『夢から落ちたおかあさん』
鬼ヶ島通信20号・掲載作品
作・堀切リエ

 朝の日ざしが、カーテンをものともせず、つきぬけている。
 さちは、枕に顔をギュッとこすりつけた。家の中はシーンとしている。いつもなら早起きのかあさんが、台所で動きまわる音がせわしくしているのに。さちは、起きあがると、かあさんの部屋へいってみた。
 ドアをあけると、静かな空気がスーッと顔にまとわりついた。かあさんはベッドに入って、まだ寝ていた。
「やだな。まだ寝てるの。」
 さちは、かあさんをゆすった。
「うーん。」
 軽くうなって、体をもぞっとさせると、かあさんは目を閉じたままいった。
「もう少し寝させて。冷蔵庫の上にパンがあるから、ひとりで食べて。」
 さちが何かいおうとすると、かあさんはもう、スーッスーッと寝息をたてていた。さちは口をとんがらかして、台所にいった。こんなことは初めてだ。いつもなら、はりきりかあさんは、さちのお尻をおいたてて、朝ごはんを食べさせている。

 学校から帰ると、さちはシーンとした家にあがった。
 静かな空気がまとわりついてくる。かあさんの部屋をのぞくと、かあさんは朝とまったく同じように寝ていた。
「かあさん、まだ寝ていたの?」
 さちが驚いてゆすると、かあさんはとぎれとぎれに答えた。
「ねむりたいの。もう、すこし、ね、む、ら、せ、て。」
 それだけ言うと、もう寝息をたて始めた。
「病気なの? ねえ、かあさんったら。」
 さちは、かあさんの顔をのぞきこんだ。苦しそうなようすもなく、ねむることができてうれしいというような、幸せそうな寝顔だ。
「でも、やっぱり変。」
 少しの睡眠時間で人より元気に働けることが、かあさんの自慢だ。かあさんのロぐせは、「たくさん寝ていたら、時間のむだ、むだ。」
 さちが、かあさんの顔をもう一度のぞきこんだその時、かあさんの顔が枕から少しだけ、ふわっと浮いた。
「ヨッコラショっと。」
 キンとした声がして、かあさんの頭と枕のあいだから、小さな手がニューッとのびてきた。
「わっ。」
 さちは、驚いて立ちあがった。
 続いてもう一つの手、それから細い小さな足、もう片方の足がニューッとでてきた。小さな手と足が、枕のふちにふんばって、「ウ〜ン!」と力んだ。次の瞬間、小さな体がボンッと勢いよくでてきた。
「やっ、どうも。」
 勢いあまって枕のふちでよろけながら、小さい人はさちを見上げて、片手をあげた。白い上着に白いズボン、白いくつをはいて、ぴったりの白い手袋をはめ、頭には卵のからのような白くて丸い帽子をかぶった、白づくめのかっこうだ。
「おいら、卵小人のエッグ・クンクル。あんたのかあさんは、もう起きないよ。いくら起こしてもむだむだ。夢からおっこちまったんだからさ。」
 さちはポカンと口をあけたまま、早口でしゃべる小人を見ていた。
「それだけ伝えにきたんだ。じゃあ。」
 小人は小さい手をホイホイとふると、クルリと向きをかえ、枕にもぐりこもうとした。
「待った。」
 はっとして、さちは、小人を指でつかまえた。
「ヒャー!」
 つまみあげると、小人は足をパタパタさせ、白くてまあるい帽子を両手でおさえた。
「かあさんに何をしたの? どういうことなのよ!」
「どういうことも、こういうこともねー。」
 小人の足のパタパタはどんどん早くなり、体全体が白く、ボウッとふくらんできた。シュルシュルッと帽子の白いふくらみが広がって、あっというまに体をつつんでいった。さちの手のひらには、コロンと卵がころがっていた。
「どうなってるのよ。」
 それはどこから見ても白い卵だった。ふつうの卵よりずっしりしている。指ではじいてみると、ずっとずっと固そうだった。さちは卵をふとんの上において、かあさんの顔をのぞきこんだ。
「もう起きないなんて、うそだよね。」
 ゆすってみると、かあさんはただグラグラとゆすられている。
「ムダだよ。」
 ふとんの上で声がした。
「え?」
 卵が見るまに透明になっていき、からが薄くなって消えると、中からさっきの小人がでてきた。
「あんた。」
 さちが手をのばそうとすると、小人はさっと飛びのいた。
「待った! おいら、危険が身にふりかかると、卵になっちゃうんだ。すごく固いからだから、誰にもわることができない。それ以上近づくと、また卵になっちゃうぞ。自然に体が反応しちゃうんだ。」
