『最高のスカイブルー』
鬼ヶ島通信34号・掲載作品
作・高林潤子

 つけっ放しのテレビから、夏の甲子園の歓声が沸き上がる。
 お盆休みで、家族はみんな、田舎のおじいちゃんのところだ。
 田舎になんか行きたくないとごねたせいで、私は一人で留守番するはめになってしまった。退屈して、ゴロゴロしていたら、いつの間にかうたたねしていた。
 ポケットの奥で、私を呼ぶ音がする。
 大好きなロックバンド・スカイブルーの着メロだ。
「はいはい、絵里です。だれかな?」
 あわててとびおきて、わくわくしながらポケットにしまったケータイ電話を取り出す。
 小さな表示画面に、マミコからのメールが届いていた。
《ヤッホー。ケータイに入れた友達の電話番号、とうとう八十人になったぞ。絵里はその後、どう?》
「ゲー、八十人だって。あーあ。かなうわけないじゃん」
 私ははほっぺたをプッとふくらませると、クラスメートたちの顔を思い浮かべた。

 同い年のマミコと知り合ったのは、半年前、中二直前の春休み。
 横浜のCD店であったスカイブルーの握手会で、たまたま隣り合ったのがマミコだった。 予定の時間が来てもなかなか始まらない握手会に、退屈したマミコが、ソバカスだらけの顔をくしゃっとさせた笑顔で話しかけてきたのだ。
 私は人と話すのが、苦手だ。
 学校の〃仲良しグループ〃の、ひきつった義理笑いや、行きたくなくてもくっついて歩く習性は、時々、ものすごく疲れる。ひとりぼっちっていうのもなんだかつらいからみんなといるけど、どうしても一緒にいたいわけじゃない。
 人と知り合ったり、親しくなるたびに、面倒臭いことが増えていく気がして、いつも警戒してしまう。
 なのに、マミコはそんなことを忘れてしまうくらい、楽しい子だ。
 お互い、住所も家族のことも知らないけど、ほっとする相手だった。
 大好きなスカイブルーの話で盛り上がり、握手会が終わった後も、二人でハンバーガーを食べに行き、ケータイ電話の番号を教え合った。
「メール、送るからねっ。」
 約束したとおり、マミコはよくメールをくれる。
《スカイブルーのニューアルバム、予約したよ》
《今夜は、必ずラジオ聞くべし》
 そんなメールでおしゃべりしているうちに、いつからか、ケータイにいれた友達の数の競争がはじまった。
 マミコは、だれとでもすぐに仲良くなっちゃうから、どんどん増える。私はそういうの、苦手だから。
 マミコ八十に対して、私はやっと五十一。圧倒的にマミコの勝利状態だ。
 家族や親戚は数に入れない掟だから、簡単には増えないし、誰彼かまわず電話番号を聞くのもきびしい。
 一度あせって、同じクラスの、おたくといわれている金子に聞いたら、
「ははーん、もしかして絵里ちゃん、おれのこと好きなのかなー」
なんて、とんでもないことをいわれるし、なかなかむずかしい。

《くやしー。夏休みになってから、私ぜんぜん増えてないよ。いつかマミコに勝てる日はくるのだろうか。》
 マミコにメールを返しながら、私はCDをかけた。こんな気分のときは、スカイブルーに限る。
 机の上には、けさ届いたBFのコーイチからの残暑見舞いがおかれている。
 コーイチでもいれば、退屈しないのに。
 サッカー部のコーイチは、夏休みはほとんど部活で、今は夏期合宿中だ。
 〃仲良しグループ〃のみんなは、彼氏と海やプールに行ってるっていうのに、サッカー部のせいで、コーイチは遊んでる時間がない。 しかも、転校してきてすぐにサッカー部にはいった田辺と意気投合したらしく、せっかくの残暑見舞いもちっともロマンチックじゃない。
 「キーパーの調子は最高だし、田辺のパスは完璧で、コーイチと田辺のペア攻撃があれば、秋の大会の優勝も夢ではないかもしれないと、コーチがほめまくりなんだ。絵里も楽しみに待っててくれ。」
 全面、サッカーネタだ。
 ほんのたまにくれる電話も、田辺のことばかりだ。
 サッカーだけじゃなく、何でも話せるいい友達だなんて、聞いてるこっちのほうが照れてしまうことを、コーイチはさらりという。
「なにが、田辺とは最強のコンビだよー。あー、ひまだなあ。」
 ペットボトルのコーラを、ヤケ飲みして、私はソファにひっくりかえった。
 テレビでは、どこかの高校が打ったさよならホームランで、大歓声がおこっている。

