『ぼくたちのレール遊び』
鬼ヶ島通43号(2004)・入選作
作・月野あかり
「高さ8・5センチの台形があります」
「ガタンゴトン、ピー」
「これに3辺が4・2センチの正三角形をあわせたら・・」
「ガッキン」
「ガッキン・・じゃない。おい、たかし、あっちいって遊んでろよ。気がちる」
「やだ」
たかしは顔もあげない。幼稚園のくせにナマイキなやつだ。
「オレはもうすぐテストなんだぞ」
ぼくはため息をついた。レール遊びをしているたかしには何をいっても聞こえないんだ。
レール遊び。
これは、たかしが赤ちゃんの頃から気に入っている遊びだ。おもちゃのプラスチックのレールをひたすらつなぐだけの単純な遊び。
なくなると、積み木やら、空き箱やら、いろんなものをレールに見たててつなげていく。それさえもなくなると、クレヨンで紙に書いてつなげていく。まえに一度、床や壁に直接レールを書いて、お母さんにこっぴどくしかられたからだ。(あのときのレールは長かった! どうやって書いたのか天井にまで届いていたんだ)
そんなふうに夢中になってレール遊びをしているたかしが、ぼくはほんのちょっぴりうらやましかった。ぼくはもうすぐ私立中学の入学試験がある。カッコつけていうわけじゃないけど、勉強はきらいじゃない。でもたかしみたいにほかに夢中になるほどすきなものがあるわけじゃないんだ。
「もりお、試験あさってだって? がんばれよなあ」
学校からの帰り道で、山本が声をかけてきた。山本は身体もでかいが声もでかい。
「だめだよ。たかしがそばで遊んでて気がちっちゃって全然勉強できないんだ」
「もりおなら大丈夫だって。うちもさ、姉ちゃんが大学受験だから、オレなんか遊ぶなしゃべるな息するなって言われてるぜえ」
「おい、見ろよ」
ぼくたちは立ち止まった。
ぼくたちが住んでいる町の真ん中に小さな川が流れてる。川というよりもドブ川だ。その川沿いに工事中の黄色いついたてが立ち並んでいた。
「ああ。この川の上に道ができるんだぜ」
「道が? 埋め立てられんの」
「川の上にふたをして遊歩道にすんだ」
「そうなんだ・・。な、山本。覚えてる? 前にここでザリガニ見つけたよな」
「そうだっけ? あ、わりぃ。オレ、うんこ」
そういうと、声のでかい山本はダッシュして帰っていった。これは山本のいつものクセだ。
あいつとは一年のときから一緒だったから知っているんだ。たぶん中学は違うけど。
振り向くと、コンクリートの川辺の上を花を捜すように黄色い蝶が飛んでいた。それを見ていると、なんだかその日は塾にいくのがイヤになってしまった。
家に帰るとしいんとしていた。
「おい、たかし。いるのか」
たかしは居間の隅っこでくうくう寝ていた。一人でレール遊びをしてたらしく、手にプラスチックのレールを握っている。
ぼくはたかしの手からレールをそっと取り上げた。そして、たかしの作っていたレールにつなげてみた。ぴったりだ。なんだか面白くなって、次々とレールをつなげてみた。きっとたかしが起きたらびっくりするだろう。
でも、途中からメーカーが違うのか。レールがうまくつながらなくなってしまった。
「あれ、おかしいなあ」
裏表とひっくりかえしたり、違うレールをもってきたりカチャカチャやっていたら、ついにたかしが起きてしまった。
「なにやってんのぉ」
「あ、たかし。起きたのか。へへ」
なんだかぼくはバツが悪くて、笑ってごまかそうとした。だけど、たかしは、ものすごい顔でぼくをにらみつけた。
「ぼくのレールになにすんだよっ!」
「いいじゃないか。ちょっとくらい」
「ひどいよ。ぼくがつなげてるレールだよ」
「だから手伝ってやろうと思ってさ」
「ひどいようっ」
たかしはうわあっとぼくが作ったレールをばらばらにした。ぼくがつなげたレールをだ。そして小さい手をきっとぼくにだした。
「そのレールも、かえしてよ」
「おい、なんでそんなことすんだよ」
「かえしてよっ。兄ちゃんはジュケンだろっ」
その一言できれた。
「お前にいわれたかねえよっ」
バンと音をたてて家をとびだした。
ああ、あたまくる。ぼくがつくったレールもこわしやがって・・。
気がつくと、また例の川につきあたった。
