私とファンタジー その3 「一つのねがい」 (堀切リエ)
一つのねがい・・・浜田広介を語る。
●私とファンタジーその3 「一つのねがい」 浜田広介 堀切リエ
幼児のときの読書体験はどんなものでしたか? 幼児の時ですから、自分で本を開いて読んでいたのか、耳から聞いた話にそって自分で話を組み立てながら本をめくっていったのか、その境ははっきりとしません。けれど、私は幼児のときに『はまだひろすけ全集』を読んだという記憶がのこっています。そして、そのお話のひとつひとつを思いだすことができます。
さて、浜田広介は童謡も書いていましたが、そのなかに生まれてすぐの桃太郎を書いた作品があります。ももたろうのホームページですから、まずはこの詩を紹介したいと思います。
*( )の中の数字は、文末の参考図書を示しています。
むかしむかしの
桃太郎
桃からうまれて
まだ二日
おめめがあいても
どこ見てる
雀がチッチと
きて鳴くに
むかしむかしの
桃太郎
はだかで生まれて
まだ三日
うぶ湯のたらひで
なに見てる
さくらがお庭に
咲いてるに
この童謡を読んでどう思われましたか?
藤田圭雄さんは、この作品に「近代童謡の精神が生きている」(2)と言っています。たしかに、桃太郎を特別な子としてでなく、ふつうの赤ん坊として描写していることに作品の特徴があります。生まれて二日の桃太郎の目がまだ見えなくて、外で雀の声がしているというのは、民話の世界から抜けでて、リアルな日常のスケッチのような印象を受けます。
この「リアルな描写」については後にくわしく書くことにして、幼年童話の全集というのは、このごろではあまり見られない形です。一話一話が絵本になっている形がポピュラーになってきたように思えますが、全集の魅力は、作者の世界全体が見えるということではないでしょうか。
そのころ、私は幼稚園に通っていました。おもに母が読んで聞かせてくれたのでしょうが、自分でも本を開いて読み返したおぼえがあります。35年以上たった今でも全集を開けば、ひとつひとつの話と挿し絵とがセットになって甦ってくることに、少々おどろいています。そのころ読んだ感覚をたどりながら、ページをめくってみることにしました。
作品を紹介しながら、広介の世界へアプローチしたいと思います。
幼児であった私の心に印象的に残っているのは、「一つのねがい」という話です。
この話の主人公は、年老いた街灯です。
「ある 町はずれに、一本の がいとうが 立っていました。そこは、あまり 人どおりの ない、こうじの かどで ありました。」(*分かち書きは童話集のまま)
「夏が くると、草が しげって、がいとうの すねを かくしてしまいました。青あおと している 草に すねを かくして 立って いると、がいとうは、足を じべたに しっかりと つけているかと みえました。」
このあたりが、作者自身が解説している通りに、街灯の立っている様子が的確に描写されています。街灯のように、命なきものに命を吹きこむ話をつくりながら、広介はしきりに「リアリズム」という言葉を口にしていました。それは、観察からくる描写=リアリズムに近い意味合いだったようです。
さて、街灯が年寄りであることは、次の描写でわかります。
「がいとうは、まいばんのように、こころの 中で おもいました。
『もう、おれの 一歩あしも よぼよぼである。こんやにも、風が ひとあれ あれだしたら、もう なにもかも おしまいさ。』
がいとうが、もし、にんげんのような手を 一本だけでも もって いたなら、こしの あたりを なでて みて、いつの まにか、すっかり やせて しまって いる じぶんの からだに、びっくり したかも しれません。」
けれど、手のない街灯には、ただ立ったまま、心で思いつづけることしかできないのです。そうして、二本足の人間だって年をとっていくのだから、老いていくのは自分だけではない、もうすぐ命がつきるのもしかたないことなのだ、と納得しようとします。けれど、街灯には、そう思えば思うほどあきらめられない、一つのねがいがあったのです。
「そのような ねがいが 一つ あるばっかりに、がいとうは、すこし つよい 風が ふいても、ぐらつく こしを ぐっと ささえて りきんで いました。」
ここで、今にも倒れそうな街灯が、ねがいをたよりに生きていることがわかります。老い先みじかい老人にも、あきらめきれない願いや思いがあることを、広介は「ますとおじいさん」でも描いています。
さて、街灯は足にしっかり力をいれて、つぶやくのでした。
「『だが、まてよ。まもなく、おれは、たおれて しまう。それは、どうにも しかたが ない。しかたが ないが、さて、おれは、どうだろうかな、まだ みえないかな、星のように。』」
なんと街灯のねがいというのは、たった一度でいいから、星のような明かりぐらいになってみたいということなのでした。そのねがいをだいて、街灯は一つのところにずっと立ちつづけていたのです。けれど、現実はきびしいもの。街灯はランプですから、光はぼんやりとしていましたし、うすぐらい場所に立っているので、だれからもそう言ってはもらえません。「やあ、星のようだね。」なんておせじさえも……。
長いことこうして道を照らしているのだから、だれかひとりくらいは、「あかるいやつだなあ。」と言ってくれないだろうか。と、街灯は思います。「なあに、(自分のことを)やつと いっても かまわない。」なんて、言い訳しながら。だれかが言ってくれないものか。「おれを じっと みて──こいつは、まるで 星みたい……」と。
自分の想像に、街灯はふっと笑いを浮かべます。でもすぐ現実にもどり、自分の考えが恥ずかしくなり、誰か見ていなかったかと、首をすくめてあわててそこらを見回したりするのでした。
そうして、街灯の足下の草が黄色く色づいて、秋がきます。それとともに街灯の顔の周りにうるさく飛んでいた、ガやかげろうやこがねむしなどがだんだんへっていき、とうとう冬が間近になってきます。
このあたりの季節の移り変わりの描写も、短いですが的確でリアルです。次に出てくる虫の描写も同じです。
さて、ある晩方、羽の青いこがねむしを、思わず街灯は呼びとめます。
「よびかけられて、その 虫は、がいとうの あごの あたりに つかまりました。そそっかしく、たたんだ はねの あいだから、たまねぎの かわのような、うすい はねが、わずかばかり はみでて いました。」
街灯は、自分の光が星のように見えないかとたずねますが、こがねむしの態度は無惨でした。こがね虫は、「なにを ばかな」と思い、なにも答えずにさってしまうのです。
