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アニメ雑記帖

《端書》アニメを見ていて、気がついた事、感じた事などを書いておきます。 最近あまりアニメは見ないので【随時更新】は期待薄……かも(笑)。キイ局とはタイムラグがある場合もあります。[(取り敢えず)随時更新]


2006・04・06(木) 深夜.00:30〜01:00 WOWOW
『しにがみのバラッド。』(6)こころのたび。
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 何だか、筆者の予想とは違う方向性で最終回を迎えた。(いや、最終回、なのか?)
 今回は《起承転結》の《結の2》→《最終回》の筈だったのだけれど……。
 なんにも終わっていないしぃ……。
 第2シリーズへの惹きを残した最終回――との予想が、まるで意味を持たない。これは、《最終回》ではなく、単なる《第6回》である。(別に、それは、いいにはいいのだけれど……。)

 こういう、コメディーっぽい展開が嫌いな訳ではないが、第一話、第二話のしっとりした情感は何処へ行ってしまったのか。それと、前回も書いたOPの映像にある《モモ》が桜色の涙を流して《カマ》を振り降ろすシーンは、結局、最後まで本編では出てこなかった。

 結局、この全六話のTVシリーズは、何だったのだろう? 第一話を観た時の震えは、消えてしまった。とても、残念である。

 さて、総括でもないのだが、今回の、本シリーズを象徴する台詞に就いて書いておく。
 主人公の女の子(今回初めて高校生だ)の片思いの男の子が届けてくれたCDを受け取った母親が、「すぐに《桜(女の子の名前)》に聞かせてやるわね。」と言う。
 自分の子供に「何々してあげる」と言う母親が、最近、多い。自分の子供に敬語を使う事に、疑問も感じていない。当然そこは、「何々してやる」と言うべきなのだ。
 そういう事をきちんと描いていたのに好感を覚えた。
 これは、前にも書いた正確で精確な描写力に通じるものだろう。
 だからこそ、この消化不良な最終回が、残念でならない。
 DVDが売れたら、第2シリーズもあるのだろうか? それまでは、原作を読んで待つ事にしようか……。

 さて、それでは、第2シリーズのあとで、また……(笑)。
(2006.04.07)


2006・03・30(木) 深夜.00:35〜01:05 WOWOW
『しにがみのバラッド。』(5)ほたるのひかり。
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 あと2回なので、最後まで書いておく(笑)。
 予想通り《起承転結》の《結の1》である。
 初め判らなかったが、第一話の男の子が絡んできていた。ああ、なるほど。そうやって、収束へと向かうのね。
 今回、不満と言えば、亡くなった姉の《心残り》の凡庸さか。しかし、それ以外の《言(死んじゃえ!)葉》では、このインパクトは出なかっただろうし……。
 ともあれ、今回は《結の2=最終話》への導入の感じが強く、正直に言ってイマイチだった。残念である。しかし、それに就けても、何故に全六話か?

 それと、OPの映像にある《モモ》が桜色の涙を流して《カマ》を振り降ろすシーンは、最後まで本編では出てこないのだろうか?
 見たい、訳でも無いのであるが……。

 さて、それでは、最終回のあとで、また……。
(2006.03.31)


2006・03・23(木) 深夜.00:30〜01:00 WOWOW
『しにがみのバラッド。』(4)あきのまほう。
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 運んだ魂の家に家庭訪問する《死神》って? 子守りまでしてるしぃ……(笑)

 今回もまた『しにがみのバラッド。』についてである。
 実は、WOWOWのCMを見て、本作も全六話と知って、とても残念に思っている。まあ、あと2回でどういう終わり方をするかによって、第2シリーズも有り得るストーリーではあるのだが。『半分の月がのぼる空』のように、結論まで持っていってしまうと、無理なのだが。(まあ、ソフトの売れ行き次第……だろう。)
 そして、前回の第三話が「あれ?」と思ったのも、全六話と考えれば、第一話・第二話が《起・承》で前回の第三話と今回の第四話が《転》というのなら、納得だ。
 問題は、ラスト二話で《死神・モモ》の話を描くのか、それとも、あくまで狂言廻しに徹するのか? 出来れば、『半分の月がのぼる空』のように、大急ぎで結論を出さないで欲しいものである。

