旅人レース
三木 聖子     
2005年鬼ヶ島通信 第33号 入選作
「ライド、オン!」
と、てきとうな英語のかけ声で、オレはマウンテンバイクにまたがった。
 はじめの重い一回転、ペダルを力いっぱいふみこむと、あとはいきおい。全速力でこぎまくる。
 じいちゃんの家の玄関から、母さんが、
「ぼうし!」
なんてがなっているけど、三秒後にはもう耳にとどかなくなった。
 小樽から、南へ車で二時間半。母さんの実家の漁村には、国道沿いに百八十度、見渡すかぎり海が広がっている。
 懸賞でマウンテンバイクを当てて以来、この小学校最後の夏休み、じいちゃんの家に遊びに来るのがいつになく待ち遠しかった。
 広い道を、思いっきり飛ばしてみたい!
 RV車の後ろに、わざわざマウンテンバイクをのっけてもらったのは、小樽のせまい道で、ろくにスピードもつけられないのがくやしかったからだ。
 それにくらべてこの国道の広さったら。おまけに、もうだいぶ村はずれまで来たから、あたりには民家も、信号も横断歩道さえ見当たらない。
 たま〜に車が横を走るだけで、あとはどこまでも完全な一本道だ。
「ウォーッ!」
 だれの目もないのをいいことに、オレはこぶしを天につき出し、おたけびをあげた。
 カーブにかかると、マウンテンバイクをたおし、レーサーみたいな体勢でハングオンする。
 海岸と、ゆるやかに小高い山々が、道路と草原をはさんでずっと続いている。この道の先に、目指してる、となり町とのさかいの小さな岬がある。
 潮風が、耳もとをコショコショくすぐって、何かささやき、通りすぎてゆく。
(これこれ、これを待ってたんだ!)
 Tシャツの首から風が入って、背中の方が船の帆みたいに空気をはらんでいる。
 ぐんぐんスピードがあがる。追い風だ。
 時刻は、正午ちょっとすぎ。陽射しのわりに、そんなに暑くならないのは、湿度の少ないせいかなァ。
 右手の山の頂上から、入道雲が顔をのぞかせている。『ペンキぬりたて』って感じの空は、さわると指に青い色がつきそうだ。
波の上を飛んでいたカモメが一羽、コースをかえて、頭上を追いこしていった。アスファルトに落ちた鳥の影が、そのあとをすべってく。
 それを笑顔でながめてたら、思わず声が出た。
「すんげー、気持ちいいー」
 その直後、ツーリングのバイクが二台、わきをすりぬけていった。南から北へ向かう、「ミツバチ族」と呼ばれるバイカーたちだ。
 カモメならゆるすけど、人に、しかも同じ二輪で追いこされるとムッとくる。
(って言っても、かなうわけないから、むだな競い合いはしないことにするけど)
 やっぱバイクは速いよなァ。けど、あのメットじゃ、この風は感じられないはずだ。
 そうこうするうち、急な坂道がせまってきた。
 上りのとちゅうに、でかいリュックをせおった旅人の姿がある。大学生の北海道一周か、それか日本縦断って感じだ。
 その男とは進行方向がいっしょだった。
(よし、あいつなら追いこせるぞ)
 立ちこぎの体勢をとって、リズミカルにペダルをふむ。軽々と、そいつをぬいた。
 追いこされたやつは、いったいどんな表情をしているだろう。
 坂の頂上で、下りに入る直前に、
(どんなもんだ!)
