『本と本の周辺』
5/10、2003 Update

このページは同人おすすめの本を中心に紹介します。本だけに情報をかぎるのではなく、 それをとりまく映画、アニメなどに話が発展することもあります。また、その時々に気 に入った本を紹介する人、 自分で決めたテーマにそって紹介する人、長い紹介をする人、 短く紹介する人、紹介の仕方も さまざまです。本好きのみなさん、気に入ったところ をお読みいただき、しばしおつきあいください。

2003/5・ 本と本の周辺


『快楽の本棚』  言葉から自由になるための読書案内   津島佑子  中公新書

  この本は、著者が、子どものころ、中学生のころ、高校生のころ、大学生のころ、その時々に読んできた本について語っているのだが、どんな本を読んできたかといった読書経歴の本ではない。その時どうしてその本を読んだか、その当時の自分にとってその本はどんな意味をもっていたのかを、明晰に語っている本だ。そしてそれとともに、文学のもつ意味や力、豊かさ、楽しみをのべている。

そのごくごく一部を紹介すれば、著者は、小学校時代は、「こわいもの見たさ」が、本に対する興味を支配していて、なんといっても『雨月物語』の「青頭巾」がこわかったという。屍を食べる僧が自分の浅ましさに苦しみながらも生きつづけている状態のおそろしさ、つまりそのどこまでいっても「我」を失うことのできない状態こそが、際限のないおそろしさであり、おさない自分はそれを感じとっていたのだろう、といっている。

そのほかにも『南総里見八犬伝』、『山椒太夫』『女の一生』などなどについて、それを読んだ当時の年のいかない自分が受けとめたものを、今現在の著者が分析し意味づけていて、そこがとてもおもしろかった。(紙魚)

●ヤングアダルト的本棚
『永遠の出口』 森絵都  集英社

 春休み、ひさしぶりに息子の部屋をそうじした。勝手に入ると怒るのでほっといたら、山のようなほこり。それを掃除機ですいとっていると、机と棚のすきまから、四つ折りにした小さな紙がでてきた。ひろけてみると、力強い鉛筆の文字で「親友しょう明書」とあり、誓いの文とサインらしき署名が書いてある。署名は、ふたりの連盟。ひとりは息子。もうひとりは、小四の頃に仲良く、いつもいっしょに帰ってきた友だちである。
 わたしは、しばらくその紙切れの前でぼうぜんとしてしまった。その小さな紙きれから、息子の小学校時代が、はらはらと立ち上がってきて、なくなつかしさにしびれてしまったのだ。進路が違い今は、あまり連絡もしてなくて年賀状だけで「今度遊ぼう」と書きあっているかつての友だちとの親友の誓い……。ふたりの関係を証明書に書くなんて青臭いこと、四年生という時期だからできたのだ。中学生でも、高校生でも、できない。少なくとも、真剣には……。
 なんていいのだろうと、わたしは、その紙切れをひきだしにそっともどしておきながら思った。この「なんていいのだろう」って部分を、文章で表現できたらいいのにと思いながら。だって、すごくむずかしい。下手な言葉をつかったら、だいなしになってしまうような、繊細で淡い空気感なのだ。そう思っていたら、みつけてしまった。その「繊細で淡い」なつかしさを見事に表現した作品を。で、今月はそれを紹介。

『永遠の出口』は、人気作家、森絵都が、初めて大人向きに書いた小説だ。小学校の四年生から高校卒業までの九年間のその時々の思い出と心の位置を連作風に描いている。小学校の女子なら一番関心をよせるお誕生日会から、小学校卒業前の小さな遠出、親とのけんか、初めてのアルバイト、初恋、家族旅行などなど。
 特別な事件は起こらず、だれもが一度は経験したようななつかしい事柄がならんでいる。ありふれているともいえるようなささいなこともある。が、この作者には、小さな心の揺れを、じょうずにデェコレーションしてみせるわざがあるので、読み応え十分。それもあくどくなる手前でうまくおさえてあり、たびたびうなってしまった。
 家をとびだし、万引きを繰り返した頃のこと、書きようによれば、いくらでもジトジトと重たい感じにできるが、作者は、叔母さんから母への手紙を織り交ぜることで、思春期の少女と大人との遠い距離を実にじょうずに、からっと表現している。この構成力、最後のおちと、実にあざやかだ。
 ただ、すべての章が、なつかしいというわけにはいかなかった。森絵都とわたしとでは、青春に十年ほどの差がある。人との関係とか距離感、割り切り方に時代の差を感じちゃう場面もあった。初恋を扱った章も、そのひとつ。わたしには、ヒロインの自己愛ばかりが、強くおしだされている気がしてしまった。だが、これも好き好き範疇だろう。
 
最初にもどって、「親友しょう明書」は、実にへたくそな文字で書いてあった。あの文字がうますぎたら、きっとなつかしさも半減しただろう。息子は、わたしがしまい直した証明書を見て、どう思うのだろう。喜ぶかもしれないが、照れ臭くなり、捨ててしまうかもしれない。わたしが知らないだけで、息子も『永遠の出口』を出ていこうとしてるのだ。
 『永遠の出口』を、もりもり元気がでる小説だと北上次郎は評していた。しかし、わたしの読後感は、それと違い、もどってこない日々がまぶしくて、少しせつなかった(赤羽)
 
 

ホームへ