次にガが飛んできます。街灯はやはり問わずにはいられなくて「あの星みたいに みえませんかね。」と口を開きます。ガは、けんもほろろに「へん。みえるもんか。そんな 光が。」と言いすてて去っていきます。
街灯は、一気につき落とされた気持ちになり、目には涙がわいてきますが、同時に気持ちは静かになります。
「星にみえなくたってかまわない。ここで光っているのがおれのつとめなのだ。」
街灯は、自分で自分をなぐさめ、気持ちをひきしめると、頭をしっかりとあげました。
「すると いっしょに、がいとうの くらい 光が、さっと あかるく なったように おもわれました。そこらここらは、とっぷりと くれて しまって、空の ようすは いっそう くらく なって いました。」
嵐がくるのです。そう思うと、さらに気持ちがひきしまったのか、街灯の光はもう一度、さっと明るく広がります。そのとき、思いがけない足音がして、人間の親子がやってきます。子どもは街灯のそばにきて、「ここんとこ、あかるいね。」と言います。おとうさんは、「ああ、これが なくっちゃ あるけんな。こんな ばんには、わけても そうさ。」と答えます。ふと、男の子は、まっ暗な空の切れ間に星を見つけて言います。
「あの 星よりも、あかるいなあ。」
「そう いう 声を ききつけて、がいとうは、おもわず がたんと ゆれました。それに じぶんで おどろく とたんに、風が はげしく ふきつけたので ありました。」
その夜、はげしく秋の嵐がふきあれ、雨もざあざあふりつけます。
あくる朝、小路の曲がるところに立っていた街灯は、根元から倒れています。
道を通る人たちは、「おや、ここにも街灯が倒れている」と思って、またいですぎていったのでした。
これで話は終わりです。
いったい、この街灯は救われたのでしょうか……。たった一つのねがいがかなったにしては、なんとなく救いのないような読後感だと思いませんか?
けれど、幼児の私はそうは思わなかったようです。話のせつなさは、記憶にありません。残っているのは、ただ、年老いた街灯が願いをだいて立っていて、嵐が来て倒れた、ということなのです。それでは、作者の意図は伝わらなかったのではないか、やはり、この話は幼児向けではない、と思われますか?
私はそうは思いません。幼児の私は、ある発見をしたからです。「年老いた街灯がそこで生きている」という発見を。
この話では、街灯は最後まで街灯のまま立っていて、そしてその場で折れてしまいます。このあたり、電信柱を歩かせてしまえる小川未明や宮沢賢治とは根本的にちがう、広介の物語への姿勢があったのでしょう。街灯に命を吹きこむことはあっても歩かせることはせず、その場に動かずに立っていることを街灯の特性とし、そこからストーリーも立ち上がってきたのでしょう。
向川幹雄さんは、広介の「リアリズム」について、広介の言葉もひきながら、こう解説しています。
「自分の作品がリアリズムに立脚していると広介が名言したのは資料の上では昭和七年の『広介童話選集』第一巻の「著者の言葉」が最初と思われるが、彼自身のことばでは、処女作「黄金の稲束」以来、一貫した創作態度であるという。(中略)
──ここに気付いて、おとぎばなしの異語同義から、われらの童話を分つべく、童話において、わたくしはリアリズムを唱へるのである。別言すれば、われらの作が、昔ながらのおとぎばなしに類するものか、それとも童話と呼ばれるものか、いづれかに分ち得る基準の一つは、その表現が描写的であるか、否かにかかはるものと考へる。なぜかといって、描写的であるか、どうかといふことは、事物に対する観察があるか、ないかの内面にふれるのである。描写するには観察がなくてはならない。それがなくては、描写することができない。観察をして、はじめてわれらは、物と物との関係を知り得るのである。(『広介童話選集』第一巻の「著者の言葉」より)
ここにみられる描写・観察・真実性が彼のリアリズム論の根幹である。」(1)
「いかに写実的に書かれているか、そのことが童話が文学の一様式として位置するか否かである」など、広介はくりかえし写実(→リアリズム)の重要性を書いています。
また、このことを「童話の世界はそれみずからの世界において真実(→リアル)でなければならない」というように、空想作品のリアリティにおいても、観察・描写の必要性を述べています。巌谷小波の「お伽噺」と、自分の書く「童話」とに、「リアリズム」という言葉を使って一線をひくことを、広介は強く意識しています。
また、観察の対象としては、「創作方法と創作体験」のなかでこう語っているそうです。
「童話は、もちろん、空想をつづってよろしく、むしろ、たぶんに空想を発展させてよいのであろうとわたくしなどには思われる。だが、そのためには、できるだけ、身のまわりのもの、自然を見るべく、自然のなかからあたらしい事実を見つけ、それらをそれぞれパン種として空想を燃焼させる。」
そうして見ると、広介の言うところのリアリズムは、観察からくる描写を意味しているのだという指摘がなされているように、題材を身近な自然にとりながら、それを観察し、パン種のように空想を発酵させて、物語をつくっているということになります。
たしかに、「一つのねがい」を読んでみれば、こがね虫の描写……「そそっかしく、たたんだ はねの あいだから、たまねぎの かわのような、うすい はねが、わずかばかり はみでて いました。」や、街灯の足もとに生えている草の変化で、季節の移り変わりを表したりと、的確な描写を見つけることができます。
また、街灯に関しては、年老いた街灯の腰のあたりが弱っていることや、明かりが灯っている場所を街灯の顔として扱い、こがね虫があごのあたりにつかまって止まったというような、擬人化としてリアリティのある描写もされています。
幼児にもわかる、短くて、リズムのある言葉使いによる描写は、見事だと思います。幼児にわかる言葉で物語を描けるということは、独特の言葉に対する感覚を広介が持っていたと言ってよいと思います。
また、空想作品のリアリティについてこだわりをもっていたことについては、認められてよいのではと思います。
ただ、「ストーリーがたとえ緩慢になっても、描写を優先させたことは広介の童話を理屈っぽくしている」と、大藤幹夫さんが「泣いたあかおに」をとりあげて指摘しているように、広介が描写にこだわったことについてはたくさんの批判的な意見があるのですが……。
さて、もうひとつの批判点、内容とテーマについても、この作品は幼児向けではないといえるのでしょうか?
