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 転がるワインの瓶をひとつ無造作に手にして、ベッドに深くその身を沈めて眠るデヴィッドまで近づいたカイは、彼の躯に触れない距離というものを瞬時に測ってそのベッドの縁に腰を下ろした。
 軋んだ音に心が揺れたが肝心の彼は眠りについたまま。
 それが現実。
 今のこの状態が真実。
 そんなことを思い、彼の手はそっとデヴィッドの髪へと伸ばされていく。
 触れることでデヴィッドが今はここに居るのだと自分に教えるの為だけの行為。
 それでも。
 こうして幻などではなく実体があるのだとわかることで得られるものがある。
 安堵。
 そして『怒り』。特に怒りは先を見据えていくのに糧となっていると言ってもいい。さしずめ空気といったところか。今の自分が『今』を生きる為には不可欠なものだ。
 自分が『今』を生きていく上で生命を維持しているものはなにか。
 それを考えるとき常に答えとしてあがるものは二つ。
 過去と現在。
 懐かしいだけではない、むしろ忘れてしまいたくなるほどの痛みを生み続ける『過去』。
 そして決着をつけなくてはならないと、ただ戦うことだけを糧としているような『現在』。
 『今』のカイの生には未来なんてものはなく、過去から続く痛みに塗られただけの現在しか存在しない中で彼は生きているのだ。
 そんな彼の歩む道の前には必ず先を進む人の背がある。
 デヴィッドである。彼はカイにとって『今』もなおカイの前を進む人なのだ。

 「それなのになんてザマだよ…。あんたの横に立てることが夢なんだからさ、あんまり簡単にぶっ壊さないでくれよ。あんたはオレが大切な者を失くした日、近くで戦ってた人間の一人なんだぜ」

 だから今がどんな状態にあろうと決して無関係なんかじゃないんだと、眠る彼にカイは届かないことなど承知でまだ一切をあきらめていないことを声に出して告げていた。
 こみ上げて来る想いをひっそりと胸のうちにしまっておくのが、カイは昔から苦手なのだ。
 それに独り言みたいなものになるのは最初から承知の上だし、好き勝手語りたいカイからすればこの状況であることはむしろ好都合なことだった。
 依然としてカイの手はデヴィッドの髪に触れたままだし、こんなところで目なんか覚められてもなんて言い訳をして誤魔化せばいいのやら、かえって困るのだ。

 「――……デヴィッド…たしかに今のあんたは酒に酔い現実から逃げようとしている。でももがいているようにも見えるぜあんた……」
 
 あんたが自分のその足で立つのを辞めてしまうほどにあんたを支えていたものも折れてしまったのだろう。

 「だけど……」だけどオレはまだ打ちのめされてなんかいないのだとカイは髪に触れていない方の、縁に置いたあった手で拳を握った。

 「あんたに縋るつもりなんてないないけど、あんたの今の生き方だってオレは認めちゃいねんだ。こんなカッコ悪い姿のあんたなんかもう見たくねえよ」

 あんたはこれまでなんの為に戦っていたんだよ。
 赤い盾だけが全てだったのかよ?
 組織の人間である前にあんた個人の理由ってのはなかったのかよ?

 「教えてくれよ…デヴィッド…」

 『今』のカイにとっての生きる糧は全てに過去が関わっていると言っても大袈裟なんかではない。
 そんなカイにとってデヴィッドという人間の存在もまた糧に近い場所に居る者だ。
 だから今もまだ戦うことを続けているカイにすればデヴィッドという存在は無視が出来ない。

 あの頃はたいした力もなくまともに戦っていたとも言えない自分の近くに居たのは誰なのか。
 そんな自分を邪険にし、邪魔だとも言ったのは誰だったのか。
 役にも立たない自分が後を追い、見続けることになった背中。それは誰のものであったか。

 「あんただデヴィッド…常にあんたの背中が浮かぶってのにそのあんたがこんななんて…オレを絶望させんなよ…」

 崩れそうなんてのはカイにとっても常なことだ。
 支えなんてのはあるのかないのか。カイもわかってはいない。
 なにせ父親も殺されて居ないし弟も失っていてもう居ない。
 血の繋がりはなかったが、一人だけ家族と呼べる人間が残っているはずだが生憎と今現在その者の消息は不明。
 血の繋がりがある近しい人間はもうこの世には居ないのだと、失った家族を想うとき、自分は独りきりになったのだとカイは寂しさに襲われ無意識のうちに自分を抱きしめることがある。

 「失ったのは…あんただけじゃねえだろ。オレだって…大切なもん失くしてるけど…まだ諦めずに追い続けてるぜ。なあ、あんたもまだ諦めるなよ…」

 髪以外に触れる勇気を持たないカイは、瞼を落としたままのその少し痩せたかに思える輪郭を目だけで辿り、息吹を感じられるだろう近さまでを計算してそおっと顔を寄せていく。

 眠っているのを承知で、だけど無性にまだ彼に語りたくて、だからカイは溢れてくる言葉を紡いだ。

 この一年でオレは随分と変わった。
 あんたはそんなオレをちゃんと見ていてくれているのか?
 背も伸びた。
 覚悟ってのも出来たぜ。
 あと、悲しいときでもそういう気持ちを昔みたいにほいほいとは顔に出さなくなった。
 胸にしまうってことを覚えたよ。
 堪えるのが上手くなったからか泣かなくもなった。
 つか、泣きたくなるときくらいまだあるけど、なんでか涙が出てこなくなったんだ。
 あれは不思議だよ。マジで枯れちまったのかな。
 泣きてえのに肝心な涙が出てこねぇってなんかバランス悪いよな。
 けど、幸いと言えば幸いか。
 だってほら、泣くと引き摺るからさ…。今は凹んでる時間があるんだったらほかのことに使いたいから…。

