『並木通信社』
鬼ヶ島通信18号(1991年)・入選作
作・堀切 リエ

 ようこが、変わったチラシをもらったのは、ビルの合い間を通り抜けて、駅の前に出たときだった。駅前の小さい広場には、細いポプラの木が門のように二本立っている。ようこはワープロ打ちで疲れた目を休めるように、しばらくぽうっとして、ポプラを見上げていた。ふわっと手渡されたちらしは、配っている人の顔も見ないまま、カバンにおしこんで、そのままになっていた。
 家に帰ってカバンを開けると、はらりと葉っぱの形をしたチラシが出てきた。細長い文字が、手書きで、たて長に並んでいる。
『急募! 一週間働いてくれる方。但し、人間以外の生きものとも仲よくできる方に限る。   並木通信社』
 ようこは首をかしげた。
──ペットショップか、園芸店かしら。でも通信社って書いてあるわ。
 ワープロ打ちのアルバイトにうんざりしていたようこは、一週間の息抜きのつもりで、この事務所に行ってみることにした。
 うすい緑色のビルの七階に、事務所はあった。
 ビルの中央の丸い筒状のエレベーターが、七階へと運んでくれた。エレベーターは、なんだか心の安らぐようないい薫りがした。ワープロ打ちでためこんだ肩こりが、少しだけ楽になるような感じがする。
──ウィ〜ン
 軽くうなって、エレベーターが開くと、もう事務所の中だった。うす暗い事務所のまん中には、大きな丸い木の机がでんとあり、それを囲んでいすが並んでいた。おじいさんが、一人、いすに座って目の前の段ボールから、手紙のようなものをとりだして、整理している。
「あの……」
 ようこが口を開くやいなや、おじいさんはゆっくり顔を上げた。しわでいっぱいの顔だった。鼻まで大きなしわの一つに見えるほどだ。しわの奥に小さいやさしい目がのぞいていた。
「よく来てくれました。娘が二人とも調子が悪くなって、困っていたんです。お名前は?」
「山田ようこです。」
「ようこさん、では、さっそく働いてもらいましょうか。」
「面接とかなにかは、ないんですか。」
「チラシを配るときにすませているからね。それより大急ぎでこれを区分けしなければならないんです。」
 ようこは、なんだか落ちつかなくて、たずねた。
「娘さん、病気かなにかですか。」
「ああ、どうも薬が合わなかったらしい。急にたくさんかけられたものでね。立っているのが精一杯という様子じゃ。」
「立っている? 横になればいいのに。」
「横になる? まさか」
 おじいさんは、顔をちょっとゆがめた。しわが波打ってみえた。ようこはともかく、いすに座りこむと、段ボールを開きだした。
 中から、葉っぱの形をした手紙が、たくさん出てきた。
「手紙を一つずつ筒に入れて、区分けして段ボールに入れるんだよ。」
 ようこは、うなずいて手紙をとりあげた。
「時田町いずみ通り、えのきゆうすけ様。これ、番地がありませんけど……」
 ようこが顔を上げると、おじいさんは窓べに並べた段ボールを指さした。「時田町いずみ通り」の箱がある。ようこは、手紙をくるくるっとまいて、ひものついた細い筒に入れると、ふたをしめて、段ボールに入れた。
 次のは、「山の上町WWビル前 いちょうけいこ様」となっていた。ようこは、次から次ぎへ手紙を手にとり、筒につめて区分けしていった。昔から熱中すると途中で止まらないたちだ。
 気がつくと、三時を回っていた。お昼も食べずにがんばったというわけだ。仕事が終わると、箱は全部ベランダに並べられた。
「助かったよ、ようこさんのおかげで、夕方に間にあった。」
 おじいさんは、そう言いながら、熱いお茶をせんじてくれた。お茶は、いろいろな草や木の匂いがして、疲れがスーッと抜けていくような飲み心地だった。
「ごくろうさま、またあしたね。」
