|
☆34 坐禅会で思う最近 坐禅会の会費そして 参加人数の ハテナ 昔は何とも思わなかったが 最近何となく不思議に思える様になった 実は坐禅会の選び方では 詳しく書きませんでしたが参加会費のこと 坐禅会は多くの寺院で開催されているが 会費が必要なところと無料 のところと大別されます 確かに志納等というところもありますが・・・ 参加する人から見れば 無料というのは一番です 特に何となく体験 しようと思う方には魅力的です それは確かにそうなんですが・・・ 逆さに見て いつも参加している方から見れば どうなんだろうと考え て見ました 団塊の世代が退職となって時間が増え 老後のライフワークの一つ として寺社巡りや坐禅を始めたこと 最近の異常なまでの 観光客の 増加などなど 多数の原因が存在しているのでしょうが 毎回毎回 多くの一見さんとか観光客の方々が多数派となってしまい そこの坐禅会で長く培われた雰囲気は次第と廃れていく 私はそんな風に ついつい思ってしまう おそらく こう書くと多くの方に お叱りを受けるのでしょうが・・・・・・ 『 昔の方が 良かった 』 と 私は昨今 愚痴をこぼしてしまいます 坐禅参加者の新しい人達ですが 更に話を複雑にしている原因として 考える二つの要素があります ○坐禅会に参加すると 拝観料が無料になるという矛盾 拝観料が必要でないお寺の場合は 良しとしましょうが そうでは なくて拝観料が必要な場合はどうでしょうか 賢明で善良な一般市民の方々ばかりであれば 確かに問題はない かも知れませんが 実際には拝観料が無料になるという理由で参加 する人が増えてしまう危惧 とりわけ 今やネット社会です 情報伝達は早いです 凡人の私が考えるに お寺を見学するために拝観料を支払って見学 する方たちと 坐禅会の指導を受けて なおかつ無料で見学出来ると なってしまうと どう考えても不思議な世界と思えるのだが 私の見識 が 間違っているのであろうか ○坐禅会に参加すると 拝観拒絶寺院が拝観出来るという矛盾 臨済宗に限っても 京都では数多く 年中拝観不可の寺院が数多く あります ところが 不思議なことに坐禅会に参加すれば拝観出来る のです 更に摩訶不思議なところ 無料であることが多いのです ただこちらの場合は 大方少人数ですから 大きな問題は今のところ ないと言えます ○坐禅会の会費について思う 個人的な私見 以下は独断的な意見です 会費は絶対に有料とすべきだと思う そうしないと 必ずや質の低下 を招いてしまう これは避けるべきだと考えられる 会費徴収の労力をどうするかであるが 事前に釣銭の要らぬように 徹底周知すれば それ程心配することはないのではないか 最近とある坐禅会で 久し振りにお会いした 知り合いの方と話した のだが 昨今では 天龍寺の夏の暁天坐禅の二日間と 建仁寺の 夏の暁天坐禅最終日の混み方は 本当に大変だ それぞれ 素麺とお粥を楽しみ 且つ坐禅と法話 拝観という楽しみ があるからであろう それも無料であるから そして話しているなかで 少しでも有料であれば 意外と参加者は少 なくなるということで ほぼ意見が一致した その時ちょうど 『 想い出の坐禅会 圓光寺 』 の話題も出た やっぱり 詳しい方は良く知っておられる 私と入れ違いなのであろう か 圓光寺の坐禅会に参加してられたという 場所が一乗寺と不便であって 開始も午前六時と早いにも関わらず やっぱり参加する人は あるんだと思ってしまった 結論として 坐禅会も有料にすれば それなりに参加人員は抑えられる ということは明らかなようだ ○静坐 坐禅会場に入れば 本来は黙って静かに坐するべきである ところが 以前と比較すると 私語が多い 静坐しないで脚を崩している 酷いのになると 歩き廻っている 更に携帯の電話が鳴り響く人がいる これは 規模が何十人以上となると どこの坐禅会でも状況は悪化して いるといえる ○警策 以前は 私も一度は警策をお願いしていた立場であるから 書きにくい のであるが 正直なところ 警策の音は煩いだけである 正直一時間以内の坐禅の場合は 警策は全く必要ないと思う 私の様な 凡夫は警策の音で 精神が集中出来なくなってしまう 況や大人数の参加者の場合は 絶対ない方が良いと思う 平成27年の 臨済禅師千百五十年遠忌 報恩坐禅会のある会場であるが 通算して 一時間半〜二時間程度坐禅していたであろうか 直日と助警の二人が 絶え間なく 警策を持って廻られたのであるが 参加人員は ほぼ五十人 程度であったのに 坐禅時間中 絶え間なく 音楽のリズムの様に 警策 の音が流れ続けた 直日と助警のお二人はお若かったので大丈夫でしょうが 結構大変だった と推察出来ます 私はそれ以来 警策の功罪のうち 罪の方も結構大きいことに気が付き ました ○子連れ と 日本語が解らない外國人 子供と言っても この場合は小学生以下です 中学生以上なら 立派な 大人ですから また外国人でも日本語が理解出来る人は除きます 坐禅はいいでしょう 親御さんの隣で幼稚園ぐらいの子供が坐禅している のは見ていても 微笑ましくて 問題は 老師の提唱がある場合です 大抵の場合 幼稚園児の場合は うろうろします それが普通なんですから そもそも老師の提唱は 静かに拝聴している大人さえ 何人の方が理解 しているのか疑問です ですから可能ならば 提唱の坐禅会は避けるか ある場合は提唱の前に 退出するのが 望ましいと思いますが どうなんでしょう 外国人の方についても 同じだと言えます |