たしかに老い先短い街灯が、あきらめきれない願いを抱いているという切なさを、幼児がまるごと理解できるとは思えません。でも、幼児は案外、「死」、「老い」ということに敏感なのではないでしょうか? これから育っていく自分とはまるで異質な時の過ぎ方。つまり同じように時が過ぎていっても、老人は老いて死に近づくのだし、幼児は育っていく。同じなのに、違う。それが幼児の感性に、「不思議」感覚として刻まれるのかもしれません。
しかも広介は、老い先短い街灯に願いを抱かせます。あきらめきれない願いを抱くということは、ほんとうは生きるうえで過酷なことではないでしょうか? 「ますとおじいさん」という作品を見てみましょう。
「ますとおじいさん」の主人公であるおじいさんは、七五歳。おばあさんにも先立たれ、自分のいのちが長くないことを感じています。ある冬の晩、旅の男を泊めると、その男はますの養殖場で働いていることがわかります。ますの話を聞くうちに、おじいさんは、自分の村の沼でもますを育ててみたいと、夢にまでみるほど強く思います。春になって、もう一度訪ねてきた男にますの子をもらい、おじいさんは村の人にはないしょで、沼にますの子を放ちます。一年たち、二年が過ぎますが、沼のふちを毎日見回るおじいさんの目には、ますの影は映りません。そのまま、おじいさんは死ぬのです。おじいさんのますへの思いも誰に知られることなく、棺のなかへと入ります。けれど、その年の秋の寒い日、村の沼を川目がけて、あざやかな不思議な色をした大きな魚が、水をとばしてあがってくるのを、村の人は発見したのでした。
古田足日さんが、この作品を丁寧に解説しています。
おじいさんは、登場したときから「よいおじいさん」と記され、「よい」という特性をもっています。ますを育てることを思いついたとき、おじいさんは、お世話になった村のみんなのために、自分の葬式でも世話をかけるだろうから、と自分の決心の理由を説明しています。けれど、古田さんはそればかりではないだろうと、「仕事の歌」をだして解説します。このおじいさんは、じつは、ますを育てるという魅力にとりつかれたのであり、自分がますを育ててみたいという仕事欲に動かされたのだと。
人間は何歳になっても、こだわりや夢を抱いて生きているのだという、そんな生き方がこのおじいさんに感じられます。そして、人間はそんな執念にも近い思いを抱いたとき、ただの「よいおじいさん」ではなく、人間くさいおじいさんに変質している、と古田さんは指摘します。さらに、古田さんは「よいおじいさん」の人間的生きざまをくわしく分析します。子どもたちに「鳥の卵をとるな、とるな」と注意しながら、子どもたちは自分の言うことを聞かないだろう、というあきらめにも似た気持ちを抱いていた「よい」おじいさん。先に逝ったおばあさんの戒名を唱えるような「よい」おじいさんなのに、ますの子が育たないことにいらだちを感じたのか、白い腹を浮かべて死んでいるふなやこいを杖の先でつついている姿からは、「悲しさ以上のすさまじさ」が感じられ、「たった、ひと目、ますのすがたを見て死にたいが」ということばには、どうしようもない、いかりと悲しみがこめられているのではないか、と書いています。
まさに、善意を越えた人間としての生きざまが、「よいおじいさん」の後ろから浮かびあがってきます。
「願いを抱いて生きるということ」。
言葉にしてしまうと、善意のある美しい生き方のように思えます。けれど、あきらめきれない願いを抱いて生きることは、実際はなかなか過酷なものがあります。街灯は願いがかなった瞬間、思わずがくんとゆれます。生きるささえにしていた願いがかなった時はまた、街灯の命の尽きる時でもあるのです。
「ますとおじいさん」のおじいさんは、自分の願いがかなったのも知らずに逝きます。「願い」とは、いつかなうかは何の保証もなく、また、かなった後の幸せも保証してはくれません。
自分の作品では、「ありたい世界」「理想の善意の世界」を描く、その善意は悪意と対象にして描くのではなく、ひたすら善意だけを描くと、広介は言っています。しかし、善意を描きながらも、意図してかしないでか、善意を越えるものを描いてしまうところに、作品の不思議な魅力を感じます。
さて、広介童話のなかに描かれている「孤独」というテーマについても、幼児向けではないという指摘がなされています。藤田圭雄さんは、こう述べています。
「『ひろすけ童話読本』とかいう学年別の本の中の一年生のところを見ると、いっとう初め開けたところが、立木が二、三本あって一年生の姿が一つ書いてある。つまりひとりぽっちの一年生なのです。小学校一年生の読本としてひとりぽっちというのは、非常にさびしいと思う、だけどそういうところになにか美しさというか、(広介は)それが好きなんだな、そこに問題があると思う」(2)。
これに対して、西本鶏介さんはこう言います。
「『ひろすけ童話』の暗さは子ども向きでないということはわかるけれど、広介の文学そのものとして考えた時、この孤独への挑戦は生きることのつらさに通じると思うんです。(中略)いったんは孤独と向きあおうとする作家精神は、やはり大切なことだと思いますね。(2)
「孤独」と向き合う作家精神は大切だが、作品の「暗さ」は子どもむけではないという指摘をしています。また、古田足日さんは、こうも言っています。
「広介童話の内容は、けっして子どもに適切なものとは思えない。子どもも孤独を感じることはある。だが、その孤独は、はたして広介が描いたような孤独であろうか。」(9)
幼児に「孤独」感は理解できないのでしょうか?
