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☆11 入堂続き(曹洞宗との違い) 右足から又手で 左足から合掌で 曹洞宗と臨済宗の違いですが 前回の結論を簡単に復唱しますと 次の表のとおりです。
それにしても なんでこんなに違うのかと思えるほど作法が違っている 特に 自分の坐る場所まで歩行するのに 曹洞宗では 又手 そして 臨済宗では 合掌と 異なっている。 なぜ 曹洞宗は又手で 臨済宗は合掌なんでしょうか? 一説には 叉手と合掌は同じであるとの考え方がある。道元禅師は又手と はっきり 書いているので これは否定出来ないが、他の清規には「叉手出て 合掌帰位の明文 もあって はっきりしない。 正直な感想としては 当時いろいろな場合があったのでは なかろうかと 考えられる。 まだ坐る以前のお話で恐縮ですが ついでなので出堂時の相違も下記 の表に纏めました。 自分の坐っていた 単から歩き出す時点からです。
そして 今まで書きませんでしたが 又手と言いましても 両者は違うのです。 右が上か 左が上か? 実はこれは 結構厄介です。 習慣の問題ですから 自然と 日頃の又手となってしまいます。 曹洞宗で 臨済宗の又手をやると 必ず叱られます。 そう 又手(しゃしゅ)が 曹洞宗と臨済宗では違っているのである。 まずは、最初に下の画をご覧ください ☆又 手 曹 洞 宗 臨 済 宗 ![]() 叉手(しゃしゅ)を 言葉で説明すると 曹洞宗では 立っている時、歩く時の手の作法です。左手を、親指を内にして握り、 手の甲を外に向け、胸に軽く当てて右手のひらでこれを覆います。 臨済宗では 歩く時の手の作法は、左手を右手の外側に重ね、右手で胸を覆うよう にし、手を胸からやや離して、叉手当胸(しゃしゅとうきょう)で進みます。 さて どうして違うのかですが 色々な説があります。 例えば 又手とは 禅林に於ける礼法の1つ。様々な文献で指摘されるように、元々は中国 の俗礼であったものが、禅門の行礼になったものであり、その形は『事林 広記』に挙げるものとされ、古法とされる。 中国で貴人に会う場合に、両手に武器を持っていないことを示すため、 手を組み、それを見せたものである。よって、叉手の由来は中国の礼法で、 禅宗に入ってきた際に、単純に目上の人に対する礼法となったと思われる。 また、僧服の袖が地に付かためとも考えられる。 「禅苑規」では 「叉手法は左手を以て、緊しく右手を把り、右手を以て、 その胸を掩うが如し。須くやや離さしむ」 「修禅要訣」では 「先ず、左手大拇指を曲げ、余の四指を以てこれを握り、 以てその胸に当てる。しかし、やや離さしむ。次に、右手五指を伸ばして以て 左手を掩う」 と言いつつも、手の組み方は、本来の叉手とされるものは、多分臨済宗で 用いている叉手が有力ではないかと思っている。 が、必ずしも定かではありません。 ところで、ご存知の方もあるでしょうが 禅堂への入堂の作法は 道元が書いた あの有名な 赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)の書が基本になっている様に思える。 これは 食事の作法等を詳しく 書き表わしたものであるが その中に禅堂へ の入堂の作法が 詳しく述べられている。 以下にそれを示しておく。
曹洞宗は宗祖道元禅師の言葉だから 当然として また臨済宗でも 結局は ほぼこれに従っているとも言える。 では どうして こんなにも違って見えるかは 一つの大きな理由は次による 結論から言えば 本来前門から入っていたものが 臨済宗では後門から 出入りする様に なったからと言える。 上記の赴粥飯法の 後門入者の箇所を再掲すると 後門入者 上間牀者從北頬入 先擧左足。 下間牀者從南頬入 先擧右足。 於聖僧後 向東問訊訖赴座。 上の文章を読めば 「後門より入るには 左側の者は左の端より入り 先ず左足から入る 右側の者は右の端よ入り 先ず右足から入る 聖僧様の後にて 聖僧様に向つて合掌低頭してから座に赴く」 そんなことで 前回10曹洞宗との違い・入堂02に 使用した曹洞宗と 臨済宗の禅堂での 入口から自分の坐る単への道順を もう一度 曹洞宗の禅堂の 聖僧様の向きを変えてから 道順を描くと すなわち、今回は曹洞宗も 前門ではなく後門から入る事とすると 下の通りとなり 道順はほぼ一致することとなる。 右側で坐る人は右側から 左側で坐る人は左側から入門する
曹洞宗の場合は 右側から入る場合は 必ず右足から入る 実は 曹洞宗の場合は 左足から入るという 基本ではなくて 柱側に近い足の方から 入るを原則としている。 一方の臨済宗は 左進右退の原則 すなわち 前へ進む時は左足から 後へ下がる時は右足から これが原則となっている。 まぁ他にも いろいろとあるのですが 前へ進みませんので 八月には今回の補足をしつつ 可能ならば自分の単へ上がって 坐るところまで いきたいと思います。 無理ですかね。 |