●『アースシーの風』 ―ゲド戦記X― アーシュラ・K・ル=グイン 清水真砂子訳 岩波書店
『帰還』でがっかりした私は、『アースシーの風』でほっとした。山羊や鶏を飼い畑仕事にいそしみ、テナーと崖の上の家から海を眺め、ときにはワインを楽しむゲドは、理想的な晩年を生きていた。
しかし『アースシーの風』では、ゲドは主人公ではない。では誰が主人公なのだろう。ハンノキ、テナー、テハヌー、レバンネンなどなどだろう。この物語は、たくさんの人と竜が力を合わせて石垣を壊し、死者の国を消滅させる話だ。これによって人びとは、いったんは死ぬが、また再び命となって生まれてくることになった。それを望んでル=グインは、この物語を書いたのだと思う。
このXのほかに外伝があり、五つの短編とアースシー世界の解説が書かれているという。『影との戦い』から33年、ル=グインは70歳半ば。たいしたものです。
今月はもう一つ。
●『捕虜収容所の死』 マイケル・ギルバート 創元推理文庫
『アースシーの風』とおもしろさの質は違うが、この本も実に実におもしろかった。書かれたのは1952年。だが全く古めかしさを感じさせない格調高い本格推理小説だ。
第二次世界大戦下、イタリアの捕虜収容所で殺人が起きた。イギリス人の捕虜たちは目下、組織を挙げて脱走のためのトンネル掘りをすすめている。死体はそのトンネル内で発見された。殺されたのは同じ捕虜仲間だが、スパイではないかと疑われていた人物。密室殺人、スパイ、脱走、この三つのサスペンスを緊密に組み合わせ、おまけに随所にユーモアまで用意されているのだからたまらない。
解説に曰く「スリラーと本格ミステリの要素が渾然一体となった、奇跡のような作品である。」 まさに! (紙魚)