タカヨシとプー
竹内 明子     
鬼ケ島通信第40号参考作品
タカヨシは学校の帰り道だった。
「わっ。」
ブロック塀のわきを通った時、急に後ろからランドセルをつかまれて、タカヨシは建物のかげにひきずりこまれた。
驚いて振り向くと、そこにいたのは白地に黒いぶちのあるダルメシアン。前足の爪でがっしりとランドセルを押さえつけ、人間みたいに二本の後ろ足で立っている。
「ウ、ウエーン、たすけてぇ!」
顔の前には赤い舌がだらりとたれている。いつガブリとやられてもおかしくはない。
犬が言った。
「泣くなよbT。わざとらしいやつだな。」
「あっ、やっぱりわかっちゃった?」
タカヨシは泣きまねをやめて、とぼけた声を出した。
「よくぼくだってわかったね、bV。」
まだ舌を出したままの犬に、にっこり笑いかける。
「臭いだよ。この全身毛だらけのやつに変身したとたん、急に鼻が効くようになった。」
犬はそう言って、鼻先を突き出して首をかしげた。
「ああ、それは『犬』っていう動物でね、嗅覚がものすごく発達してるんだよ。」
「いぬ? なんだこれ、地球人じゃないのか? 」
「うん。ほら見てよ、ぼくにはシッポなんてないでしょ。」
タカヨシはくるりと腰を回してみせた。
「このブラブラしたやつ、シッポっていうのか。宇宙船の窓から最初に見えたのがこれだったから、てっきり地球人だと思ったよ。」
「結構似合ってるよ。だけどねぇ…」
「ん? どこか変か?」
「普通、犬は四本足で歩くんだよ。」
タカヨシは、白い腹を見せて立っている姿をながめながら、クスクス笑った。
「四本足? やだね。地面にはいつくばって歩くなんて、出来るか。」
「相変わらず頑固だね、君は。」

タカヨシと犬、いやbTとbVは『モノ』という星からやって来た異星人だった。モノ星は地球と同じ太陽系にあり、星の環境は地球とよく似ていた。
地球年齢では中学生くらいのbTとbV。正式な番号は927685と927687。二人には、もう一人友達がいた。bU(927686)だ。続き番号の三人は幼なじみで、いつもいっしょだった。
事の起こりは、bUが図書館で見つけてきた一冊の本だった。
「ねえ君たち、今日からぼくのこと、『ジャボン』って呼んでくれたまえ。」
「ジャボン? 池にでも落ちたのか。」
bVは笑ったが、bTはぐっと身を乗り出した。
「君はまた、何か見つけたんだね。」
bUが持っていた本は、百科事典のように厚く、かすかにカビの臭いがした。表紙には『太陽系のすべて・地球編』と書いてある。
「いいかい、モノ星からそう遠くない位置に、地球っていう星がある。そして、そこにはぼくたちみたいな生命体、つまり地球人が存在しているんだ。」
「すごい! 宇宙人って本当にいたんだ。」
bTは目を輝かせた。
「それだけじゃないぞ。地球人には驚くべき特徴があるんだ。」
「特徴? どんな?」
「一人一人、姿かたちがちがう。」
bUはそう言って、自分と全く同じ顔のbTとbVを見た。
「そして名前を持ってるんだ。」
「なまえ? なんだいそれ?」
bTは自分と全く同じ顔のbUに聞いた。
「自分と他人を区別するためのものさ。」
「区別するもの? なんだ、腕輪の数字のことか。」
モノ星人は、番号が刻みこまれた腕輪をすることが義務づけられていた。
「ちがう! これは単なる数字じゃないか!」
bUは激しく首を振った。その様子を見ていたbVは、急に表情をかたくした。
「bU。まさかおまえ、その本、禁書の棚から持ち出してきたんじゃないだろうな。」
「ふふ:かたいこと言うなよ。ぼくたちにはまだまだ知らないことがいっぱいあるんだよ。こんなおもしろい本をかくしておくなんて、実に大人の考えそうなことだ。あっ、それよりbUはやめてくれ。ぼくにはジャボンっていう名前があるんだから。」
そしてbUはページをめくって、青い海に浮かぶ細長い島を指差して言った。
「ほら、魅力的な形の島だろう。この島をそう呼ぶらしいんだ。」
うっとりした表情で話すbUを見て、bTは何か不安な気持ちになった。
