『おばあちゃんとお化けの日』
鬼ヶ島通信41号・掲載作品
作・河原潤子
奈那子のおばあちゃんは、町はずれの古い大きな家にひとりで住んでいる。
おばあちゃんは、ずっとお茶の先生をしていたのだが、何年かまえにひざを痛めてやめた。いまでは、おばあちゃんの生徒は奈那子ひとりだ。
奈那子は、五年生になった去年の四月から、おばあちゃんの家に、お茶のお稽古にかよっている。
けれど、ほんとうは、奈那子はおばあちゃんの家がきらいだ。夏でもひんやりとしてうす暗いし、板ばりの廊下は、歩くとミシミシと悲鳴をあげる。廊下ばかりではない。ときどき、家じゅうが悲鳴をあげているような気がして、こわい。
それでも奈那子がお稽古をつづけているのは、おかあさんにたのまれたからだ。
おかあさんは、古くて使い勝手の悪い家で、おばあちゃんがひとりでくらしているのが、心配でしかたがないのだ。おばあちゃんに、家を出て、いっしょにくらしてほしいと思っている。
でも、おばあちゃんは、おばあちゃんがそこで育ち、奈那子のおかあさんを育てた家から出るのは、いやだといった。そして、家を出ろとばかりいうおかあさんには、もう家に来てほしくないといいだした。
それで、しかたなく、おかあさんは、奈那子をおばあちゃんの家にかよわせることにしたのだ。
おとうさんは、奈那子のことを、おかあさんのスパイだといって笑った。
※
その日は、週に一度のお稽古の日で、奈那子は、学校の帰りにおばあちゃんの家によった。
一月の終わりで、空からは、こまかい雪がちらついていた。
庭の飛び石をふんで、離れの茶室にむかった奈那子は、縁側のくつぬぎに、おばあちゃんのぞうりと、もう一足、大きな茶色いくつがぬいであるのに気がついた。
とまどいながら、奈那子は、縁側の障子を細くあけた。
おばあちゃんとむかいあって、知らないおじさんがすわっていた。
縁側にひざをついたまま、どうしたものかと迷っている奈那子を、おばあちゃんがとがめた。
「はよ、おはいり。そんなとこにいたら寒いやろ。」
奈那子は、あわててへやにはいった。
おばあちゃんが、お客のおじさんにいった。
「孫の奈那子や。真知子が、年寄りのことを心配して、週にいっぺん、稽古にかよわせてるのや。本人には、えらいめいわくなことやろけどな。」
おばあちゃんは、ちゃんとお見とおしだ。奈那子は、思わず首をすくめた。
ばつの悪い顔の奈那子を、しげしげと見やりながら、おじさんがいった。
「そしたら、このお嬢ちゃんは、真知子嬢ちゃんのお子どすか? そういうたら、真知子嬢ちゃんの小さいときによう似てはるわ。」
赤ら顔の、いかついからだには似あわない、やさしい声で、やさしい物言いだった。
「真知子より、わたしの小さいときに似てへんか?」
そうきいたおばあちゃんに、奈那子はびっくりした。どう見ても、奈那子のおとうさんぐらいの年にしか見えないこのおじさんが、おばあちゃんの小さいときのことを知っているわけがない。
しかし、おじさんは、平気な顔でこたえた。
「いやあ、佐和子嬢ちゃんは、もっとやんちゃで、利かん気なお顔どしたわ。」
おじさんのことばに、おばあちゃんは、顔をくしゃくしゃにして笑った。それから、へやのすみで、目をまるくしてすわっている奈那子にいった。
「奈那子ちゃん、人は見かけやないで。この人は、こう見えて、わたしとなんぼもかわらへんぐらいの年や。今日はな、お化けの日の相談に来はったんや。」
「お化けの日?」
ききかえした奈那子に、おばあちゃんはうなずいた。
「そうや、お化けの日や。奈那子ちゃんも、化けてみるか?」
※
その夜、奈那子は、おかあさんにお化けの日のことをきいた。
「お化けというのは、節分の日に、年寄りが若い娘さんのかっこうをしたりして、仮装することをいうのや。そういうたら、おばあちゃんは、その日をお化けの日やいうて、仮装したお客さんを招いては、ようお茶会をしてはったわ。」
