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 夏休みに入って一週間、俺はついに行動を起すことにした。次の日に早く起きる必要がないから毎晩
そりゃ遅くまで悩みまくった。気がついたら夜が明けかかっていた、なんてことも二回ほどあった。
テレビの前にいても食事の最中までも、それこそトイレの中ででも、眠りについている間を抜かして文
字どおり四六時中、一日中、ずぅぅぅぅぅぅぅーと考え、悩んだ末に覚悟を決めたのだ。

 告る。そう、決めた。そうもう、決めたんだ。

 

 


          あきらめないから。

 

 

 「あ、結人? 俺。今から行っていい? うん、ちょっと相談があるって言うか聞いて欲しいことが
あるんだ。え? うん、そう、結人でないとダメなんだ。英士じゃ役に立たないって言うか結人でない
とちょっと今回だけは解決しないんだ。だからさ、いい? え? うん、あー大丈夫、そんな難しい話
じゃないから。うん、うん、わかった、じゃ、四時頃着くようにして出るから。うん、ほんと悪いな。
つうかありがと。うん、じゃな」

 携帯を握る手が汗ばんできているのが途中からわかって心臓がドキドキと言い出した。何度も自分に
落ち着け落ち着けって心ん中で声掛けてたけどぜんぜんドキドキがおさまらなくって『そのうち伝わっ
ちゃうんじゃないかって』冷や汗まで流れ出てくるし、なんかもう途中から自分が何言ってんだか訳わ
かんなくなってた。

 早口にもなってたし。

 結人ヘンに思ってなかったかな……?

 あーでもあれか英士とちがってあいつはそんなに鋭くないか……。

 汗で濡れた手をぐっと握り締めて、大きく息を吸った。

 心臓のドキドキが治らない……。会うのはこれからだってのに……今からこんなんでどうするんだよ
……こんなんじゃ結人の前にいったら心臓止まっちまうかも……。

 そんなことになったら悔やんでも悔やみきれなくて成仏できねえよ……。ようやく決心したってのに
空振りしちまうなんて悲しすぎるって……。

 吸って吐いて吸って吐いて……深呼吸をしていればそのうちに治まってくると思ってた。だけど全然
よくならなくて、出掛けなきゃいけない時間も近づいてきてるしで刻々と進む秒針を眺めながらベッド
の上にのぼった俺は、意味もなく布団の中にもぐりこんだ。

 ……やばいよ、どうしよっ……。時間がきちまうよ……。あと一時間半……三十分後にはうち出ない
と時間に間に合わなくなるのに……。

 そうだ!

 タオルケットをおもいきりよく投げつけた俺は飛び下りると部屋を飛び出した。

 階段を駆け下り急いで向かったのはバスルーム。

 シャワーでも浴びればすっきりするんじゃないかと思った。

 「一馬? なにをドタバタと……あら、お風呂沸かしてないわよ?」

 脱衣所でバスタオル抱えた俺を見つけて母親が言った。

 「あー別にいい。シャワー使うだけだから。あ、そうだ。俺このあと結人んちに行くから。帰りはち
ょっと遅くなると思う」

 「あら、そうなの? 遅くなるって、お夕飯はどうするの?」

 「いらない。外で適当に済ませてくるから」

 「あんまり遅くならないように帰ってきなさいよ?」

 「うん。あーもう、時間があんまりないんだよ、もう出てってよ母さん」

 「あら時間がないのにシャワーなんか浴びてていいの?」

 「それぐらいの時間はあんの、ほらもう出てってよ。邪魔」

 「はいはい。じゃああまり遅くならないように帰ってきなさいよ? 向こうのお宅にあまりご迷惑か
けないようにね。ちゃんと結人くんのお母さんにもご挨拶してよ?」

 「わかったわかった、わかったからもう行って行って」

 だんだん口うるさくなってきた母親の背を押して追い出し、湯の熱さを調整してからシャワールーム
に入った。

 ぬるめの湯を頭から降らせて簡単に洗うと、今度は水だけにしてしばらくそのままか叩かれていた。

 あれだけドキドキ言ってた心臓だったけど、さっき身体を洗っている途中で普通に戻っていることに
気付いた。どうも親と話をしてる間に戻っていたらしい。

 ……あ……。やばい。思い出したらなんかまたドキドキしてきた……。

 振り出しに戻ってしまいそうな気配に慌てて水圧を上げて、意味もなく髪を洗い始める。ほんとはこ
んなことしてる時間ないと思うんだけど、どうも落ち着かない気分にすっかり振り回されてしまってる
ようで勝手に身体が動いてしまったのだ。

 …………落ち着け、とにかく落ち着けって。いまからこんなんなってどうするよ? 勝負はこれから
だぞ……。

 …………っし。

 腹は括った! 当たって砕けろだ!

