水野英子01
『白いトロイカ』(全2巻) (「週刊マーガレット」 '64・52号〜'65・34号)

 古今東西あらゆる物語の、凡そ半分は《貴種流離譚》である、という話を 聞いた事がある。《貴種流離譚》とは何かと言うと、読んで字の如しで、高貴な生まれの人が、何らかの 事情で(ある時は自らの意思で、あるいは謀略の果てに、それとも運命の悪戯で)本来在るべき世界を離れ、 各地を流れさまよった末に、元いた世界に戻る・・・というような話だ。まんがでは無いが、『竹取物語』 等その典型である。
 で、これは実に、かっての金髪碧眼無国籍な(いや、ヨーロッパ趣味のと言うべきか)少女まんがのある 種の典型だったのだ。例えば、西谷祥子『学生たちの道』等も、基本的なベースはビルドゥングスロマン= 成長小説でありながら、ヒロインの生い立ちにはこの《貴種流離譚》の味付け が為されているのである。こうした例は、いがらしゆみこ等にも多く見られるし、後に、24年組が新しい 文法でまんがを描き始めるまで、少女まんがの魅力的な手法だったのだ。(とはいえ、勿論これは、 今でも少女まんがの文法足り得ているし、田村由美等、《貴種流離譚》の傑作を描いている。悪いとは 思わないし、僕は、結構好きな方だ。)そして僕は、水野英子『白いトロイカ』を、長い事、この系列の 作品だと思っていたのである。処が、今回久し振りに読み直してみると、何か少し、違う色合いを感じたの だった。
 まんがに限らず、小説でも映画でも、何年か経って読み直し(見直し)てみると、以前とは違った感想を 持ったり、以前は気が付かなかった新しい発見があったりするものだ。それは、まんがに対する自分の 感じ方、あるいは考え方の変化だったり、あるいはまた、自身の人生の経験の為せる技だったりして、 それはそれで、大変興味深い。
 勿論、『白いトロイカ』にも、読み返す毎に、新たな出会いがあった。
 けれど、ひとつだけ、幾たび『白いトロイカ』を読み返しても、同じ疑問が残ってしまっていた。それは、 「何故、○○は(これから読む人の為に伏字にした)死ななければならなかったのか?」という疑問だ。 その疑問を掘り下げてみて、今回初めて、ああそうだったのかと、気が付いた 事がある。
 それは、例えば西谷祥子『学生たちの道』が単なる《貴種流離譚》趣味の 少女まんがでは無かったように、水野英子『白いトロイカ』も、そうでは無かったという事だ。
 少し横道に逸れるが、僕にとって水野英子とは『ファイヤー』であり、『ファイヤー』 の前に水野英子無く、『ファイヤー』の後に水野英子無し、という位、僕にとって水野英子とは 『ファイヤー』だったのだ。(尤も、水野英子にとっても『ファイヤー』で燃え尽きた かなぁ〜という感じは在るのだが。)横道ついでに水野英子の思い出を少し語ろう。初めて水野英子を 読んだのは何だったか、今では思い出せないが、その頃、まだあまり少女まんがを読んでいなかった僕は、 多分、「COM」で、水野英子に出会ったのではなかったか。
 当時「COM」には、矢代まさ子や竹宮惠子らの女流まんが家が描いていた。竹宮惠子もSFっぽい作品 で、どちらかと言えば、「COM」の女性達は、少女まんが家と言うよりは、女流まんが家と言う気が、 僕はしていた。そんな僕にとって、水野英子『白いトロイカ』は、実に少女まんが少女まんがした少女 まんがに思えたのだ。何しろ、正確に覚えていないが、『白いトロイカ』の単行本は、マーガレット コミックスが今よりもっと白っぽい表紙にビニールカバーが掛かり、金の冠マークも鮮やかな“ 代物”だったのだから。そんな訳で、水野英子『白いトロイカ』に、僕は 《貴種流離譚》趣味のレッテルを貼っていたのかも知れない。
 話を戻すと、水野英子『白いトロイカ』は、勿論《貴種流離譚》の物語には 違いないが、先に述べた「何故、○○は死ななければならなかったのか?」という疑問の答として、 水野英子の、『ファイヤー』へと続く一本の道が見えて来たのだ。それは、革命への思い とでも言えばいいだろうか。
 『ファイヤー』には、60年から70年へと繋がっていった学生運動へのシンパシーが見て 取れる。あのムーブメントへの共感がひしひしと伝わってきた。それと、『白いトロイカ』のロシア革命で の○○の死を結び付けるのは、もしかしたら、強引に過ぎるかも知れない。けれど、水野英子にとって、 革命の為に命を捧げる事は、恋の成就と等価値の事だった、と、 僕は、今になって思わずには居れないのだ。そう考えて初めて、彼の死が、納得出来たのだった。
 あの場面で彼が死ぬ必然性は、未だに感じられないし、その死に拠って、彼女のその後の人生が好転した とも思えない。勿論悪くはない。悪くはないが、あのストーリーでなければならなかった、かと言うと、 疑問も残るのだ。
 しかし、それが、水野英子が選んだストーリーであり、そこに革命への思いを読み取るのは、 僕が選んだストーリーである。今は、それでいいのではないかと思い始めている。何年か先に、再びこの 本を手に取った時、水野英子『白いトロイカ』は、どんな世界を僕に拓いてくれるだろうか!
 思えば、水野英子の物語に恋の成就の物語は、以外に少なかったよう にも感じるのだが。

(2001.08.19)
テキスト:創美社コミックス(水野英子名作選);1994.2.23〜3.23初版発行;本体各971円


戻る            進む
タイトルページへ