『しりとり注意報』
鬼ヶ島通45号(2005)・入選作
作・竹内 明子

焼きすぎだよ、ママ。
パジャマ姿のナオは、テーブルの上のホットサンドにため息をついた。ゴムが伸びるみたいな長いあくびをしながら、こげ茶色になった角をちぎってお皿に落とす。
 むりやり口を開けてひと口かじる。中身のゆで卵は出てこない。もうひと口かじる。
「あ、出た。」
ゆで卵は出てこないけど、テレビの画面に天気予報のおにいさんが出てきた。
「全国のお天気です。」
十才のナオには、朝のニュースはちんぷんかんぷんだ。でも、天気予報ならわかる。
「あっちは晴れか。」
 あっちとは、つい三週間前まで住んでいた所のことだ。
パパがくしゃくしゃ頭で起きてきた。コーヒーをひと口すすって、ゆっくり新聞をひろげる。
「パパもパジャマで朝ごはんになったね。」
「職場がうーんと近くなったからな。」
 そう言っておいしそうにコーヒーをすする。
 パパの転勤が決まった時、ママがため息まじりに言った。
「パパは当たりくじで、ママとナオは貧乏くじね。」
 ママの新しい職場とナオの新しい学校は、前よりうーんと遠くなった。そしてママの朝は火がついたようにいそがしくなって、ホットサンドがこげてたりする。
「ねえ、今の会社にもお友だちいる?」
新聞の向こうのパパに聞く。
「ああ、いるよ。」
ナオはかたいホットサンドをかみしめた。 パパはやっぱり当たりくじなんだなあ。
「それでは各地の降水確率です。」
そう天気予報のおにいさんが言った時、トウルルルートウルルルーって何かがなった。
初めて聞く音だ。
「あ?」
ナオはテレビの画面にくぎづけになった。おにいさんが、ほっぺたを真っ赤にしながらあわてて背広のポケットをさわっている。
「もしもし?」
引っぱり出されたのは、携帯電話だった。
「ええ、はい、了解しました。」
ぺこっとおじぎして電話を切ったおにいさんは、こっちを向いて言った。
「えーたった今、全国的にしりとり注意報が出されました。お出かけは五分早めに、そして最後の「ん」にご注意ください。」
そして画面はニュースにもどった。
「なにぃ!」
パパが新聞紙の向こうから顔を出した。
「大変だ、もう出かけなくっちゃ。まいったなあ、しりとりなんてもう何十年もやってないぞ。おーいママー! 君も急いだ方がいいぞー。」
パパは新聞を放り出すと洗面所にかけこんだ。歯みがきしながら、ひげをそってる。口の中も外も泡だらけだ。
キッチンの向こうでガラガラ音がした。
「もー、今日ってリサイクルゴミの日よ。なんでこんな日にかぎって。」
ママはアルミ缶が入った袋を引きずりながら、口紅をぬっていた。
家の中の空気が急にぐるぐる回りだしたみたいだ。ナオも残りのホットサンドを口につめこんで、急いでパジャマを着がえた。
「いってきまーす!」
ぶるんとランドセルを背負って、ナオは逃げるように玄関の重いとびらを開けた。
「はぁー。」
 とびらに寄りかかったままため息をつく。
でも、しりとり注意報ってなに?