 さちは手をひっこめた。卵小人は安心してふとんの上にあぐらをかいて、えらそうに言った。
「おいらに聞きたいことがあるなら、やさしく、小さな声でどうぞ。」
 さちは、ささやくような声で聞いた。
「かあさんがもう起きないって、どういうことなの?」
「だから、君のかあさんは、夢からおっこちちゃったんだ。夢からおっこちると、こちらの世界では目をさまさなくなるんだヨ。」
「夢からおっこちる? それってどういうこと?」
「それはいろんなケースがあるけれど、それより、君はかあさんを起こしたいのかい?」
「もちろんよ。どうやったら起こせるの?」
 さちが乗りだすと、小人は指を口にあてて、「シー!」と言った。大きな声をだしそうになったさちは、あわてて口をおさえた。
 卵小人はフンフンと、二度うなずいていった。
「じゃあ、ここで寝て。」
「寝る?」
「そう。生身の人間を夢の中にはつれていけないからね。君が寝たら、夢の中へ迎えにいくよ。かあさんの夢の中へ案内してあげる。おいらの特技は、夢の中を自由に行き来できることなんだ。じゃあ!」
 卵小人は片手をプラプラふると、来た時と同じようにかあさんと枕の間に、スルスルともぐりこんで姿を消した。
 さちは、しばらくポウッとしていたが、とにかく寝てみるしかないと思った。
「そうだ。」
 さちは、台所へいって、棚からガラスのびんをとりだした。「すいみんやく」とかあさんが呼んでいる、高級ブランデーだ。風邪をひいている時に、お湯にたらして飲んだことがある。体がホウッとしてよく眠れた。
 ガラスのビンからコップにそそいで、ググッと飲んだ。
「うわっ!」
 のどが熱くてはりついたようになり、あわてて水を飲んだ。ベッドのそばに返ってくるころには、ホワーッと指先まであたたかくなってきた。ベッドにつっぷすと、目玉がぐるぐる動きまわって、頭の中へもぐっていきそうだった。体から力が抜けていく。
「成功、成功。」
 さちは寝ながらつぶやいた。

 夢の中は暗かった。黒いゴムでできたトンネルのようだった。歩くと、ボワ〜ン、ボワワァ〜ンと地面がゆれて、それに合わせて周りの壁も、ボワーンボワワァ〜ンと、でたりひっこんだりしている。さちは、はずみながら歩いていった。
 遠くに丸い穴が見えた。そこを目ざして進んでいくと、穴はだんだんせまくなってきた。かがんで歩いていたさちが足をすべらすた瞬間、黒いトンネルはボワワァ〜ンとちぢんでのびて、さちをはじきだした。
 ポン!と、栓の抜けるような音がして、さちは広いところにころがりでた。
「まぶしい。」
 あたりは白一色の世界だった。白い地面に白い空、大きな大きな白いドームの中にいるみたいだ。
「ようこそ。」
 目の前に大きなシャボン玉のようなものが漂ってきた。透明な幕の中には卵小人がいて、おじぎをしている。さちはほっとした。
「それ、シャボン玉みたいだね。」
「他人の夢の中じゃ、何があるかわからないからね。どこかに落ちたりしないように、いっつも浮いて移動してるんだヨ。」
「用心深いこと。」
「おくびょうなだけさ。さあ、後ろを振りむいて。」
 卵小人の声に、さちが後ろをむくと、いつのまにか白い壁が立っていた。壁には、たくさんのドアがびっしりと押しあうようについている。大きいの、小さいの、丸いの、四角いの、変な形……。
「このドアはみんな、夢の通路だよ。さちのかあさんの夢へ行くには、どれをあければいいんだい。」
「夢って、みんなつながっているんだ。でも、かあさんのドアはどれかなんて……。」
 わからない、といおうとして、さちは大きながっしりとしたドアに目を止めた。なぜかはわからないけれど、それに違いないと思った。さちは丸いノブに手をかけた。ノブをひねると、ドアは音もなく開いた。フウッと静かな空気が流れてきた。
「かあさんの部屋と同じ空気……。」
 そう感じた時、ドアの向こうには、かあさんの部屋が広がっていた。さちはドアをぬけて、ベッドに走りよった。
「かあさんがいない。」
 ベッドは、もぬけのからだった。
「気をつけて。穴に落ちるよ。」
 フワフワと飛んできた卵小人が、呼びとめた。
「あな?」
 さちは、足もとを見た。部屋の床は穴だらけだった。大きな穴がくり抜かれたように口を広げている。見まわすと、壁も天井も穴だらけだ。
「こりゃ、ひどい。ぼろぼろだね。これじゃ落ちるはずだよ。」
「どうしてぼろぼろなの?」
