☆35 山田無文老師の提唱と法話 その一


昭和40年代前半の まだ若い頃 無文老師のお話は一度だけ 生で拝聴した

のであるが 大変お恥ずかしいお話 全く頭に残っていない 懺悔である

言い訳すれば 全くその頃 仏教と言うか宗教に興味がなかった どちらかと

言うと 宗教よりも哲学書の方を選択していた

無文老師に懺悔 懺悔の気持ちもあって 妙心寺のHPが提供している 無文

老師の提唱法話の紹介を 不定期に何回か致します

これによって 無文老師への懺悔の気持ちが 少しは個人的に楽になるかと

思っている次第です

それにしても この歳になって 多くの著名人のお話を相当回拝聴してきました

が この山田無文老師の居士向けのお話の様に 誰にも解りやすく 拝聴した

あと頭に何かが残るお話を出来る方は あまりおられないことに 最近になって

漸く気が付きました  最近の方々には 雄弁な方は数多くおられますが 言語

は確かに明瞭で 終始淀みなく滑らかに話されますが そのお話の内容が意味

不明な方が多いのに驚きます・・・・・・ こう思うのは私だけでしょうか

ただ無文老師のお話も 一度聞くだけでは ちょっと難しいかもしれませんので

可能ならばせめて時間を空けずに もう一度だけは聞いて下さるのが良いです

アップロードされている順番でいくと 最初が確か達磨四行観(居士接心)なの

ですが 最初の紹介と言うこともあって 妙心寺の開山 無相大師600年遠忌

の講演を紹介いたします

平成21年が無相大師650年遠諱でしたから 無相大師600年遠諱と言います

と昭和34年となります 半世紀以上も昔の時のお話となります

拝聴される場合は 次の妙心寺のHPの次のページから 拝聴下さい


   山田無文老師 無相大師600年遠忌講演を拝聴する


妙心寺の開祖 無相大師・関山慧玄は 道元禅師や法然上人そして親鸞聖人

のようにお名前が有名でなく 世の中の人に知られていないことを強調されて

います

実は私も 無相大師という大師号を知ったのは 昭和の終わり頃になってから

でした そもそも耳から聞く場合 「むそう」と言えば 普通 天龍寺開山である

「むそう そせき = 夢窓疎石」を どうしても思い浮かべますから 夢窓国師

だと思っても 無理がありません

では 臨済宗で圧倒的に大きな流れの妙心寺派の開祖である 無相大師のお

名前がなぜに 世の中に知られていないのか

無文老師はまず この辺りを丁寧に明快にお話になられています 愚禿な私は

無相大師の存在を知ってからも 暫くの間その経歴を深く調べませんでしたから

関山慧玄の凄さを知ったのは 平成にずっと入ってからでした


無文老師が強調されているのは 次の言葉です

『 純粋性を一生を通じて 貫かれた方 それが無相大師であります そしてその

純粋性がために 無相大師には著述がない 書かれた香語がない 和歌もない

詩もない そして墨跡もない また お書きになった字すらない

たった一つ 妙心寺に残っているのが お弟子の授翁宗弼(二祖 天授院開祖)

禅師に渡された 印可状だけが 今日残されているだけである 』

さらに続けられて 次の様に話されています

『 無相大師はお寺も建てなかったし 伽藍も建てなかった そして恐らくは説法

もしなかった 』と

実は私も 以前この印可状のことを知った時に 何処かに掲載されていないかと

探した記憶があります

平成21年に名古屋博物館で 開催された特別展 『 無相大師650年遠諱記念

妙心寺 禅の心と美 』 の解説付き図版目録の立派な本の 44頁と45頁(24)

に重要文化財 『 関山慧玄墨蹟 印可状 』として 掲載されています

この時 暫くそれをゆっくりと 眺めてしまいました

どちらか言うと 関山慧玄の師匠 宗峰妙超の有名な墨蹟 国宝 『 関山 』の

道号の墨蹟は 本物も何度も見てますし 雑誌等にもよく出てきているのですが・

考えると 釈迦も キリストも 著述はない 偉い方は そうなのかも知れない


無文老師は また無相大師について次の様にも話されています

『 そして その伝記すら書く事を許さず また亡くなられた後にお祀りするための

無相大師の 木像や画像も書くことを許されなかった

そのため 残された弟子達は どうして礼拝して どうして 理解したらいいのか

わからなかった それで仕方なく ○を書いて それを無相大師として 礼拝した

即ち無相大師とは ○として礼拝される程 社会的には何も 主張されなかった

ただ ただ 人間性を主張された 純粋性を貫かれたのです

それは もしも 何かをすれば 人間性の純粋性が失われる 無相大師は純粋性

そのものである ただただ純粋性を守られた無相大師は文章を書けば それだけ

人間性が傷つく 字を書けば それだけ人間性が穢れる 詩を書けば それだけ

人間性が汚れる

そうお考えになられ無相大師はただ純粋性で一生をぶち抜かれた方であります 』


そして こう続けられています

『 無相大師に残っているのは 七つ八つつの逸話と 他にはっきり残っているのは

三つの言葉が 残っているだけです 

また 残っているのは 事績としては 妙心寺の開山になられたこと そして 美濃

の井深村で 八年間安吾をされ 草庵のなかで寝起きをされ その間その井深村の

百姓達の下働きを黙々とされたのであります

その後大燈国師がお若く亡くなられ その大燈国師の遺言によって 花園法皇の命

でお迎えの方が 全国を探され 無相大師をお迎えに参られたという 』



そして その厳しい中の生活の有り方と 幾つかの逸話のお話は ごゆっくりと無文

老師法話をお聞きください


またこの講演法話で 一番の大切なお話 無相大師が残された 三つのお言葉

一つは 『 慧玄が這裏に生死無し 』

二つは 『 本有円成仏 甚んと為してか 迷倒の衆生となる 』

三つは 『 柏樹子の話に賊機あり 』

この一番重要なところは ゆっくりと無文老師の 解り易い法話を 拝聴下さる様に

お願いします

特に 『無門関』 第三十七則にある話で 趙州和尚が登場する  『 柏樹子の話 』

はこの講演の最大のヤマです  ゆっくりとご鑑賞ください





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