とばかり、ふり返った。
 けど、後ろを見てがっくりきた。
 その男の眼中には、オレなんかまるでなかった。地面ばっかりながめ、ひたすら歩いてやがる。
 日焼けして真っ黒で、目ばかりギランと光ってて、着ているTシャツは赤かった。そして何だか、うかない、つらそうな表情をしていた。
 前輪がガクンとなって、マウンテンバイクが坂道を下りだした。いっしゅん男に釘づけになってた目を、あわててもとにもどす。
 再びふり向いた時には、もう男の姿は坂のあっち側に消えていた。
「何だ、あいつ……」
 こんなに陽射しが強いのに、ぼうしもかぶらないで。
(って、オレもかぶってないけど)
 マウンテンバイクが、『弁慶のすもう取り跡』と言う、道ばたの小さいもり土に、石碑がたってるだけの目立たない名所をすぎた。
 これから行く場所も、『弁慶岬』と呼ばれていて、ごていねいにも仁王立ちした弁慶の銅像がある。
 この日本海側の土地には、なぜだか弁慶とか義経だとかの名前が数多くある。
 兄の源頼朝におわれた義経が、北を目指すうち海を渡って、モンゴルに行ってジンギスカンになった……、と言うおかしな伝説が残されてるんだ。
 海側に所々、舗装されてない旧道がそのままにされている。今は釣り人たちのかっこうの駐車場だ。
(万一、伝説が本当だったとしたら……)
 そのころはあの旧道もなかった。きっと旅人は、海岸線をつたって歩いたはずだ。一年の半分は荒波をかぶってる、あの危険な岩場を。
 そこを横目で見下ろしながら、
(源義経は、どんな気持ちであの海岸を渡ったろう)
 きっと、さっきすれちがった旅人のように、思いつめた表情をしていたにちがいない。
 弁慶も、死んだことになってるけど……。
(弁慶か。そういやあ、さっきのあの男、ち
ょっとそんな感じだったよな)
 背も高かったし、しょったリュックも七つ道具みたいだった。
(いやいや、弁慶ってほどでもないぞ。あいつは鬼若でいい)
“鬼若”ってのは、弁慶の小さかったころの呼び名だ。歴史マンガで読んだから、ばっちり覚えてる。
(あいつは義経とは、ぜったいタイプがちがう。義経はどっちかってゆーと……)
「オレだァ〜!」
 ダハハハとバカ笑いをすると、また立ちこぎでガンガン飛ばした。
『弁慶岬』は、もう目の前だった。
 グーンとハンドルを切って、十台ほどの車ですでに満ぱいの駐車スペースに入った。
 そのすぐ向こうで、海を背にした弁慶の銅像が、なぎなた片手に、けわしい表情でつっ立っている。
(やっぱり、あいつと少し似てるかも)
 自販機の横にマウンテンバイクをとめると、半パンのポケットから小銭をあさってコーラを買った。一気に飲みほして、日が当たるベンチに寝ころがる。
 閉じたまぶたの裏側で、太陽がゆらめいていた。少しウトウトしたかもしれない。
 しばらくたって起き上がると、さっきすれちがった鬼若が、岬の駐車場にちょうどやって来るところだった。
 鬼若は、駐車場の真向かいの水場でリュックを下ろした。流れる水を直にゴクゴク飲んで、靴をぬいで、足と手と顔をザバザバ洗い、空のペットボトルを満タンにした。
 それから荷物をそのままに、タオルでゴシゴシ顔をふきながら、岬のとったんへ足を運んだ。
 岬の先は断崖絶壁になっていた。けれど、ロープでしきられた、立入禁止の立て札がある所までなら進むことはゆるされていた。
 鬼若は、そのギリギリまで歩いていくと、おそるおそる崖下をのぞきこんだ。そしてギョッとして、すぐに頭を引っこめた。
 オレは口のはじでニヤッと笑った。
(へへっ、きっと高い所が苦手なんだ。オレなんか、ぜんぜん平気だもんね)
 それに、思いおこせば自分自身、この岬でろくに観光したためしがなかった。
(お手本を見せてやる)
 立ち上がると、さっそうと岬のとったんへ歩いていった。
 鬼若のわきをすりぬけ、体をのり出して崖の下に目をやる。
 吹き上げる風が、額をサアッとなでていった。
 そのとたん体の中で、確かに肝が、キュウッとちぢこまるのがわかった。
 その断崖は、苦手とか得意とか言えるレベルじゃなかった。
