『本と本の周辺』
5/10、2005 Update

このページは同人おすすめの本を中心に紹介します。本だけに情報をかぎるのではなく、 それをとりまく映画、アニメなどに話が発展することもあります。また、その時々に気 に入った本を紹介する人、 自分で決めたテーマにそって紹介する人、長い紹介をする人、 短く紹介する人、紹介の仕方も さまざまです。本好きのみなさん、気に入ったところ をお読みいただき、しばしおつきあいください。

2005/5・ 本と本の周辺


●ヤングアダルト的本棚 
『カチューシャ』 野中ともそ 理論社

 先日、銀行のATMで振り込みをしていたら、後から「早くしろ」とどなられた。あまりのけんまくにどんな奴かと振り向いたら、となりの老婦人がペコペコあやまっていた。どなった相手は、その婦人のつれあいらしく、私はとてもあせった。が、老婦人はなれてるのか動じもせず、ゆうゆとお金をおろしていた。ある意味立派。
 でも、その時、わたしは、自分がどなられていたらといやな思いになり、ゾッとした。そして、今の社会の余裕のなさを感じずにはいられなかった。駅でも、お店でも、バス乗り場でも、そういう余裕のない言葉がとびかう機会はどんどん増していて、このギズギズ感、どこまで増えるのかわからない。今だってぼうっとしてる。
私が、老人になったらこわくて町を歩けないのではないかと、やりきれない気持ちになる。
 でも、今月そんなやりきれなさを緩和してくれる、さわやかな作品に出会うことができた。なので、今回は、それを紹介。

 『カチューシャ』の主人公は、なにごとにもゆっくりでみんなとペースがあわないかじおという高校生だ。かじおは、そのゆっくりさから、モーと呼ばれ、クラスでちょっと浮いた存在。でも、この作品のすごい所は、かじおが、そのことを苦に思ったり悲観したりせず、傍観者の位置から見える自分の世界を楽しんでいる所だ。かじおがそんな風なのは、料理研究家の父親の考え方が影響しているようだ。「人生で出会ういろんなものは、形や色の違う豆みたいなもの。ひとつぶひとつぶのんびりと味わったほうが、さっと飲み下すよりもおいしいかもしれない」そんな風に、かじをのゆっくりさも認め、まるごと愛してるのだ。
 そんなかじおの前に、とびきり元気なカチューシャという女の子がとびこんでくる。自分とは、正反対の彼女にひかれつつ、とまどうかじお。作者は、このふたりの関係を、不良のクラスメートやカチューシャの祖父のロシア人ショウセイなどをまきこんで、実に丁寧にあたたかいまなざして描いていく。正反対のふたりは、ありきたりの友情とは違う、特別な思いでひきあい、お互いを認めていく。最初、言葉でつくりあげただけのようにも感じた、かじおのゆったりしたよさが、読みすすめるうちに、自然に体にとけ込むように実感でき、心がやわらかく広がっていく、そんな不思議な作品だ。
 ただ、かじおが、人一倍のんびりしてるのに進学校にかよっていたり、カチューシャのもてぶりがオーバーだったりと、リアリティを追求してる作品とは言いにくい。現代の寓話として、口溶けのいい文体と作者の世界を楽しむつもりで読むといいだろう。
 作者の野中ともそは、すばる文学賞受賞者で、イラストレーターとしても活躍している注目株。その場の空気を伝えるセンスある描写や気がきいた会話で、これからもどんどん若者をひきつける物語をかいていくことと思う。(赤羽)
 

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