時間と空間を超えた恋……こういうテーマで書かせたら、ロバート・F・ヤングと清原なつのの
右に出る者はいない。+(プラス)コメディーとなったら、これはもう清原なつのの独壇場だ。
<ある朝目覚めたら、背中に翼が生えていた。>物語は、こうして始まる。けれど、翼が生えた当の
“モッ君”も、その朝いつものように迎えに来た“春野さん”も、父も、母も、学友も、教師も、妙に
冷静というか、平静というか、何だか自然に受け入れている。この辺りの感覚が、
実に清原なつのなのだ。
登校中に、いつも通りの会話を続ける“モッ君”と“春野さん”がいい。鈍感なダメ少年に恋して
しまった、《少女まんがの、クラスに必ずひとりはいる委員長タイプの》 “春野さん”
の、如何にもな台詞が、楽しい。「ガリ勉」「オチコボレ」と、
いつもの如く罵り合う、その掛け合いの最後に、
「毎日、勉強ばっかりしていられるのは、今だけなのよ。」
そう口にする“春野さん”の表情が、《今だけ》を、遠く過ぎてしまったぼくには、妙に心に沁みて困った。
そうして物語は、スラップスティックな(清原なつの的な(^^ゞ)展開を見せ、やがて、少年は、少女を
腕に抱いて、海へと翼を羽ばたかす。初夏の磯辺の海水に踝をぬらし、少女は、何か物問いたげに
語り出す。
「空のずーとむこうのある惑星では、冬がとっても長くてね、住民は何年も、じ――っと寒さに
耐えてるの。」
「SF小説かい?」少年の問いに、少女は微かに頬笑んで答える。
「でも、その代わりに、それはもう豪勢な夏が来るんですって。星中が花々で
うめつくされてね。」
少女の視線は何処か遠い……。(この辺りの設定は、ジョン・W・キャンベル『夜来る』ですね。)
と、そこへUFOが現れ、遥かカタニサンク星から迎えに来たと少年に言う。が、実は、10年前に
翼を残し「地球の夏にあこがれて家出したカタニサンクの第一王女は」“春野さん”だったのだ。
「私…帰ります。」
「行くな! 王女なんて、代りはいくらでも作れる。」(←本当か?)
抱きしめて叫ぶ少年に、「ごめんね」「ごめんね」と、言い続けて、少女はUFOに乗った。
そうして、お決まりの《記憶処理》をして、UFOは遥かカタニサンク星へと旅立ってゆく。「私の
地球での記憶も処理して下さい。」そう言う“春野さん”は、もう第一王女の顔をしていた。
それから、また、随分と年月が流れ……ふたりの再会の場面は、是非、コミックスでご覧あれ。
それは、とても美しく、胸に沁みる……。
(2002.07.29)
テキスト:「りぼんオリジナル」'84年夏の号/1984年7月20日発行、集英社、B5判、
430頁、定価280円。