『おじいちゃんの結婚』
鬼ヶ島通信19号(1992年)・入選作
作・山本悦子

 おじいちゃんが結婚したいと言い出したのは、まだ寒さの残る三月の終わりだった。最初は家族の誰もが本気にしなかった。でも、おじいちゃんがあんまり真顔で言うから、みんな、だんだん不安になってきた。
「ぼけたんじゃないか。」
 お父さんは、小声でささやいた。
「ぼけとらん!」
 七十五とは思えないほど耳のいいおじいちゃんは、ふんがいした。
「お前たちは、なんで信じないんだ。俺はさっきから、きちんと話しとるのに。」
「だって、じゃあ、誰と結婚するっていうんですか。」 お母さんは、湯飲み茶碗にお茶を注ぎながら、あきれた口調で言った。
「相手は、岡村里子さんという人だ。俳句の会でいっしょにやっとる人で、もうすぐ七十二才になるはずだ。」 おじいちゃんは、とつとつと岡村里子さんという人について説明した。だんなさんとは、三十年前に死別したこととか、子どもは二人、娘がいるけど、別々に暮らしていることとか。
 おじいちゃんが話していくにしたがって、お父さんたちの顔がひきつっていくのがわかった。
「冗談じゃない!」
 お父さんはおこった。
「本当に、いい年してなに考えてんだか。」
 お母さんは、ため息をついた。
「お前たちにはどうせ反対されるだろうと思っとった。でも、どう言われようと、俺の気持ちは決まっとる。」 おじいちゃんは、きっぱり宣言した。
「かっこいい。」
 お兄ちゃんは、ノーテンキだ。お母さんに、べしっと頭をたたかれている。
「お前たちがなんと言おうと、俺は結婚する。」
 おじいちゃんは宣言すると、部屋を出ていった。
「どうするの。」
 お母さんは、お父さんを見た。
「ほっとけ。」
 お父さんは、冷たく言った。
 私は、そっとおじちゃんの部屋に行った。ふすまを細く開けてのぞいてみると、おじいちゃんは、お仏壇に手を合わせていた。
「おじいちゃん。」
と声をかけると、おじいちゃんは、
「みのりか。入れ。」
と言った。
「おばあちゃんに、なに言ってたの。」
 お仏壇には、死んだおばあちゃんの写真が飾られている。
「ん、まあ、なんだ。悪いなってな。」
「悪いって。」
「新しい人と結婚することにしてさ。」
「ああ、そういうこと。」
「ま、ばあさんが死んで十二年だ。許してくれるだろ。」 おじいちゃんはそう言いながら、おそなえしてあるおまんじゅうを二個とって、一個私にくれた。私は、その包みをやぶって、
「ほんとに結婚すんの。」
と、聞いた。
「まあな。」
 おじいちゃんは、おまんじゅうを口いっぱいにほおばっている。
「どんな人。」
「まあ、普通の人だ。」
「でも、好きになっちゃたんだ。」
 おじいちゃんは、いきなりごほごほとむせた。
 私は、こたつに置きっぱなしになってた湯飲みに、ポットのお湯を注いだ。おじいちゃんは、一気にそれを飲み干した。
「今度、会わせてね。」
と言うと、おじいちゃんはにまっと笑ってうなずいた。
 翌日、学校から帰ると、お母さんがパニックにおちいっていた。
「おじいちゃんがつれて来ちゃったのよ。ほら、例の、岡村里子さん。」
 私は、ランドセルを背負ったまま、おじいちゃんの部屋をのぞいた。
「おう、みのり。入れ。」
 いつもと同じ口調だった。
 私は、おずおず中に入った。
「孫のみのり。五年生だ。」
 おじいちゃんは紹介した。ぺこっとおじぎをすると、岡村里子さんもぺこっとおじぎをした。ちいちゃなおばあちゃんだった。色が白くて、ほっぺたがちょっとピンク色だった。
「よろしくしてね。」
 優しい声だった。
 おじいちゃんの部屋を出ていくと、お母さんが待ちかまえていた。
「どうだった。」
「どうだったって。」
「岡村里子さんよ。」
「優しそうな人だったよ。」
「おじいちゃん、どうするつもりみたい? まさか、この家に住ませるつもりじゃないでしょうね。」
「そんなこと、わかんない。」
