結人が憎いと、あのとき、本気で思った。
嫉 妬
「一馬、このあとどうする?」 だけど俺にはひどく居心地の悪い空間だった。空気が澱んでいるようにも思えた。重い、そう感じて 「悪いけど今日は帰る」 だって結人の顔を見ていたくないんだ。でもはっきりそんなこと言ったら結人は傷つくだろうし、英 「珍しいね、用事があるの?」 「まあ、うん、そんなカンジ」 俺は耐えていた。重い雰囲気にも、英士に縋りたくなるような気持ちにも。なのに結人は一人でどこ 「じゃあしょうがねえよな、英士、じゃあ新宿のいつものミスド行こうぜ? 俺100円引き券持ってる 憎さ倍増させてくれる能天気な声。その声が聞こえている間中胸がムカムカしてた。辛いなんてもの 「そうだね。あ、じゃあ一馬、あとで携帯入れてもいい?」 英士の声はカンフル剤みたいなものだった。どんなに気分が悪くても話し掛けられるともう、あっと 「いいよ。むしろ歓迎する。じゃ」 ちらりと送った視線。でも結人は着替えに夢中で気付かない。ほっとするよ。気付かれても困るし。 「じゃ、お先」 二人に向けた別れの挨拶。英士は『じゃあね』と答えてくれたけど結人からは一言も返ってこなかっ
英士じゃないかという予感は確かにあった。ビンゴだった。 『一馬?』 「うん」 『今ね、駅に着いて家に向かってる途中なんだ』 「あ、そうなんだ? 俺はもうメシも食って部屋でゴロゴロしてるよ」 『夕飯、なんだったの?』 英士は、時折こんな風にしてなんでもないようなことひどく真剣な声色で尋ねてくるときがある。 でも俺は嬉しかった。なんでもないことだけどそれを知りたがってくれていることが愛のバロメータ 「鳥から。それとなめこの味噌汁とブロッコリーのサラダ。なんか色々煮た物も出たけどそれはあん 『んーどうしようか考え中。なんかちょっと食べ過ぎたみたいなんだよね、そんなに腹が減ったって 「でも英士ってそう言いながらいつもちゃんとご飯食べちゃってるよね。よく食うわりには太らない 『当たり前でしょ、食べ過ぎてるわけじゃないんだから。それに結人や一馬とちがって俺は滅多に菓 カバンを漁れば必ず菓子の出てくる俺達とちがって、『食べる?』と勧めても遠慮することの多い、 菓子を乗せた机を取り囲んで、『あたしまた体重増えたんだよぉ、もうどぅしようっ』なんて騒ぎつ 「あのさ、そうは言うけど俺達だって運動量は多いよ? 食った分はきちんと消費してると思うけど 『好き嫌いしてきちんと食べないからなんじゃないの? 見てると皿に何品か必ず残してるものある お前は俺の母親かよ、と思わず言ってやりそうになったその時、英士が急に笑い出した。 「……なにがそんなに可笑しいんだよ」 『だって一馬、なんで俺達こんな話してるのさ』 俺が知るかよ。 『ねえ、せっかく繋がってるんだよ? もっと有効に使おうよ』 「そ、…………」 そんなこと言って誰が始めた話だよ、言いそうになった言葉を瞬時に飲み込んで『うん』と首を頷け 「家に、もう着いちゃう?」 多分もうそんなに話していられる時間は残っていないと思う。英士が家に着くのはあと少しな気もす 『んー、まだかかるかな』 「え、だって英士んちって駅から十分もかからないだろ? 俺達もうそれくらいは話してるぜ?」 『うんそうなんだけど、でもほんとにまだ着かないよ?』 どういうことだ? まさか英士のやつ足を止めて立ち話してんのか? 「なんか状況に納得がいかないんだけど?」 『実はね、途中で遠回りになる道を選んだんだ』 なんでもないことのようにさらりと英士は言った。俺はもちろん耳を疑ったさ。 だけど『どうして?』とは聞き返さなかった。 わざわざ遠回りしてまで得たかったものはなんなのか。英士の口から聞かされなくたってわかる。有 「……えっと、その……」 嬉しいのだけれどここで一発決まるはずの肝心な言葉が出てこない。