予感は当たった。
「ぼくには、こんなものはもういらない。」
bUは、足元に落ちていた石を手に取って、自分の手首に向かって強く打ち付けたのだ。金具がこわれ、銀の腕輪はカランとかわいた音をたてて地面に転がり落ちた。
bTはとっさに腕輪をひろい上げ、bUの胸にグイッと押し付けた。
「だめだよこんなことしちゃ。リポス(モノ星の警察)につかまっちゃう。」
bTはやさしくなだめるように言ったが、bUは受け取ろうとはしなかった。
「おまえ、自分の星のルールをやぶって、いったいどういうつもりなんだ?」
bVは顔色を変えて立ち上がった。でもbUは、どこか自信に満ちた表情でニヤニヤしているだけだ。
「わかった。勝手にしろっ!」
bVはそのままbUに背を向け、bTもその後を追った。でも二人の背中に向かって、bUはまだひとり言のようにつぶやいていた。
「一人一人がちがう、それが真実なんだ。」
そしてそれから三日後、bUはリポスに連れて行かれた。決して自分の考えを曲げなかった彼は、とうとう休眠カプセルに入れられることになった。
「本当にばかなやつだ。一年間も眠らされるんだぞ。禁書になんか手を出すからだ。」
「ね、ねえbV。これ、bUがリポスに捕まった次の日に届いたんだ。」
bTは一冊のノートを差し出した。ノートを広げたbVが、小さな声であっと叫んだ。
「これ:地球へ行く計画書じゃないか。」
「うん。学校にある実習用の宇宙船の盗み出し方や、身代わりロボットの手配の仕方まで書いてある。bUらしいや。」
「リポスに見つからないように送ってよこしたんだな。誰にも言うなよ。こんなの見たらどんなやつだって地球に行けてしまうぞ。」
(うん。こんなぼくだってね。)
bTはきゅっと唇をかみしめた。

「ウー:ワンワンッ!」
「わっ。どうしたのさ、急に。」
「おまえわざとおれにノート見せただろ。自分が地球に行ったとわかったら、ちゃんとおれが追いかけて来れるように。」
犬が白い牙を見せてタカヨシをにらんだ。
「ごめん、一人じゃ心細かったんだよ。」
「だったらするなよこんなこと。おまえ、なんで地球になんて来たんだよ。」
「bUのために決まってるじゃないか。君も知っているだろう。一年間眠らされたからって彼はあきらめやしない。そしたら今度の罰はあんなもんじゃすまないよ。」
「そうだろうな。」
「bUは目で見たことしか信用しない。だからぼくたちが、地球の様子を見て彼を説得するしかないと思ったんだ。」
「なるほど。地球はおまえが憧れるほどいいところじゃないぞって説明するわけか。」
犬はうで組みをしてじっと考え込んだ。
「うまくいくかな。」
「いくさ。」
タカヨシは力強く答えた。
「だって昔っから、ぼくたちの言うことはちゃんと聞いてくれたじゃないか。だからお願い、しばらく地球にいさせて。」
真剣なまなざしに、犬はしっぽをたらんと下げた。
「わかった。こんな時のおまえは、おれより頑固だからな。だけど身代わりロボットでごまかせるのは、あと一ヶ月だけだぞ。じゃないとおれたちまで休眠カプセル行きだ。」
「ありがとうbV。そう言ってくれると思ってたよ。」
タカヨシはいやがる犬に、むりやり抱きついてほおずりをした。
「よせよせ…。それよりおまえ、うっかり犬に変身してしまったおれが言うのもなんだけど、もう少しなんとかならなかったのか?」
犬は目の前の小学二年生をしげしげとながめた。しばらく見知らぬ星で暮らしていくには、少しばかり心細くなる相棒だ。
「ぼくも変身しなおそうと思ったんだけど、宇宙船についてる形態疑似マシンの調子が悪くってさ。」
「学校の実習用だからな。おれのはエンジンが最悪だった。おまえより三週間も到着が遅れたのもそのせいさ。ん? 何かにおう。」
犬が急に鼻をヒクヒクさせた。
「何してるの? ヨシタカ君。」
いつの間にか後ろに、赤いランドセルを背負った女の子が立っていた。
「あっツグミちゃん。」
(ヨシカタ? おまえ、タカヨシじゃなかったっけ?)