 切り立った灰色の岩がギザギザと海面から角をつき出し、その一番高い所にオレはたよりなく立っていた。
 天気がいいのに、崖の下だけ波が逆巻き渦をつくっている。
 崖の高さにくわえ、泡をたてた群青色の海のその深さに、よけいに恐怖感をあおられた。
 軽く目まいがした。
(も、もしかしたら、体がこわばって、言うこと聞かないんじゃないかな……)
 けれど、思い切って足を動かすと、どうにか一歩しりぞくことができた。
(いいぞ、このままここからはなれよう)
 一歩、また一歩、少しずつ後ずさる。
 そして数歩目で、オレは、ドンッとだれかにぶつかった。
「ヒャッ!」
 うわずった情けない声が出た。ふり向いたら、赤いTシャツが目の中に飛びこんできた。
 そのまま視線を上に移動させると、アップの鬼若が目を丸くしていた。
 オレが崖から落ちるんじゃないかと、心配して見てたらしい。
「だいじょうぶか」
 意外と、もの静かな声だ。顔も、日焼けをとったら、そんなにたくましいとも言えない。
 ふと見ると、足もとに小さな石碑がたっていた。花と線香が、その場にたむけられている。
 背すじをゾワッとさせながら、ふらつく足どりでマウンテンバイクの所へもどった。
 自販機の横っ腹によりかかって、ズルズルとしゃがみこむ。まだめまいがおさまらない。
(あ〜、これは日射病かも)
 カンカン照りのベンチで、昼寝なんかしなきゃよかった。今さらだけど、母さんの言うとおり、やっぱりぼうしも必要だった。
 それに、ちょっとかっこ悪いところを他人に見られたので、気分がさえない。
 その時だった。体育ずわりをして、顔をふせていたオレの頭に、とつぜんだれかが冷たい水をそそぎかけた。
「な、何すんだよっ!」
 ねれた髪をかきあげて、上を見る。と、すぐそばで鬼若が、半分くらい空になったペットボトルを片手につっ立っていた。
「水飲んだほうがいいぞ、中坊」
 サッとペットボトルをさし出した。
(さっきコーラ飲んだんだけどな……)
 水をうけとると、しぶしぶ口にふくんだ。そんなつもりはないのに、のどがゴクゴク、中身を飲みほしてゆく。
 水分が足りてなかったことに、はじめて気づいた。
 すっかり空にして、ハーッと息をつくと、礼も言わずにペットボトルをつっ返した。
 それと交換に、今度鬼若は、首にかけていたタオルをオレの頭にかぶせた。
「ものすごいスピードで飛ばしてたから、ぶったおれるんじゃないかと思ってた」
(何だ、オレのことなんか無視に見えたのに……)
 えんりょなしに、やつのタオルでワシャワシャ髪をふいた。返そうとすると、鬼若は、あごで「やる」という身ぶりを見せた。
 オレはタオルを広げて頭にかけた。
 鬼若が笑顔で、
「あいつと同じだな」
 ほっかぶりの弁慶の銅像を指さした。
「それにしても、どうしてこんな所で弁慶なんだ?」
 オレは少し得意になって、義経伝説のことをやつに話した。
「―ふ〜ん、落ちのびてきた義経や弁
慶の家来が、二人をしのんで名前を残したのかもな……」
「それか二人ともやっぱり生きてたのかも」
と、オレはつけくわえた。
「それからついでに言っとくけど、オレ中坊じゃなく小学生だから」
「へ〜、にしちゃあデカイな」
(おまえもなっ)
「鬼若……」
と口にしかけて、あわてて言い直した。
「あ、あんたは? 大学生?」
 返事がかえってくるまで、いっしゅん間があった。
「いや、もうちがうよ。大学は、この間やめてきたから」
 すると鬼若は、急に出発のそぶりを見せはじめた。
「もう行かないと。今日の目的地まで、まだだいぶあるんだ」
「どこまで?」
 鬼若の眉間に、かすかにしわが寄った。あきらかに、うるさく質問されるのをいやがっている。
 しぶしぶ、やつは答えた。
「とりあえず、最終目的地は“地の果て”かな」
「地の果て!?」
 とつぜん頭の中に、モンゴルの風と空と草原が浮かび上がってきた。馬の群れが、たてがみをなびかせ、土煙をあげてかけていた。
 それをうちけすように、ハハッと鬼若は笑った。
「地の果てはアイヌ語でシルエトク、知床のことだよ。じゃあな、小学生」
(知床? そんなとこまで何しに?)
