37 大衆禅堂大攝心 その二


第17回大衆禅堂大攝心

開催期間  平成28年6月4日〜5日
開催場所  妙心寺本坊大方丈 微妙殿 及び 法堂


そしてようやく 坐禅が始まる
考えてみると 坐禅場所の法堂は 観光客のために公開しているから
簡単には使用出来ないのであろう
まぁそのあたりが この大衆坐禅会の運営の難しいところかもしれない
部外者の私なんかは 昼の坐禅場所を 花園大学の禅文研の二階に
ある素敵な禅堂を使用すれば楽なのになぁと 直ぐに思ってしまう
しかし考えれば これは部外者の甘い考えかも やはり何かと使用手続
きとか許可とかが複雑なのかもしれない

そして大方丈に入って整列してから一列になって法堂へ
坐すと 最初に般若心経と 白隠禅師坐禅和讃
少し坐って終了し 大方丈に戻って提唱である

そして再び 般若心経と白隠禅師坐禅和讃
少々驚いた 白隠禅師坐禅和讃はないだろうと 白隠禅師は好きだし
坐禅和讃も良きお経であることは認める

しかしである
やっぱり大悲呪と大燈国師遺戒だろうと
と言うよりはその後も何故か一度も大悲呪を唱和する機会はなかった
考えると昨年の報恩坐禅会の方が正式にしていたとこが まだ多かった
南禅寺や 相国寺は 大悲呪と大燈国師遺戒であった
老大師の軽妙で興味を誘う 臨済録の提唱は あっという間に終了して
しまった感がある

その直後 法堂に戻っての坐禅
ぼんやりと 半眼になって前に人影が見えた 老師が入って来られたの
である そう最初に 乗竹秀南老大師の検単があった
いつも坐禅会等で思うことだが 御歳を召された老大師が検単される時
は本当に頭がいつも下がる思いである
老大師は ゆっくりとゆっくりと法堂の中を 居士の坐相を見つつ検単を
なされた

そして暫く坐ったあと 経行が始まる
しかしである これが僧侶を入れると八十数名 この数字になってくると
うまく経行が歩み出すまでに 相当の時間を要した
正確には解らないが 多分三週目ではまだ自然の歩き方にはならないで
五周目くらいで ようやく スムーズに歩き始めた すると今度は二便往来
で離脱し出す人が増え 多数での経行の難しさを今一つ感じさせられた
うーん考えれば人数が多い場合は 臨済宗の歩き方では難しいのでは
曹洞宗の様な 半歩づつ進む ゆっくりした経行なら 人数が百人を超え
ても出来そうではあるが・・・

そしてその後 暫く坐して午後十時頃に 茶礼
その後 少しだけ坐って その後 その場で三拝 僧堂では普通の形だが
どうも知らない方も多くおられたようだ

そしてその後寝るために微妙殿に移動 蒲団を自分達で敷き 皆さん方
勝手に場所を取って これが結構大変であった
そして十一時となり電気が消された 真っ暗ではないが喋る者はいない
皆さんは よく寝られていました
私も気がついたのは 『朝ですよ』の声で目覚めたときであった 汗。。。
時計は まだ朝の四時である
ここからは 参加者の皆様は動きが早い 見てても壮観であった

そして二日目が始まった 外は大雨模様だ
まだ外は暗い とり急いで蒲団を片付けて 顔を洗うと言うよりはともかく
嗽と 口を綺麗にした

法堂で朝課 まずは 老大師が入場
また般若心経と白隠禅師坐禅和讃
その後梅湯茶礼 ほんのちょっと 数滴でした
坐禅 この時に再び老大師が法堂を ずっと検単され法堂を一周され
法堂を出られた  老大師 朝早くからご苦労様でした 合掌
後暫く坐禅があり その後二便往来となって随坐 ずっと座っていたが
今朝はやたらと寒い 風邪を引かないため一枚長袖のシャツを下に着込
んでから再び坐した 外は雨 結構な大雨であった

粥坐の合図
昨晩の 薬石と同じ様に坐るかと思っていたが 何故か違う場所に坐る
事に そして粥坐がスタートする
朝粥であるためか サバを取る事に これが薬石との違いだった
少々 おなかが減っていたので 今回は少しだけお変わりを頂いた
そして感謝の言葉で終了した