犬がぼそっと言った。
(席が隣なのにいっつもまちがえるんだ。)
タカヨシは苦笑いした。
「これ、ヨシカタ君ちの犬? どうして立ってるの?」
「あっ、んー…エサ欲しがってるの。これ、おなかがすいたのポーズなんだ。へへ…。」
「かわいそう。」
そうつぶやくと、ツグミはランドセルをおろしナプキンの包みを取り出した。
「あげる。給食の残りなの。」
揚げ油の香ばしい臭いがした。さっき感じたのは、この臭いだったのだ。
ツグミはパンを二つにちぎると、続けざまに犬の口に放り込んだ。犬は大きな口と長い舌をぎこちなく動かしながらほおばると、満足そうにゴクリと飲み込んだ。
「ね、この犬の名前、なんていうの?」
犬の頭をなでながらツグミが聞いた。
「あ、まだつけてないんだ。」
「じゃあ『プー』っていうのはどう? 私のぬいぐるみと同じ名前。かわいいでしょ。」
「う、うん。」
(いやだ、よせ、やめてくれ。)
犬が激しく首を横に振っている。
「あら、気に入ったのね。あなたは今日からプーちゃんよ。じゃあまたね。」
ツグミはそう言うと、二人に手を振って行ってしまった。
「おれ、プーになっちゃったのか?」
「そうみたいだね。」
「おまえがタカヨシで、おれがプー?」
「お、覚えやすいよね、ぼくのより。」
「ふん。それよりさっきの揚げパンとかいうやつ、あれはなかなかうまかった。あんなうまい物、なんで残すんだ?」
「うん。実は、ツグミちゃんってちょっとかわいそうなんだ。」
タカヨシは少し表情を暗くした。
「この国の人は今のぼくみたいに黄色っぽい肌なんだけど、ツグミちゃんの場合は普通の子よりちょっぴり色が黒いんだよ。」
「そう言われるとそんな気もするな。」
「先週の給食の時間のことさ。ある男の子が、揚げパンのこんがりした色がツグミちゃんに似てるって言い出したんだ。そしたら回りの子たちもおもしろがってさ。揚げパン、揚げパンってからかい出したんだ。」
「ふーん。何かのゲームか、それ?」
「ちがうよ、いたずらさ。ツグミちゃん、それで食べれなくなっちゃったんだ。」
「もったいない、あんなにうまいのに。」
プーは口のまわりをベロンとなめた。
「ぼく心配だな。だって毎週木曜日には必ず出るんだよ、揚げパン。」
その時、四、五人の男の子が通りかかった。
「見ろよ、あの犬。立ってるぞ。」
一番体の大きい子がさけんだ。タカヨシがプーに、こっそり耳打ちする。
(うわさをすれば…あいつがツグミちゃんをからかってる張本人、タモツだ。)
(デカイな。おまえの二倍はあるぞ。)
背中のランドセルが小さく見える。
「これタカヨシ君の犬? おっもしれー。」
タモツはそう言いながらプーに近寄ってきた。ほっぺにうずもれた細い目が、おもちゃでも見つけた時のように輝き始める。足元に木の棒を見つけて、タモツはその先をプーのおなかに向けた。
「ほら、歩け、歩け。」
二本足で歩くところを見たいらしい。こわがりもせずに、何度もおなかを突っつき始めた。
(あっイテ。何するんだよ。)
プーは、二本の後ろ足でジャンプしながら攻撃をよけている。
「タモツ君、やめといた方がいいよ。」
プーの顔色が変わったのを見たタカヨシは、内心にやにやしながら言った。
でもタモツはおかまいなした。
「ほらほら、歩いてみろよ。歩かないと、もっとつっついちゃうぞ。」
友達がゲラゲラ笑って見ているのをいいことに、ますますいい気になっている。
「ねえ、やめなよ。」
タカヨシはわざとやんわり忠告した。でもタモツはとくいげな顔で笑っている。
(よせばいいのに。そろそろ…だな。)
急にプーが後ずさりをやめた。
(今だ。)
タカヨシは両手でさっと耳をふさいだ。
