『卒業記念日』
鬼ヶ島通信33号(1999年)・入選作
作・高林潤子

 「ではー、ひとり、六百円の徴収ね。はい、出して出して」
 「六百円はけっこう痛いよねー」
 差し出した冬美の手のひらに、ハシモトと飯倉ちゃんが、ジャラジャラと百円玉や十円玉をのせた。
「ちっ、中三にもなって、三人とも小銭ばっかりかあ。だれか、紙のお金とか五百円玉とか、もってないのかなあ」
「ぜいたくいわないの。千八百円の参加料、ちゃんと集まったんだもん。みんな、ビンボーなのに、えらいよねえ」
「そうそう。これでフリマに参加できる」
 飯倉ちゃんがほっとしたようにいったのを、ちらりと横目で確認して、冬美はとびきりハッピーそうな笑顔をみせた。
 始まりは、お正月。駅前の緑地公園だった。 冬枯れた緑地公園の一角は、フリーマーケットでにぎわっていた。
そこをさんざん、ひやかしたあと、ひとつのじゃがバタを仲良し四人組で食べていたときだ。  なんだか元気ないなと思っていた飯倉ちゃんが、遠くをみつめたまま、ぽつんとつぶやいた。
「あのさあ、わたし、卒業式が終わったら、今の学校、やめることになったんだ。冬美ともハシモトともミカとも、おんなじ高校、いけないんだよね」
「……」  
みんな、おかしいなとは思っていた。先生や親がガサガサ動いていたし、飯倉ちゃんもしょっちゅう、職員室に呼び出しされていた。のんびりした中高一貫教育の女子校生活は、小さな変化にも敏感だ。
 冬美たちの中学は、別に有名な私立校じゃない。それでも、『お邪魔な生徒』は、外に出されてしまう。  
はっきりいって、飯倉ちゃんの成績はどん底だ。体育や音楽もいまいち。そのくせ、校則違反は人一倍しっかりこなしている。
「飯倉ちゃんは不器用なんだよ」と、ハシモトがよくいう。冬美もそう思う。冬美だって、成績は飯倉ちゃんと似たようなものだ。ただ、校則違反は、先生にみつからないようにやってるから、飯倉ちゃんほどには、にらまれていないだけだ。
どんなににらまれていても、飯倉ちゃんはけろっとして、いつもにこにこして、誰にもやさしい。  
それなのに、飯倉ちゃんは、追い出されてしまう。
「みんなといろんなことして……、楽しかったよ、とっても」
「飯倉ちゃん、やだ。そんなさみしい、いい方しないでよ」
 ミカが甘えた声でいった。 「そうだよ。あえなくなるわけじゃないもん」冬美がいうと、 「今度いく高校、隣の市にあるんだ。遠いし、やっぱ、なかなかあえなくなるよ」  
飯倉ちゃんは、寒そうにダッフルコートのえりもとをかきあわせた。  
公園は、フリマにきた大勢の人で、にぎわっている。めんどうなこともいやなことも、なんにもないように。
「ねえ、みんなでフリマやろうよ。中三の……、卒業の記念に、フリマやろっ」
冬美が叫ぶようにいうと、
「やろう。賛成賛成。みんなで一緒にやろう」 ハシモトも、大きな声を出した。
 飯倉ちゃんが、はにかんだように、こっくりとうなずく。隣でミカが、飯倉ちゃんにだきついた。 (絶対、大成功させる)  
冬美にむかって、ハシモトが目でサインを送ってきた。 (ウン。絶対)  冷たい冬の風が吹きぬけていくけど、胸の中は、跳びはねた後のように熱かった。