できたとしても、広介の作品の「孤独」は伝わらないのでしょうか?
けれど、幼児は孤独をあるときこわいくらい感じるのではないでしょうか。赤ん坊のころからずっとそばにいて育ててくれた母親も、自分とは違う人間で、ずっといっしょにいてくれないし、同じことを感じているわけでもないと気づいたとき、幼児は怖さにも似た直感的な孤独を感じているのかもしれません。
自分の幼児のころを思い出しても、前へすすもうという圧倒的な生きるエネルギーの合間に、背後に迫る闇のように、漠然としたさびしさや孤独感も感じていたのではと思うのです。そして、その感性が広介の童話にアプローチしていったのではないのかしら? と、思ったりするのです。
広介本人は、こう書いています。
「人間のさびしいすがたを、児童諸君にそれとなく知らせるということも、わたくしは、むだではないと思います。そこに一つの教訓をあたえようとする意図よりも、孤独なすがたを、時には深くおもわせるという特殊なねらいがあってよく、それをよくつたえるものが文学のしわざであって、孤独の感じをあじわうことから、人間同士になくてはならない親しみ合いが、だいじなものであることを、児童諸君は、おのずからに知るであろうと、わたくしは考えているのであります。」(ひろすけ幼年童話文学全集第六巻、作者のことばより)
高村光太郎の「孤独が何で珍しい」を若いとき口ずさんでいたという書家、石川九楊の話をふと思い出しました。
孤独の痛さに堪へ切った人間同士の
黙ってさし出す丈夫な手と手のつながりだ
孤独を幼児に示すのは、悪いことでしょうか? 寂しい、孤独だという状態を、理想な状態ではなく不安、不幸な状態と考えることには、私は違和感があるのです。どこかに所属したり、誰かといっしょにいたりすることが安定、幸せだと決めるのでははく、人は孤独から始まると思ってもよいのではないでしょうか? それは人との関係を切りすてることではなく、人との関係で自分をはかることでもなく、自分を自分で肯定しようということだと思うのです。
幼児が親とのつながりで、はじめて怖さにも似た孤独を感じたとき、こう伝えてあげたいものです。自分は自分、それはすばらしいことなんだよ、と。
これから大きくなったら、人と比べてどうとかいうよりも、自分の思考、行動に対する自分の判断を大事にしたほうがいい。ベタベタとした関係性ではなく、相手との対等な、信頼しあえるつながりを持つには、離れることができる力を鍛えることも大切なんだよ、と。
しかし、鳥越信さんは非常に強い口調でこう言います。
「ぼくらが直接、間接に読書運動の中で見ていくと、絶対に、子どもはあんなものを喜ばない。それは当り前だと思う。喜んでいるのは母親であって、母親が、そういう郷愁の世界だとか、孤独な世界というものにひたって自己満足しているだけであって、子どもはみんなソッポを向いているんですよ。(中略) 浜田さんみたいなものを与えるから、三分もたたないうちにソッポを向く。だから幼年童話は短くちゃならんなんていう、全く非科学的な俗説が、定説のごとく出来上って、それがまた児童文学の世界にはねかえって、幼年童話は短くなくちゃならないというので、ジャーナリズムも、幼年童話を頼む時には、三枚とか五枚とか、それが、日本の児童文学の幼年童話伝統をゆがめてきたか、はかりしれないくらいの大きな損失を与えて来た。それをぼくたちは言っているわけですよ。」(2)。
こう言われてしまうと、ちょっと混乱してきます。
でも、そういえばと思いあたることもあるのです。それは、母です。
鳥越さんの指摘通り、広介童話を好きだったのは、家族のなかではたしかに母でした。父も別にきらいではなかったでしょうが、たずねてみると、「うーん、広介は幼年童話だろう。あまり読んでいないんだ。そのころは宮沢賢治を読んでいたしね」という具合です。母は宮沢賢治も好きでしたが、たぶん広介童話がとても好きでした。今はもう尋ねることはできませんが、こんな光景をおぼえています。
「泣いた赤鬼」を読み終わると、パタンと本を閉じ、ホウッとため息をついてこうつぶやいていました。
「このあと、青鬼がどうしたかと思うと、なんだかどうしようもなくなるのよねえ……」
「青鬼の気持ち?……」
私は子どもながらに、変なことを考える人だなあとは思って、母の顔をしみじみながめました。母は真剣な顔をしていました。今になってみると、やたらにそのことが思い出され、話は終わっているのに、青鬼がその後一人で旅を続けたであろうことを想像し、青鬼の孤独感を思って、「いたたまれない、いてもたってもいられない」と、母は思ったのでしょう。
このことについて、西本鶏介さんはこう言います。
「『ひろすけ童話』はあくまでも自分に耐える。どんな状況にあっても人をうらむどころか、わが身を犠牲にしてでも、他者の愛に生きようとします。これは考え方によっては、実に残酷な生き方です。卑屈といえば、卑屈だが、孤独をみつめる忍耐力という点では、大へんなエネルギーが必要なわけですよ。人間と友だちになれた赤おにに比べて、青おにには、どんな人生が待ち受けているだろうか、それを考えると、とても友情だけではすまされないような気がするんです。
広介の文学が人の胸を打つものがあるとするなら、そういう孤独のきびしさ、孤独に耐え続けるかなしみが、表面上の無償の愛とやさしさとあいまって、日本人の心情に訴えるんじゃないか、とぼくは思います。」(2)
