『のんのんさんとまんまんちゃん』
鬼ヶ島通信24号(1994年)・入選作
作・堀切リエ

 かわいた空気が、気持ちよくほほをなぜています。
 のんのんさんは、ほそーく薄目をあけて、庭に落ちている月の明かりをながめていました。虫の声がいくえにも重なって、あちこちの草むらから聞こえてきます。こうしていると、のんのんさんは、自分が絵の一部になったように感じられて、心が澄んだ空気で満たされていくのでした。
 のんのんさんがこのお寺に来てから、一ヵ月が過ぎようとしていました。
 ある日あるとき、のんのんさんは、眠りから覚めかけたような感じで、あたりの音や人の会話がとつぜん、ぼんやりと聞こえてきました。のんのんさんは、やわらかな布で包まれ、箱にいれられ、だいじにだいじにお寺まで運ばれてきたのでした。
 そして台座に置かれてからも、しばらくは布をかけられたままでした。ときおり、木を削る音や、こーんこーんとのみを木にたてる音が、耳の奥に蘇ってきます。のんのんさんの頭はよどんだ水が澄んでいくように、だんだんはっきりしてきました。
「ありがたい仏様がやっと来たそうだね」
「もうすぐ見せてもらえるんだと」
「なんでも有名な仏師様が彫ったもので、全国に三体しかないそうだ」
「寄附金を檀家に募るそうだよ」
「早くおがみたいものだ」
 のんのんさんは、だんだん自分がだれかということがわかってきました。みんなのなみなみならぬ期待が、自分に集まっていることも知りました。ですから、のんのんさんは、布の下で期待にこたえられるように姿勢をきちんと保って、布のとられる日を待つようになりました。
 いよいよ、布がとられてのんのんさんがお広めをされますと、おすなおすなとたくさんの人がお寺につめかけました。
「ありがたい、ありがたい」
「きれいなお顔だねえ、見ているだけで泣けてくるよ」
「拝むと心が澄んでいくようだ」
「あの指の優雅なこと。立っている姿のやさしいこと。お顔のきよらかなこと」
 のんのんさんは、こんなほめ言葉を毎日聞いて胸を高鳴らせました。一本の木から、みんなに拝まれる仏像に生まれ変わったんだということがわかると、自分は幸運だと思うようになりました。同じ木でも、家具や家の一部になって誰にもほめられずに暮らすのとはなんという違いでしょう。いいや、自分は気高い生まれの木で、こうなる運命だったのだと信じました。こうして、のんのんさんは心身とも仏様のようになっていきました。
 ですから、誰も見ていない夜でも、おだやかな気持ちで仏様としてふるまっていたのです。そんなのんのんさんの目の中に、誰かの影がよぎりました。
「おおなあがや」
 まっくろい丸い影が、扉をあけてするりとはいってきました。
「どろぼう!」
 のんのんさんの細い目が恐怖でつりあがりました。
・・・きっと私を盗みにきたんだ。おどろくほど高い値で売りとばされて、外国行きの船に乗せられてしまう。
 のんのんさんの体はかたかたとふるえました。黒い影は丸い頭をぐいっとあげて言いました。
「ばんなまして」(こんばんは)
 のんのんさんはぎゅっと閉じた目をそうっとあけました。黒い頭はのんのんさんのほうを見て、にいっと笑っていました。
「ひぃぃっ!!」
 のんのんさんは思わず鋭い声をあげました。黒い頭はおどろいて、どすんとしりもちをつきました。
「そげな声ださんでもええがね」
 まのびしたようなのんびりした声が返ってきました。のんのんさんは、ふるえながら黒い頭のほうを見ました。
 黒い頭は正確に言うと、ゴマ塩の灰色で石でできていました。頭につづく体もやはりゴマ塩の灰色で、ずんどうな体つきです。変わっているのは首に下がっている、はででまっ赤なよだれかけでした。
 どうもどろぼうではないということがわかって、ほっとしたのんのんさんが様子をうかがっていると、ごましお頭はのんのんさんの前に座りなおして言いました。
「わしゃ、寺の裏山の小さな滝のそばにある祠のまんまんちゃんだがや。あいさつに来ようとおもっちょったけど、はあ、あんたさんは忙しげだったし、まあ、落ちついてからでもええかとおもっちょううちに、今日になってしまっただがん」
 のんのんさんは、えらくなまっている口調にこけそうになりましたが、かろうじてがまんしました。
「今日はなんともええ晩だなあ。お月さんはわしの顔みたあにまん丸だな」
 そういって、まんまんちゃんは灰色のゴマ塩頭をくるくるとなでました。優雅にながめていたお月様を、この品のない人の顔といっしょにされちゃたまらないと思いましたが、のんのんさんはだまっていました。まんまんちゃんはかまわずに話しつづけました。
「あんたさんも、じきに歩けるようになあけん、そんときはいっしょに月夜の散歩しょいや。たのしみに待ちょうけんな」
 のんのんさんは、ぴくりと耳を動かしました。
「歩ける?」
 まんまんちゃんは、うなずきました。
「子どもが拝みにくるけんな。子どもの頭のなかじゃ、わしたちは走ったり、しゃべったり、自由だけんな。子どもが何人も何人も拝みに来るうちに、だんだん体が自由になあもんだ」
「何人て?」
「千人も万人も。わしは、子どもを守う仏だけん、子どもがいっぺえ来うから、あっというまだったけん。といってもなあ、わしもいろんな土地を回って、やっとこさここに落ちついただがん。そうを話すと長くなあけんな」
 話はつづいていましたが、のんのんさんの胸は急にどくどくと早くうちはじめ、まんまんちゃんの言葉は聞こえていませんでした。それは不思議な感覚でした。今まで胸というのがどこにあるのかさえ、考えたこともなかったからです。
「あんまあ長居するといけんけんな。これでかええわい」
 まんまんちゃんは、杖をついてでていこうとしました。のんのんさんは我にかえって、あわてて聞きました。
「あの、あの、あのお」
 聞きたいことがまとまらずに、のんのんさんは、口ごもりました。そんなことも初めてです。まんまんちゃんは、うなずいて、
「近いうちにまた来うけん」
といって、するりと暗闇に姿を消してしまいました。のんのんさんは、「あの、あの」と二度つけたして、仏様らしくない口調だったと気づいて口をつぐむと、なにやらもやもやっと胸のあたりが動きました。
・・・この私が歩けるだって?
 そう思うとおどろきと喜びでいっぱいになるのですが、
・・・なんで私が、あの、まんまんちゃんとかいう、なまりのひどい、見目うるわしくない、古ぼけた地蔵様に教えられなくてはならないんだ。私のほうがずっと美しいし、ありがたい仏様なのに。
 のんのんさんは、自分のほうがずっとえらいんだということを、今度会ったときに、まんまんちゃんにどうやって思い知らせてやるべきか、真剣に考えました。考えているうちに、そんなことより、ほんとうに歩けるのかどうか、たしかめたくてたまらなくなりました。