「ん、もう!」
 お母さんは、乱暴にスリッパをばたつかせた。
 お母さんは、お父さんの会社に電話を入れたらしく、お父さんがあわただしく帰ってきた。お母さんは、夕飯の支度を始めていた。
「ね、岡村里子さんも食べてくわけ。」
と私が尋ねると、
「知らない!」
とぶっきらぼうに答えた。
「結婚するということは、やっぱりここに住むつもりなんじゃないのか。」
 ネクタイをゆるめながら、お父さんは言った。
「いやよ!」
 お母さんは、思い切り顔をゆがめた。
「いいじゃん、別に。」
 お兄ちゃんは、エビフライをつまみ食いしながらそう言って、お母さんにべしっとたたかれた。
「財産分与とかあるしなあ。」
 お父さんが、ぼそぼそ言った。うちにもめるほどの財産があるなんて知らなかった。
「財産なんか、どうだっていいわ。どうせ、たいしたもんはないんだし。それより、赤の他人が、それも年寄りが入りこむってことが大変なのよ!」
 お母さんは、現実的だ。
「私、あのおばあちゃんなら、いっしょに住んでもいいけどな。」
 口をはさむと、お母さんは、きっとにらみつけた。
「もし、あの人が寝たきりにでもなったら、私が面倒みなきゃいけないのよ。おじいちゃんだけでもいやなのに、どうして赤の他人を引き取って、面倒みなきゃいけないの!」 
 なるほど、それは大変なことなのかもしれない。
「お父さん、絶対断ってくださいね!」
「そんな心配は無用だ。」
 いつのまにか、おじいちゃんが立っていた。まあ、このせまい家で、あれだけ大きな声を出してれば、おじいちゃんたちに聞こえないわけはないのだけど。
「私たち、ここに住むつもりはありません。安心してください。」
おじいちゃんの背中に隠れるようにして里子さんは言った。
「私が今住んでいる家がありますし、そこで暮らします。」
「二人暮らしの方が、よっぽど気楽だ。」
おじいちゃんは言った。
「え、おじいちゃんも行っちゃうの。」
私は驚いた。そんなこと考えてなかった。
「それはこまるわ。それじゃ、私が追い出したみたいじゃないの。」
お母さんは、言った。
おじいちゃんは、むっとした顔で何も言わない。
里子さんは、夕ご飯も食べずに、帰っていった。
次の朝、お母さんの叫び声で目が覚めた。
「きゃー! おじいちゃんが!」
びっくりしてかけつけると、おじいちゃんの部屋で、お母さんが座り込んでた。手には書き置きがにぎられていた。
『早速、引っ越すことにいたしました。みなさま、お元気で。』
「やるなあ。」
お兄ちゃんは、感心してお母さんにたたかれた。
タンスの中の服や、硯や、おじいちゃんの好きな美空ひばりのレコードがなくなっていた。お仏壇に目をやると、おばあちゃんの写真と位牌もなくなってた。
お父さんは俳句の会の名簿を見て、岡村里子さんの住所を調べた。
「とにかく、迎えに行ってくる。」
と、お父さんは言った。
「結婚なんてばかなこと、やめさせないと。」
結婚てばかなことなのかぁ。私は、ぼんやり考えていた。
意気込んで行ったお父さんは、あっさり撃沈されてもどってきた。
「あんなに頑固だと思わんかった。」
お父さんは、ため息をついた。
「明日、和美も呼んでいっしょに行って来る。」
和美というのは、お父さんの妹だ。おじいちゃんは、和美おばさんに甘いから、そこをねらったにちがいない。
「そうね。和美さんが言えば、あきらめるでしょうね。」
お母さんは、ほうっとため息をついた。
でも、次の日、和美おばさんが行っても、やっぱり結果はおもわしくなかった。
「あんなに頑固なお父さん、初めて見たわ。そんなにまでしてあそこにいたいなんて、何かわけでもあるのかしら。」
和美おばさんは、お母さんをちらっと見た。
「それは、どういう意味なのかしら。」
お母さんは目をつり上げた。おばさんは、唇をとがらせたまま、何も言わない。
「まあ、なんだ。そこまで言うなら、しばらくほっておくか。」
