まんがを読む楽しみ方は、勿論、様々にあるが、何と言っても一番はイッキ読み
だろう。コミックス20巻くらいの長篇を一晩で一気に読み通す。こういう楽しみ方は、他の
ジャンルでは多分出来まい。この『サンクチュアリ』は、ページ数にして2,500ページくらい、
B6判コミックスで全12巻である。気持ち短めだが、一晩楽しむには充分だ。
<いつまでもジイさんたちの時代じゃねえ! 日本の社会はオレたちふたりが仕切る>(My
First WIDE 版 第1巻の表紙の惹句より)<たった一人で極道――影の世界――をのしあがって
きた北条。そして、政界――光の世界――で代議士秘書を務める浅見。一見、対極に位置するかに見える
この二人が、長く変わることのなかった日本の政界へ殴り込みをかけた!! 平和大国日本を根底から覆す
彼らの夢、そして、固い絆で結ばれた二人に隠された過去とは……!? 今、まさに日本が変えられようとし
ている!! >(同じく第1巻のあらすじより)
痛快である。そして、思いの他、読みやすい。政治の世界――外交問題や国際情勢に就いての記述も
平易で、サクサク読める。さらに、極道の世界の描写が、これまた思いの他、綺麗なのだ。これは、
原作者とまんが家の資質に拠る処が大きいだろう。
政治問題に就いては、6年以上前に書かれた話とは思えない程、現在の政治状況と酷似している。
主人公のひとり、浅見が唱えるプロパガンダは<憲法改正>と<大統領(首相)公選制>だ。
浅見は言う。<「憲法改正も大統領公選も、国民が、自分が信じた一票を投じる……。国民一人一人の
意志が、この日本という国を動かす事になる……」「…しかしそれは両刃の剣だ……政治にズブの素人の
国民的な英雄、タレントが大統領になる可能性もある……」「…もしそうなら、それが日本国民の民度で
あり、“今の日本人”という事でしょう……」>そして、こう締めくくる。<「私達政治家自身が、改革、
進歩すると同時に国民自身も改革、進歩しなければいけないんです!!」>
憲法改正を国民投票に掛けたとしても、国民が軍備を肯定する結果に繋がるとは限らない! 国民は
そこまでバカじゃない! と訴える浅見の演説を、有事関連法案を審議中の現在、ことに、どこぞの官房
長官に聞かせたいものである。
そして極道の世界。人殺しも、暴力も、強姦も、日常の如く描かれながら、眼を背けたくなるような
悲惨さがないのだ。これはシナリオと、池上遼一の描写の巧みさに拠る処が大きいだろう。池上遼一の
描く男の拳には男気が宿り、女の裸体は限りなく美しい。
浅見の方の描写だが、ひとつ例をあげる。浅見が、秘書をしていた代議士の地盤を乗っ取り、その奥方に
別れの挨拶をする場面。「あなたに足をすくわれた時……その時のあの人の顔を見てみたかったわね。
……でもこれであの人も少しは長生きするでしょう。……私もフツーのオバァちゃんになれるわね。」
そして、彼女は「わざわざ来てくれてありがとう。」そう言って手を差し伸べる。その手は、握手の形では
なく、掌を上へ向けて差し出されるのだ。それを浅見の両手が上と下から優しく包み込む。こういう表現力
は、多分センスなのだが、しかし、普段から人間観察を心がけていなければ、出来ない芸当だろう。
人間観察の巧みさに就いて、後ふたつ述べて置きたい。ひとりは石原杏子。もうひとりは渡海である。
自分が赴任した六本木署の所轄にある暴力団の組長“北条”に反感を抱きながら、女である部分で哀しい位
惚れてしまった東大卒のエリート警視、石原。一方、自分の弟分の“北条”に頭を越され苛立つ根っからの
古いタイプの極道、渡海。ふたりの最初の出会いの場面に総てが集約されている。
何とか北条の弱みを握ろうと、渡海に取り引きを持ち掛けた石原に、渡海は言う。<
「ネエちゃんあんた、あいつに一発やって欲しいのにフラれたな……」>それは、石原
自身でさえ気付いていない、いや、まだ心の中に言葉として生まれてもいなかった、石原の北条への“思慕”
だった。そして、ふたりの次の出会いは、石原のおんなを曝け出さ
せて、哀しい。
渡海は、相楽連合の二代目総長を襲名した北条の足場を固める為、眼の上のタンコブである石原を襲い、
出頭する覚悟を決め、石原のマンションで対峙する。しかし、石原をベッドに押し倒した時、枕元に落ちて
来たのは、小さな額に入れられた北条の隠し撮りされた写真だった。慌ててそれを裏返し、両手で覆い隠す
石原杏子のおんなが哀しい。
石原の想いの行く末は本編を読んでもらうとして、渡海のおとこの
哀しみにも、少し触れて置こう。腕力だけが総てだった根っからの古いタイプの極道、渡海。しかし彼は
北条についてゆく内に変わり始めてもいた。が、やがて、自分の理解を超える北条の行動に苛立ちも隠せ
ない。そして、とうとう可愛さ余って憎さ百倍という行動に出る。「極道ってなァ糞よ……一番、大事な
ものォ、ブッ壊された気分をあいつにも味わわせてやりてェんだよ……」「めめしいのは百も承知だ!!
嗤いたきゃ嗤いやがれ!」そして浅見に銃を向ける。本当に撃ちたかったのか、それは判らない。多分、
その逡巡が、渡海を救う。その場に居合わせた浅見の恋人の有紀(カンフーの使い手?)に倒され、連行さ
れる渡海は有紀にこう言い残す。「ありがとうよ、ネェちゃん……」
このひと言に、渡海の思いの総てが込められている。
こうして物語は終局へ向けて加速する。ただ、ラストシーンを語る前に、ひとつだけ苦言を呈して置きた
い。それは、サブキャラの中に、現実の俳優や著名人の似顔を使ったキャラが何人かいるのだが、これは
少し興を削いでいる。(上手過ぎる故に、尚の事だった。)
そして迎えたラストシーン。それは限りなく美しい。
それまでの、血を血で洗うが如きストーリー展開の果てに、この静謐なラストシーンが佇んでいる。
もしかしたら、このシーンはかなり早い段階でイメージされていたのではないだろうか。それは、とても
美しく、心に沁みる。
(2002.06.03)
テキスト:My First WIDE ;2001.11.20〜12.20 初版発行;本体各571円