 どんよりとしたいやな気分に、私は目をさました。
 枕元の時計をみると、夜中の二時になるところだった。
 体中、汗でじっとりぬれている。
「なに? ……おなかが痛い。」
 ベッドから起き上がろうとしたけど、動けない。体がバラバラになりそうなほど、ひどい腹痛だった。
「……おかあさ……ん。」
 ふりしぼるようにいってから、家には自分一人だと気が付いた。
「どうしよう……。」
 汗と涙がじんわりにじんでくる。捨て猫のようにまるまったら、シーツの間にケータイをみつけた。
 ガクガクする指先で、すぐ近くに住むめぐにダイヤルする。同じ〃仲良しグループ〃の子だ。
「めぐ、お願い。出て。」
 数回の呼び出し音の後、出たのは機械的な留守電の声だった。
 すぐに次の番号にかける。ゆいちゃんだ。でも、ここも留守電だった。
 留守電だったり、電源が切られていたりで、やっとつながったのは、十二人目のさおりだった。
「さおりー、絵里だけど……。今、うちだれもいないんだけど……、私、おなか痛くて。さおり、助けに来て。」
「えー、絵里、大丈夫? やだ、こわいよー。救急車呼んだほうがいいよ。ね、そうしな。」 さおりはすっかりこわがっていて、
「救急車。ね、私なんかがいくより、絶対救急車がいいって。」
と、いつまでもいうばかりだ。
「わかった。そうするよ。」
 私は電話をきった。
 おもての通りを車が通り過ぎる音がする。
 どこかの犬が、ほえている。
 かすかに、赤ちゃんの泣き声も聞こえてくる。
 真夜中だというのに、起きている人はたくさんいる。
 ケータイの電話番号だって、五十一人もメモリーされている。
 なのに、ほんとうに助けてほしいとき、来てくれる人は一人もいない。
 めぐもゆいちゃんもさおりも……。
 時計の音だけが、わたしのすぐそばで響いている。
「痛いよー、痛いよー。」
 痛みは、もうたえられそうもないくらいに、せまっていた。
(ほんとに、救急車かなあ。)
 そう思ったとき、スカイブルーの着メロがなった。
 汗ですべる手をTシャツでこすって、急いで出ると、
「もーしもーし、やっほー。マミコだよ。起きてた? まさか寝てるはずないよね。今までスカイブルーがラジオに出てたんだもん。聞いてたでしょ、とーぜんだよね。」
 いつもの元気なマミコの声だ。
「マミコ……。」
「あれー、なんだなんだ、そのボケ声は。さては、寝てたな。おうい、もーしもーし、起きてるかー。」
「マミコ……。私、もう、おなかが死にそうに痛くて……、でも、うちの人、だれもいなくて……。助けて、マミコ。」
「何? もしもし、絵里、なんだって?」
「マミコ、助けに来て。」
「た、助けてって。絵里、私、絵里のうち、知らないよ。もしもし、絵里。」
 マミコの心配そうな、やさしい声を聞いたら、気が遠くなっていった。気が遠くなると、痛みも少し軽くなったような気がした。
 そうか、そういえば、マミコと私は、お互いのこと何も知らない。助けてっていったって、マミコがここに来られる訳がない。
 何も知らないって、さっぱりしててかっこいいと思ってたけど、そうじゃなかったんだな。
 砂嵐の中に埋もれていくように、だんだんすべての感覚がなくなっていく。
 このまま死ぬのかなあって、ぼんやり思った。そしたら、マミコは泣いてくれるかなあ……。バイバイ、マミコ。