 シャワーを止めるとドアを勢いよく開けて乾燥機の上に置いといたタオルを掴むと腰に巻いて急いで
部屋へと戻った。

 ベッドの上に放ってあった携帯を見て時間をチェックするとあと十分少々で支度を終えないと約束の
時間に間に合わなくなることに気付いた。水滴がポタポタと落ちてくる髪を乱暴にタオルで拭きながら
クローゼットの中から着る服を適当に引っ張り出して、よく拭けてない気がするものの時間がないから
そのまま着込んでサイフと時計、そして携帯を掴むとまた急いで下に下りて行った。

 「じゃ、母さん、行ってくるね!」

 靴を履きながら慌しくリヴィングに向かって声を掛け、返事を待たずして外に飛び出した。

 

 

 


 ……改札を出てからどうも足取りが重い気がする。多分気のせいではないだろう。まっすぐに向かっ
てるものの気持ちだってこんなに重く沈んでるんだ。それの影響が出たんだろう。

 引き返したい。駅を背にまだ二百メートルほどしか歩いてないというのにもうすっかり意気消沈して
しまってる。足を一歩前に出すごとに『このまま引き返して帰りたい』なんて弱音も飛び出してくるし
溜息だってこぼれてもくるし、いま鏡を見れば『もう死ぬしかありません』って顔した自分を拝めてし
まうかもしれない。

 ……なんか、胃まで痛くなってきた……。吐く、かも……。

 ぐうっと胃のあたりが押さえこまれるような重さを感じて足を止め、汚物を吐き出してしまいそうな
口元を右の手で覆って隠し不調を訴える身体を近くの電信柱にもたれかけさせた。

 背中にじとりと張り付くシャツが気持ち悪いと思う。暑さによる汗なのか、気分の悪さによる冷や汗
なのか、つうっと背中で流れた汗にそんなことを思った俺の思考もまた、陽炎のようにゆらゆらと揺れ
ていた。

 遠くでセミの鳴く声が聞こえる。耳慣れた油蝉だ。自転車が二台、続いて脇を過ぎて行った。『……
やっぱキャンセルしようかな』俺は後輪を見送りながら逡巡した。

 ここまで来たのだからと先に進もうとする気持ちと『でもやっぱムリ。着いたとしても言えなくなる
かも。その可能性の方が高いよきっと』と挫けかけてる気持ちを優先させて逃げ帰りたいと思う気持ち
とが激しくやりあっている。決めるのは『俺自身』なんだけど今のこの状態にあっても決断が下せない
くらいひどく迷ってる。どっちを選べば幸せになれるのか。どっちを選んでもあとで後悔しそうな気が
するのだけれど…………。

 「お前、なにやってんの?」

 えっ!?

 「なに、どうしたの?」

 「結人……」

 びっくりした。動転して掠れた声しか出せなかった。心臓もばくばく言ってる。ゆっくりと、こっち
に近寄ってきた。俺は呆然としたまま結人を眺めてた。だって足が棒にでもなったかのようで膝が曲が
んないんだ。

 「一馬?」

 「なんで、ここに……?」

 「あ? なんで、じゃねえよ。約束の時間、十五分も過ぎてる。あんま遅いんでお前んち電話したら
『あら結人くんのうちに行くって一時間ぐらい前に家を出てるんだけどまだあの子着いてないの?』っ
ておばさんが。だからなーにやってんだあいつはって思って駅まで足運んでみることにしたんだよ。そ
したらこんなとこでお前ぼぉーとしてるし。なに、どうしたの? 顔色なんかあんま良くないみたいだ
けど気分悪ぃの? あ、もしかして熱中症? 今日も暑かったからなぁ……。で、平気なのか?」

 細かく説明してくれる結人を息を詰めて眺めてた俺は、言葉が見つからず言い訳に困っていたのだが、
苦労の末になんとか使えそうな言い訳を考え出すと、だいぶ暮れてきた空を仰いだ彼に力なく首を振っ
てみせ、『いや、ちょっと色々考え事してて……考えすぎたせいかな。ちょっとだけ気分悪くなったん
で休んでた』と答えた。