西本さんは、広介童話を否定する立場ではありませんが、はたして広介は「孤独に耐え続けるかなしみ」を子どもに向けて描こうとしたのかな? と次の作品を読んで疑問に感じました。
その作品とは、「りゅうの目の涙」です。
母はこの話も好きで、繰り返し読んでくれました。どんな話かといいますと……。
ある山のふもとの村に、一人のかわった子どもがいました。その村では、子どもが悪いことをしたり、夜寝なかったりすると、「恐ろしいりゅうがやってくるよ」と脅かしました。たいていの子はそれで黙るのです。けれど、その子はこわがる風でもなく、「りゅうがかわいそう……」と言うのです。その子が誕生日を迎える前の晩、母親が「誕生日にはだれを呼ぼう?」と聞くと、「りゅうを呼ぶ」と答えます。そして、次の日の朝早く、一人で山へと向かうのです。長いこと恐れられ、山の奥の洞窟に一匹で暮らしていた竜は、自分を呼ぶ声に目覚めます。そして、不思議に思いながらも洞窟からでて、子どもに会います。その子が自分のことを思ってたずねてきたのだと知り、竜は大粒の涙をこぼします。竜の涙はあふれて川となり、竜は「おまえを乗せる船になろう」と、黒い船に変わります。子どもは竜の船にのって、町へと帰ります。
紙芝居が手元にあったので、子どもたちの前で、この話を演じてみることにしました。そこでじっくり読み返してみて、私はそのとき気づいたのです。この作品は、子ども特有の(ほかの子とも違う)特別繊細な感情を持つ子どもの孤独さと、竜の孤独さを描いた話、つまり孤独を描いた作品なんだな、と。
竜の孤独に同調したのは、その孤独の波長を強く感じた子どもであったということは、じつに自然に思えます。私も幼児のとき、近所のお年よりが一人で歩いていたりすると、すごくかわいそうな気持ちがわいて、いてもたってもいられなくなったり、捨てられた犬や猫のことを思い出しては、夜中、泣いたりしたものです。ひとりぼっち(孤独)ということを、怖さもふくめて敏感に感じる感性を、やはり幼児は持っているのではないでしょうか。そうなるとこの作品における孤独感は、子どもにもわかる「孤独」ではないのでしょうか?
浜田広介は、小さいころ、母親の話す昔語りを聞いて、悲しい場面になると泣いたと言います。あまり泣くので、「もうお話をやめようか」と言われてしまう。それがいやで、泣くのをこらえたということです。また、長じては、友だちとさわいだりすることもなく、弟子もとらず、一人でいることの方が多かったということです。かなりの変人といううわさもあったそうです。人と飲むことが好きであった小川未明や、多くの作家を育てる場所をつくった坪田穣治とはまったく違った人物像が浮かんできます。
この「りゅうの目の涙」の主人公、変わった子どもというのは、浜田広介自身を投影したのではないでしょうか?
竹内オサムさんがこう書いているのを見つけました。
「弱気でやさしい少年像が選ばれたわけは、広介自身をモデルとしたためではないか。内気でやさしかったという、広介の少年時代の内的風景が投影されていると見られるのだ。(中略)ともかく、「涙の川」(りゅうの目のなみだ 原題)は、物語という虚構の裂け目に生身の〈少年=広介〉が顔出しをした、そうした個性ある作品だと考えられる。」(10)
そして、「善意を描こうとした童話に、自分の抱えていた孤独をどっぷりと心情をこめて描いてしまった、広介の情念のようなものが感じられ、孤独感を共通の波長として感じあった、子どもと竜の話であるとも読めます。
「さびしい人の気持ちをわかってあげるのよ」とか、「一見強面に見える人でもそうとは限らないのよ」とか、「誰かを仲間はずれにしてはいけません」と教訓に沿って読める話でもあるのです。そこで、私は紙芝居に少しだけ手をいれて、孤独の波長の共鳴をはっきりと出して語ってみました。変わっている子である主人公の感覚をはっきりとだし、でも子どもはその気持ちにしごく忠実に生きています。それをお母さんがささえます。
紙芝居を見ている子ども(小学1〜3年生)たちは、わりあい気楽に笑いながら見ていましたが、主人公が一人で山へ竜に会いにいくあたりから、真剣な面もちになってきました。竜が涙を流すところでは、大人がいっしょに涙ぐみ、竜の涙で川ができると子どもたちは驚き、流されそうになった子どもが、竜にのるところでは、なんだかわくわく。やがて、竜が船になって子どもが村へ帰っていくころには、子どもたちに心なしか誇らしげな表情が見えてきたような気がします。
孤独な子ども、自分と周りが違うと敏感に感じている子ども像は、今を生きる子どもたちにとって、時代遅れのテーマではありません。まして、この子は、周囲に同化してしまうのではなく、自分の感情に忠実に生き、そして行動する勇気を持っているのです。「孤独」という感情は、行動を起こさせるほど強い感情であるとも言えます。相通じる孤独感は、彼に行動をおこさせ、その結果、孤独の共鳴に竜は泣き、船に変わろうと決意します。その船に乗った子の表情には、孤独感をだきつつも、生きていく誇りらしきものが見え隠れしているのです。
竹内オサムさんは、この話を善意を〈願い〉ながらも、消極的な諦念のうえに〈待つ少年と待つ竜〉がいて、善意のかなった感激の〈涙〉を、〈謳うリズム〉で描いていると、広介童話の4つの要素を見いだせる典型的な作品であると書いています。4つの要素とは、善意への願い、登場人物の消極的な態度、涙で語る心情、リズムのある文体、です(10)。