 さて、今回のお話について少し書いておく。第三話同様「あれ?」な話(家庭訪問して子守りをする《死神》の話)なのだが、25分にまとめた完成度は、前回より高い。それに描写力の確かさは相変わらずのレベルである。母と娘が並んだシーンで、親子だというのがハッキリ判る描写力は感動ものだ。同じ骨格が加齢によって、どこの肉が落ちてゆくか……そういう事がちゃんと判っていて、素晴らしい。
 ただ、一つだけ注文を付けるなら、前半部分のスーパーの帰りに友人と男友達の話をしているシーン。その男の子の話をしている主人公に向き合っている友人の眼が、一瞬背後に動き、また主人公に戻るのだが――この時その男友達が背後に来たのだが――ここで、眼の動きを描くのなら、表情にも揶揄する感情を現して欲しかった。その後「本人に言ったら?」という台詞があるのだが、表情でそれを描いていたら、間違い無く脱帽ものだった。

 あと、余談だが、この母親役を島本須美さんがやっていて、TVで久し振りに聴いて嬉しかった。(島本須美さんといえば『ルパン三世 カリオストロの城』の《クラリス》、『風の谷のナウシカ』の《ナウシカ》、『めぞん一刻』の《音無響子》である。)
 余談と言えば《死神・モモ》が「100100番」の《死神IDカード》を見せるシーン。あれって、『水戸黄門』の《印籠》だよねえ! ま、いいんだけれど――。普段無表情な声を出している《モモ》がこの時だけ嬉しそうな声になるのは何故だろう?

 さて、そんな処で、次回また……。
(2006.03.29)


2006・03・16(木) 深夜.00:30〜01:00 WOWOW
『しにがみのバラッド。』(3)ひかりのかなた。
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 今回も『しにがみのバラッド。』について、少し書いておく。今回は、前二回とは違う意味で、ヤラレタ、と思ったからだ。
 今回は、《死》と隣り合わせていない。いや、その言い方は正確ではないかも知れない。今回の《死者》は、主人公の《祖父》である。第一回の《幼馴染の女の子》、第二回の《姉》と比べても、近さは同じだろう。しかし、年齢的にその《死》は、来るべくして来た《死》である。勿論、だからと言って、哀しみに変わりはあるまいが――それでも、少し違う。
 うまく言えないが、突然突きつけられた《死》と、訪れた《死》と言えばいいか。《死神=モモ》の役割も、完全に狂言廻しである。(勿論、前二作も狂言廻しには違いないが。)
 つまり、《死》はそこにあっても、《死》がテーマではないのだ。言い替えれば、今回は《死神=モモ》の出番はなかったのである。(勿論、出てくるし、余計なお節介もするのだが……)

 さて、物語だが、遺品整理をしていて見つけた《祖父からのメッセージ》を辿る旅が、今回のストーリーである。主人公の母から(暗に頼まれて)同行する《同級生の幼馴染》の女の子との、一泊二日の祖父の故郷への小旅行。日常を離れ、見慣れぬ風景との邂逅、隣にいる幼馴染のふとした仕草や会話、思い出される祖父の言葉……。
 Bパートも半ばを過ぎて見つからない《祖父の宝物》に、今回は二話構成かと思ったら、《モモとその一行(笑)》が手助けして(余計なお世話だよなあ…と思ったが)物語は結末を迎える。(25分で終わらせたかったのね…(^^ゞ)
 祖父が残した淡い初恋の想い出――。それは、思春期故に、わざと距離を置いてしまった幼馴染の二人へのメッセージだったのだ。
 サブタイトルに「ひかりのかなた。」とある。
 これは、出逢いと再生の物語なのだ。

 何だか、原作を読みたくなっている。しかし、望月智充監督の視点で、先ずは楽しむ方が、いいような気もするのだ。アニメに限らないが、原作物のジレンマのひとつに違いない。卵と鶏とどちらを先に食したか……。それによって、味も風味も変わってくるのだから。
 ともあれ、久し振りに、一週間が楽しみなアニメである。

 未見の方は、是非!

 てな処で、来週また……。
(2006.03.17)