 おじいさんは、ようこをエレベーターまで送ってくれた。ようこは首をかしげながら、うすい緑色のビルを出た。

 次の日も、丸いエレベーターにのって、ようこは事務所に行った。おじいさんは、ベランダから、空の段ボール箱を中に入れているところだった。手紙は、みんななかった。
──あれから郵便局へ行ったのかしら。
 ようこが首をかしげていると、おじいさんは、部屋のすみから別の段ボールを出してきて言った。
「今日は、別の仕事だよ。」
 段ボールの中には、いろんな形の葉っぱがいっぱいつまっていた。
「葉っぱ?」
「そう。まず、ここに葉っぱをつける。」
 容器に透明な液体が入っていた。葉っぱはすぐに、すかして見えるくらい透明になった。葉脈が、細くこまかい模様を描いている。
「きれい。」
 ようこは、思わずのぞきこんだ。おじいさんは、にこにこして、ピンセットで葉っぱをつまみあげると、他の容器に入れ、とろとろと別の液体を流しこんだ。
「これで十五分たてば、葉っぱのお皿のできあがりというわけだ。」
「へえー。」
「こっちが、葉っぱのコースター用、こっちは、しおり用、小さいのがブローチ用。自然ブームにのっかって、なかなかの人気でね。通信社をやっていくためには、資金稼ぎも必要だからね。」
「はあ。」
 ようこは、わかったようなわからないような気持ちで、葉っぱのお皿や、コースターを作りだした。やりはじめると、これがおもしろくてしかたない。葉っぱ一枚一枚、形も違うし、浮きでてくる模様も違う。たくさんの葉っぱはどれも、この世に一枚しかない自分の模様を持っていた。
 三日間、二人は一生懸命、葉っぱの製品を作りつづけた。
 三日目の夕方、段ボール十三個分の葉っぱの製品を、とりにきた業者へ渡すと、おじいさんは熱いお茶を入れてくれた。体の疲れも心の疲れも流してくれる味だ。ようこは、ほうっと息をついた。
「また明日もお願いするね。」
 おじいさんは、ようこをエレベーターに乗せて、手をふって送ってくれた。アルバイトのようこは、今まで誰かに見送られたことなどなかった。ようこは、はすかしそうに手をふり返した。おじいさんの手は、木の枝のように細かった。

 次の日、ここへきてから五日目の仕事は、通信作りだった。
「ようこちゃんには、インタビュアーになってもらうからね。」
「インタビュアー。」
 ようこが聞き返そうとしたとき、エレベーターが軽いうなり声をあげて昇ってきた。
 中からは、背の高い、ひょろりとした若者が出てきた。ようこと同じくらいの年だろうか。
 細くて長い足にGパンをはき、茶色のTシャツを着ている。野球帽のような帽子をとると、髪だけはあざやかな黄緑色に染めていた。
「新街通りに越していた仲間を代表して、ぼくが来ました。みんな歩くのは苦手だから、いちばん若いぼくが来ることになったんですが、よかったでしょうか。」
「もちろんだとも。さあ、ここへ座って。座るのも得意じゃないだろうが、なにごとも経験だ。」
 若者は、ぎくしゃくといすに座った。
──若いのに、腰でも痛めたのかしら。
 ようこは、首をかしげて見ていた。
「ようこちゃん、お茶を出して。」
「はい。」
 ようこは、あわててガス台に走った。
 お茶を入れていくと、若者とおじいさんはすっかり打ちとけて話していた。
「こちら、先月この町へ越してきた、こぶしたろうくん。」
「よろしく。先月っていうと、新しくできたマンションですか。」
「そうです。よくご存じですね。」
「さっき、仲間と越していらしたって聞いたから。」
 おじいさんは、ようこをいすに腰かけさせて言った。
「今月号の並木通信に、新しい仲間の紹介を載せようと思ってね。ようこちゃんに、インタビューをしてもらうよ。」
 ようこはうなずいて、ちょと緊張して、こぶしたろうに向きなおった。
