ももたろうリレー童話・第二作

『雪女と発熱男』

第7回 別れのキス

赤羽 じゅんこ                             

 義人の予想では、ここで目の前のふたりが消えるはずだった。でも、なにも起こらなかった。白雪とふぶきはよりそうようにならび、けげんな顔で義人をじっと見ている。
「うそだ。どうなってるんだ!」
 義人は、うずくまり頭をかかえた。雪狸がよってきて、なぐさめるように背中をさすってくれた。
「しびれ薬の副作用がおきてるんだわ。あの人、幻覚を見て苦しんでいるのよ」
 白雪のやわらかな声がした。
「幻覚? そんなことあるのか」
 ふぶきが、おもしろくないと腕をくんだ。
「ええ。量をまちがえると時々そうなるの。わたし、今日はどうかしてるのかも。多くいれすぎたんだわ」
「そうだよ。おまえ、さっきからおかしいぞ。『あいつだけは、助けられないか?』なんて、ながし目でうったえてくるし、いつもはすぐに息の根をとめるのに、今回にかぎってやめている」
「だって……」
 白雪は、ふぶきの手に、自分の真っ白な手をそっとかさねた。
「お、おまえ……、この指、あったかいじゃないか!」
 ふぶきが、目を見開いた。白雪は、ふんわりと笑う。
「そうなの。あの人の胸にさわったら、指先から電気がながれこんだようにしびれて、体温があがったの。こんなこと、初めてよ」
「呪いがとけたというのか? つまり、あの男がおまえの運命の男? バカな。あんなふうに、ガタガタふるえてるだけのみっともない男が。おまえ、どうかしてるぜ」
 ふぶきは、おもしろくないと言わんばかりに、目をつりあげた。
「でも、現にわたしの体温はあがっているわ。ちょっと胸に触れただけでこんなになるなんて、運命の人としか説明できない……」
 白雪は、うっとりした顔で義人を見た。うつむいていた義人も顔をあげた。ふたりの視線が熱くからまり、その場の空気がふるえた。
「義人さん……」
 一歩前にすすみでようとした白雪を、ふぶきがぐいとひきもどした。腰からだきよせ、自慢の自分の顔がよく見えるように、白雪のあごをおさえる。
「なにを血迷っている。よく考えろ。そりゃ、おれ以上におまえを愛する運命の人と出会って抱き合えば、おまえの呪いはとけると言われている。譲歩してあいつが、運命の男だとしよう。だが、抱き合って、おまえの体温がもどった時、どうなるかわかるか。呪われていた百年の年月がおまえにふりかかるんだぞ。いっぺんに年をとり、おまえの美貌はだいなしだ。このつややかな髪は白髪になり、肌はかさかさにひびわれ、真っ白な歯はぬけおちる。それでもいいのか?」
 ふぶきは、冷たい手で白雪の髪をなぜ、肌をさすった。
「でも、あの人は、普通の人にもどって助かるわ!」
 白雪は、もがいてふぶきの腕の中から逃げようとした。ふぶきは、白雪の体をおさえ、寒々とした冷たい視線で白雪を見つめた。
「目をさませ。もとの体にもどろうなんて思うな。今の今までおまえは、この暮らしに満足していたじゃないか」
「そうね」
 白雪は、自信たっぷりのふぶきの顔から視線をそらせ、窓の外の真っ白な世界を見つめた。
「さっきのさっきまで、この暮らしと、この美貌に満足していたわ。人間としての生活なんて、なんの未練もなかった。でも、さっき義人の胸にさわった時、わたしの中で眠っていた気持ちが目覚めてしまったのよ。人として人を愛したい思い……。どんなにおさえようとしても、いったん目覚めた思いはなくならないわ。この思いをかかえたまま、雪女として生きてくのは、生きたまま生身をさかれるようなものよ」
「ほう。そこまでいうか。それじゃ、十分覚悟ができているんだな」
 ふぶきの顔がひきつる。
「ええ」
「後悔しないか」
「しないわ」
 白雪はもがきながらも、ふわっとうなずいた。そのつぼみがふくらむような、あどけないほほえみに、ふぶきの気持ちはひるんだ。
(運命の人なんて、雪狸がつくりあげたでたらめだと思ってたのに、本当にあらわれるなんて……、どうなってるんだ)
 ふぶきは、舌うちすると、少しの間、この事態をどうしようかと部屋の中を見まわした。
 義人は、あいかわらずふるえながら、白雪とふぶきのなりゆきを見守っていた。まだ、副作用が続いて、ぼうっとしてるようだ。どこから見ても、どってことない男のように、ふぶきには感じられた。
(この男のどこがいいんだ? おれのほうが、だんぜん勝ってるのに……)
 言いようもない悔しさが腹の底からわきあがってきて、ふぶきは、ぐっと奥歯をかみしめた。
「今までありがとうよ。白雪」
 ふぶきが甘い声でささやいた。白雪の耳元にふぶきの冷たい息がかかる。ひどくなじられると思って身がまえていた白雪は、ひょうしぬけし、ほっと安堵した。
「こちらこそ、お世話になったわ。百年もの間、さみしくなかったのは、あなたのおかげよ」
「それはこっちも同じだよ。最後のキスをしてもいいかな」
 ふぶきの声に、白雪がうなずき、そっと目をとじた。ふぶきの冷たい唇が、白雪の唇と重なった。
(ああ、この人、こんなに冷たかったんだわ)
 今までは、同じ体温だからわからなかったふぶきの冷たさが、唇をとおして白雪の体にひろがり、体の芯がキーンとしびれた。同時に、ふぶきの底知れぬ淋しさも伝わってきた。
(ごめんなさい。ふぶき) 
 白雪の目もとから、ひとすじ涙がこぼれた。
 その時、はだけかかった白雪の着物の胸元から、氷のようにつめたい手がはいってきた。白雪は、驚いて顔をはなした。
「何するの?」
 ふぶきは、にんまりと笑っていた。その口もとから、とがった八重歯が見えた。
「あいつにおまえをわたすくらいなら、おれがおまえを食ってやる!」
 ふぶきは、白雪の真っ白な肌にするどい爪をたてた。