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☆15 白隠流 結び手 結手 又手 白隠流は間違いなのか さて今回は 坐禅中の手の組み方についてです 通常世間で言われるのは 曹洞宗は面壁で坐って 手は法界定印で坐す 一方の臨済宗は 禅のあれこれ01 「坐禅の仕方」の中で書いた様に 白隠流の手が主流となっています 別に法界定印でも良いのですが 僧堂となると 統一性も重要ですから 修行僧の何人かだけ 法界定印というのも 少し無理がある様ですから 仕方ないでしょう ☆ 法界定印 →→→ ![]() ☆ 白隠流 →→→ ![]() ○ 第一の考察 現在において 臨済宗でも 専門道場を見ると 法界定印で指導し 坐っている道場も 確かにそれなりにある さて 臨済宗の上記の白隠流なるもの 本当に臨済宗中興の祖 白隠 禅師が始めたものであろうか 私自身の答えは はっきり言って 『否』 である 白隠がもし始めたものであれば 膨大な仏画等を描き それらを今に 残している白隠禅師のこと 当然に 幾つかの白隠流で 坐している 画があっても 当然と思うが 私の狭い範囲では 記憶がない そうだとすれば 一体誰が 何時頃に 始めたものだろう 勿論 白隠以後であり おそらくは この白隠流なるもの 明治以後 のものであり 臨済宗でも 多数派になってきたのは 更にもっと近代 になってからでは ないかと思われる ただ確かな証拠はないのだが・ もっと解らないのは はたして誰が始めたのであろうか大きな謎である 有名な老師、僧堂師家というよりかは 指導僧の直日あたりが 考えた のかもしれない もっとも 白隠流と言うその呼び方がついたのは 中興の祖白隠禅師 の名声を借りて 誰かが正当化しようとしたのでは ないだろうか ただ 多くは個人的な推測であるのだが・・・ ○第二の考察 白隠流ですが この言葉自体 当然のことながら 辞書には記載され ていない それどころか 未だに 坐禅時の白隠流なるものを 別の 呼び方をする人も多い そんなことで 混乱している その呼び名を ここで白隠流他を以下に 列挙し考察する 一 『 白隠流 』 はくいんりゅう と読む 二 『 結び手 』 むすびて と読む 三 『 結手 』 けっしゅ と読む 四 『 又手 』 しゃしゅ と読む もしかすると 私の知らない 呼び方が他にも存在しているかもしれない 結論から言うと 一から四全てが 何となく違和感が生じる 一の 「白隠流」は第一の考察で述べた通りである 二の 「結び手」は辞書にもないが 三と同意語と思われている それは「結手」と書いて 「むすびて」とも読む場合もあるからである 三の 「結手」は 少林寺や剣道や礼儀作法等で使用される 言葉である 結手(けっしゅ)とは 心を整え 形を整える ことである 例えば 少林寺拳法では 修行には礼儀正しく 節度ある態度で臨まねばなりません 相手と相対する場合はもとより 先生や先輩の指導を聞く時などにも 結手構えをする ことになっている そして結手構えは 両足の踵をつけて閉じ 足先はVの字に開く 手は左手の甲を右手の甲の上にして前で重ねます 基本は 立ち姿勢の場合を指す ☆ 結手 →→→ 少林寺の胴着姿で結手四の 「又手」は 既に説明してきた通り 臨済宗の僧が 歩く時の 手の組手を指しているが 基本的には 歩いている 若しくは 立っている時を 基本としていると言える ☆ 又手 →→→ 禅のあれこれ Cより結論として 一から四まで 全て呼称として難がある様に思えてならない 『白隠流』 『又手』 『結手』 のどれを選ぶかと言えば 甲乙がつけ難い 結手も又手も 立っている時と 歩行している時が基本という 意見も あろうが 坐禅は坐ってするだけではない 歩行禅も 立ち禅も 臥せ禅 もあるから そう考えると この呼称が 禅の本質から言えば 間違って いるとも言えない また白隠禅師が関係していない以上 『白隠流』と 言うのは問題が多いと 言う意見もありますが 現在の臨済宗は 批判覚悟で言うならば白隠宗 とも言われていますから この白隠流が 修行そして禅定にプラスならば 別に白隠禅師が始めたものでなくても 中興の祖 白隠禅師の名をとって 白隠流と言うのも必ずしも 悪いとは言えないかもしれない まぁ この白隠流なる坐り方の 統一した呼び名に関しては 現在では 一から四まで 甲乙つけ難く 何十年か何百年経った未来が 結論を出す ことになるでしょう 敢えて私の個人的な希望の意見を言えば 出来れば 『白隠流』という 呼び名にならないかと 願っている。 既に臨済宗で 坐禅をされている方々のうち半数とはいかないまでも 既に四割程度の方には 白隠流の呼び名が認知され 通用する様に なっている なぜなら 結手とか又手と言えば 臨済宗だけでなく 少林寺や剣道 更には礼儀作法にも登場する ならば 臨済宗が直ぐに思い浮かぶ 『 白隠流 』という呼び名が一番 良いのではないかと思っている 但し 曹洞宗の方々には 法界定印ではなく 『 白隠流 』 なる坐禅の 仕方は厳しく批判されていることも 申し添えておきます /td> |