ももたろうリレー童話・第二作

『雪女と発熱男』

第8回 究極の呪詛返し

おににのののがみ                            

  朦朧とした意識の中で、義人は目を剥いた。
 全裸で密教仏画の歓喜神・愛染明王のように、立ったまま抱き合う白雪とふぶきの姿が、義人の目の前で妖しくうごめいている。
 いったいどうなってるんだ? 
 「おれと抱き合うことで、百年の呪いが解かれるはずじゃなかったのか?」
 義人は、おのれの目を疑った。
 白雪の眩いばかりの白い肌には、ふぶきの鋭い爪が食い込み、鮮血が滴り落ちていた。にもかかわらず、白雪の表情は悦びに震えているかのようなのだ。
  薄笑いを浮かべた、ふぶきの口元から八重歯がキラリと光った。
 その瞬間、ふぶきの顔がにわかに変容し、口先が異様に伸びて、まるで狼のように尖がってきた。
 「ぐぇうぉー!」
 雄叫びをあげるや、白雪と抱き合うふぶきのからだ全体を、真っ白な体毛がもわもわと覆いつくしていった。
 ふぶきは、雪狼の化身だったのだ。
 真っ赤な口をあけて咆哮している雪狼の姿を、義人の混濁した意識がかすかにとらえた。
 雪狼は、ふたたび大きく口を開くと、白雪の頭から喰らいついた。すると白雪の姿は、まるで吸い込まれるかのように、またたくまにふぶきの体内に消えていった。
「ぎょえー!」
 義人は目を覆った。これは、薬物を飲まされたための幻覚か?
 ガミガミと白雪を咀嚼するふぶきの歯音が、奇妙な静寂の中に響き渡り、それが義人の意識をにわかに覚醒させた。
 「あああー! シ ラー ユー キー!」
 恐るべき光景を目の当たりにした、義人の必死の叫びが、凍りついた谷間に虚しく木霊した。と同時に、義人の体内を火のような痛みが突き抜け、それが頭頂から灼熱光となって飛び出して雪狼の腹部を貫いた。
 すると、激しい爆発音とともに、雪狼の体から火柱が立ち上り、白毛に覆われた雪狼の身体が木っ端微塵に乱れ飛んだ。
 雪狼に食われることによって、自らを滅却して体内から仕掛けようとした白雪の呪詛返しに、義人の必死の思いが見事にシンクロしたのか。
 白毛があたり一面に飛び散ったかと思うと、それが粉雪となって舞い降りてきた。

「愛は力、愛は命・・・・・・」
 白雪の声のようにも聞こえたが、懐かしいユキの声だったのかもしれない。
 爆発と同時に意識を失い、丸太のように山小屋に横たわった義人の身体も、火柱とともに飛散したかのように義人には思えたが、そうではなかった。
「りんご、いらねがー」
 雪狸の鳴き声が、かすかに聞こえたような気がした。
 頬に落ちる雪の冷たさに、義人ははっと目を開けた。
 身体中がぎしぎしと痛むが、あの忌まわしい熱は体内から去り、爽快な気分がよみがえってくるようだ。
 義人は恐る恐る立ち上がり、辺りを見回した。
 白雪はもちろんのこと、雪狼の姿も、爆発の痕跡もどこにも見当たらない。
 あの山小屋さえも姿を消し、義人はうっすらと雪をまとった岩肌の上に立っていた。
「義人・・・! 無事だったのね・・・」
 背後から、聞きなれたユキの声がした。
 振り返ると、小柄なユキが舞い散る粉雪の中をかけてきた。
「ユキー!」
 義人も思わずかけ出して、二人はひしと抱き合った。 
 肌の温もりと胸から伝わるユキの鼓動が、あの忌まわしい光景を忘却の彼方に押しやり、義人の心を心地よく溶解させていくようでもあった。
「言霊の呪力が消えた?」
 義人がつぶやいたが、ユキには何のことかわからなかった。
 朝日に輝く銀嶺を、幾十羽ものオグロヅルが群れを成して越えていった。
 そのときやっと義人は、自分が海抜4千メートル近くの、断崖絶壁に建つ山岳僧院の内庭にいることを思い出した。
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