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アングロ・サクソン族の移住

(英語の歴史2)

ブリタニアのローマ属州化

シーザー来襲

ケルト人たちが暮らすブリタニア(現在のグレートブリテン島の中・南部:現在のイングランドとウェールズに重なる)に、紀元前55年と54年の両年にわたり、ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー;Julius Caesar)がやって来た。

彼は、ケルト人と戦っている。シーザーには『ガリア戦記』の著作があり、ケルト人たちのことも書かれている。

ご存知のように、シーザーは、ルビコン川を渡るため(有名な「サイは振られた」の言葉を残す)にローマに帰っていく。

サイは振られた・・・サイは投げられた;The die is cast.(英語) Alea jacta est.(ラテン語)

ローマの属州に

ハドリアヌスの城壁 紀元後43年には、ローマ皇帝Claudius(クラウディウス;クローディアス)が、4万の軍を率いて征服にやってくる。

ブリテン島の南部と中部は、ローマの支配下に入り、その属州になってしまう。住民は、もちろんケルト語を話しただろうが、駐在ローマ人やケルトの支配階級は、ローマ帝国の言葉のラテン語を使った。

現在のスコットランド(当時のローマ帝国では、カレドニアと呼称)に追いやられていたケルト人は、ローマの支配下には入らず、しばしばローマ支配下のブリタニアを襲ってきた。

ローマ人は、この北方民族の侵入を防ぐため全長120kmの城壁を築いた。これが、ハドリアヌスの城壁(Hadrian's Wall)である。

ローマ人帰国

『すべての道はローマに通ず』。“All roads lead to Rome.”私が勝手に言っている Rome 3大ことわざの一つ。このことわざのように、ブリタニアにおいても、ローマ人たちは道路を整備した。

しかしそのローマ人たちも、410年に本国に引き上げてしまう。4世紀末にゲルマン民族の大移動が始まり、395年には、ローマ帝国が東西に分裂してしまうのだ。本国の援護なしに、少数のローマ人だけで多数の住民を支配し続けるのは、困難になったのだろう。

ゲルマン民族のイングランド移住

ジュート族、ケント、ワイト島へ

ゲルマン人によるイングランド征服

ローマ駐屯兵やローマ人が去ってしまうと、カレドニア(スコットランド高地地方)にいた住民たちも、ブリタニアに浸入しやすくなる。寓話化された伝承によると、もとローマ支配下のケルト族は、侵入して来るカレドニアのケルト族と対抗するために、大陸のユトランド半島に住むジュート族に援助を求めた。このジュート族はゲルマン人である。

ユトランド半島は、現在のデンマークにある。Jutes(ジュート族)の住む土地だから、Jutes' Land → Jutland(ジュートランド)。yet の発音記号は[jet]である。これからもわかるように、ヨーロッパの多くの国では、[j]は[や・ゆ・よ]の発音になる。Jutland(ジュートランド→ユトランド)。

ジュート族は、ケント(Kent:ドーヴァーやカンタベリのあるところ)とワイト島(Wight)に上陸した。449年のことではないかと言われている。

サクソン族は、南部へ

ユトランド半島が始まる西の部分で、エルベ(Elbe)川が海に流れ込んでいる。このエルベ川と西のライン川の間の地域には、ジュート族に近いサクソン(Saxons)族が暮らしていた。現在のドイツ、ザクセン地方と重なる。

ヨーロッパ大陸では、フン族が西から移動してきたため、これに押されて、ゲルマン民族の大移動が始まっていた(375年〜)。サクソン族もゲルマン人である。彼らの一部は、暮らしにくくなった故郷を捨て、海に乗り出しブリテン島に渡った。

サクソンというのは、「切ること」と関係がある語で、「刀を持って戦う戦士」という勇猛な姿が想像される。好戦的で強力な部族であったのかも知れない。サクソン族は、テムズ(Thames)川よりも南の地域に移った。