 聞く間もなく、再びリュックをせおい、鬼若が岬の駐車場を出ていく。
 日かげにペタンと腰を下ろしたまま、オレはちょっと右手をあげてみせた。
(あっ、名前聞き忘れた)
 まっ、いっか。鬼若のまんまで。
 やつの背中がどんどん遠ざかってゆく。あのちょうしで行けば、となり町はすぐそこだ。
 でも鬼若の目的地は、もっと先なんだ。どこか泊まる所があるんだろうか。それとも野宿するつもりなのかな。
(いいなァ……)
 このままオレも、やつについて行っちゃおうかな。
 チラッと視線を弁慶の銅像にはしらせると、あいかわらずのしかめっ面を返された。
(ってわけにもいかないよな……)
 町から村へ向かうバスが、目の前の道路を岬にそってカーブしてった。
 オレがこれから帰る道だ。
 少し休んだら、だいぶ具合が良くなった。
だるい足を引きずって、またマウンテンバイクにまたがる。
「もどるか、相棒」
 岬に弁慶をおいてきぼりにして、それっきり、オレも鬼若のことは頭のすみにおしやった。
          *
 数日後、小樽への帰り道。
 オレは車の後部座席で、窓を全開に、ボケーッと景色をながめていた。
 ハンドルをにぎる父さんが、クーラーがどうのこうのとうるさかったけど、ずっと聞き流してた。
 峠の針葉樹の森から、濃い緑のにおいがする。
(こうして、いつも風に吹かれていたら気持ちいいのになァ)
その時、目が行く先に何かをとらえた。
 シートからガバリと身をおこす。
 道ばたを歩いている赤いシャツの男。そのすぐ横を、またたく間、父さんの車が追いこしていった。
オレは窓から頭を出して、後方をふり返った。
 以前とまったく同じように、そいつは下ばっかりに目を落として、けんめいに歩いている。
 後ろを向いた母さんが、「窓から顔を出したら危ないわよ」と、小言を口にした。
 カーブを曲がって、そいつの姿が見えなくなると、オレは頭を引っこめた。ホーッと息をついて、ストン、とシートに深く腰をおろす。
(鬼若だ)
 もうこんな所まで歩いて来てたんだ。
(オレが食ったり飲んだり泳いだり、遊び回ってる間に……)
 オレの乗った、父さんじまんのRV車は、またあいつを追いぬいたけど―。オレはぜんぜん、勝った気なんかはしなかった。
(やられた。自分の完全な負けだ)
 あいつはすごい。すごいと認める。
 負けたはずなのに、胸の奥がワクワクとくすぐったくて、笑い出したい気分でいっぱいだった。
「父さん、オレ、ここで降りる。マウンテンバイクに乗って帰るから」
 車を降りたオレに、父さんと母さんは、
「自転車だとまだ何時間もかかるぞ」
「お金持ってるの?」
と、発進直前まで心配事を言っていた。
 RV車が道の向こうに消えると、気をとり直してマウンテンバイクにまたがる。
(考えてみたら、オレだけが、勝手にあいつとレースしてたんだな)
 鬼若は、なぜ旅をしているんだろう。旅をすること自体が目的ってのもあるんだろうけど……。
(でも気のせいか、あいつは何かをさがしているように見えた)
「地の果てか……」
 勝手な想像だけど、案外あいつも、旅の理由や行く先を、さがしているのかもしれないなァ。
 土地に残されている義経や弁慶の名前も、かつてだれかがそうやって、自分の居場所をもとめて北の大地をさすらった足あとなんだろう。
(オレもいつか歩いて旅をしよう。今は、まだこれに乗らなきゃ進めないけど……)
 そしてその時は、ぜったい赤いTシャツを着ると心に決めた。
 オレは一歩、ペダルをふみこんだ。