 考えたことが、思ったとおりに進むなんて、なかなかないことだ。
「若い人は、未来があっていいわねえ」なんていわれるけど、冬美はそうは思えない。
 いやになるくらい、あきらめたり、がっかりしてきた。努力なんて空しいものだ。
 でも、卒業記念のフリマだけはやってみせる。自分のため、そして飯倉ちゃんのためにも、そう決めていた。なのに……。
「ごめーん。その日、彼のバスケの試合なんだー。わたし、応援にいかなきゃなのー。ほんと、ごめんっ」
 あっけなく、ミカが抜けた。
「信じられない。あんた、友情よりも男をとるわけ?」
 冬美が目をつりあげていったけど、ハシモトは冷静だった。
「しょうがないなあ。そのかわり、商品集めだけは手伝ってよ」
「うんっ。ママにも頼んだんだ。服とか靴とか、たくさんもってくるね」
 ハシモトは、いつもおとなだ。大騒ぎする冬美を、そっと横からなだめてくれる。
 ミカがいってしまうと、また腹がたってきた。
「ハシモト、あんな薄情なやつ、よく許したわね。わたしなんか、まだむかついてるよ」
「こういうときは、無理しちゃだめなんだって。ミカにはミカのできることをしてもらうのがいいの。まあ、落ち着きたまえ。……って、そこが冬美のいいとこなんだけどね」  
ハシモトが、しょぼんと聞いていた飯倉ちゃんの肩に、手をおいていった。
 しぶしぶうなずきながら、冬美は、スケジュールノートのカレンダーに、ぐるんと大きく赤丸の印をつけた。あと二週間。
 ミカが抜けたせいで、フリーマーケットの参加費が、一人四百五十円から六百円にあがってしまった。みんな、お財布は軽いから、ちょっとつらい。
 それでも、やっと集まり、あとは申し込みをするだけになった。
「じゃあ、申し込み書、書くよ」  
放課後の、ガランとした教室で、冬美はもらってきた申し込み書をひろげた。
「代表者って、だれにする? ハシモトでいい? いいよね。連絡先って、ハシモトのうちだよね」  
ハシモトがにこにこしてみている。
飯倉ちゃんは、相変わらず元気がないけど、それをうめるようにハシモトが元気にしていて、そのおかげで、自然に冬美も笑顔になった。
「おい、なにしている?」
 冬美のペンが、ピタッと止まった。
 三人とも、申し込み書に気をとられていて、だれかが入ってきたことに気づかなかった。  あわてて申し込み書を裏返す。
「なんなんだ、その紙は。みせなさい」
 冬美の心臓が、ガンガンと鳴り響いてきた。
 入ってきたのは、生徒指導の石神だった。
 国語担当のくせに、生徒指導にいきがいを感じている教師だ。国語って教科は、センサイな心の文学者が担当するとばっかり思ってたけど、そうでもないってことが、石神をみてわかった。
体育会系の、粗暴でデリカシーのない男でも、国語の教師には、なれるのだ。
 のろのろと冬美が申し込み書をさしだした。石神はだまってうけとると、冬美たちをじろりとにらみつけてから、読み始めた。
 だれかが廊下を騒ぎながら通りがかり、教室に石神をみつけると、急にしんとだまりこくって過ぎていった。
(こんな短い申し込み書を、いったい何分かかって読んでるんだろう。読めない漢字でもあるのかー)
 どきどきしながら、それでもあまりに時間がかかってうんざりしてきたとき、石神はいきなり、申し込み書を破いた。
「あ……」
 三人そろって息を飲んだ。
「中学生の金品のやり取りは、禁止だ。こんなくだらんことに熱中しているひまはないだろう。飯倉。お前、まだわからんのか。もう一度、よく考えてみろ。それに、橋本。もうすぐ外部模試だ。先生方が橋本のこと、期待してるのは知ってるな。ばかな連中につきあって、成績が下がるなんてことのないように」
 ずたずたの申し込み書をゴミ箱につっこんで、石神はでていった。
 飯倉ちゃんが、声を出さずに泣いている。
 ハシモトは黙ったまま、石神のでていったドアをにらんでいた。
やっぱり、思ったことがそのとおりうまくいくなんて、ありえない。冬美は、みえない石神の背中にむかって、ボールペンを投げ付けた。
 ハシモトが、休んだ。
「きょうの欠席は橋本さんだけね。ほかのクラスじゃ何人も欠席があるの。理由はインフルエンザです。みんなも予防に心掛けるように。なおるまで、十日から二週間くらいもかかるっていうから、とにかく気をつけて」  
冬美は飯倉ちゃんの席をふりかえった。
 きのう、石神とあんなことがあって、すっかり落ち込んでるっていうのに、そのうえハシモトまでいなくなったら、もうフリマは無理だ。飯倉ちゃんがゆらゆら首を横にふった。
「ごめんね、飯倉ちゃん。せっかく盛り上がろうっていってたのに……」
「いいよ、いいよ。冬美はがんばってくれたもん。ありがとね」
 授業なんか聞く気になれなかった。
どうでもいい。だらだらと時間が流れていった。  
昼休みも騒ぐ気になれず、飯倉ちゃんとぼーっとしていると、ミカがとんできた。
「あれ、冬美。今、放送で冬美のこと呼んでたよ。自宅から電話だから、至急、事務室へって」
「うちから電話? なんだろ」  
大急ぎで事務室へ走り、電話にでる。
何か事故でもあったのかと、胸がざわついていた。
「もしもし……」
「あ、やっとでた。冬美?」
 ものすごいがらがら声。しかも息苦しそうに、はあはあいっている。
「だれ? お母さんじゃないよ」
 横で、ついてきた飯倉ちゃんが、心配そうに受話器に耳を寄せてきた。
「なにぼけてんのよ。ハシモトだよ。もう、死にそうなんだから、よく聞いてよ」
「ハシモトーッ」
 きのうも一緒にいたのに、なんだか十年ぶりくらいの気がする。
「いい? 冬美。フリマのこと、あきらめちゃだめだよ。わたしも絶対にインフルエンザなおして、フリマにいくから、冬美は飯倉ちゃんと準備しておいて。文句いいながらでも、自由に進んでいくのが冬美でしょ」
「ハシモト、石神にばれてんだもん。無理だよ。わたしや飯倉ちゃんは、年中にらまれてるから慣れっこだけど、ハシモトはまずいよ」
「石神がこわいんなら、初めっからやらなきゃよかったじゃん。決めたんだもん。やろう」
 そこまで話して、ハシモトは急に咳き込んだ。
「ハシモト。大丈夫? 熱あるの?」
「うん。あと少しで、四十度。すごいでしょ。せっかくだから四十度をめざしてみるよ」
 ハシモトは明るくいったけど、声はほんとうに苦しそうだった。
「わかった。フリマ、申し込んでくる。ハシモトは、早く元気になって。フリマで待ってるから」 「OK」
 電話が安心したように、そっときれた。
「よーし、やるよ、飯倉ちゃん」
 ポケットの中で、参加費千八百円のつまった封筒が、ちゃりっと音を立てた。


