水上澄子01
両手いっぱいのリリシズムを…
      ――水上澄子『樫の木物語』――

        (「なかよしデラックス」1979年4、5、7月号、213頁)

 久し振りに少女まんがを読んで泣いてしまった。

 この物語には、少女まんがが、確かに少女の為のものだった時代の、限りないリリシズムとエッセンスが いっぱいに詰っている。
 生まれながらに病弱な主人公。突然の父の死と、その今際の際で知らされる出生の秘密。優しかった 母の心変わり。逃げるように故郷を後にして、身を寄せた叔母の家でのひと時の安らぎ。しかし戦争が勃発 し――。一番の理解者だった長兄の戦死。初恋の少女を巡る次兄との確執。そして……。

 ぼくは密かに“泣きの三要素”と名付けているが、
      愛するものとの別離(人に限らない)
     弱者故の迫害(差別)
     (小)動物(物言わぬもの)

こうした要素で“泣かす”のは、案外容易い。

 愛する者との死別も、ここには、繰り返し語られている。弱者故の迫害も、また然り。けれど、そんな事 では泣けない。死を超えて尚、生きようとする魂が、涙腺を刺激する。

 幼き日、初恋の少女と共に、父から聞かされた“樫の木の伝説”。
   昔……
   たがいに愛しあっていた若者と娘がいたんだ。
   だが戦争は二人をひきさいてしまった。
   若者は、かならず帰ると約束して戦場へむかったが……
   戦争がおわっても若者はもどらず……
   やがて……
   娘はその身をかえてしまった。
   緑をたやすことなく、幾百年 千年を生きるという
   樫の木に……
「……今も娘は、ここでまちつづけているわけだ。そして、みのらなかった自分たちの恋のかわりに、 この木は願いをかなえてくれるという話だ……」
ほんとうに!」少女が瞳を輝かす。
「たぶん、これは、いつの時代も、幸福を願う人々がつくりだした話だろうけど、人が生きていくには、 いろいろなことがあって…時には、心弱く、なにかを信じ、すがりたい時もあるものだから…」
 何処か遠くに眼をやり語る父に、少年はふと思う。<おとうさんは、願いをかけてかなったこと あるのかな。>

 それから幾たびか、樫の木の下で少女と過ごした淡い時間。樫の木に願いをかける必要もないかに思えた ふたりだったが、しかし、突然の父の死によって、少年と少女の足下に並んでいた轍の跡は、次第に 離れてゆく……
 繰り返すが、愛する者との死別が、この物語には幾たびも語られている。けれど、この物語の リリシズムが、単なる“泣かせ”のストーリーに終わらなかったのは、ヒロインの、そして、母も含めた 女性たちの、逞しさだ。

 長兄が戦場へ赴く前夜、共にピアニストを目差した恋人に
   「一度見たかったな、きみのステージ」
   「あたし……いつだって、あなた一人のためにひきたかったわ!
   あなたにだけ、きいてほしかったわ!

   「では…シャロン、戦争がおわって帰ってきたら、
   ぼくだけのピアニストになってくれる?」
その問いに、彼女はこう答えるのだ。
   「今なってほしいといって!

 そして長兄は、叔母の下に身を寄せる少年を訪ね、一通の手紙を手渡す。
「これはフェーブからだ。これで返事がなければ、もう書きません。めいわくなら 出しません。そういってたよ。」
 少年は、20歳までしか生きられないと知った日から、少女への想いを遠ざけてきたのだった。 部屋に戻り、少年が封を切ると、沈丁花が香った。
ウイリアム、この春一番に咲いた花です。春が、あなたに、とどいた かしら?

 それから、また年月が流れ、共に愛する者を喪ったフェーブにシャロンがこう語る。
フェーブ、サイラスがいつもそばにいる気がするの。ステージにたった時も、 作曲してる時も。生きていた頃のように、静かにほほえんできいてくれてるの。そう思っていれば、 幸福な気持ちでいられるものよ。
 そんなある日、樫の木が導いたかのように、死んだと知らされたウイリアムの消息が知れる。

 再会と、後の物語は、本書を読んで戴くとして、ここでもフェーブの逞しさが、心を遠ざける(“閉ざす” のではなく“遠ざける”)ウイリアムの魂を救ったのだと、書き添えておこう。生き残されたのではない。 生を超えて、生きた証しを刻む魂が温かい。

   「……あと何日、こうしていられるだろうね。」
   「でも、いまは、あたしのそばにいるわ。
   この日々がずっとつづきますようにと、
   あたし……樫の木に願いをかけたの。
   二度めになるけど、きっとかなえてくれるわ。

   「一度めの願いはかなった?」
   「ええ!
   「なにを願ったの?」
   「フフ! 秘密!

(2002.12.10)
テキスト:『樫の木物語』、講談社、1979年発行、第3刷(初版=1979.10.05)、KCなかよし、KCN-340、 コミックス判、紙カバー、218頁、定価350円、ISBN083409-2253(0)


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