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☆06 故 柳田聖山先生 柳田先生は 私の尊敬する先生 私は かの有名な西田幾多郎先生や 鈴木大拙先生のお話は 一度も残念ながら拝聴した機会がありません 西田先生は 私が生まれた時にはもう世におられませんし 大拙先生は まだ若かったせいで 生のお姿に接した事はないのです。 でも 西田幾多郎先生の哲学、鈴木大拙先生の禅学に影響を受けた 久松真一先生に師事された 柳田聖山先生のお話は何度も拝聴 いたしました。 とっても 素晴らしい先生でした。 以下は ウィキベディアによる 柳田先生の説明です --------------------------------------------------------------- 柳田 聖山(やなぎだ せいざん) 1922年12月19日 - 2006年11月8日)は 日本の中国禅宗史研究の第一人者。義父は柳田謙十郎。西田幾太郎門下出身の哲学者、妻は茶道家の柳田宗葩。 1922年に滋賀県愛知郡稲枝村(現在の彦根市)の延寿寺(臨済宗)に生まれる。 臨済学院専門学校(現在の花園大学)、大谷大学、京都大学に学び、久松真一に師事してFAS禅運動に共鳴。 中国禅宗史研究に於いて批判的資料研究を進め、資料が史実ではなく、その時代の要請によって製作されたことを見抜いた。 また、博覧強記なことで知られ、不勉強な後輩を一言の下に教化し、大正大学教授を務めた天台教学の関口眞大と共に 「東の関口、西の柳田」と称された。 花園大学、京都大学、中部大学の教員を歴任し、1991年には紫綬褒章、1996年には勲三等瑞宝章を受章した。 ○略歴 1922年 滋賀県稲枝村(彦根市)にて誕生 1940年 滋賀県立彦根中学校を卒業 1942年 臨済学院専門学校(現在の花園大学)を卒業、永源寺僧堂で修行 1948年 大谷大学を卒業、京都大学文学部聴講生となる 1949年 花園大学仏教学部の助手に就任 1950年 講師に昇格 1954年 助教授に昇格、柳田姓に改姓 1960年 教授に昇格 1968年 文学部長に昇格 1976年 京都大学人文科学研究所教授に就任 1985年 人文科学研究所所長に就任 1986年 所長を定年退官、京都大学名誉教授、中部大学教授に就任 1988年 花園大学文学部教授、国際禅学研究所所長に就任 1989年 蔵書14,000冊を花園大学禅学研究所へ寄贈、柳田文庫となる 1990年 峨眉山に良寛詩碑を建立 1992年 市民団体である環境市民の共同代表となる 1993年 自宅を禅学研究所へ寄贈、柴門館となる 1996年 所長を退任、没時まで終身研究所員 ------------------------------------------------------------------------------------- 次をクリックください 晩年の1990年代 京都新聞に連載された 柳田聖山先生の 自伝記 「たどり来し道」の抜粋です。 (京都新聞より) たどり来し道 柳田聖山 この連載にある 「1990年 峨眉山良寛詩碑を建立」とありますが これに関しての 柳田先生から頂いた 1988年に書かれた 「峨眉山 良寛の碑はここと定めむ」を頂きました 今や 禅宗史や思想史となると とかく臨済宗の研究も曹洞宗の 駒澤大学が何となく 目立っている印象を持ってしまうのだが・・・ 決して本当は そんなことでもないんでしょうが・・・ 柳田先生 本当良寛が好きだった 柳田先生の書画を見る・クリック もう一つ この新聞の連載の悟心会の写真の所での 先生の「自画像」ですが 実は 私も持っている 正直 最初は誰の自画像かと 思った 何となく イエスキリストかと 思っていた 笑 なんと 柳田聖山先生の自画像とは ずっと時間がたってから 私は知ったのである。 そう言えば似てるのかなぁ 柳田先生の 自画像を見る・クリック では これにて終了 禅のあれこれメニューに戻る |