でも、私には十分、行動的な物語だと思えるのです。そして、「孤独」というテーマをマイナーだととらえることには、同調できないのです。
広介の次の3つの作品から、そのことを読んでみましょう。
子どものころ、好きだった作品です。
「いもの兄弟」。
ある ばん、いもの きょうだいが ざるに はいって、おるすばんを していました。
にいさんいもが、お話を して、ふたつの いもが きいていました。けれども、きいいて いる うちに、おとうといもが いねむりを やりだしました。
「ねむっちゃ、だめよ。そら そら、ねずみが。」
いもうといもが、そう いって、おとうといもを ゆすぶりました。
けれども、小さい おとうといもは、ねむくて ねむくて かないません。ころりと たおれて、くうくうと そのまま ねむって しまいました。
にいさんいもは、お話を続けますが、今度はいもうといもが、目をしょぼしょぼさせます。とうとういもうといもも、ころりとたおれて、くうくうと寝てしまいます。にいさんいもは、ざるを見回します。
ざるが、なんだかいつもに くらべて ひろく 大きく 見えました。まだ あたらしい ざるでした。ざるの青さが 目に しむように おもわれました。 ざるの ふかさが、あかりの かげと いっしょに なって、いっそう ふかく 見えました。ざるの ふちまで 見あげると、たいそう 高く 見えました。
そこにかさりと音がして、大きなねずみがやってきます。にいさんいもはおどろきあわてます。ねずみは「ねているいもの子をひいていく」と、ざるのふちから長いしっぽをたれさげます。にいさんいもは、おまじないの文句を唱えます。
「ねた 子 いもの 子 おもく なれ
ねた 子の 手まくら ひざまくら
ひざより かたいは 木の まくら
木よりも かたいは 石のうす
うすと 牛とが ねたように
ねた 子 いもの 子 おもくなれ」
けれど、まじないはちっともききめがなく、にいさんいもはどうしようかと考えて、「それなら自分もまとめて、ひいていって」とたのみます。そうして、ねずみは3このいもをしっぽにまいてひっぱります。ところが重くてなかなかひっぱれません。うん、うん言っているうちに、びかりとねこの目が暗闇に光り、あわてていもをふりすてて逃げていきます。
子どものころの初めてのるすばんの、ドキドキした気持ちを思い出します。子どもだけの家の中は、暗闇(不安)がいっぱいです。にいさんいもは長男ですから、こわくってもぐっすりねむってしまった妹、弟を守るため、ねずみに問いかけてみたり、まじないを唱えてみたりと、いろいろな知恵をしぼります。このあたり、広介の作品の特徴と思えるのですが、登場人物は「一人」という状況に置かれるのです。「一人」は「孤独」にちょっと似ています。広介は作品のなかで、「一人」で考え、行動する登場人物の心情を描くことが多いのです。子どもにとっては、緊張感がある場面設定です。
子どものころ、いものおにいさんといっしょに「どうしよう」と、ドキドキしたことを思い出します。
次の作品は、「子ざるのブランコ」。
子ざるの住んでいる山で、ある日山かじがおこります。
子ざるは、とうさんざるとかあさんざるといっしょに、荷物を持って逃げだしますが、途中でだいじなブランコを忘れたことに気づきます。ふじづるを枝に結びつけてつくった、大事なブランコです。かあさんざるは、ほうってにげようと言いますが、子ざるは自分でとりにいく、と言います。
「そんなら 早く とってきなさい。にげるなら、風がふいてくるほうへ。こちらへくるのよ。」
と、かあさんざるが教えます。
「わかったよ。」
と、子ざるは一人でとって返します。
このあたり、親としては危ないところに子どもだけ返しはしない、という心情が動くかもしれませんが、子ざるが一人になるという設定が大事なのです。かあさんざるは、大事なことを子ざるにちゃんと伝えています。
さて、一人で帰った子ざるは、ブランコをとり、輪にしてまいて、肩からななめにかけて逃げだします。すると、ふろしき包みをせおったばあさんねずみが、のろのろと歩いています。子ざるは、にもつをせおってあげて、いっしょににげます。
すると、今度はにげおくれたもぐらの子と出会います。子ざるは、もぐらを荷物にのせていっしょにいくことにします。
子ざるは、自分の力で、できることをやり、りりしい態度を見せます。
さて、山の谷川につくと、深くて橋がありません。
「こまったなあ。」と子ざるは考えて、ブランコに目がいきます。そして、松の木にブランコをしばると、ねずみのおばあさんを背負い、もぐらの子はあぶないからとカバンに入れることを思いつきます。
「くらくて いいよ。あなみたい。うれしいや。」
もぐらの子はよろこんでカバンにもぐります。ブランコで渡ろうとして、子ざるはまた考えます。みんながこれを渡れば、うまく逃げられる。子ざるは松の木にするすると登りました。
「みんな こい こい。ここに こい。ここから うまく にげられる。」
きゃきゃっと ないて しらせる 声は、いきいきと 山の 林を つきぬけて とおく ひびいて いきました。
私はこの話をドキドキしながら読みました。幼児にとっては、すごい冒険でした。それも、子ざるはそのときどきに、ねずみのおばあさんやもぐらの子をどうやって助けるか、自分で考えて、くふうをします。その思いつきになるほどと思い、なんだかいっしょにほこらしい気持ちになるのでした。