川沿いに黄色と黒のしまもようの鉄のついたてが延々とおいてある。前にザリガニがいたなんて信じられないくらい汚くてくさい。
「そうだよな。こんな川、なくしちゃえばいいんだ」
そのとき、背後からたかしの声がした。
「お兄ちゃん、かえしてよっ」
振り向くと、たかしがいた。たかしは裸足で、顔が涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっている。ぼくは、ようやく手の中の黄色いプラスチックのレールに気がついた。思わずもってきてしまったんだ。でも、ぼくはなんだかすごく意地悪な気分になっていた。
「かえせったら」
「へへ。とれるものならとってみな」
ぼくは、レールを川に向かって放り投げた。
「あっ!」
たかしは目を丸くして、川べりに近づいた。プラスチックでできた黄色いレールが、ドブ川の中を浮いたり沈んだりしながら、とろとろと流れていくのが見えた。
「兄ちゃんのばか! へんたい! けちんぼ! へこきむし!」
たかしは知ってるかぎりの悪口をならべたてまくったが、ぼくはとっとと帰ってしまった。
つきあってられるか。ぼくは忙しいんだ。
その夜、ぼくが塾から帰ってきて、遅い夕食をとっていると、お母さんがいった。
「もりお。昼に帰ってきたとき、たかし、どうだった?」
ぼくはギクリとした。たかしがお母さんに何かいいつけたんだろうか。
「え? なんで」
「あの子熱でちゃったのよ。いきなり」
ぼくの箸をもつ手がとまった。
「どこいってたのかびしょ濡れで帰ってきてね。お医者さんが熱が高いからしばらくようすをみるようにって。・・あんた、あさって試験でしょ。うつるといけないから、今日は別の部屋で寝なさい」
びしょ濡れで・・
ぼくはドキドキした。
ドブ川を浮かんでは沈んで流れていく黄色いたかしのレールを思い浮かべた。
たかしは、川に入ったんだ。あの川はけっして深くない。たかしの足ならひざくらいまでだろう。でもえたいのしれないゴミだらけで、おまけに今は二月で水は冷たくて・・
そのなかにたかしは裸足で入っていったんだ。
ぼくが投げたレールを取り戻すために!
土曜日になっても、たかしの熱はさがらず、お父さんはたかしを毛布にくるんで大きい病
院につれていった。
ぼくは明日の試験のために最後の復習をしていた。でも、いつも背中で感じていた、レールを作るたかしの気配がしない。いつもはうっとうしくてたまらなかったはずなのに。
ぼくはドブ川にいってみることにした。
川を見ながらゆっくりと下っていったけれど、とうとうたかしの黄色いレールを見つけることはできなかった。
晩ごはんは、とんかつだった。
たかしは病院から帰ってきていない。
「あのこのことはお母さんたちにまかせれば大丈夫。それよりあんたは自分のことをしっかりね。受験が終わったらみんなで旅行にいかない?温泉? スキー?」
食事の間中、お母さんはひとりでしゃべっていた。でもとんかつはたっぷり4人分あって、ぼくたちは半分以上残してしまった。
受験の日の朝はよく晴れていた。
「本当に大丈夫ね? なにかあったら携帯で電話してちょうだい」
お母さんも本当は試験会場までくるつもりだったのだけど、結局ぼく一人で行くことになったんだ。
ぼくはホッとした。たかしのことが心配なくせに、ぼくには何もいうまいとするお母さんと一緒にいるのはしんどかった。
駅からは、案内板もでていたし、ぼくと同じような小学生の子供たちが、たいていはお父さんやお母さんと一緒にめざす中学のほうへ歩いていた。道ゆくひとは、「なにかしら」という感じでぼくたちを見ている。
中学の門が見えた。
一度だけここにきたことがあった。小学校にくらべて、この門はがっしりとして大きくて広い。高校と一緒になっているので、学校の中も迷いそうなくらい広いんだ。学校に居る人も大人ばかりでカッコよかった。次の日小学校にいくと、学校も教室もやけにチンケに見えて仕方がなかったっけ。
でも、今日はあの門がやけに怖かった。みんなが次々と吸い込まれていく大きな門。
ほんとうに、いいんだろうか?
ぼくはあの門をくぐっていいんだろうか?