 すると、ガバッととなりドアが開いて、学生服のおにいちゃんが現われた。髪の毛がウニのトゲみたいにツンツン立ってて、背中のリュックがおしりまで下がってる。口にくわえてるのはアンパンだ。
「お、おはよ…。」
社宅の人には必ずあいさつしなさい、とナオは言われている。
「よ? んー、ヨット!」
んーよっと? へんなあいさつだなぁって思ってたら、おにいちゃんがアンパンくわえたまま言った。
「と、だよ。とのつくもの。」
「あ…と、とりにく。」
「くつした。」
「たたみ。」
「み、み、み…ミトコンドリア。」
「ミトコンドリアってなに?」
おにいちゃんはくにゅっと鼻すじにしわをよせた。
「わかんねぇ。いいから、あ、だよ。」
ナオはおにいちゃんの口元を見てとっさにひらめいた。
「アンパン!」
「ブーーッ。」
しまった、と思ってももうおそい。おにいちゃんはニヤニヤしながら、ポケットから何か出してぺたんとナオのおでこにはりつけた。
 はがそうと思ってもはがれない。おにいちゃんはやべぇちこくすると言いながら、いなくなってしまった。
ナオは泣きそうになった。転校早々、おでこにヘンな物をくっつけて行ったら、きっとばかにされる。いじめられるかもしれない。
 でも通りに出たら、その心配はすぐになくなった。自転車に乗ったセーラー服のおねえちゃん。早足で会社に向かう背広姿のおじさん。花柄のスカーフを首にまいたおねえさん。
みんなおでこにシールをはったまま、何事もなかったように歩いてる。
 シールには、赤で大きく『ん』と書いてあった。
道ばたでおばあちゃん二人が立ち話していた。一人は丸々と太った猫を抱っこした、ガリガリにやせたおばあちゃん。もう一人はガリガリにやせた犬を散歩させてる、丸々と太ったおばあちゃん。動物もおばあちゃんも、足して2で割ったらちょうどいい。
「とら。」
ガリガリおばあちゃんが言った。
「とら? それどこの犬?」
丸々おばあちゃんが聞き返す。
「犬じゃなくて猫よ。ほら、裏の山田さんが前に飼ってたじゃない。」
「そうだったかねえ。」
「それより、らがつくものよ。」
「ああ、らね。じゃあ、ラッシー。」
「ラッシー? それどこの猫?」
「犬よ。川原に散歩に行くとよく会うのよ。」
「ふーん。」
「それより、しがつくものよ。」
この二人のしりとりはなかなか進まない。
「し、し、しろ。ほら、角の鈴木さんがずーっと前に飼ってた猫。」
「ろ? じゃあ、ロッキー。公園に散歩行くとよく会うのよ、ロッキーって犬。」
「き、き、き・・・。」
がりがりおばあちゃん、きがつくものが出てこない。通り過ぎたナオは、かけもどって言った。
「キリ丸。ユウちゃんちの猫なの。」
ガリガリおばあちゃんは、細長い顔をにっこりとゆるませた。
「ああ助かった、ありがとう。さあ、るよ。」
丸々おばあちゃんが、となりで「る? る?」と何度もくり返す。そのたびにおでこのしわが一本ずつふえていく。ナオは急いでそこから逃げた。るで始まる名前の犬なんて、今はぜんぜん思いつかない。
ユウちゃん、どうしているかなあ。
歩きながら、ナオはうつむいた。いっしょに学校へ行ってたのが、ずっと昔のことのようだ。
 ママには内緒で電話してみよっかな。そう考えた時、突然後ろからランドセルをバシッとたたかれてつんのめった。
「ぼやっとすんな! な、だぞ。」
ふり向くと、色の黒い男の子がいた。おでこには、すでに『ん』のシールが三枚もはってある。
「なによ、とつぜん!」
ナオはむかっときてさけんだ。同時に男の子は目を輝かせてニカッと笑った。
「今、なんて言った?」
「あっ!」
とっさに口をおさえた。でもしゃべった言葉はもどらない。アンパンのおにいちゃんみたいに、男の子もズボンのポケットからシールを取り出した。そして、ようしゃなくナオのおでこにはりつける。
「もう一枚でおいらと同じ。」
なんだかうれしそうだ。
二人は並んで歩き出した。男の子のランドセルが、やけにカチャカチャうるさい。ナオはこの子の黒い顔をシールだらけにしたくなった。
「ね、そのシール、私にもちょうだい。」