 ――デヴィッド…あんたに置いていかれてたあの日々がなんだか懐かしいよ…。
 夢にもよく見るんだぜ。

 ――なあ…頼むから…まだ諦めたりなんかしないでくれよ…。
 オレはケリをつけたいんだよ。オレから大切なもんを奪っていきやがったヤツらの企みってのをぶっ壊し一切を終わらせたいんだ。そして帰りたい。生まれ育ったあの地へ。どこに居ても沖縄の風が、光が懐かしくなるんだ。あの地で生きていきたい…。だけどその為には進む先に光の見えないオレのこの世界をぶっ壊さなきゃならない。

 あんただってまだ目的を果たしちゃいないだろう?

 ――…なあ…立ち止まるのはもうおしまいにしよう…頼むよデヴィッド。


 こんな風にして、デヴィッドからの返答がないことを承知で彼に頼むのはもう何度目になるであろう。
 酒に溺れ戦うことから目を逸らし続けているこの男が、それでも今なおカイの前で背を向けたその姿が色褪せないから、今ではろくに会話もしなくなったというのにカイには無視が出来ない。
 生きている間は癒えることのない痛みを抱える自分をここまで気を揉ませるのはきっと彼だけだと、最近では特別な思いを滲ませてしまうこともある。そんな存在だから彼の名を口にしたくなるのだと、この一年心を苦しめながら自分なりに出したこの結論はどこか間違っているだろうか。

 「――…デヴィッド…」

 今やその名を口にするだけで胸が詰まるようになると言うのに――。
 この夜更けにもまたその名を口にしに来た自分の中には消えぬ姿として存在し続ける彼。
 デヴィッドが口にする酒の量が増えるのに合わせてカイもまたその名を呼ぶ回数を増やしている。
 お前の背がオレをここに呼ぶのだと、胸に疼く想いもまた気づいてはもらえぬと承知して、シーツに顔を埋めたのちにカイは眠るその人に再び、こうも告げる。
 

 
 昔のあんたはカッコ良かった。
 早く目を覚ませよ。
 オレの記憶はまだ全然褪せてはいないんだ。
 こんなところで立ち止まってんなよ。
 覚悟なら決めたぞ。だから以前とは違う。
 頭を使って戦うことも覚えた。
 もう待っているだけでなくこの手と足は戦いに使えるようになった。
 だからデヴィッド――…。


 「…だから、」


 顔を上げるやすぐカイの目がこの部屋の窓を捕らえた。
 木製の窓枠の中の向こうはまだそのほとんどが暗い。でも左手側の空は濃い藍を見せ、ほんのりと明るくなってきている。

 眠りにつくデヴィッドの傍らで、彼の躯のどこか一部に触れながら、この部屋の窓から近づく夜明けを見たのはこれで何度目だろうか。

 刻一刻と空はその色を変え、藍が薄まれば今度は地上が、靄がかかった緑みを帯びた灰色に染まるであろう。


 眠れずに過ごした夜はカイの躯にわずかな肩こりと疲れを残し、カイにようやく、躯を休ませる為にもそろそろベッドに潜ろうという気が起きてくる。

 今日も晴れるだろうからここを出るときにはカーテンを引いてやって、あと数時間デヴィッドがまだ寝ていられるよう部屋を暗くしていってやろう。そんなことを考えながらカイは視線を再びデヴィッドへと戻す。

 ――デヴィッド。眠れない夜でも必ずこうして明けるんだぜ。


 ――……お前の暗い、辛気臭い面はもう見飽きた。
 ――…お前の晴れやかな顔ってのがそろそろ見たいんだけど……。
 
 笑えなんて言やあしねえよ。
 しかめっ面でもいいよ。
 不快そうにしか見えねえけどそれが普通だって言うんなら難しい顔をしてたって構やしない。

 ――…ただ、もう恋しいんだ。
 先を見て前へと進むあんたの背中が、オレは恋しいんだ……。

 

 

 


END
(06.09.04)

 


 

これはたしか、例のデヴィカイの回を見てすぐに書き上げたやつです。
なんてぇの? 一年後になったら素敵に成長したカイにキュンとなったせいっての?
それか、しょぼくれたオヤジにキュピ〜ンってなったのが原因だったかな?

なんにせよ、それまではオヤジ萌えだったのが、デヴィカイへと突入したのが例の一年後の回でしたよ。

やぁ〜、男の子の成長ってほんと目が離せないよなぁ〜。しかも異国の地ですよ!!
この一年、人様の目に触れられないところであの二人になにがあったのか!?
BLOODはもとからオヤジと坊主の物語だったんじゃないのかってなくらい、偏った見方しか出来なくなりましたから。
ええ、どうせ私は腐った女です。
勝手な講釈大好きですよ。
つか、デヴィッドが好きでたまりません。
だって昔好きで好きで追っかけてたボゥイ様に似てんだもん!
アンテナにびびって引っ掛かりましてよ。

はい。
リクを失った以降のカイも理想です。
いいなぁ。
なんていうか、足掻く人生まっしぐらな少年にはくらりとくるのです。

18歳だっけいまカイは。

二十歳前ってのが美味しいのよね。うん。
今はなんだかデヴィジュリの構図があるとむきぃ〜になっちゃうくらい、デヴィッドの傍に立たせたくて仕方ないくらい可愛くてたまらんのです。

つか、デヴィッドに振り回されるカイが好きです。