 ……だいぶ省いてはいるがウソは言ってない。それにバカ正直に話してもきっと結人には通じないだ
ろう。だって順番が違ってくる。だって告る前にかくかくしかじかこうゆうわけでちょっと悩んでたん
だなんて言っても結人にわかるわけがない。『なんでそんなに悩むんだよ?』って疑問に思われちまう
のがさきだ。いまここでそんな風にして疑問ぶつけられても俺……答えられねえよ……。悩んでんのに
理路整然と説明なんて出来っかよ……。

 「あーじゃあうち来る前にどっかで休む? まわれ右して百メートルほど歩けばマックあるよ?」

 「……いや、いいよ……」

 「そ?」

 「うん……」

 だらだら過ごしててもこの気分の悪さは治らない。むしろ悪化する可能性の方が高い。早急にケリを
つけてしまってとにかく肩の荷だけでも下ろしてしまいたい。

 「歩ける?」

 「……あー……うん……」

 

 

 

 

 他愛もない会話が続いてたと思う。

 どこかあやふなが感じがするのは俺が上の空だったから。

 だって結人んちに着いたら告らなきゃいけないわけで、息が詰まるほど緊張してくるし、その結人ん
ちに近づいてってるわけで手に汗は握るしで、気が張って結人の言葉なんてろくに耳に入ってもこなか
ったよ。

 ………………なんて言おうか、どう切り出すか……、もうそればっかり考えてた。

 状況をいろいろと想見したよ。俺がこう言ったらああ言ったら結人はこう言うかもしれない、ああ言
うかもしれない……考え付くかぎり頭ん中で思い描いてみてたさ。

 ……はっきり言って俺、自虐趣味があるのかもしれない。だってことごとく玉砕してた。……一回く
らい自分に甘くハッピーな展開に持っていってもいいのに……なんで出来なかったんだろ……。もしか
して俺ってすげーネクラ…………?

 「……馬、一馬、おい」

 「え、あ……」

 「ぼけっとしてんなよ、ちゃんと俺の話聞いてるのか?」

 「……え、っと……ごめん、聞いてなかった……」

 「お前ねぇ……」

 結人が呆れたように溜息をついた。ずきんって、その顔を見たら胸のあたりが痛くなった。居た堪れ
ないっていうか居心地が悪いっていうかこの場から逃げ出したい気分だ……。

 「一馬?」

 「……ぅん……」

 結人の目がじっと俺のことを見ていた。心ん中に隠してあるこの気持ちを読まれてしまうんじゃない
かって、バレてしまいそうで怖い。走り去ってしまいたい……。姿を隠してしまいたい、そう思った。

 どうしよう。返事を返したはいいけど肝心の次の言葉が続いて出てこない。

 どうしたら、いいんだろう……。気持ちが募りだしついに手が震えてきてしまった……困った。

 「やっぱりお前ヘンだよ? ぼけっとし過ぎ。ちょっと端に寄って休もう」

 その瞬間、足元から頭上に向かって寒気が突き抜けていった。結人の手が伸びてきて、震えている手
を掴むとぐいと引っ張られた。まさか直接に身体のどこかに触れてくるなんて、そんなこと考えていな
かった。触れた瞬間に伝わってきた感触は、寒気に飲み込まれてしまいろくろく覚えていない。だけど
今もまだ繋がれたままの手を目にして、自分の身になにが起きているのかは知ることができる。

 苦しい。頭も目も霧雨が降るのごとく霞む。ああ、もうダメだ……。

 不意に襲われたのは、底の見えない絶望の穴に落ちるような感覚。

 「一馬……?」

 「――………………ぅ……と………………」

 結人……。

 「ごめんな、ごめん……俺、お前のことが好きなんだ。ごめんな……」

 言ってしまった。ついに告げてしまった。

 だけど――――。

 「おい、顔を上げろ」

 俺はもう、後悔している。やっぱりばらさなければよかったと、既に悔いているのだ。

 「一馬」

 俺の気持ちを聞かされて結人がどう思ったのか、それが知りたい。ちゃんと届いたはずだ。だけどま
だきちんと結人の気持ちを聞かせてもらっていない。

 「おいこら一馬」

 知ることは怖い。だけど無視されたみたいな待ち焦がれてるこの現状も辛い。そして告げてしまった
こと自体をも悔いているのだ。結人と目を合わせる勇気なんて今の俺にはない。

