☆44 松源崇岳から 日本への八つの流れ


松源崇岳から 運庵普巌へ  掩室善開へ

           滅翁文礼へ  無明慧性へ  無得覚通へ

   そして来日僧 蘭渓道隆の大覚派へ 留学僧 南浦紹明の大応派へ



日本での臨済宗を眺めると no42で見た 無準師範の流れと この松源崇岳

の流れとに大別すると解り易い

ただ法嗣の流れは 楊岐方会→ 白雲守端→ 五祖法演→ 圜悟克勤→ 虎丘紹隆

→ 応庵曇華 → 密庵咸傑 ここまでは一つの流れであるが このあと

二つの流れに別れる 一つが ここで紹介している 松源派の松源崇岳の流れ

もう一つが 破庵派の破庵祖先の流れ この二つに通常は大別されている

そして破庵祖先の法嗣 無準師範と続いて No42では 破庵祖先のグループでは

なく 無準師範のグループとして取り扱いました

一応は 破庵祖先(1077年〜1136年 北宋虎丘派)と 松源崇岳(1077年〜1136年

北宋虎丘派)は どちらも密庵咸傑を師匠とし ほぼ同時代を生き抜いたライバル

であった事は記憶に留めておいて下さい

しかしながら 日本の禅宗史から見れば 破庵祖先よりも 遥かに無準師範の方が

近い存在に見えるからです

何故なら 無準師範は東福寺の開山 円爾の師匠であり 鎌倉円覚寺の開山

無学祖元の師匠でもあり また鎌倉幕府に招聘された 兀庵普寧の師匠でもあって

直接的な繋がりを重視すれば 現実的な分類と考えています


下にある 表06が 松源崇岳からの法嗣の流れであって 鎌倉建長寺の開山

大覚派の蘭渓道隆があり

現在日本の臨済宗の主流となっている 所謂 応燈関の 南浦紹明の大応派

が輝いている





実際は日本に伝わった臨済宗の流れは 二十派以外にもっと沢山あると分類される

場合も多い様ですが 私の実感とすると 正直この二十派でも ちょっと分類が

多過ぎないかと 考えている次第です

結論としては 応燈関の流れを含む 松源派松源崇岳の流れをくむのが 八派

無準師範の流れをくむのが 七派 そしてこれに黄檗宗を加えると 七派一宗

破庵祖先の流れだが 無準師範以外の石田法薫の流れの 清拙派と

他に破庵祖先や松源崇岳と同じ時代の曹源道生からの流れの 一山派と

大慧宗果の流れの中巌派と 無門慧開の流れの法燈派と

そして唯一 黄龍慧南の流れをくむ 栄西の千光派の五派

八 + 七 + 五 合計で 二十派 + 一宗

因みに ウィキペディアの 『 禅 』には 古先派が加えられています

興味ある方は 上のウィキペディアの『禅』をクリックして お読みください

言えば 古先派は 入元僧の古先印元が 中峰明本から嗣いだ法系であり

大拙派 はたまた 黄檗宗の流れに近いとも言える








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