二人の間に割ってはいるように、お父さんが言った。
「こまるわ。あんな年で結婚なんて、近所の物笑いのタネよ。」
お母さんは、泣き出しそうな顔になった。
「ねえ、みのりや純一だって恥ずかしいわよねえ。」
突然ほこさきを向けられて、私は、つい本音をこぼしてしまった。
「私、恥ずかしくないよ。」
ずっと思ってたんだ。何だって、そうみんな目くじらを立てるんだろうって。おじいちゃんや里子さんに、奥さんやダンナさんがいるというなら問題だけど、二人とも独身なんだしさ。
「子どもにはわからないわよね。」
お母さんは、しかたないわねと言った。
お父さんは、次に里子さんの娘さんと連絡をとったらしい。
「どうなってるんだ、あそこの娘は。」
お父さんは、腹立たしげに言った。
「お母さんのことは、お母さんの自由ですから、好きなようにさせてください、だと。」
お父さんたちがやきもきしてるだけで、話は全然進展していかなかった。
おじいちゃんが家を出て、一週間が過ぎた。学校から帰って部屋に入ったとたん、電話が鳴った。おじいちゃんだった。
「みのりか。お母さん、いるか。」
「ううん、今いない。買い物みたい。」
「そうか、じゃ、今から行く。」
電話を切って一分もしないうちに、おじいちゃんはやってきた。
「どうも、おまえのお母さんとは会いにくくてな。ま、悪い人じゃないことは、わかっているんだがな。」
おじいちゃんは、足りない物を取りに来たらしかった。紙袋にあれこれ入れてる。
「ねえ、私もついていきたいな。おじいちゃんの新しい家、見てみたい。」
「新しい家、か。」
おじいちゃんは、ちょっと考えてから、
「よしよし。いっしょに行こう。ただし、」
「お母さんには、ないしょ、だね。」
私とおじいちゃんは、にんまりわらった。
おじいちゃんの新しい家、まあ、岡村里子さんの家なんだけど、は、わりと近くて、バスで二十分くらいだった。むかし農家だったということで、だだっぴろい敷地の隅に、古ぼけた家が建っていた。
「ただいま。」
おじいちゃんが言うと、
「お帰りなさい。」
はなやいだ声で、里子さんが出てきた。
「まあまあ、みのりちゃんも来てくれたの。」
里子さんは、私の顔を見てにっこりした。
「そろそろ帰ってくると思って、鬼まんじゅう作っておいたの。源三さん、好きでしょ。」
さつまいもと小麦粉で作った鬼まんじゅうは、やたらでかかった。でも、それよりも驚いたのは、里子さんがおじいちゃんを源三さんと呼んだこと。なんだか不思議な気分。
おじいちゃんは、確かに源三さんなんだけど、おじいちゃんがおじいちゃんという名以外で呼ばれるのは、初めて聞いた。おじいちゃんは、里子さんのことを「里さん」と呼んでいた。二人は、もうずいぶん前からそうやって暮らしてたみたいに自然だった。
奥の部屋にお仏壇があって、おばあちゃんの写真が飾ってあった。その横には見知らぬ男の人の写真。
「あれは、私の前のつれ合い。」
と、里子さんは説明してくれた。何だか内輪もめが起きそうな取り合わせだなあと思ったけど、口には出さなかった。
お茶を飲んで一息つくと、おじいちゃんは庭に出ていった。
「今、畑を作ってるんだ。」
と、おじいちゃんは言った。広い庭は、確かに耕しがいがありそうだった。おじいちゃんは、結構なれた手つきで庭の隅っこから、くわをあてはじめた。すでに、畳三畳分くらいの畑が横にできている。
「あそこには、何が植わってるの。」
私は、里子さんに尋ねた。
「あれは、じゃがいも。今耕してるのには、お汁に入れる菜っぱとか、にんじんとか植えようと思うのよ。」
里子さんは、おっとりと答えた。
「おじいちゃんが、あんなことできるなんて知らなかった。」
私は、つぶやいた。
「源三さんの家は、農家だったそうだから。小さいころからやらされてたって言ってたわ。」
里子さんは言った。
私は、自分が何にも知らなかったことに驚いた。おじいちゃんとは、赤ちゃんのころから、もう十年以上も暮らしていたのに。