マイナーな気持ちではありません。一人で行動し、一人で考える、その一人とは、独立した自分であるのです。
さて、もうひとつの作品は、「メッカの花」。
幼児のときに読んだ長編冒険物(原稿用紙にすると30枚くらい)といえば、この話を思い出します。そして、アラビアのメッカという地名もこの話で知りました。
主人公の名は、ソード。両親のいないみなし子です。ひとりぼっちでぶらぶらしていたソードは、メッカにいってなにか仕事を見つけようと思います。じゅん礼について旅をしようとしますが、途中で追い返され、それでもソードはそっとついていき、みんなが眠ったあとに、たき火の傍のパンのかけらを拾って食べます。
とうとうメッカについたソードは、ばくろうに仕事をもらいますが、足をけがした子馬をかばって手当をつづけます。けがの治った子馬とソードは、兄弟のように仲良くなります。
ある日、旅の商人にばくろうは、ソードの馬を貸してしまいます。ばくろうは悪気でやったのではなく、お金が入ったほうがソードがよろこぶと思ったのでした。けれど、ひとりぼっちであったソードにとって、馬は兄弟でも友だちでもありました。毎晩、毎晩、ソードは馬を思って寝ます。
とうとう商人たちが帰ってきて、馬は王様が気に入ってひきとったと、お金をもってきます。商人たちも悪気があったわけではなく、貧しいソードを思ってのことなのでした。けれど、ソードは何も言わずにぼろぼろと涙を流します。
ソードは馬のことを思って、長いこと泣いています。胸はふさがって、のどもつまって、食べることもできません。寝ることもできないのでした。
それから数日後、王様からの使いがやってきます。ソードの馬がだれの言うこともきかないで困っているというのです。ソードはよろこんで、王様のもとへ行くことにします。お金はお世話になったばくろうに渡して、ソードはメッカの町を立っていきました。
孤独な少年が主人公の話です。
この話で印象的なのは、少年がひとりぼっちで旅をするときよりも、仲よくなった馬と離れたときの孤独感です。最初のほうの少年は、ひとりぼっちでつらい旅をしますが、メッカへいって仕事を見つけよう、自分なりに生きていこうという、なかなか芯の強いところを見せます。けれど、仲よくなった馬が去ったあとの少年は、食べるものものどにつまるほど、気力がなえてしまいます。どうやって生きていったらよいかわからないくらい、落ちこむのです。
しかし、馬の方でも同じように少年を思っていたのです。それがわかったとき、少年は生きる力をとりもどし、馬に会いにいくためにメッカの町を旅だちます。
この少年の涙を女々しいと思いますか? 「女々しい」という言葉自体きらいなのですが、広介の作品の主人公は、少年でも大人の男性でもよく泣きます。泣いていいじゃないか、と私は思います。「男らしく」なくてけっこう。少年だって、男性だって、友だちを失った悲しみに胸ふさがれたら、涙をぼろぼろこぼすことのほうが自然です。より深い孤独に落ちいったことのつらさが痛いほどに表れています。
この気持ちは、子どもにもわかると思います。
この話の場合、孤独であることは、道を切りひらいていくことにつながっています。また、人とのつながりを、深く受け止められる感性として描かれています。そして、友だちをもつ喜び、失う悲しみ、さらに遠く離れても思いあうつながりが描かれています。
「孤独」は、けっしてマイナーなテーマにはなっていません。
善意を越えるもの。
そのことについては、「五匹のやもり」にも触れておきたいと思います。
「五匹のやもり」は、江戸時代のある文献に話の題材をとったとされています。あらすじはこうです。
2匹のやもりが、はめ板のほそいすきまで、仲よく暮らしています。
ところがある日、不運にも、ずれたはめ板を打とうとした釘に、おすのやもりがいっしょに打ちつけられてしまいます。しかし、やもりは 血を流しながらも、えさを運んでくれるめすのやもりのおかげで、死にはしないで、じょじょに傷が回復していきます。おすのやもりは、体に釘を貫通させたまま、身動きがとれずにそこで生きることになるのです。
めすのやもりは卵を3つ産んで、子どもが孵ります。子どもたちは、「おかあさん、あれは、なあに。」と、釘づけされたおすのやもりを見てたずねます。
子どもたちは大きくなると、おとうさんやもりのそばへ来られるようになれます。おとうさんやもりはうれしくて、思わず釘にささった体をくるくると回します。
「おとうさん、もって、やってよ。」
子どもたちは、よろこんで言います。
「もっと、やるか。そうか、そんなら、みておいで。」
とうさんやもりは、手ばなしして、釘に打ちつけられた体を、右に左にとまわしてみせます。
この場面について、西本鶏介さんはこう書きます。
「子どもたちを笑わせるために、自分のからだをぐるぐると回して見せる場面である。なにもしてやれない子どものために、こんな道化までもしなければならない父親のかなしみ、おのれの不幸を犠牲にしてまでも、わが子への愛情を示さずにはいられない肉親愛のおそろしさに、思わず顔をそむけたくなる。」(10)
また、「ひろすけ童話における善意とはうらはらの残酷性、あれはいったいどこからくるんだろうか」と、この場面を指摘しています。(2)
けれど、私はこう受けとりました。
おとうさんやもりはうれしかったのです。自分が今できる行動をして、子どもたちがリアクションをしてくれたこと。そのやりとりが無償に……。
表現とは、まさにそういうものではないでしょうか?