ありがとうって言うべきなのか 『うん、嬉しい?』 時間は刻一刻と進むものだということをついさっき改めて頭に叩き込んだはずなのに、この状況の中 『一馬?』 問い掛けられた言葉への返事を催促されてるんだと思う。だってまるでこの間は……待機しているみ 『ねえ、嬉しい?』 「……」 『か・ず・ま。嬉しい?』 「…………す、少しはね……」 『少しなの?』 「なんだよ、文句あんの?」 『文句はないけど……物足りないかな?』 嬉しさ半分、恥かしさ半分。気持ちをストレートに出せる英士を羨ましく思いつつも、甘い囁きに流 『うーん……そんなに贅沢なこと言ってるかな?』 「俺は遠回りしてくれなんて頼んだ覚えないよ。英士が勝手に遠回りしただけのハナシだろ。なのに 『うーん、まあそうなんだけど、でもやっぱりここで喜んでくれると嬉しいんだけど、どう? たま 「ばーか」 『一馬、冷たい……もしかしてもう愛、ないの?』 だから!! 俺は俺はお前ほどあけすけじゃないの!! ほんっと勘弁して。聞かされてるこっちが恥かしくなる 『ねえ、愛、もうないの?』 「もう黙れよ英士。お前超絶恥かしいよ?」 『だって愛を確かめなくちゃいられないくらい今日の俺は不安なんだ』 「は? 急になんだよ」 英士の話はよくこんな風にして飛ぶことがある。だから珍しいことではないのだが、今のはちょっと 「なんだよ英士、悩みあんだったら聞いてやろうか? 俺じゃたいした力にもなれないだろうけど話 『ありがとう』 「よせよ、礼なんていらないって。それより早く言っちゃってすっきりしちゃいなって」 『うん。あのさ』 うんうん。 俺はこのときかなり得意気になっていた。だっていつもと立場が逆なんだもんよ。相談に乗ってもら ところがだ。携帯の口から吐かれてきたセリフは耳を疑うものだった。 は? なに、なんだって? もう一度おっしゃってみてくださいな? 『うんだからね、一馬今日元気がなかったでしょ、一馬こそ悩みがあるんだったら一人で悩んでない さあ英士、お前の悩みは俺が受け止めてやる、ドーンと来いっ。……って内心でふんぞり返って待っ あー……それにしても儚い夢だった。結局はこういうオチに落ち着くわけか……。 『一馬さ、ホントは用事なんてなかったんでしょ?』 ……やっぱばれてたか。だからあそこですんなり引き下がったんだな。 『嘘をついてまで一人で帰った理由を聞きたいんだけど、吐いてくれるかな』 その言い方は優しいけれど強い意志がはっきりと見えている。吐いてくれるかなとお伺いは立てては うーん、……さあどうしたものか。英士は粘る気満々だけど俺にだってプライドがある。結人にむか だけど……。 『いいよ、じゃあ我慢比べだね。あ、でも分がいいのは俺の方だよ。一馬はプレッシャーに弱いから ……一筋縄でいかない上にしたたかな性格の英士が相手じゃほとんど勝ち目はない。お互いに相手の 「英士ってさ、けっこう意地が悪いよね」 『一馬、それは誤解だよ。一馬がなんだかまた悩んでいるっぽいからちからになろうとしているんじ 「ムリヤリ聞き出すことがその第一歩かよ」 『だって一馬自分から相談してこないんだもん。意地っ張りなのはわかってるけどあんまり元気ない 臆面もなく言ってのけられる英士に勝てるわけがないのだ。聞いてるこっちが恥かしいよ。それ以上 『で、一馬はまだ頑張る気なの?』 「早めにケリがつくってケチつけられたからもう頑張るのはヤメた」 『うん、賢明だね』 むかつく。なんなんだよその余裕は。そっちで勝手にほっとけなくなったくせになんで態度がでかい 『で?』 「……………」 『かなり深刻みたいだね』 英士の勘は侮れない。他人の心を読める能力でも備わっているんじゃないかって疑いたくなるほどこ 例えばケンカしたとき、謝りたいと思ってもなかなか踏ん切りがつかなくてうじうじしてるときは、 それだけ勘がいいんだから気を遣ってくれたっていいのに、そういう気はまったくないんだから参る 『かなり言いづらそうだね、結人だけじゃなくて俺も関係してるんだ?』 