<母犬と出産>

成熟→発情→交配→出産と、チャートを書けばごく自然(本能)のプロセスです。ですから出産後の育児でさえ「本能」が司り、同時期に近くに他の仔犬がいれば我が子との区別が出来ない母犬もいます。逆に帝王切開での出産では、子育てを放棄する母犬もいます。ですから飼い主が管理しなければ、いくら警戒心が強く好き嫌いが激しい女の子であっても、発情期に相性の合う相手がいると他犬種との交雑や、要注意(因子・先天性疾患)の相手でも交配に至ってしまうこともあります。また、母犬が自分だけで出産をした場合に、気性の荒い犬種や性格によっては死産や未熟児を自分で処理をしてしまうことすらあります。それは巣穴を汚さないため(感染症予防)や、匂いによって他の動物を呼ばないようにするためだそうです。それほど本能とは恐ろしく強い「意志」のプログラムなのです。

使役や愛玩用に特別に作出された犬は、犬種特性や個体差によって出産に帝王切開や、ある程度の介助を必要とすることも多くみられます。個体差には骨盤の形成及び大きさ等の外科的問題と、体質的(微弱陣痛や出産に対する各抵抗力)によっても対処法や処置法もさまざまです。出産が近づけば医師の診断を受けて、その指導とおりに出産の準備を行います。でも、安産で一般的な処置法でよければいいのですが、突発的に緊急を要する危険(母子ともに)が発生する場合もないわけではありません。生物としての最も重要で、危険を伴う事業ですから当然です。ダックスのように体形的に特異性があり、多産系(胎内の個体差のバラツキ)であればより危険率も高くなります。飼い主が出産を決めるときにはこの危険も覚悟しなければなりません。

母犬の行動を観察して思うことなのですが、愛情とはなにかを人間の行動意識とトレースして比較すると、考えさせられる点が数々見えてきます。介助する人間から我が子を取り返そうと悲壮な声を出す母犬。無心に乳を与えて、トイレ処理をする行動。すべて人間の目から見れば愛情がさせることのようにうつります。「愛情とはなにか?」を解析するにあたり、本能で行動する母犬からおぼろげながらも知ることができます。それは「独占欲」であり、「自己愛」でもある各本能が基本となった意識なのです。人間も犬も「母性本能」はそれらが基礎となって、人間の場合には知性と倫理等が加わりより高等な「母性」が発揮され、本能のみで行動する犬はシンプルな「種の保存」としての「母性」だけにとどまるのです。どちらの「母性」であっても、私にすればその「神々しさ」に圧倒されるばかりですが・・・

「愛犬の子が欲しい」、「この子の子供が見たい」、「この子のために一度は出産を経験させたい」などなど、愛犬に愛情が深ければその衝動にかられるのはしかたのないことだと思います。「血統が!」とか、「興味本位で!」などと否定することは他人にはできないことです。それに現在純血種となっている犬たちも闘犬や愛玩のためだけに作出され、なかには人間がケアしなければ生きていけないような「種」もいることも事実です。古代からお互いの共栄関係が一致して、共存のシステムを構築した時から犬たちは人間の勝手な(人為的な移動による自然交配もあります)都合で姿を変えてきたのです。人工的だからこそ人間がより愛情を注げたり、可愛がったり大切にするのかもしれませんが、その犬たちには幸せでもあり不幸かもしれませんね。

出産には危険がともなうことももちろんですが、貴方の愛犬は「本能」ですべてのプロセスをこなしてしまうことを覚えておいてください。飼い主が、介助や処置の方法を学ぶことももちろんですが、最も重要なことは愛犬が「出産そのものを選べない」ことです。それは交配相手の問題や、出産環境などだけではなく、出産に関するすべてのファクターを選べないということです。我が子が年頃になり、お見合いで結婚相手を選ぶときに紹介者の口上や、その人の経歴を「問合せ」する慎重さが、愛犬の相手にも必要だということです。貴方が仲人であり、かつ、親であらねばならないのです。不幸な「命」を創らないために・・・

家庭犬の場合には狼の群れのシステムとは違い、「代理母」の気質や集団としての意識も薄く、仔犬も大きくなれば我が子であっても他の犬とかわらない関係となってしまうのです。それは飼い主が描いている夢の状態ではなくて、独立した犬としての「相性と葛藤」というドライな関係でしかありません。愛犬の子だからといって、誕生した子は外見も気質も全く別の犬なのです。「似ている」と「同じ」は根本的に違います。貴方がこよなく愛する子はその子だけで、後にも先にもどんな方法を使ってもいないのです。たとえこの先クローン技術が進歩しても、脳細胞に貴方と愛犬の過ごしてきた全ての記憶を欠損無くインストールできる日までは「完全転生」とはいえないのです。

同じ生き物のとして、神秘的な生命の誕生に関わることは、「命」の尊さという普段は気づかずにいるテーマを心深く刻んでくれるチャンスではあります。貴方が「命」という重責に責任をもてるなら、それを経験するのも無駄にならないでしょう。でも、少しでも不安や打算など、心にやましいところがあるなら決してお勧めは致しません。愛犬の身体が傷つくかもしれませんし、貴方自身の心も傷ついて取り返しのつかない後悔しか残らないからです。

もう一度、貴方を見つめる愛犬の顔を見て、そして貴方の心の声を確かめてから決断して下さい。

その「命」の創造主は貴方なのですから・・・


次回は、<ワンコとワンコ>の予定です。

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