おかあさんの説明に、奈那子はがっかりした。奈那子の不満そうな顔に、おかあさんがきいた。
「奈那子は、ほんまにお化けが出るとでも思てたんか?」
奈那子は、あわててかぶりをふった。
「そんなこと思てへん。お化けなんか、いるわけないもん。」
でも、ほんとうは、ほんのちょっとだけ、いるかもしれないと思っていた。あのおばあちゃんの家になら、お化けだっているかもしれない、と。
それに、あのおじさんだ。
そんな人は知らないと、おかあさんも首をかしげた。
「それで、おかあさんは、お化けの日のお茶会に出たことあるの?」
おかあさんはかぶりをふった。
「おばあちゃん、おかあさんには、いっぺんも声をかけてくれはらへんかったもん。」
おかあさんのすねたような口ぶりに、奈那子はちょっと得意だった。
奈那子は、おばあちゃんから、お化けの日のお茶会に招待されたのだ。
※
お茶会は夜で、おかあさんは心配したけれど、おとうさんが、晩ごはんのあと、車でおばあちゃんの家まで送ってくれた。
門の横のくぐり戸からはいって、茶室のある裏庭にまわったとたん、奈那子は目を見張った。
いつもは昼でもしんとしている庭に、今夜はかがり火がたかれ、お茶会のはじまりを待つ人たちが、白い息をはきながら、あちこちにかたまって立っている。みんな、日本髪のかつらをつけたりして仮装しているのだが、それでも、お互い顔見知りのようで、ざわざわとにぎやかだ。
どうせ、おばあちゃんの化けぶりを見るだけだと、自分ではなんの仮装もしてこなかった奈那子は、ひとりぽつんとして、かえって気はずかしかった。
やがて、みんながぞろぞろと茶室にはいりはじめ、奈那子もあとにつづいた。
へやで奈那子の横にすわったのは、顔を真っ白にぬった女の人だった。真っ白な顔の中で、そこだけ、耳までべっとりと赤くぬった口で、女の人は奈那子にささやいた。
「えらい上手に、人間の子に化けたなあ。」
奈那子は、びっくりして女の人を見た。そして気がついた。その人の耳は、三角にとがって、白い毛がはえている。
(まるで狐の耳や。)
奈那子がそう思ったとき、茶道口のふすまがあいた。
真っ黒にそめた毛を日本髪にゆいあげ、赤い大振袖を着たおばあちゃんがすわっていた。
おじぎをして、顔をあげたおばあちゃんは、ひとり、ひとり、たしかめるように客たちを見まわして、うれしそうに笑った。
笑顔で立ちあがったおばあちゃんのあとから、まるでお姫さまにつきしたがうように、男の人がつづいてはいった。赤ら顔に、いかついからだ─。
あのおじさんだった。
すこし前かがみの歩きかたは、年寄りのように見えなくもなかったが、それでも、おばあちゃんとかわらない年には見えない。
くいいるようにおじさんを見て、奈那子は息をのんだ。
おじさんの頭のてっぺんに、白い、三角形のツノがはえているのに気がついたのだ。
(鬼のツノ?)
そのとたん、茶室がぐるぐるとまわりはじめ、奈那子は闇の中にすいこまれていった。
※
目をさましたら、朝になっていた。
奈那子は、お茶室にふとんをしいて寝かされていた。
「奈那子ちゃんいうたら、お茶会のとちゅうで居眠ってしまうんやもん。」
おばあちゃんにいわれて、奈那子は、あわててあたりを見まわした。
そこにはもう、だれもいなかった。おばあちゃんの頭も、もとの白髪にもどっていた。
ぽつりと、おばあちゃんがつぶやいた。
「お化けの日は、終わってしもた。」
奈那子は、ゆうべの、おばあちゃんの笑顔を思い出した。
「来年も、この家でお化けの日をしよな。」
奈那子のことばに、おばあちゃんは、うれしそうにうなずいた。
※
立ちあがりかけて、おばあちゃんは、ふと思いついたように、奈那子をふりかえった。
「そやけど、奈那子ちゃん、化けても、化かされたらあかんえ。」
そういったおばあちゃんの顔は、やんちゃで利かん気の、佐和子嬢ちゃんの顔だった。
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