 冬の朝の研ぎ澄まされた空気が、時間とともに少しずつ、太陽にあたためられて、柔らかくなってきた。
「とうとう、フリマが始まるんだね」
 緑地公園のフリーマーケット会場は、あちこち準備の人が忙しそうに荷物をひろげている。それをあらためてみまわしながら、飯倉ちゃんがしみじみといった。
「うん。始まるね。さ、ハシモトが来る前に、どんどん開店の用意しよう。飯倉ちゃん、そっちのシート、広げておいて」
 場所は、へんてこな、わけのわからないオブジェの下で、それでもそのオブジェのおかげでまあまあ目立つし、風よけにもなりそうな位置だった。
「あんたたち、もしかして、初めてかい?」
 となりの人が声をかけてきた。
「あ、はい。そうです」
 となりはコロコロ太ったおばさんだった。もうすっかり準備を終えて、お地蔵さんのように、品物にうずもれてすわっている。どれが商品なんだかおばちゃんなんだかわからなくなっていた。
「目玉商品は小分けして、ちょっとずつだすんだよ。最初っから全部広げちゃだめだからね。ほら、これあげよう」
 おばちゃんは、紙袋から、使い捨てカイロをとりだすと、飯倉ちゃんの手にばらばらとのせた。
「冬のフリーマーケットは寒いからね、女の子は冷やしちゃだめ。あんたたち、中学生?」
「はい。中三です」
「今時の子は、何でもできていいねえ」
「でも、ほんとは、こわい先生にみつからないか、ひやひやしてるんです」
 飯倉ちゃんがいうと、おばちゃんがかん高い声で笑った。
 品物をだいたい並べ終わったころ、大きなマスクをかけて、ハシモトがきた。
「久しぶりー。お疲れさんでーす」
 ハシモトはあれからずっとねこんでいて、やっと熱が下がったところだという。
「すごいねえ。フリマのプロって感じにみえるよ。やったね、冬美」
 ポツポツと人がふえはじめ、会場はにぎやかさを増していく。
冬美たちの店の前にも立ち止まる人がいて、どんどん、盛り上がってくる。
「あのー、このセーター。千円だけどもっと安くならないの?」
 女の人が、冬美の前に置いたセーターを手に取っていってきた。
「うーん、じゃあ、八百円でいいです」
「そう。はい、八百円ね」
「あっりがとうございまーす」
 とうとう、売れた。マスクの上からのぞいたハシモトの目が笑っている。
「あんたたち、売れたねえ。よかったねえ。なかなかうまいもんだよ」
 となりのおばちゃんも一緒に喜んでくれた。
飯倉ちゃんが優しい顔で、おばちゃんにほほえんだ。

