ももたろうリレー童話・第二作

『雪女と発熱男』

第五回 ふぶきの呪い

りかこ                               

 
 ほほにかかる冷たい雪の感触に、義人は目を覚ました。
 義人は、小屋の隅のベッドに寝かされていた。天井に空いた大きな穴から、無数の粉雪が部屋の中に降り積もっている。
(か、体がしびれて動けない)
 激しい不安に、体温が六十五度くらいまで急上昇した。
 
「なぜぐずぐずしていたのだ、白雪。おまえらしくもない。こんな強行突破はしたくなかったのに……」
 部屋の中央から、静かだが怒気をふくんだ男の声が聞こえた。
「ふぶき……」
 溜息といっしょに吐き出したような白雪の声も聞こえる。
 義人は、声のする方を窺った。
 ふぶきと呼ばれのは、黒い学生服に黒の制帽。そして黒いインバネスを肩から羽織った若い男だった。彫りの深い端正な横顔は死人のように青ざめているのに、その唇は、たった今生き血を吸ってきたかのような鮮やかな朱色だった。
 黒ずくめのすらりとした男。そして、透き通るような肌と同じ色の着物姿の白雪。寄り添うふたりは、あやしいまでに美しい似合いのカップルだった。
(負けた……)
 義人の頭の中で、この言葉が虚しくこだました。
「雪狸を使いに出したのに小屋の中に入れてやらないから、すっかりへそをまげてしまったじゃないか」
 ふぶきの足元でいじけてりんごを食べている白い塊は、どうやら雪狸らしい。
「しびれ薬はりんごではなくて、生ビールに入れたの」
「それならば一刻も早く、手順どおりに餌食の心の臓をいただくのだ!」
 ふぶきは、鋭い声で白雪に命じた。
(餌食って俺のこと? マジかよ、勘弁してくれー!)
 義人は、動かない体をつっぱって、虚しい抵抗を試みた。
「この人だけは、なんとか見逃してあげられないかしら……?」
 白雪の、低く思いつめた声。
(やったぜ、白雪! その調子で、命だけはお助けを!)
 義人は、声にならない声で叫んだ。
「冗談だろう? おまえが、この冷たい凍った世界で生き続けるためには、新鮮で熱い心の臓が、どうしても必要なのはわかっているはずだ。おまえは今まで餌食を捜すことをむしろ楽しんでいたではないか?」
「ええ、でも、この人を餌食にするのは、なんだか気が進まないわ。だってこの人、今まで出会ったどの男よりも熱く発熱しているんだもの……」
「白雪、おまえ、熱でもあるんじゃないか?」
 そういうとふぶきは、白雪の額に長い指を這わせた。絶体絶命のピンチだというのに、やすやすと触れ合うことのできるふぶきと白雪に、義人は微かな嫉妬を感じた。
「熱なんかないわ。わたしは百年前からずっと変わらず、心の底から冷たい女。だからこそ、恋人だったあなたからかけられた呪いをとく努力もせずに、今までたくさんの命をうばってきたのだから」
 白雪は、ふぶきの指先をやわらかく払うと、何かを振り切るように笑顔を作った。
 そのまま白雪は義人のベッドに近づく。
(やめろ! 来るな!)
 恐怖で震え上がった義人の心の臓は、白雪のお望みどおりに、ドクドクとたぎり始めた。
 白雪は、ベッドにひざまずき、義人の耳元でつぶやいた。
「あなたをだましてごめんなさいね。でもこの雪山で百年間、ずっとさびしかったという言葉に嘘はないわ。あなたと一緒だった数十分だけを除いて……」
 うつむく白雪の黒髪の先端が、はらりと義人のTシャツにかかる。ゾクリと寒気がして、触れたところだけ五度くらい体温が下がるのを義人は感じた。
「やっと触れ合えるわね……」
 白雪はそういうと、白い手を義人の心の臓にそっとおろしていった。
             

                                                                             

第6話に続く