古今東西あらゆる物語の、凡そ半分は《貴種流離譚》である、という話を
聞いた事がある。《貴種流離譚》とは何かと言うと、読んで字の如しで、高貴な生まれの人が、何らかの
事情で(ある時は自らの意思で、あるいは謀略の果てに、それとも運命の悪戯で)本来在るべき世界を離れ、
各地を流れさまよった末に、元いた世界に戻る・・・というような話だ。まんがでは無いが、『竹取物語』
等その典型である。
で、これは実に、かっての金髪碧眼無国籍な(いや、ヨーロッパ趣味のと言うべきか)少女まんがのある
種の典型だったのだ。例えば、西谷祥子『学生たちの道』等も、基本的なベースはビルドゥングスロマン=
成長小説でありながら、ヒロインの生い立ちにはこの《貴種流離譚》の味付け
が為されているのである。こうした例は、いがらしゆみこ等にも多く見られるし、後に、24年組が新しい
文法でまんがを描き始めるまで、少女まんがの魅力的な手法だったのだ。(とはいえ、勿論これは、
今でも少女まんがの文法足り得ているし、田村由美等、《貴種流離譚》の傑作を描いている。悪いとは
思わないし、僕は、結構好きな方だ。)そして僕は、水野英子『白いトロイカ』を、長い事、この系列の
作品だと思っていたのである。処が、今回久し振りに読み直してみると、何か少し、違う色合いを感じたの
だった。
まんがに限らず、小説でも映画でも、何年か経って読み直し(見直し)てみると、以前とは違った感想を
持ったり、以前は気が付かなかった新しい発見があったりするものだ。それは、まんがに対する自分の
感じ方、あるいは考え方の変化だったり、あるいはまた、自身の人生の経験の為せる技だったりして、
それはそれで、大変興味深い。
勿論、『白いトロイカ』にも、読み返す毎に、新たな出会いがあった。
けれど、ひとつだけ、幾たび『白いトロイカ』を読み返しても、同じ疑問が残ってしまっていた。それは、
「何故、○○は(これから読む人の為に伏字にした)死ななければならなかったのか?」という疑問だ。
その疑問を掘り下げてみて、今回初めて、ああそうだったのかと、気が付いた
事がある。
それは、例えば西谷祥子『学生たちの道』が単なる《貴種流離譚》趣味の
少女まんがでは無かったように、水野英子『白いトロイカ』も、そうでは無かったという事だ。
少し横道に逸れるが、僕にとって水野英子とは『ファイヤー!』であり、『ファイヤー!』
の前に水野英子無く、『ファイヤー!』の後に水野英子無し、という位、僕にとって水野英子とは
『ファイヤー!』だったのだ。(尤も、水野英子にとっても『ファイヤー!』で燃え尽きた
かなぁ〜という感じは在るのだが。)横道ついでに水野英子の思い出を少し語ろう。初めて水野英子を
読んだのは何だったか、今では思い出せないが、その頃、まだあまり少女まんがを読んでいなかった僕は、
多分、「COM」で、水野英子に出会ったのではなかったか。
当時「COM」には、矢代まさ子や竹宮惠子らの女流まんが家が描いていた。竹宮惠子もSFっぽい作品
で、どちらかと言えば、「COM」の女性達は、少女まんが家と言うよりは、女流まんが家と言う気が、
僕はしていた。そんな僕にとって、水野英子『白いトロイカ』は、実に少女まんが少女まんがした少女
まんがに思えたのだ。何しろ、正確に覚えていないが、『白いトロイカ』の単行本は、マーガレット
コミックスが今よりもっと白っぽい表紙にビニールカバーが掛かり、金の冠マークも鮮やかな“
代物”だったのだから。そんな訳で、水野英子『白いトロイカ』に、僕は
《貴種流離譚》趣味のレッテルを貼っていたのかも知れない。
話を戻すと、水野英子『白いトロイカ』は、勿論《貴種流離譚》の物語には
違いないが、先に述べた「何故、○○は死ななければならなかったのか?」という疑問の答として、
水野英子の、『ファイヤー!』へと続く一本の道が見えて来たのだ。それは、革命への思い
とでも言えばいいだろうか。
『ファイヤー!』には、60年から70年へと繋がっていった学生運動へのシンパシーが見て
取れる。あのムーブメントへの共感がひしひしと伝わってきた。それと、『白いトロイカ』のロシア革命で
の○○の死を結び付けるのは、もしかしたら、強引に過ぎるかも知れない。けれど、水野英子にとって、
革命の為に命を捧げる事は、恋の成就と等価値の事だった、と、
僕は、今になって思わずには居れないのだ。そう考えて初めて、彼の死が、納得出来たのだった。
あの場面で彼が死ぬ必然性は、未だに感じられないし、その死に拠って、彼女のその後の人生が好転した
とも思えない。勿論悪くはない。悪くはないが、あのストーリーでなければならなかった、かと言うと、
疑問も残るのだ。
しかし、それが、水野英子が選んだストーリーであり、そこに革命への思いを読み取るのは、
僕が選んだストーリーである。今は、それでいいのではないかと思い始めている。何年か先に、再びこの
本を手に取った時、水野英子『白いトロイカ』は、どんな世界を僕に拓いてくれるだろうか!
思えば、水野英子の物語に恋の成就の物語は、以外に少なかったよう
にも感じるのだが。
(2001.08.19)
テキスト:創美社コミックス(水野英子名作選);1994.2.23〜3.23初版発行;本体各971円