七時半より法堂での最後の座禅
そして八時からは大方丈で法話である
布教師の方で 島根県 の隆興寺 柳楽一学住職の法話は 正直かなり
レベルの高いお話で お世辞ではなく 大変話の上手な方であった
肩書きを見ると 臨黄寺院ネットワーク運営委員のお一人で 妙心寺派
布教師会会長となっている いやぁ 流石である
運営委員と言えば 観音寺 瀬川宗隆閑栖(臨済宗連合各派布教師
会会長)も以前お話を聞いたが 大変上手な方であった

そして最期の大仕事 作務であるが これは ちと大まかな感じであった
私は当初 蒲団運びが担当となったが これはほとんど力仕事であって
結構 運ぶのは大変であるが ものの十五分ほどで終了した
そんなことで 他を手伝う事に と言っても見た感じ
残っているのは拭き掃除だけであった 笑
結局 十時過ぎにはほぼ作務は終わって 微妙殿に戻って帰り仕度

十一時には最後となる 閉会式が大方丈で開催
正坐で待っていると 老大師が入場 最後となる般若心経と 坐禅和讃
その後 老師の最後の垂訓
この垂訓も 頭を畳につけず頭は あがったままだった
そして卒業の記念品が 老大師から一番参加者の中で若いという三十才
の男性が代表して授与され その後 四弘誓願で終了した

おしまいは 昼飯の祝斎となった
なんと 老大師も入場され また指導下さった指導僧のみなさまも参加
された
希望を言えば 可能ならば その指導僧方々と語り合いながら食事が
出来ればと思ったが無理なのだろうか

精進料理だったが 私は炭水化物制限食のため食べたい 赤飯のお替
わりはせず早めに終えた
この祝斎の時 老大師から来年の 第18回大衆禅堂大攝心の予定の
お話がありました
参考にされる方もおられる方もあるでしょうから 報告します

「 
来年は 白隠禅師250遠諱の記念となりますので 一泊ではなくて
 二泊三日で 四月に開催する予定です
 」 と予定を報告されました

そして
微妙殿の玄関で草履を履いて出たのは ちょうど正午頃であった
以上が 今回の『 大衆禅堂大攝心 』のご報告である

最後に
この場をお借りして教えて下さった 霊雲院 則竹秀南老大師そして
指導して下さった 指導僧の皆様方 大変お世話になり 誠に有難う
ございました 厚く御礼申し上げます


そして 最後に感想を含めて若干の補足

実は私は参加申し込みは勿論一人のつもりでしたが 大衆禅堂大攝心
の当日 二人の知合いと再会しました
他にも昨年の 報恩坐禅会の方々ともお会い出来ました こう書くと
なぁんだと皆様もお考えでしょうが 私の地元京都の知り合いの方とは
なんと一人もお会いしませんでした 我ながら吃驚しています
相当数の京都の坐禅会は 参加していますが 摩訶不思議な感じを
抱きました まぁ京都の方でも大衆禅堂に参加されている方は 勿論
参加されているでしょうから 私が知らないだけでしょうがね・・・ 笑

書きませんでしたが 大衆禅堂の一泊坐禅は参加したことがありません
でしたが 妙心寺本坊の大方丈で毎月78日と開催される『禅道会』は
昔何度か参加した経験があります 天授僧堂が臥雲庵 松山寛恵老師
の時代だったです

多くの大攝心参加者は 袈裟や袴や作務衣等で参加されていたが
帰りには全ての方が 普段着に着替えられて妙心寺を後にされた
私の様に 作務衣のまま草履を履いて帰るのは 何の事はない 私
一人のようであった

さて 来年の第18回大衆禅堂大攝心の参加はどうしようかと現在は
考えています
しかし二泊三日となると 相当アピールしないと五十人程度しか集まら
ないのではと危惧もしたりする
坐禅するだけでは そんなに集まるのは難しい気がする 出来れば
参加者同士がもう少し フランクに話が出来る時間があればもっと
良いと考えるが如何なものであろうか
一人で参加した方が あまり誰とも話もしないで帰った場合 さて
リピーターとして参加を続けられるだろうか
もっとも 人を集めるだけなら 全国にある 幾つかの大きな坐禅会に
頼めば集まるだろうが 如何なものであろうか
昨年の各地の報恩坐禅会で 立派な居士坐禅会がある僧堂を見て
来てから 特にそう思う様になったかも

まぁ来年の場合は 中日の一日は出来れば 花園大学の禅堂で
老師の提唱があり そして坐禅が出来る様になれば 参加しようかと
思ったりもしている現状です



追録
 霊雲院 曇華室 則竹秀南老大師が米国のロサンゼルス在 妙心寺派
海外寺院・臨済寺の特命兼務住職に 今月の15日付で就任されました
老師ご苦労様です


                            お わ り





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