「ウー:ワンワンワンワンワンッ! ワンワンワンワンワンワンワンワンワンッ! ワワンワンワンワンワンワォーーーーン!」
「うっうわーーーー!」
タモツ達はすざまじい鳴き声に肝をつぶして、あっという間にいなくなってしまった。
「ワンワンワンワンワンワン!」
「プー、もう行っちゃったよ。」
「ワンワ…ん? なんだ、早かったな。ふん、トレーニングにもなりゃしない。」
プーは胸をぐいっと後ろにそらし、大きく深呼吸した。モノ星にはおもしろいスポーツがあった。声の大きさで相手を倒す、そう、日本風に言えば『声相撲』だ。両者鼻先が触れるほどに近づき、割れるような大声を出す。決して耳をふさぐことは許されない。bVはここ三年間負け無しの学生チャンピオンなのだ。
「かわいそうに。タモツ君の耳、しばらく使い物にならないだろうね。」

タカヨシは毎日真面目に小学校へ通った。プーは昼間は町をブラブラして、タカヨシの帰りを待った。そうして夜になると、二人は宇宙船にもどり、その日の出来事の報告をし合った。
「校長先生ってすごいんだよ。子どもたちの顔と名前、全部覚えてるんだ。千人もいるのにさ。地球人って記憶力いいのかな。」
「そうかな? おれに毎日コロッケくれるスーパーのおばちゃんなんか、いっつも呼び方ちがうぜ。今日はポチ、昨日はロン、おとといはブチでその前がハッピー。」
「へー、なんか楽しいね。プーにも友達できたんだ。」
「ああいうのも友達っていうのか?」
「ねえ、犬は? 犬の友達はできた?」
「そっちはさっぱりだ。どいつもこいつもおれを見ると、しっぽを下げてすぐにいなくなっちまう。」
「立って歩いてるからだね。商店街のあちこちでうわさになってるらしいよ。あやしい犬がいるって。」
「あやしい犬とは心外だな。地球人には、見かけで判断する悪いくせがある。モノ星人はそんな早まったことはしないぞ。」
「なにしろ見かけが同じだからね。」
「しかし一人一人ちがうってのは、ややこしいな。それに名前がついてても、まちがって呼んだりしてるじゃないか。ほら、あの揚げパンの子。」
「でもぼく…ツグミちゃんにbTって呼ばれるよりだったら、まちがいでもヨシタカ君って呼ばれる方がいいな。」
「そう言えば、まだタモツのやつ、からかってるのか?」
「うん。」
タカヨシはうかない顔で答えた。
「明日いっしょに遊ぶ約束したからさ、プーも放課後、公園に来てよね。」
「ああ、どうせひまだ。おれにはいっしょに遊ぶ友達もいないしな。」
「なに言ってるのさ。ツグミちゃんはプーとも友達じゃないか。」
それに何より名づけ親だ。
「そ、そうなのか? …地球人ってのはずいぶん簡単に友達になれるんだな。」
プーはちょっぴり顔を赤くして、ブツブツ言った。
次の日、公園で会うなり、ツグミはプーを見て急に悲しそうな顔をした。
「プーったらまた立ってる。かわいそうに、またおなかすいてるんだね。」
(ちがう、ちがう。)
首を横に振ろうとしたプーは、ツグミがまた揚げパンを出すのを見て、思わず大きな口を開けた。
「あらあら。プーったら、もっとよくかんで食べなくちゃだめよ。」
プーは思った。スーパーのおばちゃんがくれるコロッケもうまいが、ツグミの揚げパンはやさしい味がする、と。
ツグミはとてもよく笑った。おにごっこしたりブランコに乗ったりしながらすごす時間は、あっという間に過ぎた。
「またね、バイバイ。」
くりんとしたツグミの大きな瞳が、夕日で赤く染まっていた。
「元気だったじゃないか、ツグミちゃん。」
帰り道、プーが言うとタカヨシは首を横に振った。
「学校では具合悪くて保健室で寝てたんだよ。今日は木曜日で揚げパンの日だったからね。」
「そうなのか。揚げパンもらってよろこんでる場合じゃなかったな。」
