幕 間 : 積 乱 雲 幻 想
梶山季之の遺作、未完の「積乱雲」は、題名からしても魅力的だ。
じつは梶山以外にも、いく人かがこの題で作品を発表している。戯曲も小説も
あるし、毛色の変わったところでは少女漫画もある。題名は違うが加藤周一の長
編『ある晴れた日に』では、戦争の終わった午後の巨大な積乱雲が印象的だった。
そこで、なんとか「積乱雲」を完成させることはできないかと、奇妙な妄想が
沸いてくるのだ。
たとえばサルに、タイプライタ−なりワ−プロなりを叩かせた場合、もしも短
い文章なら、サルが打ち出す可能性がある。種田山頭火に「はるかぜのはちのこ
ひとつ」という句がある。第一句集の題を『鉢の子』としており、お気に入りの
句だったらしいが、この程度の長さなら、可能性は少なくない。
これは偶然ではなく、確率論的に可能なのである。しかし未完の大洋小説(大
河小説よりもっと拡がりのある小説の意味で、海洋小説のことではない)ともな
ると、サルが叩き出す可能性は、限り無く小さくなるだろう。
それなら人間は、いかがであろうか。私小説・心境小説はともかくとして、推
理小説などでは合作は珍しくない。かつて乱歩の兄弟子・小酒井不木は昭和二年、
大衆小説合作組合「耽奇社」を設立し、長編『飛機睥睨』を残した。コンピュ−
タ−自身に内在している可能性と、パタ−ン認識機としての人間の能力を組み合わ
せれば、荒唐無稽と思われる試みも実現可能かもしれないのだ。
さいわい「積乱雲」には手掛かりがある。残された書き出しの部分からすれば、
発端の土地は広島西方のG村、つまり現在の廿日市市地御前である。母親の名は
ダイ。一夜に二人の男から凌辱されて、主人公が生まれる。
主人公の設定は、四種の書き出しにより、多少ニュアンスが違うが、発表されて
いる創作ノ−トを見ると、第一部・第一巻から第六巻まで、三十章分は見当がつく。
プロットが絵画におけるデッサンなら、文体は色彩だが、これも、ある程度は分
析可能だ……。
さあ、チャレンジしてみる若い人は、いないだろうか。
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変わるが、作家に固有な部分もある。ピカソの青の時代や、赤の時代の絵を思い浮
かべて頂きたい。
そして私見によれば、国民文学は、必要以上に難解でないほうがよい。
実際には存在しない"空魔軍"と"積乱雲"を最初と最後に置き、これを両端とす
る補助線を使って梶山の全作品を幾何学的に解くと、ポルノ的な余計な部分が消
え失せ、一番大切な部分、硬質のルポライタ−が見えてくるように思えるのだ。
過去から未来に向かって流れる時間軸上の出来事を、グローバルな視点をもって、
厖大なデ−タ−を集めて科学の手法で書くことのできる作家は、多くはない。梶山
季之など、ごく一部の非純文学作家だけなのだが、いま日本は危機的状況にある。
東海村の臨界事故は、被爆地ヒロシマ・ナガサキの問題を、全国の日常生活のなか
に持ち込んだ。少子高齢化も極度にすすみ、推計学的には、やがて日本の人口は半
減し、千六百年後には、たったの一人になってしまうらしい。
民族の血は、いかにして護るのか。そうした視点で、いま梶山季之の復権と再読が
求められているのではあるまいか。
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