 次の日から、のんのんさんは、子どもが拝みに来たときは、目をじっと子どもにすえ、耳をじっと子どもの言葉に傾け、子どもの行動をじっと観察しました。けれど、子どもはさわがしくて、せわしく、じっと座っていることさえ苦痛のようで、のんのんさんにあまり興味がないようでした。話すことも、のんのんさんにはつきあいきれない、なんでもないことばかりでした。のんのんさんはいらだちました。
・・・なんで、子どもに歩くことを教わらなくてはならないんだ。私は、人々のほうが教えをこう仏様なんだぞ。もう、子どもの相手なんかするものか。

 ところがあるとき、小さな女の子が母親を早くに亡くして、父親に連れられてお寺にきたときです。その女の子は、のんのんさんの顔をだまってじっと見上げていました。お経が始まってしばらくすると、眠くなったらしく、目をつむって父親にもたれてうとうとし始めました。のんのんさんも、なぜか眠くなってきて、目を閉じました。すると、夢のなかに女の子がでてきて、のんのんさんのひざの上に座って話をしているのです。なにを話しているのかわからないのですが、女の子はたのしそうに笑っています。その目にさそわれて、のんのんさんは思わずほほえみました。
 すると、女の子は立ちあがり、のんのんさんの手をとって広い野原を走りはじめました。のんのんさんもゆっくりたちあがると、そろそろとあとをついて走りました。草のやわらかい感触が足の裏に伝わってきました。風が行きすぎます。空も動いて見えます。その感覚がなんとも新鮮で、おどろきで、のんのんさんは、ただただ、走ることに夢中になりました。
「生きているものは、みんな動いているのだ・・」
 のんのんさんは感激してつぶやきました。
 その瞬間、はっと目がさめました。