 ほんのすこしずつ、売れ出したころ、息をはずませてミカがやってきた。
「ごめーん。わたしもいれてもらいにきた。ほんとに、ごめんね。バスケの試合やってる体育館までいったんだけど、どうしても気になって。彼にいったら、そんなのフリマの方が大事だろって……。それで、ここまで走ってきた。みんな、おこってるよねえ」
 冬美は、知らん顔のまま、だまってミカの座る場所をあけた。飯倉ちゃんはうれしそうにハシモトをつついた。
「これで全員そろったわけだ。やっぱりこれ、買ってきてよかった」  
ハシモトがポケットから青い小さな石の玉がついたピアスをよっつ、取り出した。
「ピアスだー」
「きれい」  
 空の青を吸い込んだような青い石は、きょうの記念にぴったりにみえた。
「今だけかしてくれるって」  
ハシモトは、ピアスの穴をあける道具や消毒薬まで借りてきた。
 オブジェに隠れて、順番に、耳たぶに針を通す。
バーガー屋でもらってきた氷で冷やした耳たぶは、少しだけビクッとしたけど、全然平気だった。耳たぶよりも、心の奥がとくんとなった。四人で顔を見合わせていたら、
「ほら、こっちを見てごらん」
 となりのおばちゃんがいきなりカメラのシャッターを押した。きっと最高の写真だ。
「うそっ」
 すっかりフリマにもなれたころ、ミカがさけんだ。
「やだ。石神」「どうしよう」
 通路をゆっくりとやってくるのは、石神だった。
あきらかに冬美たちをみつけている。ハイエナみたいな目が、不気味に光っている。
「なにやってんだ、お前たち。こういうのは禁止だっていったはずだ」
 大きな声で、石神がほえた。
ハシモトがなにかいおうとして、飯倉ちゃんの前にでた。
(だめだよ、ハシモト。ハシモトにばっかり泥をかぶせるわけにはいかないよ)
 冬美がハシモトをひっぱったとき。
「ああ、あなたが石神先生ですか。いつも子供らがお世話になって」
 いきなりおばちゃんが噴火したみたいにしゃべりだした。
「はっ? あなたはどなたですか?」
「わたしゃ、冬美の伯母でございます。子供たちだけではいけないということだそうで、わたしがつきそっとります。どうぞ、ご安心くださいませ。まあまあ、この寒いのに、先生もご苦労なことで。今の子は、世間知らずでござんしょ、こうして社会勉強しないと、ますますだめな子になっちまいますわね。なにごとも、勉強勉強。先生もなにか、いかがでしょうか」
 ときどき、石神が口をはさもうとするけど、おばちゃんのしゃべりには、さすがの石神もかなわないようだった。
「いつから冬美に、あんなおばちゃんができたのよ?」
 ハシモトが笑いをこらえてささやいた。
「シィッ」
 結局、石神は、しどろもどろになってあいさつをすると、足元にあったお鍋セットを買って、足早に帰っていった。
「だれ? お鍋セットなんかもってきたの」
「ミカのママだよー」
 となりでおばちゃんが笑っている。
「ありがとう、おばちゃん」
「いーや、わたしも若返ったみたいで、楽しかったよ。ああ、せいせいした」  
遠ざかっていく石神が、なにかにつまずいてよろけている。冬美たちも大笑いになった。
 無くしていた笑いの箱がやっと開いたように、笑っても笑っても笑いが込み上げてくる。 ハシモトのなおったばかりのインフルエンザが、くしゃみになって飛び出した。
「うわ、きたない。ハシモト、ハナ出てる」  
冬美が笑いながらいうと、ハシモトが笑いながらハナをかんだ。
「笑ってんの? ハナかんでるの? どっちー」
 冬美の言葉に、飯倉ちゃんがとうとうふきだした。久しぶりにみる、あったかい笑顔だ。飯倉ちゃんの泣き笑いのほっぺたを、涙がツルリとすべって落ちた。
「笑ってんの? 泣いてるの? どっちー」

 きゅっと涙をふき取って、それでもまだ、みんな笑っていた  
冬美はそっと耳たぶに触れてみる。そこだけが、ちりりと熱い。
 冬晴れのきりっとすがすがしい風が、ピアスの穴を、駆け抜けていった。
                                                               

Copyright(C) Jyunko Takabashi 1999

 この壁紙は、QUEEN'S Free WORLDさんから頂きました。


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