「でも何にも知らない先生ったら、給食は食べなきゃだめってむりやり教室に連れて来たんだ。」
「ズレた先生ってのは、どこの星にもいるんだな。」
「ほんとズレてる。タモツが聞こえよがしに、揚げパンはベタベタしてて手が汚れるよなーなんてからかってるのに、先生ったら静かに食べなさいって注意するだけなんだから。ツグミちゃんが泣いちゃったのにも気づかないんだよっ、まったく!」
タカヨシはぎゅっとにぎったこぶしを、自分の太ももに打ちつけた。
「タモツってデカいからみんなこわがってるんだ。ぼく、もっと大きな子どもに変身するんだった。くやしいよ。」
ふと気がつくと、プーがついて来ていない。
振り向くと、プーは肩をいからせてその場に立っていた。
「ガルルル…」
「プー?」
「ワンッワンワンワンワン、ワオーーン!」
鼓膜がやぶれそうな大声だ。電線のスズメたちはいっせいに飛び立ち、ふいをつかれたタカヨシは、耳に手をあててペタリとすわりこんでしまった。
「決めた。」
「決めたって何を?」
「本当は、よその星であんまりさわぎをおこしたくなかったんだけどな。でも、ツグミちゃんを泣かせたタモツは絶対に許せない。」
「何するの?」
プーは、すわったままのタカヨシの胸をトンとたたいた。
「bT、学生チャンピオンなのは、おれだけじゃないだろう。」
「えー、あれをやるの?」
「ああ。決行は明日だ。」

金曜日の三時間目は社会の時間だ。その日の日直は、授業で使う地図を取りに行くことになっている。校舎のはじっこにある資料室までの廊下は、薄暗くて長い。いかにも何か出そうで、子どもたちの間では『ゾンビ通り』と呼ばれていた。
今日の日直はタモツだった。
「んしょ、んしょ。」
タモツは身長の倍もある長い地図を、引きずるように運んでいた。日直の子は、友だちを誘って二、三人で取りに来るのが普通だった。地図は重いし、何よりゾンビ通りがこわいから。でもタモツの場合は特別だ。
「はぁー…」
タモツは立ち止まって息を整えると、薄暗い廊下の先をじっと見つめた。みんながさわぐ休み時間なのに、ここは物音ひとつしない。タモツの声も足音も、冷たい壁にぜーんぶ吸い取られていく。
「やっぱ、ケンジについてきてもらえばよかったかな。」
ポツリとそうもらした時、
「重そうだね。」
「わっ!」
後ろから声をかけられて、タモツは大きな声をあげた。
「な、なんだ…タカヨシ君か。びっくりさせるなよ。」
いつの間に、どこかやってきたのだろう。小さなタカヨシは、薄暗い壁の中からぬけ出てきたようにそっと立っていた。
「手伝ってあげる。」
タカヨシが、にこっと笑って地図の先っぽに手をかけた。
「あ、ありがと。」
タモツは内心ほっとしているようだった。
二人は地図を右脇にかかえ、前後に並んで歩く格好になった。タモツが、前を歩いているタカヨシに言った。
「さっきぼくが驚いたこと、みんなに言うなよな。」
「…」
返事がない。
「おい、聞いてんのか?」
まだ返事がない。
「おいってば!」
イライラしたタモツが、タカヨシのおしりにキックした。
「痛い。」
タカヨシはぴたっと歩くのをやめた。
「痛いなあ。ねえ、タモツ君…」
そう話しながら、タカヨシはゆっくりと後ろを向いた。いやちがう。グルリと百八十度後ろを向いたのは、タカヨシの首から上だけだ。体はすっかり前を向いているのに、顔は後ろのタモツを見てにこにこ笑ってる。
「君って、ホーントいじわるだよねえ。」
タカヨシの顔はそう言うと、さらに百八十度回って前を向いた。後ろのタモツは声を失ってる。
「あ。これじゃあ、ねじれてるな。」
すると、ひねったゴムが元にもどるように、今度はくるっと顔が逆回転し前を向いたのだ。
バサッ
タカヨシの後ろで地図を落す音がした。
「ギャー、ゾンビー! た、たすけてー!」