さっきはちょっと油断しただけだ。本気になればしりとりなんてわけはない。
「やだ。」
「ケチ。そんなにいっぱいあるじゃない。」
ナオは男の子をにらんだ。にらまれてもおかまいなし。一本欠けている前歯から、笑うと空気がスースーもれていた。
「じゃあ、どこで売ってるのよぅ?」
「どこでも売ってない。」
「だったらどっかでもらえるっていうの?」
男の子はナオのベージュのスカートをちらっと横目で見て言った。
「見てみればぁ? ポケットの中。」
「ポケット?」
ナオは左右の手をそれぞれのポケットにつっこんだ。
「…うそみたい。」
シールは右と左に三十枚ずつ入っていた。「六十枚もある。」
「え、ずるい! おいら、かたっぽうにしか入ってなかったぞ。」
「そーお、ちゃんと見たの?」
男の子は立ち止まって、左手をポケットにぐいぐい押し込んだ。
「あーーっ! 穴あいてるぅ!」
そうさけぶと、くやしそうにぴょんぴょんとびはねる。ナオはぷっと吹き出して笑った。
「ね、少しわけて。」
男の子は手を出した。
「やだ。」
「ケチ。そんなにいっぱいあるのに。」
シールが手に入ったから準備は完了だ。ナオは歩きながら言った。
「いっぱいあるのに。に、ね。にんじんは好きですか?」
男の子はついてこない。ナオは後ろをふり返ってさけんだ。
「はやくー。か、だよ。」
男の子はきゅっと口をとがらせて歩き始めた。
「かまぼこは好きですか? か、だぞ。」
ナオはくすくす笑って続けた。
「かいわれは好きですか?」
「かつどんは好きですか?」
どうどうめぐりだ。
「かまぼこは好きだけど、穴があいてるちくわの方がもっとすき。」
ナオが言うと、
「きらいなものは、穴のあいたポケットです。」
と、男の子は答える。
「すると、あなたの名前はなんですか?」
「かつとし、だ。」
かっちゃんか、ナオは心の中で呼んでみた。
「だまされないぞ、本当かな?」
「なにを言うんだ、本当だ。」
「だったら、かっちゃんって呼んでいい?」
 男の子はちょっと考えてから言った。
「いいよ、ためしに呼んでみな。」
「かっちゃん。」
かっちゃんはニヤッとしてシールを取り出した。
「はい。これでおいらとおんなじ三枚目っと。」
「ずるーい。しりとりになってなかったじゃない。」
ナオがさわいでもだめだ。一度はったシールははがれない。
「ずるいよ、ずるいよ。」
ナオはじだんだふんだ。
その時後ろで声がした。
「つまんなくない?」
ふり向くと、銀ぶちメガネの男の子が立っていた。
「なんだ、川村君か。」
かっちゃんの知り合いのようだ。
「つまんなくない? しりとりなんて。」
「なにのんきなこと言ってんだ。しりとり注意報が出たんだぞ。」
かっちゃんはまるで台風が近づいているみたいに言った。でも川村君は平気な顔だ。
「警報だったらおおごとだけどさ、注意報でしょ。大したことないよ。」
そうなのか。じゃあしりとり警報が出たらどんなことになるんだろう、とナオは考えた。
「それより君たち、そんなものベタベタはっちゃって気持ち悪くない?」
川村君は、ナオとかっちゃんのおでこのシールを見ながら顔をしかめた。
「ぜーんぜん。」
ナオとかっちゃんは声を合わせて答えた。
すると川村君は、すばやく自分のポケットからシールを取り出した。
「ま、いちおうルールだから。」
あぜんとする二人にかまわず、無表情でおでこにはりつける。
「なによぉ、しりとりはつまんないとか言ってたくせに。」
ナオはしょげかえった。
「あっ、わかった。川村君ってば、また途中までママの車で送ってもらったんだな。だから、まだだれともしりとりやってない。」
かっちゃんはそう言うと、ナオに目で合図を送った。しりとりの再開だ。
「いくら遠くても私は歩く。ほら、く、だよ。」
ナオは後ろからついて来る川村君に言った。でも川村君は答えない。
「くだらないと思っているな。」
かっちゃんがかわりに続けた。
「なんにもしないで歩くより、ずっと楽しいよ。」
ナオが言った。
「幼稚だよ、しりとりなんて。」