「そりゃ、夢の中までぼろぼろに疲れていたからでないの?」
「うそっ!」
 さちは思わず叫んだ。
「うわっ!」
 ふいをつかれた卵小人は、あっというまに白く丸くなっていった。
 フワフワ浮かぶ玉の中には、コロンと白い卵がゆれていた。さちは、ため息をついた。卵は少しずつ透明になり、手、足が見えてきて、小人にもどった。
「はあ、卵になるのもけっこう疲れるんだから。気をつけてくれよ。」
 卵小人は胸をなでおろした。そして、タンスのところまでいくと、手招きをして、さちを呼んだ。卵小人は、かあさんの大きなスカーフを出して、首に結びつけるようにと言った。
「どうしてこんなことするの?」
「さちも飛んで移動するといいよ。」
「え、わたし飛べない。」
「夢の中で、やったことあるはずだよ。」
 さちは、思いきって、すこし飛びあがろうと足をけった。首にむすびつけたスカーフが、風をフンワリとはらんで浮きあがった。さちの足はスーッと床から離れた。
「よし、いこう。」
 卵小人の声に、さちは両手をパタパタさせ、方向を転換をしてついていった。二人は天井の穴から外へ飛びだした。上から見ると、地面も穴だらけだった。
「あれだ。」
 卵小人の指さす方を見ると、大きな穴があり、その穴だけが、ふちどられたようにかすかに光っている。二人は飛んでいって、その穴をのぞきこんだ。
「ここから落ちたんだ。」
 穴の中はまっ暗だった。目をこらしてもなにも見えない。さちはぶるっと身ぶるいをした。それから、口をきゅっと閉じると、一気に頭から飛びこんだ。
「さちー。」
 卵小人の声が遠くなっていった。

 穴の中は広かった。底は見えない。飛んで降りていくと、しばらくして一面に薄く光る波が見えた。時おり、さざめくようにかすかに光をだしている。それは網だった。広くすきまなくはりめぐらされている網だった。
 さちは近づいていって、どきっとした。静かな寝息が聞こえてきた。それもたくさん……。網には、黒いかたまりがたくさん横たわっているのだった。それは人だった。綱をハンモックのようにして、寝ているのだ。誰も動かず、寝息だけがスースーといったりきたりしている。
 さちは、あわててかあさんを探した。飛んでは近よって顔を見、また離れることを何度も繰り返した。かあさんは見つからない。さちは心細くなって、叫んだ。
「かあさーん、かあさーん、どこよー。」
 網がさざめいた。ひとつの黒い固まりが、むっくりと起きあがった。
「かあさん。」
 さちは飛んでいった。かあさんは網の上に上半身だけ起こして、目はつむっていた。
「さち、なの?」
 かあさんは首を回して、手をふって追いやるしぐさをした。
「帰りなさい。」
 さちは、目を丸くした。せっかく夢のなかまで向かえにきたのにいきなりそれはない、と思った。
「とうさんのところへいったほうがいい。」
 かあさんはつづけて言った。
「むこうへいけば、お金の苦労もないし、いい学校にもいける。さちの将来のためよ。」
「はあ?」
 さちは、あきれて口をぽかんとあけた。つぎに、うわっと怒りがこみあげてきた。
「とつぜん、なに勝手なこと言いだすんだよ! 夢の中まで助けにきたのに、そんなこといわれるなんて思ってもみなかった。ああ、ばからしい!」
「助けに?」
「そうだよ。約束したじゃない。とうさんが出ていって、二人で暮らすことになったとき、助けあっていこうって。まあ、今までいちども果たしたことがなかったけどね。だから、こんどくらいはと思ったんだよ。だいいち、かあさんはいつもがんばっていて、助けるなんて思いもつかなかったしね。」
 かあさんは、「助けにきた」という言葉を何度も口の中でつぶやいた。
「さちに助けてもらうなんて、考えたこともなかった……。」
「それはないんじゃない。」
 さちは、かあさんの手をつかんで、ひっぱって立たせた。
「しっかりして。」
 その言葉にも、かあさんはぴくっと反応した。けれど、かあさんはその場につったったまま、動こうとはしなかった。さちは、かあさんをかかえると、飛びあがった。重くてなかなか上へあがれなかったが、どうやら、入ってきた穴へたどりついた。
 さちは穴から体を引きずりだすと、かあさんをひっぱった。ふしぎなことに、たくさんあいていた穴はずいぶん減っていた。残っている穴も小さくなって、ふさがりつつある。かあさんの夢が修復されているということだろうか。さちはほっとして、かあさんをふりかえり、どきりとした。かあさんの目はつむったままだったから。