「…………」 参った、俺ってそんなにわかりやすい態度とってるんだ……。あー……でも今日のは少し露骨なとこ 『俺、なにかした?』 「……や、英士はべつに……」 なにかをしたのは結人。英士は悪くない。だけど結人にだって他意はなかったはず。誰にも非はない。 やっぱりうまくコントロールなんてできない。不器用なのは、自他共に認めるところだ。単純けっこ 「そうだよ、お前が能天気に構ってやってたから面白くなかったんだよ」 『ちょっと待って、話がよく見えてこないんだけど。いつ、どこでなにをしたのかもっときっちりと 「お前は俺と違って頭の回転速いんだから今日一日の行いを思い返してみろよ」 『えっと、それは朝起きてから別れるとこまでってこと?』 「ばか、練習で顔を合わせたとこからでいいんだよ」 『えっ、俺、なにをやったんだろ……?』 珍しく動揺しているらしい声に、少しは気分も晴れ、ざまあみろと悪態をついた。いつも俺ばっかが 『ごめん、心当たりがない。教えてくれないかな』 「ギブアップすんの早いよ、もう少し真剣に考えろよ」 『いや、でも俺としては一刻でも早く一馬の機嫌を直したいんだけど。本当に心当たりがないんだ。 「バーカ」 『一馬』 「情けない声出すなよ」 そうそう聞けるものじゃあない。振り回せたんだと思うと可笑しかった。 『一馬』 「違う。ゴメン。誰も悪くない。俺が勝手にむかついてただけ」 『でもお前をむかつかせるなにかを俺はしたんだろ?』 「だから。勝手にむかついたんだって。英士は悪くないよ。だから気にする必要はないよ、忘れて」 英士、焦ってくれたからもういい。気は済んだ。謝って欲しかったわけじゃなし、俺の機嫌を早く直 『そうはいかないよ』 「いんだって。お前の愛はしかと受け取った。だからいんだよ」 『よくないよ。ねえ、俺はなにをしたの? すごく気になるよ』 英士の必死さに、愛しさが沸いた。同時に迷いもした。ああもういっそ正直に言ってしまおうか。な 『一馬? ねぇ、かず……』 「英士さ、結人から貰ったじゃん?」 『え、貰ったってなにを?』 「ストラップ」 『スト……ああ、あれか。うん。貰ったね』 「喜んだよね?」 『うん、かなり嬉しかったからね……ってちょっと待って! まさかそれが原……』 「バカ、違うよ。英士が礼を言ったあとお前らふたり少しのあいだじゃれ合ってたじゃん、そんとき 今してるストラップが切れたって言ってたから似合うやつをずっと、俺だって探していた。だけどど ストラップのことで話が弾む二人の会話に、俺の入り込める隙はなかった。笑って会話に加わる気も ささくれだつ気分をじっと抑えて楽しげな声を聞かなきゃならなかったあの空間はまさに地獄だった。 そんな俺の前であいつは英士にべたべた触りまとわりついてただけじゃ足りなくなったのか、抱きつ ふざけていることは明白。疑うやましさはどちらにもありはしなくて、だけどそのあっけらかんとし たとえこっちがムキになってわめいたとしても英士と結人のことだ。真剣には耳を傾けなかっただろ あのとき、不愉快と感じたあのときにあの場ではっきりと騒いでしまえばよかった。そうすればこん 『えっと、それってあの……』 だけどいまさらなことは理解できてるつもりだ。勢いで言ってしまったけど今さらぐちぐち言うつも 気は晴れるだろうけど格好のいいものではない。みっともないと思う。情けない姿を晒すようなもの 勢いに乗って拗ねてた原因を白状したとはいえ、男としての器量、面目を下げるようなバカな真似ま 『……それってさ』 「ストップ。余計なことは言うなよ英士。俺の元気のなかった原因は吐いてやるがいまさらあれこれ 『それってはっきり言わなければいいってことだよね?』 