筋ジストロフィーの子どもに人形劇の指導に行っている方から、こんな話を聞いたことがあります。筋ジストロフィーという病気の過酷さは、今日できることが明日できなくなってしまうかもしれない、成長ではなく衰退を思い明日を迎えることです。昨日まで立てた子が、今朝は歩けなくなってしまう。その朝の教室には、なかなか言葉がでないそうです。
その子たちに人形劇を見せるのではなく、その子たちが人形劇を演じることはどんなことなのか。その子が動かせる人形、たとえば片手で、座ったまま、人形を車いすに結びつけるようなくふうを人形にします。その人形を、みんなの前で動かして演じてみせる。みんなが笑ってくれる。そのことは、このうえのない喜びなのだそうです。表現は、生きている証なのです。なぜなら、表現とは他者と響きあうものだからです。その響きあいが、生きる力をよびさましてくれるのです。
おとうさんやもりは、不自由な体ですが、もちろん生きています。生きているということは、だれかとコミュニケーションをとること。まして自分の愛する子どもたちを、よろこばせることができるのなら、いくらでもくるくる回ってしまうのではないでしょうか。
これはおなかを釘で固定されてしまったおとうさんやもりの、生きている証とも言える行動なのです。
子どもたちは大きくなり、とうさんやもりを自由にしてあげたいと、旅にでます。釘に打ちつけられた親と子には、そんな親子のつながりができているのです。
物語の結末でやもりは人間に発見され、たぶん釘を抜いてもらえるのでしょう。でも、作品はそこまで描かずに、釘にさしぬかれたやもりの周りに、4匹のやもりがにげずに板にしっかりとしがみついてとどまっている姿で終わります。
長くなってしまったので、広介のなかでも楽しい2つの作品を紹介することができませんでした。目にとまったら読んでみてください。
「赤いポケット」と「ある島のきつね」という作品です。
どちらも子どもたちに人気のある作品だそうです。
「赤いポケット」のほうは、私が小学生のときに、指人形劇を自分たちでつくって演じた覚えがあります。そして「ある島のきつね」は、人形劇をやっていたころ、一人芝居にしたらおもしろいだろうなあと目をつけていた作品です。
どちらもほのぼのとしたやさしい作品ですが、芝居にできるドラマ性があります。また、ユーモアも感じられます。
さて、私が言いたかったことは、きっとこうなのです。
浜田広介の童話で、幼児の私が感じたことを総じて言うとするならば……。
「それぞれ、そこで生きている」。
命あるものも命なきものも、年老いた街灯も、小さな虫や葉や花びら、老いた人間、赤ん坊、猿、鳥、りす、いもの兄弟、やもりの家族、人形……。
自分が今この目に見えるものも見えないものもみんな、「それぞれその場所で、それぞれの物語をはぐくみながら、生きている」という、感触……。
この感覚を「アニミズム」と呼んでよいのかはちょっとわかりませんが、一種のアニミズム的感覚だと思えます。
たしかに日本の民話には、そういう世界がたくさんあります。でも、民話より身近にその世界を感じられたのは、広介の描写(身近な題材を観察して写実に描写する)のおかげではなかったでしょうか。
広介は、「アンデルセンから描写を学んだ」と書いています。
「描写を学んでも、精神はアンデルセンに遠く及ばない」と酷評される広介ですが、はたしてその比べ方はそれでよいのでしょうか?
私が不思議に思うのは、たしかにアンデルセンは、豆の兄弟、年老いたかしわの木、月、ペン、多くのものを擬人化して描いていますが、そこに「アニミズム」的感覚をあまり感じられないことなのです。どうしてかと考えてみると、アンデルセンはとても人間的なのです。擬人化という言葉通り、人間的感覚を異質の物に強く与えているので、それぞれがそれぞれの生き方をしている、とは感じにくいのです。鳥であるけれど人間的な生き方、木であるけれど人間と同じような考え方……というように、そのことは生き方を思想として描けることではあるかもしれませんが、そうでなくてはならないとは私には思えません。 アンデルセンはキリスト教的であり、広介の考えは仏教的色彩が強くでています。また仏教といっても、日本的仏教の世界であって、「山草木悉皆成仏」(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)といった、山も草も木も皆生きているという、言ってみれば汎神論的な要素が強いのではないかと思うのです。
そのことが、命なきものも「それぞれに生きている」という感覚を伝えているのではないでしょうか。私は、幼児のころ、その感覚を広介童話から得たと思います。それは、私とファンタジーとの関わりを考えるうえで、とても大切なことだと思えます。
ウイリアム・ブレイクの詩にこんな言葉があります。
一つぶの砂に世界を見
一輪の野の花に天国を見る
手のひらに無限を
一刻のうちに永遠をつかみとる
この一節は、ファンタジーに深くかかわりのある言葉だと思い、大事にしています。この精神の幾ばくかが、広介童話に通じているように私は感じます。広介童話は私に、人が目にとめないような命なきものや小さきものの生へ、視線を向けるきっかけをあたえてくれたのではないかと思うからです。
ですから、今の子どもたちに広介童話を読んでほしい、という思いもあります。広介の童話のテーマは現代的でないとは思えませんし、リズムのある文体ゆえに語り伝えることは可能です。もちろん教訓的で古い感じのする作品もありますが、子どもたちに呼応する世界を提供できる素材として見直せる作品もまたあるのです。
小川未明に比べて、浜田広介は批評にも値しないというきびしい評価があるといいます。たしかに、広介の評論はとても少ないです。でも、もし読み返してみて気に入った作品がありましたら、子どもを前に語ってみてください。きっとなんらかの発見があるのではと私は思うのです。
(参考図書)
1,『講座日本児童文学 第七巻 日本の児童文学作家 2』浜田広介──広介童話の内質と展開 向川幹雄、明治書院 1963年)
2,『日本児童文学 浜田広介追悼』座談会 浜田広介の文学をめぐって(盛光社 1974年3月号)
3,『ひろすけ幼年童話文学全集 3 子ざるのブランコ』(浜田廣介、集英社 1962年)
4,『ひろすけ幼年童話文学全集 2 よぶこ鳥』(浜田廣介、集英社 1962年)
5,『子どもと文学』(石井桃子、いぬいとみこ、鈴木晋一、瀬田貞二、松居直、渡辺茂男共著 福音館書店 1967年)
6,『浜田広介童話集』(浜田広介、新潮文庫 1953年)
7,『児童文学評論』ますとおじいさん(古田足日 現代児童文学評論 1959年)
8,『日本児童文学全集第4巻 童話篇四』浜田広介集(河出書房 1953年)
9,『児童文学入門』浜田広介小論 古田足日(著者代表 坪田譲治 1957年)
10,『子どもの本の作家たち』(西本鶏介 東京書籍 1983年)
11,『小川未明 浜田広介』(畠山兆子、竹内オサム 大日本図書 1986年)
12,『日本児童文学史論』(大藤幹夫 くろしお出版 1981年)
13,『児童文学概論』浜田広介論 中川正文(福田清人、滑川道夫、鳥越信編 牧書店 1963年)
14,『児童文学への招待』広介童話案内 久保喬(加太こうじ、上笙一郎編 南北社 1975年)
*数少ない広介の資料のうち、9〜14は千葉幹夫さんからお借りしました。ありがとうございました。
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