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☆53 臨済宗二十の流れ 二十五流とか色々申しますが 栄西 円爾 大応など二十流で それでは 『禅のあれこれ』のNO41 NO43 NO44の表04 05 06の三つをもう一度 眺めながら その二十の流れを纏めてみます まずはそれぞれを再度見つつ再確認してみたい まずは表04からは 永平道元の曹洞宗の 大きな流れが表示されている また唯一 臨済宗黄龍派の流れを汲む 千光派の栄西 無門関で有名な無門慧開の法嗣である 法燈派の無本覚心 その他に渡来僧で 中巌派の中巌円月 一山派の一山一寧 清拙派の清拙正澄 の五つがあげられる
そして表05からは 仏慧派の霊山道隠 別伝派の別伝明胤 大拙派の大拙祖能 鏡堂派の鏡堂覚円 聖一派の円爾 兀庵派の兀庵普寧 無学派の無学祖元の七つの流れ それとは別に 臨済宗ではあるが 時代がずっと下った江戸時代の千六百年代に伝わった 黄檗宗が ありますが 時代がずっと下りますので ここでは二十流に含めない事とする ![]() 表六からは 大応派の南浦紹明 西カン派の西カン子曇 大休派の大休正念 法海派の無象静照 竺仙派の竺仙梵僊 大覚派の蘭渓道隆 明極派の明極楚俊 愚中派の愚中周及の 八つの流れとなる 注意 西カン子曇のカンは漢字表示は下記の通りだが 厄介な世界である webでは 基本的に「?」に 置き換えられてしまうために カタカナ表示にしている ![]() そして以上の 臨済宗二十の流れを 纏めてみると 下の表の様になる 参考までにウィキペディアを見たい方は 「ウィキペディアを別枠表示」をクリック下さい この臨済宗の流れを webの世界でウィキの情報をコピペされて ブログ等に 表示されている方が 多数見受けられます そのためか 古先派の古先印元 黄檗宗の隠元隆g 更に 曹洞宗関係として 道元派?(道元が知ったら怒られそうです 正伝の仏法と言ってますから)永平道元 と 東明派の東明慧日 東陵派の東陵永與 の合計五つの全て若しくは一部を 数えて 二十一派から二十五派まで いろいろと表示されているようです もっとも もっと多くの流れがあると 書かれている方も多いです 私は道元の流れの曹洞宗の流れを 別として 臨済宗に限り論じて 更に 古先派の古先印元を数えないで また前述した様に 1600年代に来朝された 黄檗宗の隠元隆gは 大変大きな歴史的な事実ではありますが 他の流れから 三百年は下った時代ですから 数えないで 臨済宗二十派として 説明いたしました 因みにウィキペディアでは 禅宗として 二十五派としています 即ち ここの二十派 に 古先派と黄檗宗そして 上述の曹洞宗の三派を加えて 二十五となります 私もウィキペディアは 結構書き手にもまわっていますが 実際には結構間違っている ことがありますので 十分注意しましょうね 特に 医学情報については 十分に 吟味してから 活用してくださいね それでも 大分前でしたか ウィキで『栄西』を開けてみると 次の様な記述を見ました 『建保3年満74歳没で入滅 かつては、入滅日(6月5日・7月5日)と入滅地(鎌倉・京都) に異説があったが 「大乗院具注歴日記」の裏書きによって 7月5日京都建仁寺で 入滅したことが確定している』 と書いてあり 更にそして脚注を見ると 『脚注 舘隆志「栄西の入滅とその周辺」(『駒沢大学禅研究所年報』21、2009年)』と なるほど 以前はこうは書いてなかった 久し振りに読むと新たに訂正があったことに 気づくことがあります それにしても これって舘先生が自分で書き込んだんだろうか 栄西に関しては 長い間ウィキペディアを 読んだことはなく 先日何年振りかに読み直して 気が付いた次第です いやぁウィキペディアでは 結構こんな事がある そう思っています
さて 上の表の上ですが 順序は 日本僧の場合は帰国年を 中国僧の場合は来日年を 基準としてその前後で 並べています 見ると日本僧は中国では最低五年程度は修行しているのが解ります 法海派の無象静照 大拙派の大拙祖能などは 十年以上の長きに亘って 中国で修行しています もう一つこの表から 明らかなことは 二十派といっても 1267年から 次の中巌円月が 1332年日本に帰ってくるまでの期間の九派は 全て日本僧ではなく渡来僧によってである そして 1267年の日本僧が 現在の臨済宗の日本の本流を形成する 応燈関の始まり 南浦紹明なのである 次回からは 臨済宗二十の流れのうち 特に重要な流れと思われるものだけですが もう少しだけ掘り下げて その派祖からの流れを 見ていきたいと思います |