「では、まず、この町の印象はいかがですか?」
「人がたくさんいるのに圧倒されました。話には聞いていたのですが。朝の忙しいことにも驚きです。みんなで行列をつくって、せかせかと歩いていく様子は、アリそっくりですね。」
「アリ。」
 ようこは、思わず口にだして繰り返した。
「他には?」
「空気に細かいごみが浮いていて、体にまとわりついて息苦しかったです。少し慣れてきましたけど。」
「前にいらした所は、どんな所だったのですか?」
「小さな山の中腹でした。とてもいいところでした。友だちもたくさんいましたし。」
「では、どうしてこの町へ?」
「自分で選んだわけじゃないんです。」
「お仕事の都合ですか?」
「ええ、まあ。」
「では、これからの仕事の抱負を。」
「ぼくは、どこへ行ってもしっかり根をはりたいと思います。まわりの人を元気にさせるのが、ぼくの仕事ですし、生きがいですから。」
 こぶしたろうは、元気に答えた。
──私と同じくらいの年なのに、こんな人もいるんだわ。
 ようこは、感心するとともに、ほうっと息をついた。
 若者が帰ると、大急ぎでおじいさんは通信の空欄を埋め、いつのまに撮ったのか、若者とようこの写真も載せた。
「ようこちゃん、大急ぎ。印刷だよ。」
 ようこは、近くの印刷所へ飛びこんだ。印刷をした通信は、前の手紙と同じように、ひものついた筒に入れ、行く先の区分けをした。
 通信をふりわけるのに、次の日も費やした。
 そして、とうとう七日目、アルバイト最後の日になった。
 事務所に着くなり、ようこは買い物に出された。
「ガラス屋さんに行って、虹色に光るビー玉百個、一つ欠けてもだめ、ちょうど百個。大急ぎ。」
 ようこが、ビー玉を抱えて帰ってくるなり、
「ビー玉をようくみがいて、五つずつ袋に入れてリボンをかける。五つずつ、一つ多くても少なくてもだめ。」
 おじいさんは、きびきびとビニール袋とリボンをさし出して、つけ加えた。
「わしはリボン結びができないから、よろしくね。」
「お客さんですか?」
「そう。大事なお客さんが、夕とろ時にきっかり二十人。」
「二十人。夕とろ時?」
「夕方とろとろ。つまり、夜でもなく昼でもなく、夜と昼の間で、とろとろとろけそうな時間のことだ。さあ、急ごう。」
 おじいさんは、コップを二十個出してきて、キュッキュッとみがき始めた。机もいすもそれから床も、てかてかと光るまでみがき続けた。
「きれい好きなお客さんなんですか?」
「とにかく光っているものが、大好きなんだよ。」
 ようこは、次に果物屋に行って、バナナにリンゴ、メロンにすいか、キーウィにレモンを山ほど買ってきて、ジュース作りを始めた。
「ジュースにもうるさくてね。」
 やっと準備ができると、もう太陽が赤く色づき始めていた。ようことおじいさんは、てかてかにみがいたテーブルに、ビー玉とジュースを並べてお客さんを待った。
 太陽がビルの窓を赤く染めながら姿をかくすと、いくら目をこらしても、はっきりとは見えないような、夕とろ時がやってきた。にわかにあたりが、ざわざわっとさわがしくなり、エレベーターが開くと同時に、たくさんの人がいっぺんに、事務所へなだれこんだ。ようこは驚いて、部屋のすみによった。
 お客さんはみんな灰色の筒のような帽子をかぶって、おそろいのマントをはおっている。顔は黒くて、口のあたりがいやにとんがっている。
「お晩です。」
 お客さんは、ちょっと気どってあいさつをかわしながら、席へついた。
「おや、かわいいこを入れましたね。」
 一人のお客さんが、ようこを見てニッと笑った。
「おお、光っている。虹色の上等なビー玉だ。」
 お客さんたちは、テーブルに置かれたビー玉を見ると、目を輝かせて、透かしてみたり、なぜてみたりした。
「みなさん。」
