりゃいいだろ?」

 「……だって、いきなりしたら一馬、怒るじゃない。その、怒らせたくなくて……」

 「そ、それは……そうかもしんないんだけど……でも、……」

 思い当たらなければするりとかわせたんだろうけど、思い当たるから言葉も詰まる。もしさっきのが
不意打ちだったら……確かに怒っただろう。わかれよそれぐらいと言っときながら展開が違えば態度も
違ってたなんて矛盾してんのはわかるけど……でも、それはあれだ。それはそれ、これはこれ。不意打
ちに対しては不意打ちへの、いちいち聞かれたらそれに対してへの感情の違いが生じるわけで言い分だ
って違ってくるさ。だから矛盾してんだけどそれはそれ、これはこれだ。だから突っ込まれると困るん
だけど……ここはあれなのかな、……今日は怒んないからしてもいいって言うべきなのかな……?

 「でも?」

 「……」

 困り果てる俺に英士が意味ありげな笑みを向ける。……まるで心の内を見透かされてるみたいだ。
いや英士のことだ、すでに見抜いているのだろう。まったく意地の悪い男である。

 でも……。すべて見透かせるほど知り尽くされてるってことで、惚れたなんとかってやつなのか悪い
気はしない。

つけあがるだろうから言葉にして言ってやったりはしないけど英士にされる意地悪は巧みにワナが張っ
てあって引っ掛かると優しくしてくれるから好きだ。

 「でも、なに?」

 ほらな。キスさせてなんて言っときながらいつのまにか「キス、して」な展開になってきた。

 「……お前、ずるくないか?」

 「ずるい? なんで?」

 しらばっくれてるのか、ほんとにわかってないのか、上手すぎてわかりゃしない。

 「わかってないんだったらいい。でも俺からはしないからな」

 「なにを?」
 
 「だからわからないんだったらいいって言ったろ」

 「よくないよ。気になるじゃない」

 どーこが。その顔のどこが気にしている顔だよ。俺の考えてることなんてお見通し、さっさと白状し
ちゃいなって言ってる顔に見えるぜ。ほんと、憎ったらしいやつ。

 「一馬?」

 伸びてきた腕。頬を滑り落ちていく指。優しくてあったかくて……心地良すぎるよ……。

 「一馬?」

 ああ、もうっ……。

 「……」

 噛み付くようなキス。いまはこんなやつしかできない。でも期待には応えてやったんだ。文句は言わ
せない。

 ……ところがし終えた途端奴は言ってくれた。

 「……ちょっと……もっと色気のあるキスはできなかったの?」

 「いろっ……! してもらって文句言うなよっ……!」

 「じゃあ、もう一回」

 「調子に乗んなバカ! ほらさっさと携帯入れっ……!」

 よく考えればあんなもので満足するヤツではなかった。迂闊だった。こっぱずかしくなるような台詞
を吐いて血圧を上げる俺の不意をついた男はまんまと俺を組み敷いてノッかってキスを仕掛けてきた。

 「……っん、……っ」

 俺がしてやった合わせるだけのとは違う、喰らおうとするかのような舌の動き。酸素まで奪われそう
だ。動きに合わせてなんとか応じているが上手過ぎて、喰いたいだけ喰われているという、一方的なも
のになるともう胸が苦しくて、動きに応じる反応も鈍ってくる。

 「……っし、……ちょっ、ま、って……」

 酸素、酸素が欲しい……!

 「……ちょっ、マジ、……待って……てっ」

 言葉を無視して唇を押し付けてくる英士に軽くビンタを食らわす。これくらいのことしないと今のこ
いつには通じない。

 「……がっつくなよ……逃げやしないから……少し待てって……先に携帯入れろよ。そっちのが
さきだろ」

 「動けなくなってるんだったら結人から連絡入ると思うけど。ないってことは今んとこ問題は起きて
ないんじゃないの?」

 「そうだとしても俺は気になるんだよ。ごちゃごちゃ言ってないでほら早く入れろよ」

 「結人への罪悪感? でも一瞬忘れてなかった?」

 早くしろと急かした俺は、だけど返り討ちにあって言葉に詰まった。どうして英士ってこんなに頭の
回転が速いんだろう。正直結人への罪悪感は薄れ、電話なんかしてもなに言っていいんだか戸惑いそう
な予感がして、むしろ今はほっといて暗くなった頃くらいに「帰れた?」と言った方が普通に話せそう
な気もするのだ。でもそうなるとこのあとやることは一つしかなく、……べつにイヤってわけじゃない
んだけど、やるのはいいんだけどさ、明るいうちからっていうのはちょっと……いや、かなりイヤなも
のがある。

 だけど英士はすっかりやる気だ。この状況を見れば分が悪いのは俺だし。やられちゃうのは目に見え
てる。無駄とわかる抵抗をするのもなんかくそ面白くないし、バカ臭い。けどだけど、……ていうかな
んでこんな展開になっちまったわけ? 