 その時、二人の後ろからゴアーツと不気味な音がして、すごい力で引っばられた。さちは地面にころがった。かあさんもころがって、ひっしで何かつかもうとしている。二人のでてきた穴が、巨大なそうじ機のように二人を吸いこもうとしているのだった。さちは地面にあいていた小さい穴に手をひっかけた。
「かあさん、穴につかまるのよ。」
 かあさんも少しはなれた穴に手を入れた。
「助けてー! 卵小人。」
 さちは叫んだ。すると大きな穴の中からホワリと玉がのぞいた。卵小人も吸いよせられないように、穴に玉をひっかけたまま、目だけのぞかせていた。
「かあさんだけ穴の中へかえせば、さちは助かるよ。」
「なんですって!」
 さちは、思わず大きな声をあげた。卵小人の頭のからが、さちのけんまくに答えて、シュルシュルッと大きく広がりはじめた。
「卵になるな!」
 さちは思いきりどなった。卵小人は目をギョッと大きくしたまま、ピタリと動きをとめた。
「わたし、悪いことは全部かあさんのせいにしてた。わたしのせいじゃないって、いつも逃げてた!」
 さちは、言葉をはきだした。
「かあさんは、おいてかないよ!」
 卵小人は穴から頭だけだして、情なさそうにいった。
「おいらのシャボン玉われちまった。でも卵にならないですんだヨ。」
「教えてよ、二人とも助かる方法。あるんでしょ!」
 さちのつかまっている穴は、どんどん小さくなってきている。反対に、黒い穴はゴァ〜ンと音をたてながら大きくなってきた。
「かあさんの目をあけさせるんだ。それだけでいい。」
 さちはうなずいて、かあさんにむかって、叫んだ。
「目をあけて! かあさん、早く。」
 かあさんはうなずいたが、次に首をふった。
「あかない。目が、あかない。」
「かあさん、がんばって。目をあけるだけでいいのよ。」
「あかない、あかない。」
 かあさんは、いやいやするように首を振った。そのとき、卵小人は人が変わったように、するどく叫んだ。
「さちもいっしょに、夢の中に閉じこめたいのか!」
 つかまっていた穴がふさがり、さちは黒い穴にズルズルと吸いよせられていった。
「かあさん、手をつかんで。」
 さちは、手をのばした。かあさんは、手さぐりでさちの手を探した。
「早く! 吸いこまれちゃうよ。」
 かあさんは、手をのばし、首をのばして、さちの手をつかもうとさぐった。さちの足先が黒い穴の中へ吸いこまれていった。凍るような冷たい風が足にまとわりついた。さちは地面をひっかきながら、穴の中へ引きずりこまれていった。
 その時、力強い手が、さちの片手をつかみなおした。さちが見あげると、かあさんが、カッと目を見開いて、さちを見つめていた。かあさんの目はあいていた。
 「ヒュ〜ッ」と、たつまきの遠ざかる音がして、黒い穴は閉じていった。さちは、もう一方の手もしっかりとかあさんにつかまれて、地面に横たわっていた。夢の中には、もう穴は一つもなかった。まっ白いすべすべの地面が広がっている。さちは、ゆっくりと立ち上がった。かあさんは、どこまでも白い夢のドームをまぶしそうに見まわした。
「なんか、これからっていう感じ。」
 さちは、うれしくなってつぶやいた。
「まあね。」
 かあさんが、ちょっと照れたようにいった。
「卵のからがなくなった。」
 卵小人は、両手で頭のてっぺんをくるくるとなぜていた。さちは、卵小人にむきなおった。
「助けてくれてありがとう。」
「いやあ。」
 卵小人が頭をなぜようとした時、さちと卵小人はえりもとをグイッと何かにひっぱられて、後ずさりした。二人はそのまま、グイグイと空中につりあげられていった。
「きっと自分の夢にかえるんだヨ。目覚めが近いってことさ。」
 卵小人のほうをふりかえったさちは、はっとした。卵小人の顔は、何だか見覚えのあるなつかしい顔に変わっていた。
「とうさん……。」
 さちは言葉を飲みこんだ。卵小人はさびしそうにちょっとだけ笑って、ポーンとはるかかなたの空に消えていった。
 あたりはまぶしくなり、何も見えなくなった。さちは光の中をどこまでも泳いでいった。

     

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