アングル族は、北部・中部に

ユトランド半島の付け根の部分には、これまた、ジュート族やサクソン族と祖先を同じくする部族のアングル族(Angles)が暮らしていた。

彼らの名前 Angle は、地名からきている。angle は、今日「角度」「かど」「魚釣りをする」という意味を持っているが、元々は、「曲がっているもの」という意味であったようだ。ここから、「いかり」や「釣り針」のように曲がっている物にも適用された。彼ら Angles の住んでいた地域の形が、ちょうどこの形に似ていたと想像される。現在でも、Angeln(アンゲルン)という土地があるそうだ。

彼らは、現在のイングランド北部から中部の地域に、多く入植した。

英語の歴史が始まった

アングロ・サクソン族の特徴

ゲルマン人は、3つの種族に大別される。それぞれ、大気の神・地の神・天の神を自分たちの守護神としてあがめていた。地の神を信奉する種族は、〔北海沿岸ゲルマン人〕と呼ばれ、北海沿岸の国々に広がっていた。この一部が、ジュート・アングル・サクソン族なのである。

ゲルマン人は、一般的に父系社会で、遊牧と農耕を半々で行いながら暮らしていた。家族は強く結びつき、君主に対する忠誠心も強力だった。戦闘用の斧を持ち、ちょうど日本の縄文土器のようなものを作っていた。

英国民の誕生

ジュート族は、数も少なく目立たなかったのだろう。現在イギリス国民の主流を、アングロ・サクソン族と呼んでいる。すぐにわかると思うが、アングル族とサクソン族のことである。

ブリトン島に以前からいたケルト人たちは、移住してきたゲルマン人たちを Saxons と呼んでいたらしいが、ゲルマン人は自分たちをエングリッシュ(Englisc)と呼んだらしい。Englisc は、Angles のことで、のちに English に変わる。英国民の誕生である。

そして、自分たちの住む土地は、Angles' land という意味の Englaland と名づけ、これが England に変わっていく。la の重複を避けたのだろう。

アングロ・サクソン七王国

アングロ・サクソン七王国

ブリテン島にいたケルト人や本国に帰らなかったローマ人のうち、ある者は追われ、ある者はアングロ・サクソンの支配下で暮らし始めた。このゲルマン社会のもと、やがてケルト語やラテン語は使われなくなり、ゲルマン人の言葉、古英語だけが人々の口から発せられるようになっていった。

ブリテン島に移住したゲルマン人たちは、7世紀の初めまでには、アングロ・サクソン七大国(Heptarchy)を築いていた。北からノーサンブリア(Northumbria)、マーシア(Mercia)、イーストアングリア(East Anglia)、ケント(Kent)、エセックス(Essex)、サセックス(Sussex)、ウェセックス(Wessex)である。

Northumbria の意味は、私には不明だが、イタリア中部にウンブリア(Umbria)という地名がある。ペルージアという都市があるところだ。「かさ」という意味の umbrella と同語源ならば、「陰」「暗い」に近い意味になるのではないだろうか。地形的にそうなのか。土壌が黒いのだろうか。それとも人間が……。とにかく、「北ウンブリア」ということだろう。Mercia の意味は、よく分からないが「中部王国」くらいか。East Anglia は、間違いなく「東アングル王国」。Kent は、ケルト語が残っている数少ない例で、「国境」の意味だという。ここはジュート族が最初に入った地だから、ジュート族が主な構成族ではないか。Essex は、East Saxon のことと考えられるので、「東サクソン王国」。Sussex は、South Saxon「南サクソン王国」。Wessex は、West Saxon「西サクソン王国」。

初め、ケントにあった政治・文化の中心は、7世紀からはノーサンブリア、8世紀からはマーシアに移った。9世紀からは、ウェセックスが中心となる。


【参考文献】
『図説英語史入門』An Illustrated History of English 大修館書店
中尾俊夫・寺島廸子著 ¥1,900+税 アマゾンへ
『講談英語の歴史』PHP新書 渡部昇一著 ¥660+税 アマゾンへ
『英語の歴史』講談社現代新書 中尾俊夫著 ¥660+税 アマゾンへ
“The American Heritage Dictionary of Indo-European Roots second edition” revised and edited by Calvert Watkins $20.00 アマゾンへ

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