 「一馬? なに眉間に皺寄せてんの?」

 「んー……なんでこんな展開になっちゃったんだろって……」

 「そんなの、お前が俺を煽ったからだろ? 責任はちゃんと取らなきゃ」

 「俺がいつ煽ったよ。英士が勝手にさかったんだろ。お前好きだもんな、やるの」

 「失礼な。先にキスしてきたのは誰だよ。一馬からだよ? 忘れた? それにやたら俺にべたべた
触ってきて、それって誘ってたんじゃないの?」

 「誘ってねえよ! 勝手な解釈してんじゃねえよばかっ。それに俺からったってあれはお前がして
くれって顔するからいけないんだろ」

 「あーはいはい。俺が悪いんです。俺が一馬が欲しくて辛抱きかなかったんです。だからこういうこ
とになっちゃったんです」

 「なんだよその言い方。全然悪いなんて思ってない言い方だぞっ」

 「うん、思ってない。でも一馬は悪くないんだろ? 俺はべつに経過なんて気にしないし、結果一馬
としたくなったのはたしかに俺の方が先だし、悪いとは思ってないけどこういうことになっちゃったの
は俺が我慢できなくなったからってのは間違ってないしね。だから俺が悪いって言うんなら素直に認め
るよ。今だって一秒だって早く抱きたくて仕方ないんだ。だからね、俺のせいにしていいから続き、
していい?」

 小賢しいヤツ……ていうか、恥かしいヤツ……。どうしてそういうことすらすらと口にして言えるか
な。言ってる本人は平然としてて聞かされてるこっちの方が恥かしくて言葉、失っちまったよ。

 「NOの返事がないってことは黙ってるけど一応了承してくれてるって思っていいの?」

 「……好きに解釈しろよ……なに言ったって上手く言いくるめて結局はやるんだろうから……も、い
いよ、観念してやるよ……」

 どうせビデオ鑑賞会なんて中止だ。この雪の中レンタル屋に行く気はしないし、結人も居ない。ふた
りきりでじゃあ何するのって話になったら……多分英士とこういうことになっているはず。つまりは
遅いか早いかの違いがあるだけで結末は同じってこと。

 ま、真っ昼間からどうだこうだなんてこと気にしてんのなんて最初のうちだけだろうし。始めちゃえ
ば頭ん中なんてぼやけて自分がなに考えてんだかなんてわかんなくなっちまうんだ。昼だろうが夜だろ
うが、それこそどういう場所でやってるかなんてことも忘れちまっている。

 「だけど英士、せめてベッドの上に上がるまでは我慢しろよ。ここでやるとあとで背中が痛くて困る」

 首筋に顔を埋め舌を這わす行為に身をすくめながら、これだけは譲れないという要求を告げて、
ああうん、そだね、わかったと、かなり残念そうな顔をした英士に苦笑したあと、俺達はお互いの手を
とって立ち上がりもつれるようにしてベッドの上にダイブした。

 二つの身体を弾ませるスプリング。やがて軋みを生み、俺達は抱き合ったまま転げまわる。指が髪を
梳き露になった肌の上では唇が踊る。首に腕を回して抱きつき、深まってゆく愛撫に目を閉じて、
やっぱり最初に口から出てきたのは英士の名。

えいし、えいし、いつも呼んでいる名前が今だけは違う響きを持ち、泣けてきそうなほど胸に深く突き
刺さる。

 「……え、……しっ……」

痛くはないけど苦しい。泣けてきそうなほど愛しい。

 「え、し……英士……え、……」

奪われた名前。与えられたのは深い口付け。俺は英士を英士は俺を、二人して貪った。噛み付いている
 ようなキス、キス、キス。

 「……っん、……」

息継ぎをする合間を縫って、もっとしてと、ねだると小さな笑みをのせた唇が落ちてきた。

 「えい、し……」

好き、大好き、好き、もっと、……きつく強く、抱きしめて……。

 かずま。かずま……。

耳に熱い吐息。首筋を撫でていった細い髪。英士の残り香が鼻をくすぐりさらに胸を締め上げた。

 えいし、えいし、えいし……。

ついぞ堪え切れなくて涙した俺。優しく髪を梳く指にあやされて、好きだと英士に告げてしまう。

 「うん。俺も一馬のことが大好きだよ」

 「うん、知ってる……」

英士の肩越しに見た窓の外。一面の灰色にゴミのような点が無数に散っている。その一つを追いながら
 俺はもう一度、好きと、呟いた。

 








 

 

 






END

 


 

雪の日の郭真でした。
自分の中にある、今回のここにいる彼らのイメージは高校生くらい。
中学生の郭真も好きだが有島が個人的に萌えるのは青臭い男の子に成長した高校生の郭真。
何年生、と学年にこだわりはないが『十七歳』という年齢にこだわりを感じます。
中途半端っぽくて好きなんですね。
大人の顔と子供っぽさが同居しててかなり無鉄砲あんど怖いもの知らず。
男臭さが醸し出されてくる一歩手前の危うさ、みたいなものを感じるこれくらいの年齢の男の子って
見てるだけでもう、胸がきゆんきゅん言っちゃいます。十七歳のフェロモン……ふら〜とついて行って
しまいたくなるのよねぇ……。

いけね、大脱線してるわさ。有島の嗜好なんてどうでもいいんです。
郭真ですよ。語るのは郭真。

そう、郭真!

気を取り直して……。
英士とそこそこ回数もこなし慣れてはきた一馬と、
回数こなそうが全然飽きずに相っ変わらず一馬に激LOVEな英士、
そしてそんな二人を茶々入れながらも暖かい目で見てやってきた結人。
てなイメージで作ってみたんですがどうですか?

かなり一馬が大人になったなあって思うんですが。
こんな風に成長して欲しいなあ、みたいな希望がかなり入っちゃってます。
あれかな、読まれて好き嫌い強く出るモノかもしれない……。
アプしといてなんだが、今頃になって不安になってきたさ……。

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