はなみずき     第20号  4/19/97





 こちらの生活も3年目に入り,生活もそれなりに忙しいまま落ち着きつつあり  ます.我が家の3人3様,各自のレベルで言葉の壁は厚いなあと感じる毎日です. 今回は3/21-29に南西部アリゾナ州でのインディアン文化の研修旅行について書きます.
 
 

砂漠の中の町フェニックス

 州都フェニックスまではデトロイトで乗り換えて8時間もかかりました.州の大部分を占める砂漠はアラビアの砂漠。と違って,サボテン類が点在する降雨量の少ない荒れ地。です.日中は32℃まで上がるここの街路樹はスワロやチョーヤというサボテンです.水のない砂漠にどうしてフェニックスのようなオアシスの町が急速に発展しているかというと,600〜1000年前にホホカム文明が掘った「運河」が町中にはりめぐらされているからです.
 
 

4部族のインディアンを訪問する貴重な体験

 先生のバーバラ・ベルトリと生徒のキャサリンと私の3人は,連日バンで北に東にインディアンの人達を訪ね,お話を伺いました.彼らはゆっくりともの静かに話し,握手は日本人よりも軽く握ります.大変質素に暮らしていますが,暖かい人達で,時間が夏の午後のようにゆったりと流れていました.短期間にまったく異なる文化について多くのことを学んだこの旅で,中でもこの人達に会えたことが最大の収穫でした.

 ナバホ族のテリー一家  約500あるインディアンの部族で最大の部族,ナバホ族のテリー一家はリザベーション(保留地)を離れ,フェニックスのはずれにある2部屋のアパートに住んでいます.絵を売って生計を立てているテリーと奥さんのアルバータと6人の子供達は,フライブレッド(平たい揚げパン)と自家製サルサと羊のスープで歓迎してくれました.その夜はちょうど月食で,煌々と輝いていた砂漠の月があっという間に欠けました.ナバホの言い伝えでは妊婦と夫は絶対に月食を見てはいけないそうです.反対側の北西の空にはヘール・ボップ彗星がゆっくりと移動していました.

 アクチン族のウェンディ  アクチン族は人口600人の最小の農耕部族です.フェニックス市街から高速道路を1時間走ると突然,緑の農地と宮殿のようなカジノが現れました.インディアンの保留地ではカジノを禁止する州法が適用されないため,多くの部族がカジノを開いています.アクチン族の目標はカジノの利益で自前の病院を持つことだそうです.というのは急激な白人の食文化の影響で糖尿病患者がとても多いのだそうです.リーダーのウェンディの話で興味深かったのは,アクチン語は話し言葉だけなので,彼女たちがアクチン語を文字で記述する方法を考案して教科書を作成し,アクチン語の教育に役立てていることでした.コミュニティーセンターでウエンディと話していると,自分がアメリカにいるとは思えず,まったく一瞬違う国にいるような錯覚に陥りました.

 ホピ族のホーマー  26歳のホーマーはインディアンに関する博物館では一番と言われるハード・ミュージアムで,カチナ・ドールを彫る実演をしています.カチナはホピ族の守護神の精霊を人形に表したもので,芸術品として高額で売買されます.私はその一つのサン・カチナを注文しました.

 アパッチ族のデイビッド 70歳のディビッドは終戦後1ヵ月間,米軍の会計士として東京にいたそうで,日本人には親切にしてもらったとなつかしそうに話してくれました.彼は子供の頃,白人に強制的に寄宿学校に入れられた時に絵の才能を見いだされ,専門的な訓練を受けた本職の画家です.アパッチ族のカジノは1回の週末だけで2億円のもうけがあり,利益は部族のメンバーに等分に分けられるため,若者は勉強しなくなるそうです.正確な英語で静かに話すディビッドは,部族の若者の将来を心配していました.
 

ァ 岳志君の苦労シリーズ  毎日1時間あるフランス語は,さっぱり分からず,アメリカに来た最初の英語の授業みたいな感じだそうです.
 
 

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