妙光寺の歴史

鎌倉時代、かつてこの地には、公卿・花山院藤原師継(1222-1281)の山荘が営まれた。
師継は、1196年に亡くなった長子・忠季を悼み、その幼名妙光に因み妙光禅寺を建立する。
開山は心地覚心による。

1285年、師継の命により、忠季の弟・心性と師信は、伽藍を建立し、法灯円明国師を開山とした。
以後、花山院家の菩提寺となる。以後、師信、師賢、家賢、長親らが住した。

鎌倉時代、第90代・亀山天皇、第96代・後醍醐天皇の勅願寺となる。
南北朝時代、第97代、南朝第2代・後村上天皇の勅願寺となる。
また、後醍醐天皇が三種の神器とともに一時妙光寺に逃れたという。
室町時代、嘉吉年間(1441-1443)、三種の神器は妙光寺内「神器の間」に奉安されたという。

応仁・文明の乱(1467-1477)により荒廃した。
江戸時代、建仁寺霊洞院住持・才林慈俊(?-1638)により再興されたという。
また、1639年、現在の堂宇は、建仁寺の三江紹益が、歌人で豪商・打陀公軌の
支援を得て再興したともいう。

幕末、勤王派の拠点となり、新選組の焼き討ちにより焼失した。
神仏分離令後の廃仏毀釈により一時無住となり、風水害により荒廃した。
2004年より、本堂、書院、庭園が整備されている。