2006・03・09(木) 深夜.00:30〜01:00 WOWOW
『しにがみのバラッド。』(2)さかなのころ。
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 何だか『しにがみのバラッド。』にやられっぱなしである。
 やわらかなハーフトーンの色彩。全編に流れるスローなバラード。(音響監督も望月智充さんが担当している。)個性を主張し過ぎない穏やかなキャラクターデザイン。(殊に、異常に大き過ぎる眼や星の瞳が無いのが、いい。)
 そして、《死》がメインテーマでありながら、過剰なドラマチックな演出が無いのもいい。原作を読んでいないので、どういう風に切り取っているのか判らないが、とにかく、演出が巧みである。しっとりと切々とエピソードを積み上げてゆくのがいい。
 更に、キャラの表情や動作の精確さ。確であり、確だ。
 例えば、前半部分のあるカット。学校の渡り廊下で少年が鈴の音を聞く。聞こえなかった少女が顔を左右に巡らせて音の在りかを探すシーン。遠景であり、豆粒ほどの――モブシーンと言っても良いような――サイズでありながら、丁寧に動かせている。(TVシリーズのこんな処に贅沢な…(笑))
 あるいは、気まずい会話を交わして別れた二人が、偶然、保健室のベッドに隣り合わせる。カーテン越しにまた言葉を交わして、少女が出てゆくシーン。ベッドを降り、カーテンにちょっと手を触れ(←たぶんここで、立ったまま上履きを穿いている為に手が触れた……という感じなのだ)、保健の先生に礼の言葉を残して引き戸を開けて出てゆく。ここまでのシーンに少女の映像は無い。(勿論、声の演技はあるが。)向こう側からカーテンに手が触れて、また離れる――その動作を、カーテンの動きだけで、丹念に描いているのだ。普通、OAVでもやらないよ!(笑)
 前回の猫を見付けた少女がしゃがむシーン。立ち姿から腰を落とすまでを、丹念に描いていた。よく眼にする――後ろ手にお尻に両掌を副えて、スカートを押さえながら膝の裏辺りまで滑らせる――姿をキチンと描き切る。
 少し、卑近な例えをあげる。いつ頃が初めか判らないが、たぶんTVの水着のCM辺りだろう。水に濡れた水着が肌に貼り付き、水着のお尻のラインを指でなぞって空気を入れる――今ではお馴染みのシーン。その微妙なエロティシズムが受けて、まんが・アニメの水着シーンの今や定番である。本作の今回にも、プールとスクール水着は二度ほど登場するが、当然、そんなカットは無い。
 ただただ、少年と少女の心の襞を追い続ける。その為の、地味で地道な日常のコマを繰り返し、淡々と積み上げてゆく。そうなのだ。生活とは、人が生きる(活きる)という事は、そういう地味で地道な日常の繰り返しなのだ。
 どうして望月智充さんは、こんなにも、少年少女が判るのだろう。
 まんがにも通じる話だが、人の動作や表情を丹念に観察しそれを紙の上に写し取る、これまた、地味で地道な作業の(修練の)果てに、見る者を惹きつける映像は生まれるのだ。
 今回は少し硬い話になってしまったが、

 未見の方は、是非!

 てな処で、いずれまた……。
(2006.03.10)


2006・03・02(木) 深夜.00:30〜01:00 WOWOW
『しにがみのバラッド。』(1)きみのこえ。
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 何となく流れでWOWOWのノンスクランブル枠のアニメを見続けている。
 『半分の月がのぼる空』が思いの他早く六話で終了してしまって(アニメ版のお話の完結度は悪くなかったが)、次いで始まったのがこの『しにがみのバラッド。』である。ただ、最近涙腺が緩くなってしまって、『半分の月――』同様本作も《死》がテーマのようで、少々弱る(笑)。原作を読んでいないので、楽しみ半分、弱り半分だ(笑)。

 さて、その『しにがみのバラッド。』だが、オープニングで監督が望月智充さんと知り、俄然興味が増した。
 望月智充さんと言えば『きまぐれオレンジ☆ロード あの日にかえりたい』、『ここはグリーン・ウッド』、『海がきこえる』、『ふたつのスピカ』、『ぼくのマリー(OAV)』等の監督である。少年少女の日常を描かせたら右に出る者は居ない、と思っている。
 その意味でも、期待通りの出来映えだった。階段の踊場、下駄箱、そういったどこの学校にもある、ごく普通の小道具を使ってドラマを展開する。また、公園で捨て猫を見付けるまでのカメラワークや、少女がしゃがむ時の仕草を丹念に描く描写力。雨の降り始めるシーンは(デジタルの力が大ではあるが)感動さえ覚えた美しさだった。
 お話自体は(多分原作も読切連作なのだろうが)25分で一つの物語の為、少し深みに欠けたのが残念ではあるが、それでも、見事な切り取り方で流石と思わされた。少女の《死》を「救急車」「空の下駄箱」「机の上の花」だけで表現し、過剰な涙を誘わない。
 何だか、第一話は、出来過ぎなほどの完成度だった。

 未見の方は、是非!

 てな処で、いずれまた……。
(2006.03.03)