 遠くのほうから、くすんくすんと涙ぐんでる声が聞こえてきた。
(あ、マミコが泣いてるんだ。じゃあ、私のお葬式かな。)
 そう思って、ゆっくり目をあけると、ソバカスと涙でぐちょぐちょの、マミコの顔があった。
「アアーッ、絵里が起きた。」
 マミコがさけぶと、
「あ、ほんとだ。な、大丈夫だったろ。おれ、看護婦さんにいってくるから。」
背の高い、メガネの男の人が、マミコの肩をポンとたたいて出て行った。
「よかったー。絵里、わかる? 私、絵里が死んじゃうかと思った。」
「うん。私も死ぬかと思った。」
 おなかはまだじんわりと痛かったけど、さっきよりはずっとずっと楽だった。ただ、力が入らなくて、だるくて、おかしな感じ。
「気が付いた? 苦しくないわね。」
 ドアの開く音がして、看護婦さんが入ってきた。メガネの男の人も一緒だ。
 まわりをよくみると、うちではなくて、病院の病室らしい。それに、私のTシャツじゃなくて、ワンピースのようなぱふぱふした寝間着を着せられていた。
 左腕からは、点滴のチューブがのびている。「絵里、盲腸だったんだよ。いきなり、苦しんでて、電話にも答えなくなっちゃったでしょ。もうね、ちょー驚いたもん。」
「そうだ。私、マミコに助けてっていったよね。どうしてうちがわかったの?」
「住所聞いてないもんね。でも、前に絵里、うちは泉駅のそばで、二軒先にコンビニのセブンデイズがあるっていってたじゃん。大急ぎであにきの車でぶっとんできて、探しまくったんだよ。」
「うろうろ探してたら、ちょうど。パトロールのお巡りさんにあったんで、調べてもらったんだ。で、申し訳ないけど、中に入るのにベランダのガラスを一枚割ったんだよね。あとはお巡りさんがふさいでおいてくれるそうだから、心配はいらないと思うよ。」
 マミコのお兄さんが、マミコそっくりのやさしい笑顔でいった。
「マミコー……。」
 なぜだか、涙がとまらなくなった。
「はいはい、泣かないの。」
 マミコが自分の顔をふいたしめったハンカチで、私のほっぺたをふいてくれた。
「まったく、今時の中学生は何考えてんだか。友達なんだろ、住所くらい、聞いとけっつーの。」
 マミコのお兄さんが、笑いながらいった。「ほんとだよね。なんで聞かなかったのかなあ。」
 面倒臭くなるのがいやで、わざといわなかったのは私だ。
 マミコもいわなかったし、私もたずねなかった。マミコにお兄さんがいることも、今日初めて知った。
 でも、どうして面倒臭いんだろう。何が面倒臭いんだろう。
「友達だろ」といったお兄さんの声と、耳にタコができそうなほど聞いた「田辺がさあ」というコーイチの声が、ふんわりと私の中におりてきた。
 それは、ちっともわずらわしくなんかない。あったかくて、すこし照れ臭いけど、うれしくなる声だ。
「ごめんね。ありがと、マミコ。」
 やっととまった涙で鼻声になっていうと、
「なにいってんのー。友達じゃない。あったりまえだもんねー。」
 マミコがソバカスをこすりながらいった。
「あとでカセットデッキと、スカイブルーのテープ、持ってきてあげっからね。」
 朝の検温の時間がきたらしく、廊下が騒がしくなってきた。
 立ち上がったマミコの背中の向こうに、朝の空が光っていた。
 大好きなスカイブルーだ。
 もうケータイの電話番号競争なんていらないな。ほんとうに大切な番号だけ入っていればいいんだもの。
 マミコのソバカスだらけのくしゃっとした笑顔をみていたら、マミコに聞いてほしい話が次々に浮かんできた。
「じゃあね。またあとで。」
 マミコがヒラヒラと手を振って出て行った。「うん、じゃあね。」
 目だけでマミコを見送って、また窓越しに空を見上げる。
 目に、最高のスカイブルーを焼き付けて、私はいつのまにか気持ちのいい眠りに落ちていた。

     

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