川村君がつまらなさそうに言った。ナオとかっちゃんは思わず顔を見合わせて、ニカッと笑う。次はかっちゃんの番だ。
「て…天才でもしりとりはきっと好き。」
 おかしな文だ。ナオは笑いながら答えた。
「きりんさんもしりとりはきっと好き。」
「君たちもっとまじめにやれば?」
川村君が後ろから声を出す。
「ばかを言うない、これでもまじめ。」
かっちゃんは頭をたてにふりながら、ゆっくりしゃべる。頭の中でいっしょうけんめい言葉をさがしているからだ。
「めちゃくちゃまじめ、大まじめ。」
ナオはきっぱり言った。川村君はしょうがないな、という顔をした。
「目には目を、歯には歯を。」
「なんだ、それ?」
かっちゃんが立ち止まった。
「まあ、ことわざみたいなもんだね。」
川村君はこともなげに答える。
「ふーん、だったらおいらも知ってら。お、だろ。えー、鬼に金ぼう。」
かっちゃんは得意げだ。
「うー、うそつきはどろぼうのはじまり。」
ナオも負けてはいない。
「良薬は口ににがし。」
川村君、答えが早い。
「し、し…しりをかくして頭かくさず!」
かっちゃんもなかなかやる。でもどこか変だ。川村君は苦笑いをしていた。
「ず?」
ナオは頭をかしげた。かっちゃんも、いつの間にかナオの右となりを歩いていた川村君も、こっちを見てニヤニヤしている。
「ずいずいずっころばしごまみそずい!」
ナオは大声でさけんだ。
「それ、ことわざじゃないだろ。」
「うん、ことわざじゃあないな。」
ナオをはさんだかっちゃんと川村君が、しらけたように言う。
「いいでしょ、べつに。さあ、川村君、い、よ。」
「い…」
川村くんはちょっと考えこんだ。
「いつも思ってたんだけどさ…」
これってしりとり? でもしり切れトンボだ。ナオとかっちゃんは、立ち止まって川村君をつっついた。
「さっさと言えよ。」
「よくないよ、言いたいことがまんしてるのって。」
いちおうしりとりで続けた。でも川村君は答えない。
「しりとりじゃなくていいからさ。」
かっちゃんがじれたような声を出した。すると、メガネの奥の目がどこか関係ないところを見つめながら、川村君がつぶやいた。
「どうしてぼくだけ『川村君』なわけ?」
 ナオはいっしゅん、背中に冷たい水をかけられたような気がした。川村君は今日初めて会った人だけれど、言葉の意味はよくわかった。かっちゃんはなんて答えるんだろう。ナオはその答えを聞いてしまっていいんだろうか。ところが、
「なーんだ、そんなことか。」
かっちゃんはあっけらかんと言った。
「簡単じゃん。川村君がみんなを名前で呼ばないからだろ。」
ナオは小さくあっとさけんだ。そういえばさっきから『君たち』としか言ってない。転校生のナオはともかく、かっちゃんとは知り合いなのに。
「よし。とりあえずおいらのこと、名前で呼んでみなよ。」
かっちゃんが胸を張った。
「なんて呼べばいい?」
川村君が聞く。
「かっちゃん。」
「あー、あー、今なんて言った?」
ナオは飛び上がってよろこんだ。そしてすかさずシールをはりつける。
「これで五枚目っと。」
かっちゃんはげんなりした顔で言った。
「こうなったら『ちゃん』も『くん』もなしだ。かつとしでいいよ。そのかわりおいらもなりみちって呼ぶからな。」
「う、うん。」
なりみち? 昔の人みたいな名前だなあ。ナオはなんだかゆかいな気持ちになった。
「ちゃんくんなしで、いい感じ。」
思わずスキップしてしまう。そしてくるりとふり向いて、二人に言った。
「じ、だよー。」
二人はまたか、という顔をした。でもしょうがない。なにしろ今日はしりとり注意報が出たのだから。

三人は遅刻すれすれだった。学校のくつ箱にかけよってからわかったことだったが、かっちゃんも川村君もナオと同じクラスだったのだ。でもそれ以上にナオをおどろかせたのは、先に廊下を走る二人がふり向いて、こうさけんだことだった。
「急げー、ナオ!」
                  おわり

 

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