 それからどのくらいたったでしょうか。いつかと同じように、お月様がまんまるになったま夜中、うとうとしていたまんまんちゃんの祠の後ろから、黒い影がぬっと姿を現しました。
「こんばんは」
 にやにやとうれしそうに笑っている、のんのんさんの顔がにゅっとでてきました。
「ひゃあ」
 まんまんちゃんは、ねぼけてびっくりして石の台からころげおちそうになりました。
「いつかのお返しですよ」
「あんたさんは」
 まんまんちゃんは、あんぐり口をあけてのんのんさんの顔を見つめました。のんのんさんは、胸をはっていいました。
「ここまで歩いてきたんですよ。ほうらね」
 のんのんさんは、ぎいっと音をたてて、木の足をあげて見せました。
「けっこう、疲れるもんですね。歩くというのは」
 のんのんさんは、息をきらして、ほこらしげに言いました。
「でも、どうです? こんなに早く歩けるなんて思ってもいなかったでしょう」
 のんのんさんは、まんまんちゃんの顔を横目で見て言いました。まんまんちゃんは、うなずいて、言いました。
「でも、注意せないけんで。歩きはじめえときにゃあ」
 のんのんさんは、心のなかで「へんっ」と思いました。自分が早く歩けるようになったから、まんまんちゃんはくやしがっているのだと思ったのです。
「ほれっ、あんたさん、身代わりのものを置いてこんかったね」
「はっ?」
 のんのんさんは、まんまんちゃんの指さすほうを見ました。ここからは、のんのんさんのいるお寺がはるか下のほうに見えます。暗く静まりかえっていたお寺に、次々と明りが灯って明るくなりました。
「あんたさんがおらんのが、見つかっただねかや」
「えっ」
 のんのんさんは、ぎくっとしました。お寺の外に明かりがひとつ飛びだしたかと思うと、明かりがぐるぐると輪を書きました。
「どうしましょう」
 のんのんさんは、ぶるぶるとふるえだしました。
「ここにおないや」
 まんまんちゃんは、おちついて言いました。
「でも、でも、でもぉ」
 のんのんさんは、あわてて動こうとするのですが、やっと歩けるようになったばかりですから、ぎいこぎいこと足と手が動いても、他の人には、あわてているようには見えません。まんまんちゃんは、のんのんさんの襟首をぐいっとつかんで、ひきもどしました。
「だれも、あんたさんが歩いたなんて思うへんけん。ここにおうなったら、どろぼうが運んで来たと思うわぇ。まあ、ゆっくりしていきないやい。苦労して、山道を昇って来なっただけんね」
 落ちつきはらったまんまんちゃんは、自分の前にあるお供えもののおまんじゅうを、のんのんさんにすすめました。のんのんさんは、首をふって顔をひきつらせました。
「ほれ、見ないやい。みんなあわてて昇って来ちょうがん」
 お寺を出た明かりは、だんだんに数が増えて、一列になって山道を昇ってきます。のんのんさんを探しに、みんなが手に手に明かりを持って山へと来るのでしょう。
「寺を出てくるときには、身代わりを置いて来なあいけんで。こんどはわしの方から訪ねていくけん、ゆっくり話をしょいや」
 のんのんさんは、どうしていいかわからずに、まんまんちゃんのとなりにどすんと腰をおろしました。
「わしたちは、菩薩だけん、人とまじわり、人の苦しみを救うのが役目だけんな。そげんこといってもな、子どもに歩くことを教えてもらったみたあに、人のなかにおるうちに仏様とて、変わっていくけんな。長年、地蔵様をやっちょうとなあ、わかってくることもいっぺえああけんな。わしたちも、だんだん仏さんに育っていくだねかや」
 いつもはすましているのんのんさんも、このときばかりは素直になって、まんまんちゃんの言葉にうなずきました。そして、すすめてもらったおまんじゅうをほおばると、胸がぐっとしめつけられたような気がして、泣きたくなりました。まんまんちゃんは、のんのんさんの気持ちがわかったように、肩をぽんぽんとやさしくたたきました。のんのんさんは、おまんじゅうをほおばりながら、しゃくりあげました。
「ほれ、あんたさんは、あげに一生懸命みんなに探してもらっとうよ」
 のんのんさんを探す明かりは、だんだんと近づいて来ました。それは、一本の光りの道のように見えました。
・・・天に続く道のようだ。
 涙でにじんだ光りの道を見つめながら、のんのんさんは思いました。

 こうして、のんのんさんは、ぶじにお寺に連れもどされました。のんのんさんを盗もうとしたどろぼうは、山の祠のお地蔵様まで行きつくと、お地蔵様がにらんでいたので恐ろしくなって、のんのんさんをおいて逃げたのだということになりました。みんなお地蔵様に感謝をして、赤い新しいよだれかけとお供えものをたくさん持って、まんまんちゃんのところにお礼に行きました。
 のんのんさんは、すっかりいつもの調子にもどって、つぶやきました。
「私のおかげでまんまんちゃんが見直されたのだ。感謝してもらわなくては」
 お寺に帰ったのんのんさんは、よごれを拭いて磨いてもらいました。そのとき、足の裏についていた土はともかく、口のまわりにかすかに残っていたおまんじゅうのあんこも、ついでに拭いてもらってほっとしました。
 次の日から、のんのんさんは、前のようにすまして立っていました。まんまんちゃんの言葉など、すっかり忘れたかのようです。
 けれど、お供え物のおまんじゅうを見たときだけは、つい、涙といりまじった、しょっぱい甘い味を思いだして、そわそわとするのでした。

     

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