そう思ううちに、ぼくの足は少しずつ、少しずつ、重たくなってしまい、ついにはびくとも動かなくなってしまった。歩道の真ん中で立ち止まったぼくを避けるように、受験する子供たちが通りすぎていく。いかなくちゃ、いかなくちゃ、と思うんだけど、どうしてもぼくの足は動かなかった。
「きみ、大丈夫かい?」
大人の人の声がした。
見あげると、背広をきた男の人がぼくを見下ろしている。腕に黄色い腕章をつけている。
「きみもうちの中学の受験にきたんだろ。気分が悪いなら、中にはいって休むといい。それとも忘れ物でもしたかい?」
「忘れ物・・」
そういわれると、なにか大きな忘れ物をした気がしてきた。鉛筆はもってる。受験票も。ちがう。そんなもんじゃない。なんかすごく大切なもの。なんだろう?
「さあ」
背広の人の黄色い腕章が目の前をかすめたとたん、ぼくは中学の門に背を向けて走り出していた。
ぼくは、息ぎれをして立ち止まった。
知らない場所だった。
お母さんにもたされた携帯電話もあるし、いまさら迷子になるなんてことはない。でも電話をかける気はなかった。しばらく時間をつぶして、そしらぬ顔で帰ろう。
ぼくはのろのろと歩き始めた。小さいビル街の間をぬけ、住宅地をぬけ、さらにでたらめに歩いていくと、ぽっかりと開けた場所にでた。畑だ。菜の花がもう咲きはじめてる。
畑と畑のあいだのあぜ道も歩いた。右に左にと交互に歩いてみた。足元がふかふかする。そういえば最近は学校の校庭以外で土を踏んで歩くことないなあと思い出した。
いろんなことが頭の中に浮かんでは消えた。
ぼくは、歩き続けた。
まっすぐ、まっすぐ。
ふいにあらわれた影に気づいて顔をあげると、小高く土がもられた土手にぶちあたった。そのまま土手をよじのぼると、そこは鉄道の線路になっていた。
と、ガタゴトと電車の音が近づいてきた。
あわててわきによけたのに、不思議なことに電車は近づいてこない。そのかわり古い木でできたトロッコがとまっていた。
そして、トロッコにはたかしが乗っていた。
「たかし! お前病院じゃないのか。もう大丈夫なのか?」
「うん。それよりお兄ちゃん、おいでよ!」
たかしはカッコをつけて親指でトロッコを指さした。
たかしが元気になった。ぼくはうれしくて、すぐにたかしの隣に飛びのった。
「じゃ出発! しっかりつかまっててよ!」
ぼくとたかしをのせたトロッコはガタンゴトンと線路を動き始めた。少しずつ傾いて、ゆっくり線路をのぼりはじめている。
「おい、この線路、のぼり坂だっけ?」
「うん。ずっと上までいくよ」
「上まで、だって?」
トロッコはさらにのぼっていく。まるでジェットコースターの最初の急なのぼりに似ている。いつまで続くんだ。いや、これは本当に普通の鉄道なのか? だいたいたかしが、どうして一人でこんなもんに乗ってきたんだ。なんで? そんなぼくのことなんかお構いなしに、トロッコはのぼり続けた。
ふと下を見ると、ぼくが歩いていた畑が小さく見えた。受けるはずだった中学も見える。駅もある。すごい。
何もかもがどんどん小さくなってく。ああ、こんなに高くまでのぼっちゃって、一体どうなるんだろう。なのにたかしは全然平気な顔をしてトロッコにしがみついている。
少しずつトロッコは動きをゆるめた。もう町ははるか彼方の下にあって、その隣の隣の山の向こうまで見渡せた。
ゴットン。
トロッコは息をとめるように一瞬とまった。いやな予感がした。もしかして・・
「うわあっ!」
思ったとおりトロッコは猛スピードで降り始めた。
でもまっすぐにじゃない。横にうねったり、大きく輪を描いたり、もう一度登ったり。耳もとで風がごうごうなっている。木でできたトロッコがぎしぎし揺れる。ぼくは必死でトロッコにしがみついた。でないと落ちそうだ。いや、それよりこのボロいトロッコはもつんだろうか。
「いぃやっほう!」
たかしは歓声をあげた。
ぼくも、だんだん慣れてきた。透き通った風がきもちいい。
やがて、トロッコは街の少し高いところをとろとろと気持ちよく進み始めた。レールのつなぎめが悪いのか、時々ガクンガクン大きく揺れる。