「いいから黙ってろよ」 ストレートな物言いが多いだけに釘を刺したのだけれど効力の程はかなり不安ではある。実際聞こえ 鈍いと言われることの多い俺だってすぐピンときた。幸か不幸か性格も知り尽くしている。舞い上が とにかく好き勝手に喋らせないことだ。 顔がにやけていようが電話の向こうにいる限りその面を拝むことにはならない。声が弾んでいようが とにかく、聞かされたこっちが赤面してしまうような小っ恥かしいセリフを喋らせなければいい。そ とにかくこのハナシはもうこれでおしまいにしたいのだ。恥かしいのに拗ねてた理由をきっちりと白 とにかく! とにかくとにかくこれでもうこのハナシはおしまい!! 俺からはもう言うことはない! 『えっと……』 「うるさいっ。英士のお望みどおりこっちは吐いたんだから気は済んだだろ」 『うん。それは済んだ。でも、あれだよ? その、俺の感想聞は聞いてくれないの?』 「そんなの聞きたくないね。いいか喋ったら約束どおり即絶交するからな」 冗談じゃねえ。耳を塞ぎたくなるようなセリフを、こっちは聞いていられる心境じゃないんだよ。 『約束って、でもそれは一馬が一方的に言っているだけで俺は約束した覚えないんだけど?』 「ふざけんなばかっ。お前の言いそうなことなんて簡単に予想がつくんだよっ。あんな小っ恥かしい 『でも俺は恥かしくないし』 「俺は恥かしいのっ」 『ほんと一馬って照れ屋さんだよね』 うっがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! 「黙れって言ったの忘れたのかよ!?」 『うーん、今顔が見れないのがすっごく残念に思うよ』 「だから人のハナシを聞けって!」 『あ、一馬今すっごく顔が熱いでしょ? あー俺けっこう真っ赤になった一馬の顔って好きなのにホ 「英士っ!!」 やめろ、やめて。お願いだからもうなにも言わないで。勘弁してくれ……! 「お前、絶交されたいんだな? それ覚悟して今喋ってんだな?」 『かもしれない』 ア゛ーーーーーーーーーーーーーーっ!! 楽しげなトーンに、ぞわぞわっと悪寒が襲った。 絶交って言ったのに、突きつけたのに、なんで効かない!? 『だって絶交と今の気分秤にかけたら、やっぱりこの晴れやかな気分を語りたいよ』 勝手に天秤にかけるなよ、語りたいのだってそりゃお前の単なる我侭。頼むから俺の意見も汲んでく 『なんていうか口笛でも吹いて町内一周したい気分だよ』 「……行けば? 行きたいんだったら行きなよ。ていうかそれで落ち着くって言うんだったらむしろ 『ひどいな一馬』 「……るさいよ」 『でもさ、一馬には悪いけどこのストラップ大切にさせてもらうよ。あ、誤解しないで? 結人がく かあっと、それまでも熱かった顔にさらに火が灯った。どうやら絶交という言葉は釘にならなかった ……くそ。まさに踏んだり蹴ったりだ。 『ねえ一馬』 「あ? なんだよ」
無意識に返答してことを悔いた俺は、慌てて口元を押さえた。
『好きだよ』
躊躇いもなく囁かれて、躯のうちからとろけてくるような熱さを覚えながら携帯の電源に指を押し当 絶交と一言も言えないまま、だけど心臓が止まりそうでこれ以上は耐えられないと判断したのだ。 「……あのバカ……」 恥かしげもなくよくも平然と言えるものだ。
「…………」
どうしよう。マジでなんか溶けてきてるみたいだ……。どうしよう……。くそ、英士は約束を破った
「あぁ……もうチクショー……」
踊る心が抑えられない。 地に足がつかないのは俺もだ。
Jealousyでなくて嫉妬。 一馬にJealousyは似合わないと思う有島の脳はイカレテますか? で。英士。いい具合に壊れてくれました。やぁいいなあ。嫉妬も吹っ飛ばす甘い言葉っすか。 眠れないか、そうか。 ひとりで、とりあえず頑張ってくれよ一馬。 頑張らないと英士がひとりで頑張っちゃうからさ。 |