 「俺はまだなにも答えてない。なのになんでお前は泣くんだよ」

 「…………ゴメン……」

 「だから。なんでそこで謝るんだよ」

 「ごめん…………」

 なんでと問われても俺にもわからない。勝手に涙が流れてくるのだ。『後悔』の文字が胸に痞えてと
ても息苦しいのだ。

 「一馬」

 「……っ!…………」

 焦がれ、行き詰まり、真っ暗闇の絶望の底へと落ちていく怯えた心を不意にすくったのは結人の腕と
胸だった。

 乱暴に抱き寄せられて目の前にあったのは肩口。それを目にした瞬間俺は遠慮もなしに涙と鼻水をそ
こに擦りつけていた。

 堰を切って流れ出す涙を自分でも止めることが叶わない。ただ泣き声だけは上げまいと思い唇を噛み
締めて出口を塞いでいる。時間が進むにつれて、やがてがたがたと唇が震えてきた。

 情けないとみっともなく思う。だけど、ずっと焦がれていたのだ。

 結人に触れるとき俺はいつも緊張していた。ふざけながら、戯れながら、じゃれあいながら、ずっと
ずっと悟られぬよう気持ちを隠してきた。近くに居ると、いつもそわついた。スキなのに、うきうきと
かわくわくとかするよりも、辛いと思うことの方が多くあった。

 だから。ちからいっぱい本気で結人に触れたことはなかったと思う。

 それなのに今は不意に得ることになったこの温もりに俺はしがみついている。今までずっと遠慮して
きた反動なんだろうか。脇腹を掴む指は強張るほど力が入っているし、骨の感触のわかる顔はわざとそ
こに強く押し付けてもいる。

 心が完全にパニックになっていると、自分でも思う。

 「とにかく落ち着け。落ち着くまでこうしててやるから」

 鼻をすすった俺に、結人は暖かな温もりをくれた。俺はその肩甲骨を撫でるように摩るてのひらの暖
かさを追いかけながらこくこくと頷いた。

 本来結人はあまり気が長い方ではないのに、今はとても辛抱強く俺が落ち着くのを待ってくれている。
普段、そういう気遣いを見せられたことはあまりない。それだけ今俺はひどく迷惑をかけているのかも
しれない。……なんかもう滅茶苦茶だ。ちゃんと言おうって決めてきたはずなのにこんなことになっち
ゃって……結局心構えなんて全然出来てなかったんじゃないか……っだっせぇ……。

 根性なしだった自分の格好の悪さに思わず、鼻をすすってしまった。

 「……なあ」

 不意に呼びかけられて、ぴくりと身体が硬直する。

 さすがにもう、しびれを切らしたか……。ぐすっと、鼻をすすった俺の頭に、これまた不意に手が置
かれた。

 「一馬が俺をスキなこと実はかなり前から気付いてた。ごめんな。ずっと気付いてないフリしてたん
だ。黙ってて、ごめんな」

 「……」

 俺はウソをつくのが苦手だ。感情もすぐ顔に出てしまうし。喜怒哀楽のどれもはっきりと表に出す方
である。だから。バレていたとしても不思議はない。むしろ、気付かなかったなんて言われていたら『
それはウソだ。そんなはずはない』と疑っただろう。

 だから。

 

 

 

 

 

 

 


 だから……

 

 

 

 

 

 

 


 結人のその言葉……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 素直に…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 受け止めようと思う………………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 結局報われなかったけど、だけどもうずっとまえからこの想いは伝わっていた。

 それだけでもう充分だと思う。

 鬱陶しがられることもなく、邪険に扱われたこともなく、ずっとずっと、友達でいてくれた。

 もう、そのことだけで充分だ。

 

 

 

 

 

 

 


 「……ごめんな一馬……」

 

 

 

 

 

 

 


 いいよ結人。謝らなくていいから。

 もともと叶う可能性は低かった。甘い夢だって、だから見なかったし。だから平気。こんなの予想の
範囲だったから。だから、大丈夫だから。

 「ごめんな」

 頭を振って、伝えようとするのが精一杯の俺に、結人は何度も謝ってくれた。

 背中を摩る手の動きも最初からずっと優しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 諦められないよ……!

 心が苦しい……!

 すき、すきだよ、結人っ……!

 

 

 

 











END

 


 

頑張れ一馬!方恋だっていいじゃないか。自分があきらめつくまでとことん愛しぬけ。

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