ももたろうリレー童話・第二作

『雪女と発熱男』

第三話 氷の世界

かんりびと                               



とつぜん、窓の外からしわがれた声がした。
『りんご、いらねがー』
まさか、こんな雪山にリンゴ売り? 思ったとたん、またかすれた声がした。
『りんご、いらねがー』
「あれは雪狸の鳴き声よ」
「ユキダヌキ?」
「そう。真っ白なので、雪の中にいると、ほとんど見えないけど。変わった鳴き声でしょ?まるで誰かがふざけてリンゴ売りのまねをしているみたい。」
そういうと女はいたずらっぽく口元に微笑を浮かべた。
今までは気がつかなかったが、部屋の中で間近に聞く女の声は、その冷たい容姿からは想像も出来ないほど、暖かく、やわらかだった。
そしてその微笑みは、シャロン・ストーンも真っ青なほどの、色気を含んでいた。
義人はまたまた体温が上がってくるのを感じた。ほとんど70度はあるだろう。
このままいって、100度にもなったら、血が沸騰してしまうぞ。まてよ、たんぱく質が固まるのが43度だ。でも、体はなんともなっていない。何か常識では考えられないことが起こっているのだ。
この目の前にいる女だってそうだ。雪女の話は聞いたことがあるけど、本当にいたんだ。触れるものすべてを凍りつかせるそうだが、暑くてたまらない僕には、ちょうどいい相手かもしれない。
そこで、はっと気がついた。
ユキ…。
けんかした原因というのも、実にくだらないものだった。暑がりの義人と寒がりのユキ。部屋の温度のことで言い争ったとき、ユキが言った言葉を思い出した。
『そんなに暑がるのなら、いっそ熱でも出して、からだ中もっともっと熱くなればいいのよ!暑いのが嫌いなあなたがそうなったら、いい気味だわ!』
『よくそんなひどいことが言えるもんだ。君は体だけじゃなく、心まで冷え性なんだ。』
ここでやめとけばよかったんだ。ついつい余計なことまで口に出してしまった。
『大体君のそのきんきん声を聞いていると、頭が痛くなる。僕の好みの女性は、もっとクールで、落ち着いた感じの和服の似合う美人だ。それになんだ、そのヘアスタイルは。アカトラみたいに染めやがって。日本人は緑の黒髪が一番似合うんだ。』
何か言い返すと思ったが、ぞっとするほどの無言のまま、彼女は出て行った。
後には、がさがさにひび割れた空気が残った。


「どうしたの?寒いの?」雪女がたずねた。
「いや、寒くはないけど、なんか変な感じなんだ…。」いいながら義人は、まじまじと雪女を見た。
細面の整った顔立ち。透き通るような色白の顔に、長い黒髪が美しい。まさにアジアン・ビューティだ。たぶん、結ってもあとが残らないのだろう。
色黒でころころとした茶髪のユキとは対照的だが、なぜか、この雪女がユキに見えて仕方がない。そんな馬鹿な。
山小屋の中は、いまや完全に凍りつき、たぶん外よりも寒くなっているようだった。
その中で、義人の腰かけている椅子のまわりだけが、凍らずに、木の肌を見せている。そして不思議なことに、湯気も出ていなければ、溶けた水でぬれているわけでもない。ただ、乾いているのだ。
雪女も同じ木の椅子に腰掛けているのだが、すっかり氷で固められ、まるで氷の玉座のようになっている。着物姿で座ってもそれなりにさまになっているのは、天性の美しさのせいか。
「青汁、ぬるくなるわよ」
急に言われて、とっさに何のことだかわからず、義人は雪女を見つめた。とたんに、右手に持ったペットボトルの重さがよみがえった。
「あ、ああ…。」
「体にいいんだから、お飲みなさい。」
しゃべり方こそ上品だが、このせりふ、前にも聞いた。またまた体温が上がるのがわかった。のどが渇く。
思わず、手に持った青汁を一気に飲み干した。うっ、まずい!もう、いっぱいいっぱいだった。パニックを青汁の苦さが何とか押さえ込んだ。
それを見て雪女は面白そうにクックとのどの奥で笑った。
暑い。
口直しのビールがほしかった。それも生ビールが。そう思ってから、義人は、思わず苦笑した。こんな山の中にあるはずもないものを望むなんて。
それを見透かしたように、雪女が言った。
「あるわよ。それもナマ。」
「へっ?」
「冷蔵庫をごらんなさい。凍らないように入れといたの。」
二度目の“そんな馬鹿な”だ。さっき冷蔵庫を開けたときには、確かにそんなものはなかった。それに、ここでもてなすのは俺のほうだぜ。
いまや部屋は完全にクリスタルのような氷で覆われ、わびしい裸電球が、美しいシャンデリアとなって輝いていた。
雪女は、まるで自分の部屋にいるようにくつろぎ、振舞っていた。
促されるまま、冷蔵庫をあけると、泡も程よく、注ぎたての生ビールが大きなジョッキになみなみと入っていた。
だんだんと違和感や、不思議さが義人の中から消えていった。
『りんご、いらねがー』 窓の外で、またもや雪狸の鳴く声が聞こえた。

                                                                             

第4話に続く