叫び声は泣き声に変わり、暗い廊下中に響き渡った。手足をバタバタさせて必死に逃げていくタモツ。その後ろ姿はあっという間に見えなくなった。
「あらら行っちゃった。しょうがないなあ、日直はタモツ君なのにさ。」
タカヨシはブツブツ文句を言いながら、地図を引きずって行った。

「ちょっとやりすぎたかな。タモツったらもう三日も休んでるんだ。」
次の週の水曜日になっていた。
「ふん。タカヨシの首が回るのを見たって言っても、誰にも信じてもらえなかったんだろ。みんなに変な目で見られたから、はずかしくて出てこれないだけさ。」
「みんなの前で泣いちゃったしね。」
いくら体が大きいといっても、やはり小学二年生だ。教室に逃げ帰ったタモツは「こわかった、こわかった」と繰り返し、大粒の涙をこぼしたのだ。
「これでツグミちゃんの気持ちもわかったはずだ。」
「そうだね、なんだかホッとしたよ。」
「でもおまえ、首を一回転させただけなんだろ。軟体選手権ダントツ一位の技持ってるんだからさ、もっとあちこち回して見せればよかったのに。腕とか足とか。」
どうやらモノ星人の関節は特殊に出来ているらしい。
「それよりさ。どうやらおれ、あんまりあちこちうろつき過ぎたみたいだ。あやしい犬がいるっていうんで、保健所とかいう所からおれを捕まえにくるんだとさ。コロッケのおばちゃんが教えてくれた。」
「そんな…。」
プーは普通に歩いてるつもりでも、やはり目立たないはずはなかった。
「帰るの?」
「そろそろ一ヶ月だし、もういいんじゃないのか?」
タカヨシは、しかられた後の子どものようにシュンと肩を落とした。
「じゃあ、あと一日。明日一日だけ学校行かせて。そしたら帰るから。」
「ああ、わかった。」

夕暮れが近づいていた。プーはブランコに揺られながら、タカヨシを待っていた。
「プーーーー!」
名前を呼ばれて顔を上げると、小さな二つの影が走って来るのが見えた。プーには、そのうちの一つがツグミだとすぐにわかった。
「ワン!」
近寄ってきた二人にプーが短く吠えた。プーは四つんばいだった。小さなしっぽをちぎれるほどに振っている。
「よかった。今日はおなかすいてないんだね、プー。」
ツグミは安心したように微笑んだ。プーはこの笑顔が見たかったのだ。
「じゃあこれはおみやげ。後で食べてね。」
ツグミがいつものように揚げパンを取り出した。
「クーーン(また食べれなかったのか)」
プーが悲しそうに泣いたのがわかったのか、
タカヨシが説明するように言った。
「ツグミちゃん、今日はペロリと食べちゃったんだよね揚げパン。これは久しぶりに学校に出てきたタモツ君が、食欲ないって言うからもらったんだ。プーのために、ね。」
「ね。」
二人は顔を見合わせてにっこりした。プーは盛んに尻尾を振ってそんな様子を見ていた。
西の空では、真っ赤な夕日がどんどん大きくなってきていた。
「ごめんね、ツグミちゃん。ぼくたち、今日は遊べないんだ。」
「そうなんだ。じゃあ、また明日ね。バイバイ。」
ツグミはいつものように帰って行く。タカヨシとプーは、その小さな姿が見えなくなっても、しばらく手を振り続けていた。

グググィーン ゴゴゴ…
「ねえ大丈夫かな、このエンジン。」
「まあなんとかなるだろ。」
「食べないの? その揚げパン。」
「食べるさ。食べるけど…。」
「ツグミちゃんだけだったもんね。二本足の犬見ても、変だって言わなかったの。」
「なあ、bUが目を覚ましたらあいつを説得するって話だけど、おまえがやれよ。」
「えー、ずるい。プーもいっしょに説得してよ。ぼく自信ない。」
「なに言ってんだ。…おれだってないよ。」
「ねえ、そろそろ前の姿にもどる?」
「いや、まだこのままでいいよ。」