ぼくたちは、山と山の間をぬけ、高い鉄塔のわきをすりぬけ、ときには見知らぬ川の上をすべるように走った。他の人たちにはぼくたちの姿は見えないらしい。でも、時おり鳥が逃げるように飛び立ち、犬に吠えられたりもした。
「なあ、たかし」
ぼくはようやく落ち着いてきて、たかしに声をかけることができた。
「なあ、ひとつ聞きたいんだけど、このトロッコはどこまでいくんだい」
「どこまでも」
「だっていつかは終点があるんだろ」
「終点なんかないよ。まだ作ってる途中だし」
「作ってるって、これはじゃあ、いつもお前がつなげてるレールなんだ」
「うん。でも途中からはお兄ちゃんがつなげた。わかるでしょ。こういうへたっぴなとこ」
トロッコはガクンと大きく揺れた。
「ほんとうは、自分のルートは自分だけでつくるんだ。でも今回だけは特別。これはお兄ちゃんと一緒につくったルートだからね」
のぞき見ると、たかしは口を固く結んでまっすぐ正面をみていた。ぼくははっとした。たかしはこんな大人びた顔をしていたんだっけ。こいつは一人でレールをつなげながら、どれだけの世界を旅したんだろう。
「たかし。あんときは、ごめん」
「そうだよ」
とたかしは、ぼくをじっと見て、いった。
「お兄ちゃんが川にレールを捨てたから、このルートは途中で終わっちゃうんだ」
「ち、ちょっと待てよ」
のびあがって見ると、レールは再びのぼりはじめ、その先が青空に向かってぷつんと切れていた。
たかしは青ざめた顔で笑った。
「でもお兄ちゃんは大丈夫。もともとこのルートはぼくのもんだから。あのレールの次に道がわかれるようにしておいたんだ。ちゃんと戻れるからね」
レールの最終地点に近づくと、トロッコは分身の術を使ったように、ふたつのトロッコになった。ひとつにはたかし、もうひとつにはぼくを乗せて。
ぼくにはどういうことかすぐにわかった。本当のたかしは病院にいる。お母さんの顔は紙のように真っ白だった。先のとぎれたレール・・そんなことさせない!
ぼくは、たかしの腕を思い切りつかんだ。絶対はなさない。ぼくにムリやりひっぱられたたかしは、そのはずみでトロッコから飛び出した。ぼくもまた、たかしもろともレールからはずれた。
落ちる! と思った瞬間、目の前を黄色い蝶がかすめ飛んでいった。蝶は太陽の光にまぎれて遠くなっていく。
気がつくと、ぼくは中学校の門の前に立っていた。あたりを見回すと、受験生らしい小学生や親子連れが次々に門に入っていく。ってことは、まだ朝なんだ。
携帯電話がなった。あわてて受けると、お母さんからだった。たかしの熱がすっかりさがった、という。お母さんの声がはずんでる。
「あんたも、がんばんなさいよ」
「うん!」
ぼくは、中学の門に一歩ふみだした。日の光をふりあおぐと、黄色い蝶がまっすぐに高い空へのぼっていくのが見えた。
ぼくは無事試験に合格した。
山本がお祝いにって、カメをもってきた。
「前に川のことを話してたろ。ずうっと前にあそこで見つけたカメなんだ。捨てガメだけどな。もりお、違う中学入っても遊ぼうな」
山本の目が赤かった。ぼくも声がつまってしまい、「うん」というのが、やっとだった。
結局家族旅行にいくことはなく、春休みにぼくとたかしだけが、おばあちゃんのところに遊びに行くことになった。はじめての兄弟ふたり旅だ。
新幹線も含めて電車に3回のりかえて、最後は二両だけの黄色い単線電車に乗る。たかしは、目を輝かせて線路の先をひたすらみいっていた。こいつはほんとうに、好きなんだ。
ぼくもいつか、たかしみたいに、好きで好きでたまらないものに出会うことができるかな。
「たかし。ほんとうに前はごめんな」
たかしは、つんと口をとがらせていった。
「ゆるさない。でも助けてもらったもんね」
え? と聞き返そうとするぼく。
たかしの振り返った目は笑っていた。そしてちっこい親指をくいっとつきたてていった。
「また一緒に乗りたいな」
ぼくの弟は、最高だろ。
END.
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