 いちばん体のがっしりとしたお客さんが、話しはじめた。
「私は、きのう、地面で、それは見事にキラキラッと光っているものを見つけましてね。」
「ほう。」
 他のお客さんたちは、身をのりだした。
「それも、りっぱな大きさなんです。急いで急降下して、足でひっかけようとしたら、スカッとして、足ごたえがない。」
「ほう?」
「おかしいなと思って、光っているものの、すぐ近くへ下りてみた。すると、」
「すると?」
「そいつは、きのうの雨でできた、水たまりだったというわけです。」
「ガア、カカカーア。」
 お客さんたちは、変な笑い声をたてて、となりの人と肩をたたきあった。その様子は、とても上品とは言えなかった。
「そろそろ、お願いいたします。」
 おじいさんの声に、お客さんたちは、すまして座りなおすと、ジュースをズズッと音をたてて一気にすすった。
「行くぞ。」
 さっき話をしたお客さんのかけ声で、二十人はいっせいに立ちあがり、ベランダへ出ていった。ひるがえしたマントの下から、細い脚とするどい爪があらわれた。手紙の入った筒のひもをたばね、爪でしっかりつかむと、お客さんたちは、ひらりとベランダの手すりに飛びのった。
 もう一度、灰色のマントがひるがえると、黒く光った羽に変わっていた。
──カラスだわ。
 ようこは、つぶやいた。
 カラスになったお客さんたちは、いっせいに羽を広げ、バタバタバサバサと、すばらしい羽音とともに、ビルの合い間へ飛び立った。
 赤みの残る空を、カラスたちは手紙を下げて、それぞれの方向へと散っていった。ようこは、ぼうっとそれを見送っていた。
「並木通信を、全国の並木たちへ届けてくれるのです。」
 おじいさんが、後ろに立っていた。ようこは、ふりかえった。
 今、おじいさんの姿は、どう見てもおじいさん本来の姿、木に見えた。
 おじいさんは、それをわかっているように、うなずいて言った。
「ここは、ビルが建つ前には、神社があってね。わしは、境内に奉られていたご神木だったんじゃ。ビルを建てるとき、わしを切ることを恐れた人間たちは、わしの体をくりぬいて、エレベーターにして残したんだよ。それからこの町の林はどんどんなくなって、かわりに並木がふえた。そこで思いついたのが、『並木通信』。山を離れた孤独な木たちのネットワークというわけさ。」
 ようこは、今までのことすべてに合点がいってうなずいた。
「山からここへ連れてこられて、並木たちは人間をうらんではいないの?」
「まさか。」
 おじいさんは、しわの中の目を大きくあけてみせた。
「木たちは、まわりを喜ばせたり、ほっとさせたりするのが好きなのさ。」
 おじいさんが、ふり返ると、後ろには二人の娘が立っていた。
 ようこは一目見るなり、それが誰だかわかった。すっきりした立ち姿。やわらかそうな大きな葉。ささやくようにやさしい葉ずれの音。ようこが疲れた時に立ちどまる、駅前広場の門柱のような、二本のポプラの木だった。
 ようこは、包みを手渡されると、夢の中のように、ぼうっとしたまま家へ帰ってきた。
 包みを開けると、中にはきちんと封筒に入ったお札と、お茶の包み、そして、葉っぱのブローチが入っていた。
 それから、一月に一度、ようこの所に、どこからともなく『並木通信』が届くようになった。ようこは、『並木通信』を手にとるたびに、街角でがんばっている並木たちを思い出し、元気がわいてきた。
 ようこは、おじいさんに会いたくなって、うす緑色のビルに行ってみたが、エレベーターは七階事務所には運んでくれなかった。そのビルは、建てた時から六階建てだったそうだ。

Copyright(C) Riel Horikiri 1991
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