「里子さん。」
どう呼んでいいか少し迷ったけど、おばあちゃんと呼ぶのも変な気がして、そう呼んだ。
「何で、おじいちゃんと結婚しようと思ったの。」
「え、ふふふ。」
里子さんは、うれしそうに含み笑いをした。
「あのね、源三さんは、初恋の人なのよ。」
「え、初恋。」
びっくりして、里子さんをまじまじと見た。
「前の主人はね、お見合いで、それも結婚式の日、初めて顔を合わせたの。好きとかきらいとか、そんな時代じゃなかったのね。もちろん、きらいじゃなかったわよ。長いこといっしょにいれば、それなりに心は通うものだし。でもね、この人が好きだなあと思ったのは、源三さんが初めて。」
里子さんは、私の顔をのぞき込んだ。
「おかしいかしらねぇ。こんなおばあちゃんが、人を好きになっちゃ。」
「ううん。」
私は、あわてて首を振った。ほんとは少しおかしな気持ちだったけど。
「私もね、もう、そんな気持ちが残ってるなんて思わなかった。もう、体と同じに心もかさかさに乾いてしまってると思ってたの。だから、自分でも驚いて、出来ることならそんな気持ちは、気がつかないふりをしてしまおうと思ったのよ。でもね、源三さんがこんなふうに話してくれたのよ。」
里子さんは、ゆっくりと、かみしめるように話してくれた。
「ここで、縁側で夕日を見ていたのよ。そりゃあきれいな夕焼けでね。そしたら源三さんが言ったの。『俺はもう年だし、あと何年生きられるかわからない。明日にでも死ぬかもしれない。でも、あと何日か何時間かわからんが、残りの時間をあんたと過ごせたらいいなあと考えてしまうんだ。こんなふうに夕焼けを見たり、いっしょに朝飯を食ったり、二人で散歩したりして暮らしていけたらいいなあとね。』わたしは、なんてこたえていいかわからなくて黙っていたの。源三さんは、少し考えてから、またこう言ったの。『あと何年いっしょにいられるかはわからない。でも、もし百歳まで生きたとしたら、俺にはまだ二十五年、あんたには二十八年ある。それだけの時間を、ぼうっと、ただ年寄りらしく、年寄りとしてだけ過ごすのは惜しくないか。』そのとき、はっと気がついたの。二十何年もあるなら、その間、ずっとおばあちゃんとしてだけ生きてくなんてつまらないってことに。あと二十年、もう一回、人らしく生きていけるんじゃないかって。年寄りらしく生きなきゃいけないことはない。私の名前は岡村里子。おばあちゃんて名前じゃないことに気がついたのよ。」
里子さんの顔は真剣で、私は、思わず引き込まれた。「それでね、源三さんと暮らすことにしたの。籍は入れてないから、同棲って言うのかしら。ずいぶん今風ね。」
里子さんは、恥ずかしそうに、でも誇らしげだった。「今度ね、にわとりも飼うのよ。」
里子さんは言った。
「そしたら、毎日新鮮な卵が食べられるでしょう。」
「うん。」
「そのうち、ひよこだって生まれるかもしれないでしょ。」
「うん、すてき、すてき。」
私まで、なんだかわくわくしてきた。
「そしたら、私にも触らせてね。」
「もちろんよ。」
ひよこのぽわぽわした感触が、早くも伝わってくる気がした。
「おーい、堆肥もってきてくれ 。」
畑からおじいちゃんが声をかける。
「ふふ、やきもち焼いてるのよ。私たちばっかり仲よくしてるから。」
はいはいと返事をしてから、里子さんは小声でささやいた。
二人は、ならんで畑仕事を始めた。
「おじいちゃん、私、そろそろ帰るね。」
と、声をかけると、
「おう、気ぃつけてな。」
と、おじいちゃんは言った。
「また、おいでね。」
里子さんは、横でほほえんでる。
私は、バス停にむかう道をゆっくりと歩き出す。
桜の花が、一つ二つと咲き始めていた。


Copyright(C) Etsuko Yamamoto 1992
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